こんにちは、かずひろ(@kazurex1215)です。
前回の記事「ここ数年の『仮面ライダー』に対する不満を解消したい 〜前編〜」の後編となる今回の記事では、恒例となっている仮面ライダーの春映画についての不満点を勝手ながら書いていきたい。ディケイド以降、「二度と仮面ライダーの映画は観に行かない」と心に決めていたので、以下に並ぶ春映画の感想は先日レンタルビデオ屋で借りてきて一気見したものだ。これらが劇場公開した当時の特撮ファン界隈の評判をなんとなく知っていたものの、実際鑑賞してみると「おいおいおい、まじかよ」と正直ビビってしまった。これが映画として世に放たれているという事に怒りを通り越して、恐怖を覚えてしまった…。とはいえ光る部分、グッと来た部分ももちろんたくさんあるので、それらも併記しつつ述べていきたい。では、よろしくお願いします。
「レッツゴー仮面ライダー」
春映画の記念すべき1作目の今作の見どころは、1号と2号がショッカー最大の敵になっている点だ。1号2号を「ショッカー最大の敵」に配置するのは原作者の石ノ森先生へのリスペクトとして理にかなっているのが非常に上手い。更に今作は1号2号の見せ場がかなり多く、歴史改変前の時代で子供達のピンチに駆けつけた2人のライダーがメインテーマと共に登場するシーンはアガるし、TVシリーズの最終回を再現し電王とともに大首領に立ち向かう展開も、昭和へのリスペクトを強く感じる。電王や少年達を逃がす為に、ショッカーグリードと戦う1号2号のシーンでは目頭が熱くなった。
世界観の構築も他の作品に比べて丁寧で、仲間であっても敵に捕まれば容赦なく切り捨てようとする少年達は、残酷な世界で生き抜いていく事の辛さを物語っている。そんな少年達はオーズ=火野映司(渡部秀)やNEW電王=野上幸太郎(桜田通)、歴史改変前の1号2号や「少年仮面ライダー隊」の面々との出会いを通じて絶望の中でも決して最後まで諦めない事を学び、現代の「少年仮面ライダー隊」として仮面ライダーのピンチを救うラストにかけての展開はアツくてアツくてたまらない。そこに民間人も加わって仮面ライダーを応援するし、「人の想いが仮面ライダーを蘇らせた」っていう多少強引ではあるけれど、ライダー全集合にロジックを持たせたのも良かった。
なんで幸太郎がカウントダウンシステム復活させちゃったの?とか、どうしてショッカーがコアメダルを持ってんだよ!とか、なんで歴史修正に失敗して現代に戻ったモモタロスがアンクみたいに右腕だけになってんの!?とかツッコミたい事はめちゃくちゃ多い。しかしこれから続く作品群に比べたら可愛いものである。個人的にこの映画は好きなのでおススメですよ。
「スーパーヒーロー大戦」
この映画こそが春映画の代名詞とも言える最大最高の超問題作だ。この映画を実際に劇場でご覧になった方はどんな気持ちだったのだろうかと考えただけで、心底ゾッとしてしまう。歴代のスーパー戦隊の力を自在に扱える「海賊戦隊ゴーカイジャー」と平成ライダーに変身可能な「仮面ライダーディケイド」、この2作品が出揃った時点でこの映画が製作されるという事はファンも予想が出来ていたが、まさかここまで…ここまで酷いとは…。
物語の中心はゴーカイジャーのリーダー、ゴーカイレッドことキャプテン・マーベラス(小澤亮太)と仮面ライダーディケイドの門矢士(井上正大)だ。この2人がどういうわけか各々が敵対していた悪の組織の長となり、マーベラスはスーパー戦隊の為に、士は仮面ライダーの為に互いを潰しあう。しかし悪の組織の長となったのは大ショッカーと大ザンギャックの計画する「ビッグマシン計画」を阻止するための大芝居で、倒されたはずの戦隊もライダーも実は生きており最後に共闘する、というのが簡単な流れ。
いやー、ホントね、なんでこんな脚本になったのか。これが金もらって書き上げたプロの仕事とは思えないほどゴミくずレベルの出来栄え。大芝居をうつために仲間を騙すにしても、ディエンド=海東やゴーカイブルー=ジョーへの辛辣な発言があまりにも酷い。ゴーカイレッドは表情やしぐさに戸惑いが見られて、仲間を裏切る辛さが多少感じられたものの、ディケイドはそんな様子も一切なく本気で裏切っているようにしか見えない、まあそれがラストのクソ展開に活きるわけだけど。
