この世は(たぶん)ゲームじゃないけれど、「HP」(=体力)的なものが尽きれば、人間は当然ぶっ倒れる。普通に暮らしているなかで“体力ゼロ”になることはなくとも、日々の生活をこなし、生命活動を続けるだけでも、削れていくものはある。“ただ眠るだけでもエネルギーは必要”*1なのだ。
でもその一方では、「MP」的な値も、きっと同じくらい大切なのだと思う。「精神力」あるいは「活力」とでも表現できそうな、日々を前向きに、楽しく過ごすためのポイント。
おいしいものを食べるとか、趣味を楽しむとか、きれいな風景を目にするとか。そういった心躍る活動によって、MPが一定値以上を保てているのなら、とりあえずは安心でござる。無理せず、素直な気持ちで前向きに、「今日も1日がんばるぞい」と言えている間はだいじょうぶ。
けれど、それも疲れているとき――HPがカツカツの状態では、好きなことすら面倒に感じてしまうのではないかしら。だからきっと、HPとMPは常にリンクしていて、どちらかが極端に減ったりしてしまわないよう、程よいバランスを保つ必要があるんじゃないかと思うのです。
ただ生活するだけでも減っていくHPと同様に、毎日のように変わらないルーチンワークをこなしているだけでも、精神は摩耗し、MPも減少していく一方にある。それが満足のいく活動であるうちは問題ない。でも、嫌な仕事だとか、苦手な上司だとか、そういった存在がネックになる。
そういう意味でMPは、「余裕の有無」と言い換えてもいいかもしれない。精神的に充足していれば、苦手な上司の小言も耐えられる。平日5日間の仕事が辛くとも、週末の私生活を充実させ、HPとMP、両方を回復する時間に充てることができていれば。
しかし、あまりに仕事が忙しく、満足のいく形で休息を取ることも、趣味の時間を確保することすらできなかったら。不満の捌け口がなく余裕のない状態で、飽きるくらいに上司の“ふしぎなおどり”を見させられ続けていれば、MPは減り続け、どこかで枯渇してしまうだろう。
なればこそ、代わり映えしない生活に「ちょっとした変化」をもたらすためのスパイスとして、「季節イベント」は身近かつお手軽な手段でござろう。自分の知人も、見知らぬ他人も巻き込んで、大勢で同じ方向を見て楽しむ“ハレ”の空間。
普段は成り行きで参加しているだけのそれも、気づかぬうちに、その人にとってある種の癒やしの場となっている――なんてケースも、意外とあるのではないかしら。たとえそこに経済活動や企業の思惑があろうとも、なんだかんだで楽しめている、楽しんでしまっているような。
それこそ“恵方巻き”がごとく、みんなで同じ方角へ向かって。いろいろと思うところはあろうとも、なんだかんだで「いつもと違うこと」をして、楽しめているのならいいじゃないか、と。
特に季節の「食べ物」は、味覚に訴えかけてくるだけあって、素直にMPを回復しやすいアイテムであるように感じる。メシこそ至高。メシこそ最強。うまいもん食って、ぼーっとしながら微睡むだけの休日。そんな時間の、なんとまあ尊きことか。風呂ときれいな風景があれば尚良し。
――と、そんなこんなで、年が明けてから微妙にルーチンワーク続き、遠出することもできず、どことなく「MP」の不足を感じておりましたゆえ。ぶらっと千鳥ヶ淵まで行って、人波に揺られながらお花見を楽しんできた次第でござる。HPを犠牲にしつつ。
あんまり慌ただしいのも、人混みも好きじゃないけれど、いざその場に立ってみると、ゆらゆらと歩きながら楽しむ花見もいいもんですね。広い範囲で、数多くの「桜」が見られるというロケーションの影響かもしれない。ゆっくりと歩きながら、多彩な風景を見られて大満足っす。
よっしゃ、明日からまた、がんばるぞい。