DOUBLE

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21作目『DOUBLE
2007年1月24日発売 オリコン最高4位 売上約5.6万枚

『DOUBLE』。オリジナルアルバムとしてはCHAGE and ASKA名義では最新のアルバムです。強調しておきますが最後ではないです。2007年1月24日に発売されていますので、今(2014年12月)からすると約8年前ということになります。

オリジナルアルバムとしては2001年の『NOT AT ALL』以来、約5年ぶりのアルバムでした。そうなんです。2000年代にチャゲアスはオリジナルアルバムを2枚しか発表していないのです。
その理由はひとつではないでしょう。「ソロ活動の比重が上がったこと」と言いたいところですが、2000年代にASKAさんは『SCENEⅢ』のみの発表です。Chageさんは『DOUBLE』以前にはアルバムの発表はなし。活動休止後の2008年に『アイシテル』、2009年に『Many Happy Returns』を出しましたが、活動休止前は写真や映画など音楽以外の創作活動の比重が高かったのです。じゃあ10年間、いったい何をしていたのか?
答えは「ライヴばっかりしていた」んですね。
2001年から「NOT AT ALL」ツアー84本。2002年から「THE LIVE」ツアー66本。2004年の「two-five」ツアー71本。2007年の「DOUBLE」ツアー51本と「Alive in Live」10本。まるで80年代前半の頃のようなコンサート本数です。
80年代のツアースケジュールを調べてみました。1981年の「熱風」ツアーが59本。1982年の「御意見無用」ツアーが64本。1983~1984年の「21世紀への招待」ツアーがPart1とPart2を合計すると94本。1985年の「SHAKIN’ NIGHT」ツアーが64本。
1986年にレコード会社を移籍し「モーニングムーン」がヒットしました。テレビの音楽番組への出演も数多くあった80年代後半も年間40本以上のライブを行っています。
この時期のコンサートツアーは90年代の大都市中心のアリーナツアーとは異なり全国の地方都市の2000人規模の会館を隈なく回っていました。その頃と同じように全国津々浦々を回るツアーが2000年代にも組まれたのです。
その他にも韓国でのコンサート、札幌でのカウントダウン、お台場での熱風コンサート、夏フェスへの出演などもありました。振り返ってみるとASKAさんのソロコンサートも含めてステージに上がってばっかりなんです。この2000年代は。

アルバムが出ないこと×ライブ活動にあけくれていたこと=?

この方程式を解く鍵のひとつは「喉の不調」ではないかと思うのです。ファンの間でもあまり表立っては語られることはありませんでしたが、90年代後半からASKAさんの喉の不調を感じる場面が増えていました。インターネット上など裏では大騒ぎでしたが…。「電光石火」ツアーが近年のツアーでは唯一映像ソフト化されていない理由もそれが理由じゃないかと勘ぐる向きもありました。確かに「熱風コンサート」「札幌カウントダウン」など映像記録として残っているものを見聞きしてもASKAさんの声の不調は明らかです。
セルフカバーの『STAMP』では「WALK」や「YAH YAH YAH」のような喉を酷使する楽曲でキーを下げていました。個人的にはこのキー変更の理由は喉の不調だけとは思わないのですが、邪推されたのは事実でしょう。

『DOUBLE』が発売された時の会報でASKAさんが「喉が復活した」と話していました。「歌いぬいて復活させるんだ」という思いでやってきた、と。2000年代前半の怒涛のロングツアーの背景にはそんなこともあったのです。
正直な感想を言えば私は「休んだらいいのに…」と思っていました。スタッフからも休養を提案されたといいます。しかし、ASKAさんは「休まないことで喉を元の状態に戻す」という選択肢をとりました。もちろん主治医の先生がつき、治療もされていたんだろうとは思いますが、それで本当に回復していくんだから驚きです。死の淵から復活するとパワーアップするサイヤ人のように(わかります? このたとえ…)。

『DOUBLE』が制作されたのはASKAさんの喉が回復したからこそ、とも言えるのかもしれません。

さて、『DOUBLE』に収められた楽曲はそれぞれ粒ぞろいの名曲ばかりです。ライブを盛り上げるようなド派手な楽曲はありません。『NOT AT ALL』もそうでしたが、チャゲアス初心者にとっては少々地味に聞こえたかもしれません。しかし、これだけのキャリアを重ねてもまだ「攻めている」印象があるアルバムです。松山千春さんがよく自作を「購買意欲をかきたてる曲ではないわな」とおっしゃいますが、この時期のチャゲアスもそんな感じ。メロディーもアレンジも歌詞も練りに練られており聞けば聞くほど発見があります。一度聞けばわかるような単純さはないのです。

CHAGE曲の充実振りが凄いです。作詞のパートナーとして松井五郎さんと石塚貴洋さんを迎えています。心象風景を描く繊細な詞の世界が広がります。
ここに残された昨日は まだ見えない明日の目印
気忙しさと前向きさの違いを知りながら 人は駅に向かう 歩く早さを落とせない
こんなせつないフレーズがあのChageさんの声で歌われるのです。優しすぎますよ。
Chageさんの作曲のパートナーはTom Watts=村田努さんです。アルバムのディレクターでもあります。この2人のコラボレーションは『NOT AT ALL』の頃から続いています。村田さんが曲作りに関わるようになってからChage曲が研ぎ澄まされ、隙がなくなった印象を受けます。どんなパートナーシップなのかは謎なんですが。Chageさんの作曲部屋で村田さんと一緒に音楽制作をしている映像を見たことがあります。おそらくChageさんが作った音源に村田努さんがアイデアを足していく、というスタイルなのかな~、と思っているんですが。
Wasting Time」は仮歌の段階で「ウェスティーンタ~イム」っぽいフレーズで歌っておりそこから歌詞を作っていったそうです。印象的なイントロのギターリフは最初からあったものではなく練りに練って後から作られたもの。ギタリストならば思いついたギターリフをもとにメロディーを作ることが多いのでしょうが、メロディーを先に作り後からギターリフを足すのがヴォーカリストであるChageさんらしいなとこのエピソードを聞いて思いました。
ボクラのカケラ」はチャゲアスのダークサイドを担うChageさんらしくない(笑)POPな楽曲。一昔前ならばこういう曲調はASKAさんの担当だったのですが。チャゲアスの王道をChageさんがやらねばならぬあたりがチャゲアスの活動の行き詰まりを表しているとも言えるかも。当時はそんなことまったく考えもしなかったのでこんな意見は完全な後出しジャンケンですけどね。メジャー7thのコードの響きとサビの意表をついたDからCへの転調が印象的。
Here&There」は先行シングル。すでにシングルの記事で暑苦しく語っておりますので、そちらをご参照ください。とにかく名曲。ASKAさんとの掛け合いヴォーカルにするあたりがチャゲアスの曲を作るにあたってChageさんが選んだ手法だったと言えます。
光の羅針盤」は2004年にシングルで発売されたもののリアレンジ。バンジョーやマンドリンなどマニアックな楽器も演奏されていながらライブ的なバンドサウンドです。歌の構成も変わり、歌い回しも変えられているためずいぶんと印象は変わりました。ただし、個人的にはシングルVersionが好き、というか大好き。
crossroad」も2004年のシングルのリアレンジ。分厚いコーラスはASKAさんの声を何重にも重ねたもの。ヘッドホンで聞くとASKAさんがいっぱいいるのがわかります。ライナーノーツによれば11時間かけてコーラスを重ねたと語られています。Chage的バラードここに極まれりとでもいうべき作品。この時期のChageさんの好調ぶりがよくわかります。ある意味ASKAさんよりも「わかりやすい」作品を発表するようになったのです。しかも、コード進行などは相変わらずマニアックなままで。

ASKAさんは作品は練りに練られたASKAワールド。すばらしい楽曲ばかりですが同時に産みの苦しさのようなものも感じます。1980年代の多作振りが嘘のような寡作のアーティストになってしまった2000年代のASKAさんですが、歌うテーマ選びとその表現方法の熟考に想像を絶する労力をかけていたのだと思います。
パパラッチはどっち」は新しいチャゲアスだと思いました。正直なところ、まだ新しい部分があったか、と当時は驚いたくらいです。アレンジがへんてこで大好きです。ドラムとベースが普通じゃないんです(誉め言葉ですよ)。特に2番のベースの動きを聞いてみてください。これまでのチャゲアスにはなかった音像であり、ビートルズのベストの通称「青盤」の1曲目の「Strawberry Fields Forever」と同じような効果があると感じます。サイケデリックな雰囲気が満載で現実世界から空想世界に一気に引き込まれるのです。歌詞は隣人との不思議な恋というか妄想を描きます。パパラッチというよりもストーカーかも(笑) 韻を踏んで遊びながら、意外性のあるストーリーを紡いでいます。
地球生まれの宇宙人」はもとは『SCENEⅢ』に収録するはずだったんではないでしょうか。『SCENEⅢ』制作時にアルバムの締め切りに間に合わなかった曲があったとおっしゃっていましたが、これがその曲ではないかと推測しています。2番の「自分のために自分を使うのがどうしてこんなに下手なんだろう」というフレーズが今聞くと痛いです。本音だったんでしょうね。
36度線」は2004年のシングルとは異なるアルバムVersion。1995年のレコーディング素材を復活させています。つまり1995年に録音した音源に2007年の演奏が重ねられているのです。おそらく基本リズムは昔のままでしょう。新たに追加録音されたアコースティックギターが曲を新たなものに再生させています。
僕はMusic」はシングルと同じテイクです。才能満開の名曲。シングルはエンディングがフェイドアウト処理でしたが演奏の最後まで聞くことができます。この曲についてはすでにシングルの記事で語っております。そちらをぜひご参照ください。
Man and Woman」。初期の名曲「男と女」から25年以上が経ち、英語と日本語の違いはあるものの同じタイトルの楽曲です。これがラストシングルになってもらっては困りますが、名曲であることはみなさんご存じの通りです。ASKAさんの詞のテーマになることが多い「輪廻転生」が歌われています。ASKAさんはこの詞で歌っていることを実感しているはずです。宗教的と誤解されてもおかしくはない世界観なんですが、大きなラブソングに昇華させていますね。この歌についてもシングルの記事で語っていますのでよろしければどうぞ。

