| 先日、久々に石川啄木の歌集を手にとった。
三行にわかち書かれたすべての歌を、一気に、心のなかで声をあげて読んだ。
若いころには浅薄なセンチメンタリズムでしかふれられなかった彼の歌が、単なる抒情ではない、深いリアリティをもって迫ってきた。
なつかしき冬の朝かな。
湯をのめば、
湯気がやわらかに、顔にかかれり。 (『悲しき玩具』より)
啄木は、1886年に岩手県に生まれた。少年時代から天才的な詩人として知られるが、生活苦から故郷を離れ、1907年に北海道にわたる。函館から札幌、小樽、釧路と転々とし、約1年で離道する。東京で作家活動を行うが、貧困のなか、12年4月26歳で世を去る。まさに夭折といっていい。遺骨は東京浅草等光寺の墓地に葬られた。
その遺骨がなぜ、わずか132日間しか滞在しなかった函館に持ち帰られ、立待岬にある啄木一族の墓に葬られたのか、という経緯については、函館在住のジャーナリスト、故・小野寺脩郎が、遺稿『啄木の骨』(幻洋社刊)に描いている。
処女歌集となった『一握の砂』のなかの一章「忘れがたき人人」は、北海道の生活と情景を歌ったものである。わずか1年の北海道の生活だったが、北海道の風と土と人は、啄木の歌に多くの情景を宿し、そのことで多くの人々の心に、その詩情を焼き付けることとなった。
札幌に
かの秋われの持てゆきし
しかして今も持てるかなしみ
神のごと
遠く姿をあらわせる
阿寒の山の雪のあけぼの (『一握の砂』より)
誰もが知っている歌ばかりではなく、啄木が感じた北海道の風と土と人の思いに、ぜひふれてみてほしい。
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