
ギターが弾けて、歌がうたえて、なをかつその曲がオリジナル。ハーモニカ・ホルダーを首から下げて、ディランのようにインテリで時にはワイルド。アンチ歌謡曲、アンチ体制。「オレは結局、きままな風さ」そんなセリフを残して、旅から旅のホーボー生活。「でも君が欲しいんだ 今すぐに」
こりゃモテると思ったねボクは。だから将来フォーク・シンガーに成ろうと決意したわけさベイブ。
高校の学園祭、まだ手も握ったことのない彼女の前でボクは「帰れ!」コールを浴び、初ステージを降りた。でも気にしない。ディランやたくろうや数々のフォーク・シンガーが一度は浴びた伝説への一歩とボクは思い込んでいたからだ。きっといつかはボクの歌を分かってくれる日が来るさ。そう、時代は変わるんだ。間違いでも、思いこみの自信を与えてくれたあの頃のフォーク・シンガーに今でもボクは感謝してるんだ。
みうらじゅん
中学時代の誕生日に買ってもらったSONYのラジカセが発端だった。ラジオは新しいパーソナルメディアだった。小学生の頃の「お茶の間テレビ」を卒業して、勉強部屋にこもり、自分ひとりの世界を追求していいことになる。
(福岡)RKB毎日のナイター中継が終わった後もラジオを流していると、10時台の後半に、月〜金帯の短い番組が始まるのに気づいた。
DJを務める男の口調が独特で何となく引き込まれる。かける曲は聴いたことのないものばかり。そのパーソナリティが吉田拓郎という人で、自分で曲を作って自分で歌っていて、番組内でかける音楽は同時代のシーンで活躍しているフォーク歌手やバンドの曲だとわかるまでに2週間くらい必要だった。番組は「バイタリス・フォークビレッジ」。
当時、日本の歌謡界はプロダクションが牛耳っていた。そこにはレコード会社お抱えの作詞家・作曲家がいて、歌手がいて、グループサウンズでさえその構造だった。海の向こうにビートルズなんかがいたことは知っている。だけど、その意味がわからない。
そこに全く前提の違う音楽が出現した、吉田拓郎は字あまりの歌詞を早口で無理やりメロディに乗せている。そんな手がアリなのか。何でも自分の思った通り、好きにやっていいのか。
吉田拓郎のスタイルはアマチュアリズムの挑戦だった。テレビ出演拒否、ラジオとコンサートだけで自分の歌を届けていく。
「バイタリス・フォークビレッジ」で聴いて、僕はRCサクセションの「僕の好きな先生」を買いに走った。吉田拓郎のアルバム『元気です』。を発売と同時に買った。
えのきどいちろう
「ついこないだの話」イメージの詩 第1回 「バイタリス・フォークビレッジ」
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・・・スミマセン。(竹林)
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