さらに「大ショッカー」「大ザンギャック」、何なのこいつら。士の大ショッカーに対する「お前らは何度でも蘇るのが売りだからな」みたいな発言にも冷めるし、大ザンギャックでの「だから地球侵略も失敗したんだ」というマーベラスのワルズ・ギルへのメタ的な発言も何が面白いのかさっぱり。東映の自虐ネタでも放り込んだつもりなのかもしれないけど、滑り散らかしていることにも気づけないのか?鳴滝も知らぬ間に大ショッカーの一味になっていてキャラも破綻し過ぎて意味わからんけど、最後にしれっと士と仲良くなっていて更に意味わからん。アカレンジャーがカギを握ると聞き、マーベラスの言葉通り過去に戻ってみると1号とアカレンジャーが戦っていたがそれは本当の2人ではなく、士とマーベラスだった。これ何だったんだろうね、まじで。しかもカメンライドでベルトはディケイドライバーのままのはずが、ベルトまで変えられるようになっていて笑う。
ここからヒーローが集結して戦うんだけど、戦隊とライダーが力を合わせて戦うシーンはお祭り感満載で迫力もあった。ここだけですね、良かった点は。そしてラストの展開がクソ。「ビッグマシン計画」を阻止したのに、たとえ芝居とはいえ士の裏切りに腹を立てたディエンド=海東がビッグマシンを起動。今度はディエンドがヒーロー相手に巨大な破壊マシンを使って牙をむき始めた。って自分で書いて意味わからんわこの展開。もうこの辺りから笑う事しかできなかった…こんなグダグダな事ってあるのか?やっている事が後先を考えずに、駄々をこねている子供と同じレベルじゃないか。といった感じで全く心に残らない珍しい作品でした。レンタルビデオの旧作レンタルで観るのが一番妥当な基準かと思います。
「スーパーヒーロー大戦Z」
同じお祭り映画であるものの、前作よりかは何倍も良くなっていた本作。ヒーローが協力して共通の敵に立ち向かうというのが物語の主軸なので、ライダーや戦隊が無意味な争いをほぼ行わない。さらに全員を登場させるのではなく、動物系や拳法系、宇宙系など範囲を狭めて登場させてヒーローを限定的にする事により、見せ場を多く発揮できたのも良かった。スーパー1とメテオのダブルキックやイナズマンとフォーゼの師弟コンビ、こういうのが見たいんだよね。今回の宿敵「スペースショッカー」、スペースイカデビルやスペース蜘蛛男など、宇宙要素を入れつつリファインされたデザインが意外とカッコいい。思い返してみると全体的に良かったものの、雑な点も多い。初代ギャバンが何の躊躇もなく地球破壊を決断するのはどうにも納得がいかないし、宇宙鉄人2体の噛ませっぷりが酷い。そして何より全体的につまらないというのが致命的かと。ドラマパートも悪くないんだけど面白くは無いかな…。語れるところが少ないという点で春映画一番の映画かもしれません。
「仮面ライダー大戦 平成ライダーVS昭和ライダー」
いよいよ仮面ライダー同士で戦い始めたので、もうどうにでもなれと予告編を見て乾いた笑いしか出なかった本作。しかしストーリーは親子愛がテーマで、命の重さという倫理観も加わり、割と一本筋が通っている印象。本郷武=1号や神敬介=X、左翔太郎=ジョーカーなどのオリジナルキャストも勢ぞろいし、何より半田健人演じる乾巧=ファイズを再び見ることが出来た事に感激だ。パラレルではあるもののファイズのアフターストーリー的な要素も含まれており、ファンにとっては嬉しい限り。数年間まともな出番が無かったディケイドも今回はヒーローらしく活躍する場面も多くて、少し救われた気がした。今作のメガホンを持った柴崎監督のおかげで、アクションの撮り方にも工夫が凝らされており見ていて新鮮味が感じられた。
とはいってもやっぱり脚本がどうにもダメダメなのである…。今作の敵の地下帝国バダンの目的は、死者の魂が渦巻く地下の世界と地上の世界を逆転させる「メガ・リバース計画」を完成させる事だが、平成ライダーの死者への未練がこの計画を引き起こした原因だから昭和と平成で対立したという流れ。結局バダン帝国を欺くためだったとはいえ、どうにかなりませんかこのライダーバトル。悪を滅ぼす為とはいえ、正義の味方同士が拳を交えて戦う姿はあまりにも不毛すぎる。仮にもバダンの蘇った原因が平成ライダーにあったとしても、とりあえずは一緒に戦ってバダンを倒す事が最優先の気がするんだけどな…。バダン帝国を滅ぼした後にも、昭和と平成で決着をつけるとかなんとかで戦い始めるからもう勝手にしてくれ…。