ASKAさんは自分の人生観を詞に託していますが押し付けがましさがありません。そこがすばらしいと思っています。主張ははっきりしていますが必ず聞く人に考えるスペースを空けているんです。私はASKAさんの歌詞の世界に共感する面があると同時に、精神はわかるのですが理屈ではわからない面があります。何もすべてASKAさんの考えに同調する必要はないと思っています。異性としての憧れがない分冷静に聞きすぎているところもあるかもしれません。

とにもかくにもこの『DOUBLE』を聞くとどうしても複雑な思いにかられるのは「ふたり」のファンである証。これがラストアルバムになってもらっては困るわけです。私はチャゲアスのアルバムで2番目に好きな作品がこの『DOUBLE』なんです。(ちなみに1番は『NOT AT ALL』)まだまだ私の中では終わっていませんでした。ナベさんが(現時点での)最後のファンクラブ会報で「チャゲアスに未来を感じなかった」というようなことを書いていらっしゃいましたが、いやいや、まだまだ。大きなヒットにはなりませんでしたが、聞けば聞くほど発見のあるとんでもない名盤です。作りこまれた隙のない10曲が並んでいます。

次のアルバム。待ってます。
10年くらいは余裕で待ちますので。ゆっくりいきましょ。

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NOT AT ALL

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20作目『NOT AT ALL
2001年12月27日発売 オリコン最高10位 売上約10.0万枚

21世紀初のチャゲアスのアルバム『NOT AT ALL』です。オリコンチャートでの最高位は10位と地味な成績なんですが、これには理由があります。

オリコンチャートは非常に大きな影響力を持っています。シングル連続1位の記録を持つあの2人組や、シングル連続TOP10入りの記録を持つあの3人組など、その順位そのものが大きな格付けとなっています。そのためか連続1位などの記録を継続させるために人気アーティストは発売日をうまくずらして調整してきた歴史があります。そして、少しでもチャートの上位に入るためにアルバムなどの発売日はオリコンチャートの集計期間に合わせて発売されることが多いのです。つまり、人気アーティストは発売最初の週に最も多くCDが売れますので、1週間丸々集計してもらえるように発売日を設定するわけです。
この『NOT AT ALL』の発売日は12月27日でした。しかし、実際はかなり発売日より早く店頭に並んでいました。
当初の発売予定日はデビュー記念日の8月25日でした。それが10月、11月と延びに延び最終的には年末の発売になりました。待たせたファンへのお詫びの気持ちでしょうか? 少しでも早くファンのもとに届けよう! というも意味もあっての予告なしのフライング発売だったと思います。その影響がチャートの順の変遷によく表れています。
12月31日付のアルバムチャートに初登場しました。売り上げは2万2130枚で25位。当時のチャゲアスとしては考えられない低い順位です。しかし、それもそのはず。この週のチャートは12/17~12/23の売り上げ集計なのです。発売日が12/27のアルバムなのに12/23までの集計のチャートに入っているのです。発売日の前日にCDショップに入荷したCDがその日のうちに店頭に並べられるのは現在でも当たり前にある光景です。通称「フラゲ」(=フライングゲット)と呼ばれています。しかし、発売日の4日前に商品が店頭に並ぶということは通常ではあり得ません。私も発売日の数日前にCDショップで売られているのを見て驚いた記憶があります。
この週の次の集計は年末年始を挟むため1月14日付のチャートでした。そこで10位に上昇しました。これが最高順位です。この週の売り上げ集計は6万4360枚でした。
オリコンチャート上での順位を操作しようという意思がまったくなかったのです。CDという商品は完成したんだから少しでも早くファンのもとに届けようというおふたりの気持ちがこの不思議なチャートアクションの原因だったのです。

さて、そんなことよりも内容です。発売当初、ファンクラブの公式サイト(NET of C&AからC.A.Nに変わった頃でしょうか?)では賛否両論、というか、否定的な意見が飛び交ったそうですね。その頃私はインターネットをしていませんでしたので、ファンクラブの会報に書かれていた情報しか知りませんでしたが。会報にそんなマイナス情報の記述があったくらいですから当時の掲示板での意見の交換はものすごかいものだったんでしょう。

議論になったのは、要は「新曲が少ない」「曲数が少ない」という不満だったと思います。

新曲が少ない」…確かに、曲目を知ったときに私も「えっ?」って思いましたから。当時の会報によると2曲録りこぼした、とあります。収録予定だったものの、完成が間に合わなかった曲が2曲ある、ということです。今後完成させる、と当時語っていたその2曲って結局どうなったんでしょうか? 『NOT AT ALL』の次のリリースは『STAMP』です。セルフカバーアルバムなんですね。つまり『STAMP』には収録はされていないはずです。気になるところです。

当時の「新曲が少ない」という印象について、色眼鏡を外して曲目を眺めてみましょう。
NOT AT ALL」…言わずもがなの名曲。チャゲアスの代表曲と言ってもいいです。1990年代ならばもっとゴージャスなサウンドに仕上げていたでしょうが、時代に即したアコースティックな「薄い」楽器編成で仕上げています。
ふたりなら」…なんでこんな名曲がシングルのカップリングなの? まさに名曲でしょう。ASKAさんが書き加えたという「書き換えられるさふたりなら」が効いており力強さが増しています。ストレートなラブソングです。Chageさん、今の奥さんと素敵な恋をしていたんでしょうね。
鏡が映したふたりでも」…ざっくりしたロックアレンジが多かった前作の色も残しながら、繊細さを増した『NOT AT ALL』を象徴する1曲です。「愛する人を愛したいだけ愛せる日まで愛してみる」が圧巻。純愛には程遠い現実的なフレーズです。ソロの「Tatoo」では「毛布がわりに抱いた女」なんて歌ってるASKAさんにとってはまだ序の口かも(誉め言葉です)。
アジアンレストランにて」…ロンドンレコーディングならではのブリティッシュロックなサウンドと歌詞。Chageさん得意のミディアムテンポのマイナーロックです。アルバムのいいアクセントになっています。
パラシュートの部屋で」…ASKAさんお得意のエッチなラブソング。「行為」を歌にしてます(笑)。「モナリザの背中よりも」を思い出しましたよ、私は。コード進行は複雑怪奇。どうしてこんなコード進行を思いつき、なおかつこんなPOPな曲になるのか?
」…大好き! CHAGEさんが一般的なチャゲアスのイメージである「綺麗なコーラス」「こったアレンジ」「長い曲」のとことん逆を狙ったと言ってましたが、私のツボです。この歌。ヘッドホンで聞きましょう! この歌だけは。実は私、この歌をカバーしてYouTubeにUPしています。以前にこのブログでも紹介しました。暇で暇で仕方がないという方はどうぞお探しになってください。
C-46」…私にとってASKAさんが作って来た歌の中での最強の1曲。私がいちばん好きなASKA曲です。少しばかりの恋愛を経験した大人ならばわかるでしょう! この詞の気持ちが! 抑制の効いたアレンジですが、非常にポピュラリティのある楽曲だと思います。こんな歌が大ヒットする国になれば、日本の音楽ももっと大人が楽しめるものになると思うんですが。無理でしょうね、やっぱり。
夢の飛礫」…Chageさん作の最高のバラード。好きなんてもんじゃない。大名曲。好きすぎて聴いていて苦しくなる(笑) 非常に抽象的な歌詞なんですが、「優しい未来であるために」のフレーズが肝です。この一節がすべてを語ります。やっぱりいい恋愛をしていたんですね、この時期のChageさんは。
ロケットの樹の下で」…「ロケットの樹」はASKAさんのエッセイ集「インタビュー」にも書かれてあったあの樹のことかなと勝手に想像しています。旧友にあてたメッセージソングが普遍性を持った曲になる、なかなかできる芸当ではありません。ライブ映えのするメッセージ性が高い歌です。
告白」…アルバムにカラーに合った絶妙なアレンジでよみがえった典型的な隠れた名曲。ただ、2番の歌詞のカットが残念に思いました。2番の「あなたのそばの人たちに意味もなく僕は嫉妬する」が大好きだったんです。

まったく無駄がない。名曲ぞろい。演奏も歌唱も隙なし。いや~、本当にいいアルバムです。間違いなく最高傑作です。個人的感想です。もちろん。

えっ、曲が少ない? 10曲もありますよ。全部で約48分。十分、というか、ちょうどいいでしょう。
そう、アナログレコード世代にも親しんだ世代である私にとってちょうどいい長さなんです。昔のLPはだいたいこんなもんでした。CDは70分以上の収録が可能ですので、アルバムに多くの曲を収録することが可能になりました。それにより作品全体の長さもどんどん長くなっていったのですが、70分とはアナログ時代ならば2枚組アルバムになる長さなのです。2枚組アルバムってよほど力のあるアーティストが、よほど調子が良くないと名盤にはなりません。
無理に70分詰め込む若いアーティストは己の力を過信している、っていうのはいい過ぎかな? とにかく、心地よく、集中して聞くことのできる曲数であり、長さだと思うのです。未完成の2曲が入ってたら、どうなっていたのかは気になりますけどね。

