こんにちは!にしじゅん(@jnishimu)です。
「嫌われる勇気」の続編です。
www.tokyo-asobi-media.com今回は「嫌われる勇気」から3年が経ち、学校の先生になった「青年」が再び「哲人」の書斎を訪れるところから始まります。
青年が学校の先生ということもあり、教育をベースにしつつ語られていきます。
アドラーの心理学が伝えたいことの根本的なことは変わりませんが、「嫌われる勇気」の内容を補完したり、1歩踏み込んだ内容になっているので、合わせて読むことをお勧めします。
尊敬することが教育の始まり
人間が人間として幸福に生きるための知をアドラーは「人間知」と呼びました。
アドラーは人間知を以下のように定義しています。
共同体のなかでどのように生きるべきなのか。他者とどのように関わればいいのか。どうすればその共同体に自分の居場所を見出すことができるのか。「わたし」を知り、「あなた」を知ること。人間の本性を知り、人間としての在り方を理解すること。
そして、自立のために必要な「人間知」を共に考えることこそ教育であると述べています。
これを踏まえて、教育者はまずどこから始めればいいのか。
それは「尊敬」です。
先生や親を尊敬することを教えるという意味ではありません。
まず自らが対人関係の対象者を尊敬するのです。
学校の先生であれば生徒を尊敬する、上司は部下を尊敬する、監督は選手を尊敬するというように一見上下関係から考えると逆のように思います。
しかし、アドラーの心理学では、「尊敬」を人間をありのままに見るであったり、他人に関心を寄せる出会ったりするので、そもそも上下関係という概念がないのかもしれません。
これは子育てをする親にももちろん当てはまります、自分の子供を尊敬するのです。
「いま」は過去の出来事で決定しない
われわれは過去の出来事によって決定される存在ではなく、その出来事に対して「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。
例えば、いま仕事でいい成績を収めて軌道にのっているとします。
このとき、過去に苦しい時期があったとしても「あの経験がいまに生きている」と考えるわけです。
これは過去の出来事に対して意味を与えているに過ぎず、過去苦しかったということは変わりありません。
現在の状況にあったように意味づけしているに過ぎないのです。
つまりは全ては今の自分で決まるのです。
今の自分を積極的に肯定できるようになれば、過去の苦しい出来事も肯定的に捉えることができるのです。
過去が今の自分を決めるのではなく、今の自分が過去を決めるのです。
私であることに価値を置く
「嫌われる勇気」では、共同体感覚こそが人が幸せを感じるゴールだと定めていました。
「幸せになる勇気」では、踏み込んだ考え方をしていて、「私」であることに価値を置くことが大事だと言っています。
つまり自分の価値は自分で決めるのです。
例えば、仕事では人と違うことを持つことに価値を置きがちです。
「あの人にしかできない仕事」というのは何ともいい響きですが、それは他者に自分の価値を決められているにすぎません。
自分に嘘をついた生き方になってしまいます。
この本のおもしろさ
ちょっと視点を変えて、アドラー心理学以外の部分でのこの本のおもしろさについて書きます。
まず1つ目は、「青年がやたらとキレまくる」ということです。
「嫌われる勇気」でもキレていましたが、今回は特にひどかったです(笑)
冗談じゃない! そうやって人の心を操っているつもりか、この偽君子め!! そんな巧言にだまされるわたしではありませんよ!!
これでもかというくらい、声を荒げ、哲人を罵る(ののしる)場面が数多く見られました。
これはこの本を読む上で楽しみの1つではないでしょうか。
また、2つ目はドラゴンボールの亀仙人のように入ってくるナレーションです。
「嫌われる勇気」も「幸せになる勇気」も、登場人物は「哲人」と「青年」だけです。
そして、青年がやたらキレたりしているわけです。
それとのギャップを見せつけるかのように、要所要所に冷静なナレーションが入っていて話の流れを補完するとともに、読者に休憩を与えています。
たまたまか狙ってかはわかりませんが、絶妙だなと感じました。
まとめ
今回取り上げたポイント「尊敬」「今が大事」「私であることの価値」は、いずれも「課題の分離」が全ての出発点になっています。
それができてこそ、次のステップに進むことができるので「課題の分離」のトレーニングは日頃から意識してやるといいですね。
人間関係に行き詰っていたり、仕事がうまくいかなかったり、あらゆる悩みを持つ人に読んでほしいです。