"昭和が平成を認めない"というクソみたいな流れのせいで、偉大な先輩がアホにしか見えない。Xの「お前、平成ライダーだったのか」本郷猛の「平成ライダーは認めん!」、よくよく考えると何じゃこりゃなセリフ。そしてZXは本人出演までしてくれたのに噛ませキャラという不遇な扱い。そして最後に登場したキョウリュウレッドとトッキュウジャーは、絶対に必要なかった。玩具の販促の為とはわかるけど、ちゃんと宣伝になってますかこれ。
最終決戦のXとファイズとウィザードの本人達の同時変身がこの映画最大の見所だと思う。後者2人は最強フォームってのが良いし、3人同時に必殺技を決めるシーンもカメラワークも凝っていて良い。ただ、その手前でファイズ=巧が死者への未練を出してしまいXとウィザードの攻撃を阻むのだが、「あああ!!なんでだよ!!」と観ている側のテンションがここでぶつ切りに。巧の心をこのタイミングで揺らがせたのが、どうにもこの3人の変身シーンへ持っていく為の演出にしか感じられないのだが、それならもっと他にあっただろう…。
個人的に本郷猛の最初の変身の「はぁっ!!」って掛け声からの「ライダー変身」、掛け声がシュールにしか感じられなかった。先輩ライダー登場の理想形ともいえる演出に感嘆するものの、無茶苦茶な脚本が足を引っ張るどうにも惜しい一作。しかしファイズとX好きの方にはオススメしたい一作だ。
「スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号」
歴史の闇が生み出したダークヒーロー、仮面ライダー3号だけが取り柄の最高で最低の作品。本作の見どころは何といっても全編に溢れ出る仮面ライダー3号=黒井響一郎の魅力だろう。「THE FIRST」を彷彿とさせるスタイリッシュなフォルムと黒い羽が名散るエフェクトが渋い。演じる及川光博さんのノリノリの演技がたまらなくカッコ良くて、セリフに合わせた目線一つ一つの効かせ方も決まっているし、アフレコの演技も抜群。元々手足の長いモデル体型だったのもあり、生身アクションも画になる美しさ。冒頭のTVシリーズ「仮面ライダー」の最終回再現からの1号&2号VS3号の戦いはシリアスな雰囲気も出てたし、歴史改変後の世界もショッカー独特の洗脳的な気持ち悪さが全体的に包まれていてそれなりに良かった。多くの仮面ライダーが悪の手に染まるも、1人子供たちのために戦うブラック=南光太郎の姿がアツくて泣ける。
しかし良い部分というのが上記の点のみで、この映画が本当に凄いのは春映画がある意味ここまでやっちゃうんだという極みを見せつけてきた点だ。物語の序盤、ショッカーに追い詰められた霧子(内田理央)がショッカーの手先となった進之介を目覚めさせるため、ビルから飛び降り自害する。結局死んでいなかったのだが、自ら死を選ぶような差し迫った状況だったのかも疑問だし、画的にアウトだとしか思えない。ドライブのTVシリーズではおなじみの本願寺部長(片岡鶴太郎)の死に方もあまりにバカバカしく、物語の都合上死んだのが丸わかり。
そしてこの映画の最も酷く度肝を抜かれてしまったのが、マッハ=詩島剛(稲葉友)の死だ。マッハに止めを指したのは特状課の現さんが変身した怪人チーターカタツムリ。歴史改変されたパラレルワールドとはいえ、元の世界で共に戦った仲間の攻撃で死んでしまうというエグい仕打ち。不自然なほどなぜかマッハの元に他のライダーが助けにも行かず、集団リンチ状態。身動きも取れず剛が小声で「やっべ…」って呟くのも死に際の感じが妙にリアルだったし、あのくだりはホントに不快でしかなかった。更にそのマッハが追い込まれているシーンと並行してニンニンジャーが登場し、笹野高史さん演じるおじいちゃんがお茶をすすっているシーンも挟まれて、滑りに滑ったギャグをまたもや見せられている気分で今にも吐きそうだった。全然笑えないし、ニンニンジャーまで嫌いになりそう。歴史が元に戻っても本願寺課長は生き返っても剛は生き返らず、これが「仮面ライダー4号」へ繋がる伏線になる。実は先日「仮面ライダー4号」を鑑賞したのだが、剛が死んだままの意味ってあったのか?「4号」の作中でも剛はまた死んでるしさ…。