このアルバムの制作はかなり難航したようです。ロンドンでアルバムをレコーディングする、という情報が春先に流れました。『SEE YA』や『GUYS』のようにロンドンで完成させるのかと思いきや、収録曲のクレジットを見るとロンドンでレコーディング完了した楽曲は4曲だけのようです。ロンドンからの帰国後もレコーディングが続き、できた楽曲をどんどんシングルで発表するというプロモーションがなされました。
2001年はプロデューサーだった「ナベさん」こと渡邊徹二さんが活動の方向性の違いが理由でチャゲアスチームから離れた年です。そのせいでしょうか、それまで目立った海外での活動が抑え気味になり、国内のロングツアー中心の活動がその後数年間続きました。そして、ASKAさんの喉の状態が良くなかった時期でもあります。レコード会社の移籍などの対外的な理由もあるでしょうが、今思えば一貫した方向性がなく、迷走していたともいえる当時の活動状況はナベさんがチャゲアスから離れたことが大きな原因だったのかもしれません。8月のTUG of C&Aの会報でもこの時期以降ASKAさんの精神的状態があまり良くなかったことが語られていましたし…

と、語るのが少々長くなりました。背景にどんなことがあれ要は私にとっての「いちばん好きなアルバム」なんです。前作『NO DOUBT』にあったASKAさんの詞の暗い部分がこのアルバムにはあまり見られず、吹っ切れたような印象です。
そこに立ってそのときわかることばかりさ それが自分と思えたら軽くなる 歩ける
まさにASKAさんがそんな心境だったんでしょう。90年代後半には、昔からのファンをふるいにかけるようなダークな詞の世界観が垣間見られたASKAさんですが、そこをくぐりぬけて(ふるいから落ちなかった私たちファンも!)いい意味で肩の力が抜けた感覚です。
Chageさんは前作の好調を受け継ぎ、さらに発展してます。以前のChageさんはチャゲアスの王道の曲作りをするASKAさんを意識してか、それとは逆を行く「変化球」を投げることが多いと感じていました。「めぐり逢い」のカップリング曲に「濡れた夢」を作ったことが典型的です。それが、この『NOT AT ALL』では「剛速球」を投げていると感じました(「凛」を除いて)。
新たなパートナーを得たプライベートの好調が作品に反映されたんでしょうか(笑)

世間一般のイメージでは90年代のメガヒットアルバムに比べて地味な印象を与えているでしょうが、私にとっては一番大切な作品集です。これからもずっと大切に聴き続けます。
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NO DOUBT

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19作目『NO DOBUT
1999年8月25日発売 オリコン最高1位 売上約25.1万枚

デビュー20周年の記念日に発売された『NO DOUBT』です。アルバムチャートでは初週で約15万枚を売り上げて1位になりました。長いソロ活動を終えての前作『CODE NAME.2 Sister Moon』以来3年半ぶりのチャゲアスのアルバムだったわけです。その間、Chageさんは現時点では最後となるMULTI MAXの活動を経た後、初の単独ソロ『2nd』を発表してロックサウンドを追求しました。ASKAさんは『ONE』『Kicks』と実験的な2枚のソロアルバムを作品を発表し、それまで頑なまでに行わなかったソロライブも行いました。チャゲアスを取り巻く環境はそれまでとは大きく異なった状況で迎えた20周年でした。

これは当時の個人的な感想ですが、『NO DOUBT』を聞いて拍子抜けしました。ASKAソロの『ONE』は名盤だと思いましたし、『2nd』も最高のロックアルバムでしたので聞き倒しました。それらを受けて発表された『NO DOUBT』の第1印象は
「地味な」アルバムやなぁ…
というものでした。あくまで当時の感想です。

同じ感想だった人はいますでしょうか?
POPS調からROCK調へと変化はあったもののチャゲアスのサウンドは90年代を通して「凝ったアレンジ」「分厚い演奏とコーラス」が特徴でした。海外のバンドで例えればQUEENのような感じです。とにかくマニアックなまでに音を重ねるのがチャゲアスだと感じていました。しかし『NO DOUBT』は音数が少なく地味に感じたのです。Hi-Fi感とでも言えばいいでしょうか? シンセサイザーのきらびやかな高音が抑えられ、低音の骨太ギターサウンドが中心に変化しました。海外のバンドで言えばU2のような感じです。
乱暴な例えではありますがQUEENがU2に変わったのですから大きな変化だと感じました。

さてそんな印象は具体的にどこから来るのか? ちょっと考えてみます。

その1 サウンドの方向性の変化
録音の音質やミックスが大きく変わりました。空間的な広がりを持ったリバーヴ(エコーのような広がりですね)的な要素が影を潜め、まるで耳元で歌っているような音作りになっています。
ふたりのヴォーカルのブレス(呼吸)音までが録音されています。それまでだったらブレス音はノイズとしてカットされていたはずです。ブレス音までが録音されていることでふたりが耳元で歌っているような生々しさが感じられます。
また、90年代のいわゆる大ブレイク期はきらびやかな音をシンセサイザーやストリングス(弦楽器)で作っていました。それが、ギターサウンド中心の「ざっくりとした」音の感じになっています。当時、ライブでのバンドメンバーも一新され、ギタリストが1人だったのが2人に増えたのも象徴的だと思います。
ちょっと抽象的な言い方ではありますが、アレンジの考え方が「足し算」から「引き算」になったと感じます。

その2 作曲法の変化
作曲の仕方ではなく音の使い方です。「Sister Moon」まで見られた超ハイトーンのヴォーカルをほとんど聞くことが出来ません。それほど声を張り上げないキーレンジが広くない曲づくりになっているのです。
これは推測ですが、当時のAskaさんの喉の不調も影響していたのではないでしょうか? 当時音楽番組「Hey!×3」に出演して「WALK」を歌った時、ASKAさんが非常に苦しそうに歌っていたのを覚えています。「電光石火」ツアーがなかなかビデオソフト化されない理由もそれが原因なのかなぁ、と邪推してみたりもするのですが。

その3 歌詞に葛藤が感じられる
the corner」の「間違うのはずのないものを 退屈なほど望まれて
higher ground」の「季節も空も用意されてる すべてが次を用意されてる
この愛のために」の「少しイケテルと思うと決まって 津波のようにさらわれる未来さ
どれもこれも当時のASKAさんの心境のうつし絵のような気がします。ASKA曲については陰鬱な感情を吐露した楽曲が多いのです。「the corner」のような明るいメロディーにすらこういった陰のある詞を載せているのは特筆すべきことだと思うのです。
日本の音楽業界のTOPに立ったものの、頂上から見る景色は望んでいたものではなかったんでしょうね。私はTOPに立ったことがないのでわかりませんが… 「やりたいこと」と「望まれていること」のギャップがあったんではないでしょうか? だからこそ、1年間の予定だったソロ活動を延期してASKAさんは『Kicks』を作ったんでしょうね。

その4 「群れ」が入ってる
2014年5月10日のブログでも書いていますが「群れ」ほど衝撃的なシングルはないですよ! すでに「群れ」ちょっと聞いただけではこの歌、昔のイメージを望んでくるファンへの決別宣言にしか聞こえませんものね。B'zやミスチルのようにTOPで「いつづける」ことを選択した人たち(この選択もこの選択ですばらしいことです。)は絶対にこんな詞の歌は書かないでしょうね。
当時の会報でASKAさんは「この歌を嫌いになる男はいないと思う」みたいなこと言ってました。ハイ!好きです。 私は男ですから… でも世のチャゲアスファンの9割は女性なのですよ。この「群れ」が「two of us」という大名曲を受けてアルバムがいちばん盛り上がるところに置いているのが象徴的ですね。この歌のメッセージこそ伝えたかったことなんだろうな。
次に「もうすぐ僕らはふたつの時代を越える恋になる」というアルバム中でもっともPOPな楽曲を置いたのも粋ですね。

と、「SAY YES」「YAH YAH YAH」ばかりを求める世間への宣戦布告とも言える内容になっているのです。

いろいろあって今聞くと。いいんですよね。沁みる歌が多いです。
Chage曲は全曲すばらしいの一言! 「vision」「two of us」は歴代Chage曲の中でも5指に入る名曲ですし、「もうすぐ僕らはふたつの時代を超える恋になる」という、アルバム中で唯一ゆったりとした気持ちで聞くことのできるラブソングもあります。Chage流のブリティッシュロック「swear」ではゆったりとスウィングし、「熱帯魚」の粘っこさも癖になります。
葛藤を感じることが多いASKA曲の中では唯一の普通のラブソングの「no doubt」が後世に語り継がれるべきとんでもない名曲ですし。
心に沁みるいい歌が多いんです。

サウンドの方向性を中心に語ってきましたが、アレンジや演奏のクレジットにはお互いのソロでの人脈が多いです。松本晃彦さん(『Kicks』プロデュース)や西川進さん(Chageソロの爆音ギタリスト)など。また、プロデュースが「CHAGE and ASKA」名義です。初のセルフプロデュースであり、それまでのプロデューサー山里剛さんが制作メンバーに入っていません。曲作りの段階からお互いの作品に対して意見をズバズバ言い合っていたらしいですね。それまでは歌入れ寸前のオケ完成までお互いの曲を知らない、なんてこともあったらしいのに。そのおかげで統一感のあるアルバムになっているのですが、逆にそれまでのチャゲアスのアルバムにあったバラバラな感じ、勝手に好きなことをやっている感じが薄まったのも事実なのかな。

