例えば「新卒フリーランスになろうと思う」という一言。
この発言に対してなんと答えるのだろうか。支持するのか忠告するのか、考えはやはり「人それぞれ」なのだろう。
俺はこの「人それぞれ」という一言が全てを台無しにしていると考える。
【新卒フリーランス】早稲田を卒業したのでキャンピングカー生活始めます - やぎろぐ
自分の立場を明確にすることなく、あたかも器の大きさを演出しているに過ぎないこの発言。発言主はあらゆる事情や思惑に「寛容」で「理解」を示しているかのような立ち振舞いを許されているとでも勘違いしているのだろうか。
しかしこの発言は一切の生産性を持ち得はしない。
「新卒フリーランスになる」と発言した意図は、その発想自体あまり一般的でない背景を考えれば何かしらの支持コメントか批判・忠告コメントが期待されるはずだ。多くの人にとって、その発言は、本人の生活実態とはかけ離れたものである。なぜなら「新卒神話」しかり、新卒でどこかしらの会社に入社するというのが日本においては常識とされているからだ。新卒で「良い会社」に就職することを優先したがために、一部の大学生が学生生活を延長することからも明らかだ。
つまり「新卒フリーランス」というトピックに対して「人それぞれだよね」なんて乱暴な意見が産み落とされることなどあり得ない。もしその発言が聞こえてこようものなら、発言自体とその者の実生活は大きな乖離を見せているはずだ。
まさに「当事者を回避」しているのだ。
俺は震えた。自分がまるで地に足つかぬ机上の空論を弄していただけなのではないかと。大いに威勢のいいことを書いてしまった。おそるおそる彼の記事のはてなブックマークのコメントを覗いてみた。
否定的なコメント、応援するコメント、その他の気の利いたコメントが大行列をなす。彼の影響力や注目度とは裏腹に俺の意見は根拠のない妄言と化してしまうのであろうか。
ところで友人とカラオケにいったときの話である。
友人はめちゃくちゃ歌がうまく、その選曲にもセンスとトレンドを感じさせるものばかりだ。
対する俺はモノノフとしての血が騒いでいた。ももクロが歌いたかった。ももクロを歌う自分に少しばかりの恥ずかしさが込み上げること、彼女らモノノフらには告げられない。
彼が流行曲を巧みな歌唱力と底の深い声で歌い上げた後、俺の番が回ってきた。
ディスプレイに映った俺の選曲「Z伝説 ~ 終わりなき革命 ~」を見た彼は己の網膜に宿した光景などとても受け入れられはしない様子だった。そんな彼の表情が自分を追い詰めているのは明らかだった。気まずさに耐え切れず、何か言わなくてはと焦燥に駆られた俺は言ってしまった。
「人それぞれ」