2016-04-07

アメリカ人肩こりがないと聞いて英語完了形理解できた

英会話勉強して3年くらいになって旅行日常会話なら支障がないレベルになったのだけど、完了形(have+過去分詞)の使い所が今ひとつ理解できないでいた。

どこそこにいったことある?(have you ever been to)とかなら定型で使えるんだけど、それ以外ともなるととっさにはなかなか出せないでいたのだ。

それが、とあるところでアメリカ人には肩こりという概念がないという話を聞いて、妙に納得できるようになった。

というより、日本語に住み始めたアメリカ人肩こりになるという話といったほうがいいかもしれない。

それを説明するために、もう一度英語の話に戻りたい。

わたしには完了形以外にも概念が把握しづらい言葉があった。

例えば、makeの使い方なんかがそうだ。

make sureは今でこそ確認するという意味理解できるが、この単語が二つならんだだけでは今ひとつ意味理解できない。

それ以外にも興味深いのはpossibleやleaveといった言葉だ。

is it possible~なんて、普通に考えて日本語では登場しない言葉だし、leave it to me.で”私に任せて”なんて意味になるだなんて言葉から想像もできなかった。

なんと表現していいかわからないのだが、どれも自分にとっては他人事に思えてしまえるのだ。

そこでアメリカ人肩こりがないという話が舞い込んできた。

しかも、日本に住み始めると肩こり自覚するというのだ。

そこでひらめいたのは、当然環境も異なるが最も異なるのは言葉ではないかということだった。

それをもとに考えた結果、英語はどの表現フィジカルものに対して使われるのに対し、日本語メンタル表現する使われ方が多いことに気がついたのだ。

しかしたらその違いは宗教観の違いにあるのかもしれない。

自分敬虔クリスチャンではないが、祖母はことあるごとにわたしのことを神様からの預かり物だと話をしていた。

また、懺悔というシステムを改めて考えてみると、間違いを犯しているのは自分ではなく自分の肉体であることが前提になっているようにも思える。

「罪を犯してしまったわたしの肉体をお許しください」といった趣だ。

少なくとも日本では、罪を犯せば人格が疑われる。犯罪に至った心理が掘り下げられ、それによって罪の重さが決められる。

大岡裁き現代に見られることは稀有だ。

当然アメリカ人においても凶悪犯罪者は厳罰を受けるが、100年を越す懲役はそれこそ肉体そのものに課せられている象徴のようにすら感じられる。

多少ならず乱暴な理論だということは承知した上で、もし英語概念につまづいている人がいるなら是非参考にしてみてもらいたい。

英語フィジカルを中心に表現が組み立てられているということをだ。

少なくとも、わたしはこの考え方で英語(または英語圏に暮らす人の考え方)に対する多くの胸のつかえが取れた。

もうすこし勉強が進むとまた違う考えになるかもしれないが。

さらに少し飛躍した考えだが、もし重い肩こりに悩む人がいたら、それは肉体の仕業だと切り離して考えてみるのも手かもしれない。

その肉体を無理やりに押さえつけようとするから肩に力が入ってしまっているかもしれないからだ。

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