私はとにかく「vision」があればオール OK! 個人的には。それくらい「vision」という歌が好きです。

チャゲアスのアルバムには必ずそういう1曲があるんです。だから、私はサウンドの変化に最初は「ん?」と疑問を抱いてもここまでついてきたんだと思うのです。長年の活動の中でこれほどの変化を見せながら、長年のファンがこれほど多くついている歌手ってなかなかいませんよね。

チャゲアスという線路はまだ続くはずです。まだね。いろいろ想定外のことがありますが、ブーブー文句を言いながらも追いかけていこうと思います。
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CODE NAME.2 SISTER MOON

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18th『CODE NAME.2 SISTER MOON
1996.4.22発売 オリコン最高2位 売上約46.3万枚

1996年4月22日発売。オリコンチャートでの最高は2位。1週目で28万枚超を売り上げているのですがLUNA SEAの『STYLE』に阻まれて2位どまりでした。
タイトルからもわかるように前年の6月に発売された『Code Name.1 Brother Sun』と対になるアルバムです。なんで英語の表記の大文字・小文字が違うんでしょうかね? 誰も指摘したことがないような気がしますが。
かなりリリースは予定よりも遅れたと記憶しています。コンサートツアー「SUPER BEST 3 MISSION IMPOSSIBLE」。そして、台湾・シンガポール・香港を回ったアジアツアー。シングル「river」のリリースもありましたから、レコーディングのスケジュールは相当きつかったことが予想されます。後でまとめますが『Code Name.1』の制作時には完成していたであろう楽曲とその後に追加録音されたであろう楽曲が混在しています。詳しくは後ほど。

さて、どうもこのアルバム。ファンの評価は賛否両論のようです。サウンドの変化の兆しは前作からありましたが、ギターが強調されたロックサウンドに変化しました。当時のチャゲアスのイメージ「SAY YES」=流麗なPOPSの流れにあるのはシングル「river」とテレビドラマの主題歌でもあった「好きになる」ぐらいでしょうか。90年代に連発したヒット曲に代表されるあたりのやわらかさは全体的に薄まっています。それは疑いようのない事実でしょう。「SAY YES」「YAH YAH YAH」のようなカラオケで歌いたくなるわかりやすさ(実はわかりやすくないんですが…)を求める「ブームだから」聞いていた人たちは、おそらくこのアルバムの前後に去っていったのかもしれません。
前にも書きましたが、チャゲアスはファンをふるいによくかけます(笑) 初期の『INSIDE』、ASKAソロの『kicks』やシングル「群れ」のように。ようやく定着したパブリックイメージをぶち壊す作品をそれはそれはしょっちゅう発表するんです。

そこで、この変化はその後、どうつながったのか歴史を紐解きます。
このアルバム発売後、チャゲアスは「MTV UNPLUGGED」に出演します。ヨーロッパのMTV UNPLUGGEDに出演した日本人アーティストは後にも先にもチャゲアスだけなんですよね。アジアMTVならば他にもいらっしゃいますが。そして、カバーアルバム『ONE VOICE』の発表。マキシ―・プリーストやマイケル・ハッチンスのような当時人気を誇ったアーティストだけでなく、カルチャークラブのボーイ・ジョージやマリアンヌ・フェイスフル、チャカ・カーンのようなすでに大御所となっていた大物も参加していました。その豪華な参加者に素直にびっくりしたものです。このようにワールドワイドな活動が続きました。その後、ソロ活動に移ります。ChageさんはMULTI MAXで『Oki!Doki!』を発表、ASKAさんはソロアルバム『ONE』を発表。続いて、『kiks』を発表。さらに続いて、Chageさんは初のソロアルバム『2nd』を発表しました。

この4枚のソロアルバムを聞いてみましょう。どんどん、ギターサウンドが中心になっていくのがわかります。アナログ一発録音にこだわったMULTI MAX『Oki!Doki!』、「NOW」「TATOO」「花は咲いたか」のようなエッジの利いたギターサウンド聞くことが出来る『kiks』、西川進さんの爆音ギターが冴え渡る『2nd』。
『CODE NAME.2』のギターサウンドへの傾倒は現在進行形の活動にもつながる必然的な変化だったのです。

それでは、『CODE NAME.2』のサウンドを特徴付けているものは?
ここではキーとなる人物を1人あげます。

村上啓介さんです。

このアルバムのカラーを決定付けているのは啓介さんをおいて他にいません。全12曲中4曲(「もうすぐだ」「青春の鼓動」「Sea of Gray」「港に潜んだ潜水艇」)のアレンジを担当しています。しかも、それ以外の8曲のうち「濡れた夢」「On Your Mark」の2曲は発表されてからかなりの時間がたっていた「旧曲」ですから、「新曲」に占める割合は4割です。そして、この4曲こそ、アルバムの色を決定付けるギターサウンドの曲です。そして、「I'm a singer」もアレンジは十川知司さんですが、ギターは啓介さん(と西川さん!)なんですね。アレンジを担当した4曲なんて、ほとんどの楽器を啓介さんが担当しています。まさに、CHAGE&ASKA&KEISUKEと言ってもいいくらいの活躍ぶりです。「Sea of Gray」「港に潜んだ潜水艇」は作曲もChageさんの共作ですしね。

このアルバムに馴染む人は… 「MULTI MAX」のサウンドにも馴染む人。馴染まない人は… 「MULTI MAX」がちょっと苦手だった人。
…と言えるのではないでしょうか?

他にも、打ち込みサウンドの多用。曲名クレジットがジャケットになく歌詞カードをあけるまで曲目がわからない。珍しくASKA曲・Chage曲が同数。Chageさんのひげがない最後のアルバム。「散文詩」が載った最後のアルバム…
など、突っ込みどころはまだあります。

さて冒頭に書いたそれぞれの楽曲のレコーディング時期についての分析です。
濡れた夢」「On Your Mark」は1994年のシングル「めぐり逢い」「HEART」のカップリング曲ですからレコーディングされてから2年近く経っています。
次にレコーディングメンバーに注目。ベースにPINO PALLADINOという外国人の名がありますね。この方は後にイギリスの伝説的なロックバンドTHE WHOのサポートベーシストとして有名です。オリジナルメンバーのジョンが6/27に(薬物摂取の影響で…)急死した後、なんと4日後の7/1からツアーに参加したという驚愕の経歴の持ち主。超絶テクニックを持った人気セッションマンです。さてこのピノが「Sea of Gray」「港に潜んだ潜水艇」の2曲に参加しています。ピノは前作『Code Name.1』にも参加しています。この凄腕の世界的にも人気のあるベーシストを2回もアメリカから呼んできたとは考えられません。つまり、この2曲は前作と同時期(95年冬~春ごろでしょうか?)に録音されていたはずです。
当時の会報では「もうすぐだ」も前作に収録予定だったと語られています。シングルにする案もあったらしいです。
好きになる」は95年のテレビドラマ主題歌でした。依頼を受けておそらく「SUPER BEST3」ツアーの合間に録音されたと思われます。
次に先行シングル「river」「NとLの野球帽」はどちらも重実徹さんの編曲。重実さんは「SAY YES」でキーボードを弾いていた人です。「NとL」は「SUPER BEST3」ツアーの途中から発表前にも関わらず演奏曲に入っていました。この2曲もツアーの合間を縫って録音されたものでしょう。
I,m a singer」「One Day」は1996年に入ってからかなぁ。データがないので推測です。
ピクニック」はツアー後に書かれたと会報で書かれていました。録音も身内のミュージシャンでアットホームに済ませています。そして「青春の鼓動」が最後のレコーディング曲だと会報で語られていました。
このように多くの楽曲がアジアツアーを含めたコンサートの合間を使った録音だと思われます。『SEE YA』『GUYS』のような合宿のように期間を決めて録音されたものとは大きく異なるスタイルで制作されています。
ライブ感というか躍動感がある楽曲が多いのはそういった制作の状況が影響しているのでしょう。

「SAY YES」が好きな一般大衆からは嫌われたアルバムかもしれませんが…
今でも、しかもこんな状況でもチャゲアスを応援しているこんなブログを読んでいるようなあなた! そんなあなたならば…
好きなんじゃないですか? このアルバム。

Code Name.1 Brother Sun

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17th『Code Name.1 Brother Sun
1995.6.28発売 オリコン最高1位 売上約75.2万枚

Code Name.1 Brother Sun』です。1995年6月28日発売、オリコン最高1位、総売上75.2万枚のヒット作です。
全13曲、収録時間も71分を超える大作ですが、既発のシングル曲が5曲収録されていました。以前はシングルのカップリング曲はアルバムに収録されないことが多かったのですが、この時期以降ほとんどのカップリング曲がアルバムに収録されるようになりました。アナログLP時代は最大でも50分程度だった収録時間が、CDになり70分を超える時間が収録可能になりました。そのことが大きな理由だと思います。ただし、チャゲアスはシングル曲をアルバムに収録する場合、その多くは細かくリミックスされています。あの「SAY YES」でもシングルとアルバムでは相当印象が違うくらいです。ギターやコーラスが足されたり、音のバランスが変えられていたり… そんなわけで、単純にアルバムを埋めるためだけの理由でシングル曲が収められるわけではないのですね。しかし、そのミックス違いを調べ出すとキリがなくなってしまいます。