ある意味見慣れてしまった仮面ライダー同士の不毛な争いもなかなかにアレな出来。前作では重宝されていたXも3号に馬乗りになってボコボコ殴られるし、ギャレン=橘さんの役どころも悪役し過ぎて微妙。終盤、正義に目覚めたライダー達がドライブに加勢する展開がやってくるも、未だ悪のままのライダーと戦うので結局はライダー同士の戦いに。盛り上がってる感出してくるけど、全然盛り上がらないからね…。V3さんに「君こそ本当の仮面ライダー3号だ」という安っぽいとりあえず言わせただけのセリフには思わず笑った。ドライブ好きな方が見ると怒りで発狂すると思われる今作は、3号の魅力を堪能するという点で一度鑑賞するのもアリかもしれない。
ここまで5作品の感想をまとめて載せましたが、長すぎましたね…。読んでくださった方ありがとうございます。で、まあほとんどの作品の脚本が欠陥住宅並みの素人レベル、いやそれ以下かもしれない酷さで純粋に疑問なのだが、なんでそんなゴミみたいな脚本しか作れないの?若干21歳で知らないことの方が多い特撮ファンの自分が見ても、もっとスマートに演出できたのでは?と思ったことが多々多々多々ある。何かあればヒーロー同士平気で傷つけあうし、敵を騙すための作戦だったとか、そんな脚本だからアクション面でも映像的に新鮮味が欠けるし、わちゃわちゃしていて普通の絵面ばかり。春映画=お祭り感を出すというテーマはわかるが、あまりにもヒーローを「個」でなく「群」として扱い過ぎだ。例えば「仮面ライダー3号」でストロンガー・アマゾン・Xが敵として登場するにも、一人に対する重みが感じられない。この3人が敵に回る恐ろしさみたいなものが皆無。強大な敵に一丸となって立ち向かうライダー達や、敵に負けそうになって心が折れそうになる後輩ライダーを、時には叱咤激励し励まし心の支えになる先輩ライダーとか、そういうのが見たい。のだ。
しかしこんな体制で5作品が制作されているという事は、今の時代に求められているのは脚本や演出の細かな点ではなくもっと他にあって、そこが満たされているからこそ今も続いているのかもしれない。メイン視聴者である子供達にはこの春映画、どう映っているのだろう。色んな意味でめんどうなオタクになってしまった自分に、それを推し量ることはできない。結局私がどう叫びどれだけの文句を言おうとも、劇場から出てきた子供たちが「面白かった!」と言って満面の笑みを浮かべていればそれで良いことなのだ。
自分にとって初めて出逢ったライダーが仮面ライダークウガで、そこから仮面ライダーという存在を知っていった私は、まさしく「平成第一期」ブチ当たり世代だ。クウガやアギトのような緻密に積み重ねられたロジックな展開に感嘆し、龍騎やファイズといった戦いに葛藤し悩み、それでも戦い続けなければいけないというシリアスなドラマ性に惹かれ仮面ライダーを楽しんできた。だから今の仮面ライダーにもそんな一面を求めてしまう、「平成第一期」という色メガネを通して観てしまうのだ。しかしWに始まりゴーストに続く今の「平成第二期」の仮面ライダー達は、全体的に明るくコミカルな作風が特徴的で、ギャグ要素も多い。シリアスな展開も用意されているが、「平成第一期」に比べると可愛いものだ。つまり明るいコミカルな作風の下で、「第一期」特有のロジックな設定やシリアスさは役に立たず封殺されており、「平成第二期」が仮面ライダーの入り口となった視聴者にとっては、そのような粗も『様式美』として消化されているのではないだろうか。多少無理やりな設定や展開も、「あ、仮面ライダーってこんな感じか」と思うのと「いや、嘘だろ?そこ適当にするなよ…」と思うのとでは楽しみ方に雲泥の差がある。
想像ではあるが上記のように、「平成第二期」世代は春映画をそこまで酷いと感じておらず文句を言っているのは「平成第一期」世代の方が割合として多いように思う。しかし、これら正反対の世代を作り上げたのは紛れもなく親会社の東映であり、自身の作り上げたファン達がこうして反旗を翻したかのに批判をするのは何ともいえない皮肉だ。今の東映の製作体制はよほどのことが無い限り変わることは無いと私は踏んでいる。そしてその度に泥沼化した東映への批判を私たちはこれからも繰り返すのだろう…。
ああ、仮面ライダーよ永遠に…。