この『Code Name.1 Brother Sun』において重要なことは、キーボード中心のアレンジによるポップな曲調から、ギター中心のロックサウンドへ変化したということです。発売当時の雑誌インタビューでも「音のことで言うと、以前のチャゲアスはキーボードのイメージが強かったかもしれないけど、今回はギターサウンドになってるんです。」とChageさんが語っていました。狙った変化だったわけです。前作『RED HILL』でゴージャスなアレンジによるポップスの極みを得ましたので、その反動とも言うべきソロ活動を経ての変化でありました。
ChageさんはMULTI MAXの『Well,Well,Well』でアメリカ旅行にインスパイアされたギターロックを展開しました。ASKAさんも『NEVER END』で幅広い音楽性を示す中、「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」でハードなギターアレンジを聞かせています。
そんなソロ活動の成果が先行シングルの「Something There」であると思うのです。ハリウッド映画の主題歌でもあったこの楽曲はアメリカ市場も意識したのでしょう。ざっくりしたロックサウンドに仕上がっていました。

90年代のチャゲアスの大ブレイクを支えていたのは「ポップな感覚」と「ラブソング」の2本柱だったと思うんです。複雑怪奇なコード進行なのに「ポップ」、難解な比喩なのに伝わる「ラブソング」。それが当時の感覚と合致し、10~30代の女性を中心に人気が浸透したと思います。しかし、『Code Name.1 Brother Sun』から、その2本柱の色合いが希薄になりました。その影響もありセールス的には一時の異常な状況は落ち着きました。POPな流行りものが好きな女性ファンは他のアーティストさんに移ったんではないでしょうか。
では、その変化を突っ込んでみます。

その1 ポップからロックへ
アルバムの序章である「君の好きだった歌」を経て、「Something There」「BROTHER」とマイナー調のロックでアルバムは幕を開けます。それまでのアルバムのメジャー調の派手な楽曲と比較すれば「いつもと違う」感に満ちあふれています。
アルバムの中間を締める「can do now」はその後にライブの定番になりました。「201号」とともにASKAさんが久しぶりにギターで作曲した曲です。作曲の手段にギターという選択肢を復活させたのも、サウンドの変化につながったんでしょうね。また、「201号」はギター1本の伴奏でありますが、いわゆるフォーク調ではなく、そのリズム感、コード感などは非常に複雑且つ高度なものとなっています。
ゴスペル調のバラード「NO PAIN NO GAIN」は鎌田ジョージさんのギターが冴え渡る、力強いアレンジ、歌唱が特徴的です。
Chageさんの「From coast to coast」はライブでは一度も演奏されていないのですが、ギターが映えるロック曲です。なんでライブでやらないんでしょうかね。
これらの楽曲たちが中心となってアルバムの色合いを決定づけていると感じます。次作の『CODE NAME.2』ほどではないですが、ハードな印象を与える作品が多いのです。

その2 ラブソングの減少
広い意味で捉えれば「ラブソング」なんですが、いわゆる「恋人たちのドラマ」を描いた作品は減りました。詞のテーマで面白いのは「ベンチ」と「ある晴れた金曜日の朝」の2曲です。どちらも「ビートルズ」の匂いがプンプンする、聞き所満載の楽曲です。しかし、それまでのチャゲアスの楽曲に多くの女性ファンは感情移入(おそらくはASKAさんを仮想恋人として)して聞いていた人たちには、「おばあちゃんのおじいちゃんへの想い」「ビートルズの5人目のメンバー」という歌詞のテーマはとっつきにくかったのではないでしょうか。私はこういう曲こそ「待ってました」って気分でしたけどね。私もビートルズをテーマに曲作りをしたことがあるので、「ある晴れた金曜日の朝」は「そんな切り口があったかぁ」と悔しい思いを感じたのを覚えています。
『NO DOUBT』の頃のようなをリスナー突き放したような感覚にはまだまだ遠いのですが(笑)、「can do naw」「NO PAIN NO GAIN」のような心の葛藤を感じさせるような歌詞も目立ちます。誰も味わったことのないようなとんでもない大成功の中でASKAさんは何を思っていたんでしょうか。この頃は葛藤を歌に表わすことが出来ていたのに、歌を書くことそのものが葛藤になっていったのだとしたら…。いろいろ考えさせられます。Chageさんは変わらずに独自の詞の世界。実に自由です。普通ならば売れ線にとどまるところなのにそうしないチャゲアスにほれ直したものです。かっこええなぁって純粋に思いました。

あとは細かいトリビアをいくつか…
その1 「紫陽花と向日葵」はその後ASKAさんが大阪のシンフォニックコンサートで共演した服部隆之さんのアレンジ、それなのにオーケストラを使っていません。
その2 「201号」「can do now」を作曲したギターはデビュー以来初めて手に入れたヤマハ以外のメーカーのギターでした。(マーチンのギターで『NEVER END』制作時にそのスタジオのギターを壊してしまい買い取ったもの。)
その3 「ベンチ」はベースラインから作曲するという手法をとっています。(そのベースラインだったものが歌のメロディになった部分もあるそうです。いったいどこなんでしょうかね。)
その4 CDのプレス直前に曲順を変更した、ってこれはみなさんご存じですよね。何かの雑誌には変更が間に合わず、変更前の曲順で紹介されていたものもありましたよ。確か「Something there」は後半にありました。「NO PAIN NO GAIN」がラストだったかなぁ。

このアルバムでの音楽性の変化も着地点ではありませんでした。これ以降ソロワークの比重が高くなります。ソロの合間にチャゲアスの活動をする、という方が適切な感じになっていくわけですが、そのソロ活動のたびにその都度おふたりが志向していた音楽に傾斜した作品が発表されていくようになります。だんだん大衆性は希薄になっていくわけですが、生み出された作品はそれに反比例するかのように研ぎ澄まされたような繊細な美しさを身につけます。新作が出るたびに、売る気はないんだんな、と思いましたが(笑)。 だって、歌いにくいったらありゃしない(誉め言葉、ですよ)。カラオケで気楽に歌える歌がなくなりました。そんな活動の大きなターニングポイントとなったのが『Code Name.1 Brother Sun』だったと思うのです。

この変化はタイトルもつながりのある『CODE NAME.2 SISTER MOON』に結実します。2枚組のアルバムとして発表する計画すらあったらしいです。みなさんは『Code Name』の1と2のどっちが好きですか?

RED HILL

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16th『RED HILL
1993.10.10発売 オリコン最高1位 売上約156.7万枚

1993年の大ヒットアルバム『RED HILL』です。10月10日に発売されオリコンチャートでは2週連続で1位になりました。1週目で約60万枚、2週目も約40万枚を売り上げました。総売上は150万枚超。『TREE』『GUYS』と並んで「全盛期」なんて言われ方をすることが多い作品です。セールス的には確かにそうなんですが、ファンにとってはそれぞれ思い入れのある時期は違います。さすがに「今」ってことはないですが、この時期以外のチャゲアスはあたかもなかったかのような言い方をされるのには少々腹が立つわたくしです。

この年は「YAH YAH YAH」「Sons&Daughters」というシングル2作がオリコン1位を記録しました。特に「YAH YAH YAH」は社会現象とも言える特大ヒットでした。その2作ともが含まれたこの『RED HILL』も大変な話題作となりました。しかし、レコーディングなどの制作期間に余裕があったとは思えません。アルバム発売を挟んでのコンサートツアーもフジサンケイグループの「LIVE UFO」の3大都市イベント「GUYS~夢の番人」、ロングツアーとなった「史上最大の作戦」とありました。海外での活動も多くモナコ音楽祭への出演、アジアでのプロモーション活動とまさに地獄のハードスケジュールの中のレコーディングだったと思われます。

そのせいなのか? 統一感があった『GUYS』の反動なのか? 『RED HILL』は統一感に欠けると言えばいいのか、バラエティに富んだと言えばいいのか、とにかくチャゲアスの幅広い音楽性を味わうことのできるアルバムとなりました。ビートものでは「なぜに君は帰らない」、「YAH YAH YAH」、ソウルフルなバラード「You are free」、4ビートジャズの「螢」、ポップなレゲエの「今夜ちょっとさ」、アカペラの「Sons&Daughters」と、特徴的な曲調を挙げるだけでもこれだけ出てきます。収録時間もチャゲアスのオリジナルアルバムでは最長です。当時のCHAGE&ASKAのすべてが注ぎ込まれた作品集であると言えそうです。この雑多な音楽性はチャゲアスの最大の「特徴」であり、また「特長」でもあると思うのですが、一般的なファン(私たちのようなコアなファンではない、という意味です)からすれば「わかりにくさ」なのかもしれません。
B’zやミスチルのような一貫した音楽性を持ったグループと大きく異なる点です。とは言ってもB’zはごく初期はデジタルロック色が強いですし、ミスチルもかつて『深海』のようなダークな作品も出してはいますが、一般的なイメージでのお話です。「雑多」という意味合いは微妙に異なりますが、チャゲアスと同じ30年以上の活動歴を誇るサザンオールスターズやTHE ALFEEなども一筋縄ではいかない、というか一言では言い表せない音楽性ですね。「雑多」が30年以上続けるコツなのかも?

さて、統一感はないけれども1曲1曲をあげれば名曲ぞろいの『RED HILL』ですが、このアルバムを聞いていて誰もが気づくことがあります。それは…
Chageさんの曲が少ない
そう、全13曲中Chage曲は4曲しかないんです。これが全10曲ならば「いつもの比率」ですが、今回はA9:C4なんですね。ASKA曲がCHAGE曲の倍以上、という初期の『風舞』、『熱風』状態となっています。しかも、「Mr.Jの悲劇は岩より重い」「君は何も知らないまま」はシングルのカップリングとして既に発売されていたものです。アルバム発売時の新曲は「TAO」と「螢」だけでした。

では、その謎を解きましょう。
Chageさんの名誉のために最初に結論を書きますがChageさんのスランプではありません。それどころか逆に新曲をアルバムに提供、しかも「TAO」なんて超ど級の名曲を提供できたことには敬服します。というのも、この年のChageさん。明らかに働きすぎです。
まず、先述のC&Aの活動のほかに前年末にはMULTI MAXのコンサートツアーを行っています。そして、MULTI MAXは4月にシングル「勇気の言葉」、5月にアルバム『RE-BIRTH』を発売しました。レコーディングは前年末から行われていたようです。前年のMULTIのツアーのアンコールで「勇気の言葉」が披露されていますので、その頃には完成していたわけです。『RE-BIRTH』には「組曲WANDERING」という大作も収められ、「Hello!」などのチャゲアス以上にPOPな楽曲も収められていました。
また、アルバム未収録のChageさん作曲の「Knock」もシングルカットされた「なぜに君は帰らない」のカップリングで発表されています。メインヴォーカルはASKAさんですが、なぜアルバムに入らなかったのか、いや入れられないほどのインパクトを持ったまさに「隠れた名曲」です。これは本当にライブで聞きたい! 私が死ぬ前に! 一度でいいですから。
そして忘れちゃならないのがラジオです。CHAGEさん、この忙しいこの1993年にもラジオの深夜放送「NORU SORU」をやってるんですね。

チャゲアスのコンサートツアーの合間を縫ってMULTIのレコーディングやプロモーションと、「CHAGE&ASKA」と「MULTI MAX」の2枚の看板を背負って活動しながら、ラジオでは「チャゲ兄」としてリスナーとコミュニケーションをとっていたのです。

1曲ずつ聞いてみましょう。
夜明けは沈黙の中へ」はアルバムの序章となるASKA曲。ファルセットと地声の中間とも言える優しい高音が素晴らしいです。
なぜに君は帰らない」は「YAH YAH YAH」をあえて意識したASKA作のハードナンバー。歌詞は男の弱音。弱音をこんなに熱く歌うなんて。
夢の番人」は「YAH YAH YAH」との両A面だったASKA曲。あまり浸透していない事実ですが。シングルにするには歌詞が難解ですよ、ASKAさん。でも、この詞の世界観は真似ができません。アルバムの世界観を象徴する楽曲です。
」は4ビートのジャジーなChage曲。ソロ活動でも歌われています。『RED HILL』が初めて買ったアルバムだったという当時の小中学生は多かったと思うのですが、この曲の良さに気付くことが出来たのでしょうか? 媚びないChageさん。素晴らしい。
今夜ちょっとさ」はレゲエのリズムのASKA曲。レゲエと言えばChageさんの妖しい曲につきもののリズムだったのですが、ASKAさんがこのリズムを使うとこんなにPOPになりました。「僕はエジプトのまるで壁画のようさ」「これは宇宙の決まりだからさ」なんてよく思いつきますね。
THE TIME」はアルバムの中核となるASKA曲。これは今だからこそ聞きたい、というかASKAさんに聞かせたいな。すべては「今このためと」言える未来を信じたい。また、バンド活動をやったことがある人ならば冒頭の詞には必ず共感できます。
君は何も知らないまま」はまさにChageさん作の絶品バラード。作詞は青木せい子さん。「YAH YAH YAH」のカップリングでした。強行スケジュールでレコーディングされたそうですがそれを感じさせない名曲。最後のChageさんの突き抜けるような高音が最高です。
Mr.Jの悲劇は岩より重い」はChageさんのコミカルでPOPなナンバー。この手の跳ねたリズムのPOPSをChageさんが作るのは以外にないんですよね。歌詞も遊びを大胆に入れています。初心者ファンにも取っつきやすかったんじゃないかな。
You are free」はソウルフルなバラード。ASKAさんが当時どんな音楽に傾倒していたかをうかがうことができる曲調です。「ひとつめの夜を越えれたら」の「ら」抜き言葉が昔から気になって仕方ない…(笑) きっと、メロディーの音数に合わせたんでしょうね。
RED HILL」は大作。レコーディングも難航したようですが組曲のような複雑な構成をもった楽曲です。歌詞は「THE TIME」と同じように今のASKAさんに聞いてほしいな。
TAO」は名曲。Chageさん渾身の1曲のはずですが、「史上最大の作戦」ツアー以降は披露されていません。「僕の横で君が笑う ただそれだけ」なんて今のChageさんに歌われたら… 泣きます。
YAH YAH YAH」は説明不要ですね。
そして最後は「Sons and Daughters」。シングルVersionに14カラットソウルのコーラスが加えられたアルバムVersionです。その後はこちらのVersionが公式扱いのような存在です。

収録時間が70分超とちょっと長いですが(笑)、当時の勢いを感じさせるテンションの高い楽曲が多く収録されています。
オリジナルのCDより2009年の紙ジャケット盤の方が奥行きが感じられる繊細な音です。これから買う人はぜひそちらをお買い求めください、って書けない状況にあるのが辛いですね。中古ショップにはオリジナル盤が多くあると思いますが…。いい音で聞きたい方はぜひ再発盤を根気よく探してくださいね。

GUYS

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15th『GUYS
1992.11.7発売 オリコン最高1位 売上141.1万枚

今日は名盤『GUYS』です。
『GUYS』は1992年11月7日に発売されました。記録的な大ヒットとなったベスト盤『SUPER BESTⅡ』に続いて発売されたオリジナルアルバムです。オリコンチャートでは初登場で1位、2週目には100万枚を超えるミリオンセラーを達成しました。『SEE YA』に続く2回目のロンドンレコーディングとなった本作ですが、このレコーディングの様子についてはASKAさんが月刊カドカワの連載「六月のやわらかい服を着て」で詳細に綴っています。その連載の内容をもとにどういう行程でレコーディングが進んだのかをまとめてみます。

『BIG TREE』ツアー終了後、ASKAさんは6月に渡英しました。以後、年内いっぱいロンドンに滞在します。渡英前にはアルバム用のデモテープを5曲仕上げています。チャゲアスの場合、歌詞は最後に仕上げ、それまでは仮歌であることがほとんどです。たぶんメロディーはASKAさんが「WALK」ツアーの即興歌で見せたようなスキャット風に入れているのでしょう。タイトルはM-1~M-5とそっけないタイトルです。
月刊カドカワの記述から判断すると、M-1が「WHY」、M-2が「野いちごがゆれるように」、M-3が「GUYS」、M-4が「no no darlin’」、M-5が「HANG UP THE PHONE」となって世に出たようです。番号は曲を作った順番だと思います。
7月6日にレコーディング開始。M-5とM-4からのスタート。アレンジャーのJESSがシンセサイザーでアレンジの基本を作り、他のミュージシャンの音は後から重ねたようです。
7日、M-2(野いちご~)。このセッションで2番の後の「野いちごゆれた」のパートが外されることが検討されたそうですが、JESSの奥さんの一言で残ったそうです。良かった、良かった。夜から、M-1(WHY)の作業。
8日、村上啓介さんが渡英し作業に合流しました。
9日、ロンドンセッションの楽曲のすべてのドラムとベースを担当したNEILとMARKの録音開始。M-5(HANG UP THE PHONE)からスタート。夜からM-4(no no darlin’)を開始。
10日、M-2(野いちご~)、M-3(GUYS)を録音。その日の夜、Chageさんが合流しましたが、到着して間もないため約2ヶ月滞在することとなるフラットにすぐ戻りました。
11日M-5(HANG UP~)に『ENERGY』に参加したGRENがギターを録音。また、Chageさんの楽曲5曲のデモテープ(C-1~C-5)を聞きました。それぞれの楽曲は、おそらくC-1「光と影」、C-3「今日は…こんなに元気です」、C-4「夢」、C-5「だから…」だと思われます。ただし、このときの2人のやりとりでC-2がアルバムから外れます。アルバムのカラーに合わない、と判断したらしいです。私の推測ではこのC-2は後に「Knock」として発表された曲ではないかな、と思ってるんですが。その後、Chageさんの楽曲のレコーディングを中心に進んでいったようです。
7月20日ごろ、Chageさんが詞を書くために日本に戻りました。ASKAさんもロンドンで詞書きの作業に入りますが、極度の頭痛に悩まされ作業ははかどりません。23日ごろ、体調が回復してきたことをきっかけに一気に詞を仕上げ、31日に5曲の詞が完成しました。
8月1日、Chageさん再渡英しましたが、詞はまだ完成せず。
3日、歌入れ開始。「GUYS」から。10月発売のシングル候補として、真っ先に取り上げられました。
4日、「no no darlin’」歌入れ。徹夜で歌入れし、翌朝の会議でシングルが「no no darlin’」に決定。
10日ごろ。「今日は…こんなに元気です」歌入れ。しかし、Chageさんの喉の不調で上手く進まず。
その翌日、シングルやアルバムのジャケット撮影。
その後、歌入れが進みます。Chageさんは「夢」「だから…」の詞も仕上げていきます。そして、M-6,M-7がアルバムに追加。M-6は「if」のリアレンジ。「M-7」は仮題「HOME」。それが「クリスマスソング」に変わり、「世界にMerry X’mas」になりました。
8月中旬から下旬にかけてChageさんのコーラス録音、メイン録音と進みました。
9月5日、Chageさんが体調不良と喉の酷使で声をつぶしました。レコーディング中断!
8日、Chageさん復活! 「夢」の録音。
15日~16日、最後の歌入れ。「HANG UP~」のChageパートの録音で終了!
デジタルマスタリングを20日に終え、すべての作業が終了です。
10月にChageさんは日本に帰国し、なんとMULTI MAXのレコーディングに入ったそうです。ASKAさんが帰国したのは翌年の1月でした。

チャゲアスのアルバムの中でも「作品世界の統一感」ならばこの『GUYS』がNo.1です。この名盤『GUYS』はロンドンで3ヶ月の集中作業で作られたアルバムでした。

100万枚以上を売り上げたアルバムであり、当時の若者の支持を集めたわけですが、それが信じられないほどアダルトなタッチです。一言で言えば「ジャジー」。ジャズの要素がふんだんに入っており、決して若者向けのわかりやすいPOPSではないのです。このアルバムが大ヒットした90年代って、今よりもリスナーの耳が肥えていたのでしょうか? チャゲアスブームの真っただ中だったとはいえ決して売れ線の作品ではないのです。

GUYS」はシングル用に作られただけあって派手でキャッチーな楽曲です。ASKA曲に村上啓介さんのアレンジが新鮮ですね。私の友人は「赤や青の馬を見てた」を「ばかやろうの馬を見てた」だと思っていたそうです(笑)
野いちごが揺れるように」は3連のバラード。これは名作。年をとればとるほど詞が身にしみてきます。ふたりの掛け合いのヴォーカルがいいですね。ヴォーカリストとしての個性の違いがよくわかります。
if」はアルバム用にアレンジが変えられました。当時は派手なシングルのアレンジの方が好きでしたが、今は落ち着いた雰囲気のアルバムのアレンジの方が好きです。個人的な感想です。
光と影」。Chageさん作のバラード。これも名曲。ASKAさんならば照れて書かないようなストレートな言葉で綴られたラブソングです。
HANG UP THE PHONE」は後のライブ定番です。ライブごとにファンキーさを増していきました。ベースラインが印象的なアレンジですが、デモ段階では「GUYS」のようなリズムパターンだたそうです。アレンジャーJESSの判断でリズムが変更になったのですが、これはいい仕事です。
だから…」はChageさんと啓介さんの共作。非常に主観的な表現ですがロンドンっぽい曲。リズムパターンもコード進行も「変」な感じ。アルバム中盤のアクセントとして存在感を放ちます。
WHY」も「ロンドンっぽい」アレンジ。主観的ですが。「MOON LIGHT BLUES」のような別れを正面から描いた作品です。この時期のチャゲアスにはあまりなかったテーマなんです。
今日は…こんなに元気です」。青木せい子さんとASKAさんの共同の作詞。Chageさん作曲。メインヴォーカルはASKAさん。途中でChageさんにメインが変わり…、という三位一体の名作。このリズムパターンもこれまでなかったものでした。
」。Chageさんがあっという間に作ったという幻想的な歌。変なコード進行をしています。後半のASKAさんの絡みつくようなコーラスが素晴らしい。これがあってこその「夢」。
CRIMSON」はアルバム用に大きくミックスを変えています。ギターを追加で録音しているかもしれません。ギターが厚くなったことでもともとあった楽曲のスピード感がUPしました。
no no darlin’」は私にとってのベストトラック。本当にこの歌にははまりました。「木綿のハンカチーフ」が聞きたくなる歌詞ですよね。この歌がゴズペルVer.になってライブで歌われたときには、びっくりしましたが。あっ、こんなに力強い歌だったんだ、って。
世界にMerry X’mas」は今の時代だからこそ歌いついでいきたいですね。世界平和をここまでストレートに歌いあげるのって勇気がいると思うのです。「みんなで幸せになりたいね」

派手な曲が並ぶ『TREE』『RED HILL』にはさまれたため『GUYS』に地味な印象を持っている人もいるかもしれません。しかし、その独特の世界観は今でも輝きを失っていません。
やっぱり私はブリティッシュなサウンドって大好きです。

CDマスター音源の音量が小さく制作されています。紙ジャケットのリマスター盤でもリミッターによる強引な音圧UPはされていません。これは正解です。音圧を無理に上げれば『GUYS』の繊細なミックスが台無しになるからです。大きな音で聞きたければ聞く際にヴォリュームをあげればいいだけですからね。音が小さいことを受けて「『GUYS』は音が悪い」と言う人がいるようですがわかってないなぁ。この時代としては驚異的にいい音質で録音されています。海外録音は伊達じゃありません。日本よりもヨーロッパの方が電圧が高いことなども関係するそうですね。楽器の録音をする際には。

つまり、大音量で! スピーカーで! 聞きましょう。ヘッドフォンじゃなくてね。

TREE

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14th『TREE
1991.10.10発売 オリコン最高1位 売上約235.1万枚

オリジナルアルバムとしては最大のヒット作である『TREE』です。
「SAY YES」の大ヒットを受け1991年10月10日に発売されました。オリコンチャートで1位を獲得。アルバムチャートの1位はチャゲアスとしては『熱風』『PRIDE』に次ぐ3作目です。しかし、「SAY YES」が社会現象化していた時期に発売された『TREE』はヒットの規模が過去2作とはけた違いでした。最終売り上げは235万枚。それまでのチャゲアスのアルバムの売上げを全部足したくらいの大ヒットなのです。「SAY YES」で初めて知りファンになった人、名前は知っていたけどアルバムを買うことはなかった人、とりあえず流行っているから買った人などそれまでチャゲアスのアルバムを買っていた人の何倍、何十倍もの人がこのアルバムを購入したのです。約3年前に発表された『ENERGY』の売り上げは約4.9万枚です。何十倍という表現は決して誇張ではないんですね。
私は「SAY YES」の予想をはるかに上回るヒットぶりに正直戸惑いもありました。しかし、チャゲアスの音楽に多くの人が耳を傾けてくれるようになったいうことが純粋に嬉しかったことを覚えています。ただ、コンサートチケットがまったくとれなくなったことは問題でした。「SAY YES」ツアーはハガキ抽選でしたが、友人の名前を借りて20枚以上送ったにも関わらず全滅でした。しかし、それがきっかけでファンクラブに入り現在に至るわけですから、結果的には良かったんでしょう。男性が男性アーティストのファンクラブに入るのって少し抵抗があるんですよね。(ないですか?)
チャート成績は凄まじいの一言です。この『TREE』の大ヒットは90年代のCDバブルの幕開けでもありました。ミリオンセラーどころかダブルミリオンセラー(200万枚)が珍しくなくなったのはこの『TREE』を境にして起こった現象なのです。
オリコンチャートでは10/21付で初登場1位。売り上げはミリオンに迫る驚異の99.6万枚。当時オリコンをチェックしていて心臓が止まるかと思うほど驚きました。この数字には。いったいどこまでいくねん… 俺のチャゲアスは…、っていう身勝手なファン心理を抱えていましたね~。
2週目で36万枚を売り上げあっさりとミリオンセラー達成。3週目も17万枚を売り上げ3週連続で1位を獲得しました。その後、8週目までTOP10をキープ。12月に入りさすがに順位を落としますが、年が明けると売り上げが伸びます。紅白歌合戦に出たわけでもないのに… お年玉でアルバムを買いに行った中高生が多かったんですかね。また、コンサートツアー「SAY YES」で全国を回っていたことや、11月に「僕はこの瞳で嘘をつく」がアルバムからシングルカットされたことなどが相乗効果となったのでしょう。1/20付で3位まで再浮上します。その後、2/24付までTOP10をキープしました。通算15週にわたってTOP10入りするなど、瞬間風速的な売り上げだけでなくロングセラーにもなったのです。


さて、1曲ずつ聞いてみましょう。
1曲目「僕はこの瞳で嘘をつく」。「SAY YES」をきっかけにファンになった人の度肝を抜くシャッフルビートのロックチューン。ふたりが肩を抱き合うパフォーマンスとも相まって後のライブの後半戦の定番曲となりました。当時、Chageさんはライブを爆発させる曲として「モーニングムーン」に代わる曲だと言っていました。言葉どおり「モーニングムーン」はその後セットリストから消えていきます。純愛のイメージが強い「SAY YES」とは正反対の男のずるさが歌われます。
2曲目「SAY YES」。そして名刺代わりの「SAY YES」です。シングルとはミックスが変更されていますので、正確にはアルバムVersionなんですよ。ここまでがアルバムの入り口です。3曲目以降の世界にハマるか否かが流行りものとしてとらえるか、本当のファンになるかの境目です。
3曲目「クルミが割れた日」。クルミの固い殻ををはじめて自分の力だけで割ることのできた喜び。少年から大人への階段を上っていく気持ちが歌われます。コーラスが何層にも重ねられた音像がそれまでチャゲアスにはなかった味わい。ASKAさんは当初コード進行で違和感を覚えていたらしくアルバムから外すことまで検討したらしいです。もったいない! その違和感を解消するために作られたのがセルフカバーアルバム『STAMP』だった、と言えなくもないですね。
4曲目「CAT WALK」。4曲目でようやくChageさん登場。発売延期をしてまで追加された曲です。ASKAさんがあたたかいバラードを書くことが決まっていたので、Chageさんはその反対のチャゲアスのダークサイドを表現したのでしょう。4ビートが印象的です。おそらくはシンセサイザーで4ビートのリズムを鳴らしながら鍵盤で作曲したのではないでしょうか。Chageさんが書いたエロチックな歌詞は新たにファンになった小中学生にわかったんでしょうかね~。
5曲目「夜のうちに」。ASKAさんのソロナンバー。この時期のASKAさんらしい落ち着いたバラードです。この頃のASKAさんは男女の恋愛における男性側の不安をよく歌詞にしています。妄想的とも言えますが。
6曲目「MOZART VIRUS DAY」。数少ない作曲の共作曲。A・BメロがChageさん。C・DメロがASKAさん。一気に世界観が変わる感じが他にない感じです。その部分でリードヴォーカルも変わります。例えるならばビートルズの「We Can Work It Out」みたい。歌詞はどんどんメロディーがあふれてくる状況を「モーツァルトのウイルスが身体に入ったみたい」と歌います。すごい比喩です。
7曲目「誰かさん~CLOSE YOUR EYES~」。『SEE YA』における「Reason」のような存在の曲。Chageさんのミディアムバラードは外れがありません。アコースティックギターの音色が印象的です。歌詞もChageさんが書いています。ChageさんのラブソングはASKAさん以上に「ベタ甘」なんですよ。いい歌です。
8曲目「明け方の君」。8ビートのラブソング。「恋人はワイン色」あたりからASKAさんが得意としてきたジャンルです。歌詞は昔の恋人を思い出す男の気持ちが表現されます。妄想なんですけどロマンチックに表現できるんですよね。ASKAさんの手にかかると。
9曲目「CATCH&RELEASE」。ツインヴォーカルという特徴を最大限に生かした歌です。Chageさんによる歌詞も言葉遊びに満ちていて面白いです。アレンジもファンキーさを前面に出しています。この曲の世界観を好きになれるかがチャゲアスにはまるかどうかを決めそうな気がします。非常にChageさんの癖が強い歌ですので「踏み絵」的な存在でしょうか。言葉は悪いですが。もちろん、みなさんしっかり踏んでくださいね。
10曲目「BAD NEWS GOOD NEWS」。作詞は青木せい子さん。何度も書き直しを命じられたらしいですね。メジャーコードの8ビートもの。ストレートな曲ですがアレンジが凝りに凝っています。「SAY YES」ツアー以降はライブで披露されていないのがもったいないです。
11曲目「BIG TREE」。壮大な歌です。ASKAさんの太く熱いヴォーカルの存在感が圧倒的です。歌詞の世界観と重厚なアレンジがこのアルバムがエンディングを迎えたことを告げます。このタイプの歌は他のアーティストにはないですね。
12曲目「tomorrow」。ASKAさんがアルバム制作の最後に追加した歌です。コンサートのアンコールのような位置づけです。ゆったりとした優しいバラードは人気を呼びましたがコンサートではこれまであまり披露されていません。イベントごとに歌われるイメージですね。私が当時一番好きな歌でした。

以上12曲。ASKA曲が7.5曲。Chage曲が4.5曲。ASKA曲が前面に出た構成は当時の新しくアルバムを手にしたファンにとっては取っつきやすいバランスだったのかもしれません。「SAY YES」のカップリングだった「告白」が収録されていればイメージも変わったでしょうけど収録されませんでした。

「CAT WALK」「tomorrow」を追加録音したこともあり、発売日延期という事態になってしまいました。しかし、それだけの力作であったことは事実です。チャゲアス旋風吹き荒れる世の中の状況から見て、これまでとは桁違いの人数がアルバムを聞いてくれるだろう、という気持ちが妥協のない楽曲制作につながったんでしょうね。これまでにない大きなプレッシャーの中で制作されたことは間違いありません。
ただ、『PRIDE』『SEE YA』に見られた実験性は薄まっています。「Break an Egg」「絶対的関係」「すごくこまるんだ」などに見られる時代の先をいった(少々行き過ぎた感もありますが…)実験曲は少なく、時代を掴んだ自信に満ち溢れたPOPな楽曲が並びます。また、ライブ向けの楽曲が多いですね。「僕はこの瞳で嘘をつく」「明け方の君」「誰かさん」「BIG TREE」「CATCH&RELEASE」…ライブのワンシーンが目に浮かぶ曲が詰まっています。

2014年においても世間的なCHAGE and ASKAのパブリックイメージはこの時期からの数年間であるのかもしれません。この大ヒットは妥協しなくてもいい音楽制作環境やイメージを形にできるコンサート運営状況を生みました。代わりに失ったものもあったはずですがこの時期があるから今があるのは事実です。
デビュー12年目にして訪れた嵐の中、チャゲアスはしっかりと地に足をつけて活動を続けたのです。私のような昭和の時代からのファンにとっても嵐に巻き込まれたようでしたね。

SEE YA

テーマ:
13th『SEE YA
1990.8.29発売 オリコン最高4位 売上約52.0万枚

1990年8月29日発売の『SEE YA』です。オリコンでの最高順位は4位ですが、1位を獲得した前作『PRIDE』よりも20万枚以上も多い52万枚を売り上げています。100位以内には62週もランキングしており驚異的なロングセラーとなりました。オリジナルアルバムとしてはランキング期間が最長の作品です。
効果的なシングルカットが売り上げ向上につながったと思われます。アルバム発売の2ヶ月前の6月27日に「DO YA DO」が発売されました。売り上げ枚数は6.7万枚とそれほど大きなヒットにはなりませんでしたが、オリコンで初登場10位となり、「万里の河」以来となるTOP10入りを果たしました。ちなみに「モーニングムーン」はオリコン11位どまりなんです。人気歌番組だった「ザ・ベストテン」はすでに放送が終了していましたので、残念ながら間に合いませんでした。『PRIDE』と同様に「夜のヒットスタジオ」などのテレビ出演にも積極的でした。それが功を奏したのか、『SEE YA』は最初の週で9万枚近く売り上げています。それでも、4位にしかなれなかったんですが。ちなみに1位はサザンの『稲村ジェーン』のサントラ、2位が今井美樹さんの『retour』、3位が長渕剛さんの『JEEP』でした。1位になった前作『PRIDE』は初週売り上げが約3万枚ですから、売り上げ的には大幅にUPしていたのです。明らかにチャゲアスへの注目度は上がっていました。
そして、アルバム発売の5ヶ月後の翌年1月30日に「太陽と埃の中で」がシングルカットされます。全国ツアーで話題となり、またカップヌードルのテレビコマーシャルに使われたこともあってか、アルバムからのシングルカットであるにも関わらず、なんとオリコン初登場3位、売上50万枚の大ヒットになりました。このシングルチャート3位という順位は当時のチャゲアスにとって新記録でした。そして、約2ヶ月後に「はじまりはいつも雨」、その4ヶ月後に「SAY YES」と時代は一気に動きました。
時代が動いた、と書きましたがその証拠をデータから見てみましょう。この『SEE YA』は1990年に約21万枚を売り上げています。しかし、翌1991年にはさらに約27万枚を売り上げているんです。なんと発売した年よりも、翌年の売り上げの方が多いのです。つまりそれまでの何倍もの人がチャゲアスに注目し始めた時期=1990年に発売されたアルバムが『SEE YA』だったのです。

今回のつっこみテーマは…「アレンジャー飛鳥涼」です。
ASKA作の6曲の編曲者クレジットはすべて「飛鳥涼/JESS BAILEY」となっています。JESSとは2年後の同じロンドンレコーディング作『GUYS』でもパートナーを組んでいますが、その時のクレジットは「JESS BAILEY/飛鳥涼」。つまり、順番が違います。
『SEE YA』の楽曲はASKAさんが作ったデモテープにかなり忠実にアレンジされているのでしょう。その結果「飛鳥涼」の名が前に出ているのだと考えられます。一方、『GUYS』はJESSのイニシアチブによるところが大きいと考えられます。
それでは、『SEE YA』以前の編曲者クレジットでASKAさんの名前が出てくる曲はあるのでしょうか? 実は数曲あるんですね。

最も古く遡れば「TURNING POINT」が「飛鳥涼/村上啓介/矢賀部竜成」、続いて、「黄昏を待たずに」が「飛鳥涼/瀬尾一三/The ALPHA」名義です。これらは、アルバムへの収録に先んじてライブで披露するために、当時のバックバンドであったThe ALPHAとともにアレンジを詰めていったと推測できます。矢賀部竜成さんは当時のバックバンドだったThe ALPHAのキーボーディストですね。
次に、「やっぱりJAPANESE」が「瀬尾一三/飛鳥涼」名義。これはストリングス(弦楽器)のアレンジをASKAさんが担当したそうです。
そして、「WALK」が「飛鳥涼/BLACK EYES」、「LOVE SONG」が「飛鳥涼/十川知司」名義です。おそらくはこの「WALK」・「LOVE SONG」の2曲が「SEE YA」につながるパターンの編曲ではないかと思います。つまりASKAさんが完成度の高いデモテープを作り、それをもとにアレンジャーが最終的にまとめるという作業をしたんだと考えられます。

飛鳥さんは1985年の『Z=One』の頃を境にコンピューターを駆使した完成度の高いデモテープを作るようになったと以前に語っていました。それまではギターでガチャガチャと弾き語っていたようなシンプルなデモテープを作っていたはずです。そして、ピアノでの作曲、コンピューターでのアレンジとASKAさんの曲作りへの姿勢が大きく変化したのが、1980年代中頃のようです。その完成度の高さからほとんどアレンジャーが手を加える必要がなかったり、ASKAさんのアレンジへの強いこだわりが出た曲に共同クレジットとしてASKAさんの名前が入っているんでしょうね。

一方、これまでの発言などによるとChageさんのデモテープはASKAさんのものほど完成されたものではないようです。デモテープを聞いたことがないので推測でしかありませんが、ギターやピアノで弾き語ったものなのでしょう。Chageさんが編曲者にクレジットされたことはないはずです。しかし、アレンジャーの感性をくすぐるようなフレーズが満載のデモテープのようですね。自分にはないアレンジャーの世界観をも取り込んで、曲を成長させているわけです。また、最近はデモテープ作りの段階からアレンジャーと一緒にスタジオで入りしていると思われます。2000年以降に多い村田努さんとの共作名義の楽曲はおそらくそうやってデモを作る段階から共同で作ったものだと思います。

自分で全部やっちゃうASKAさん、他人とのコラボを楽しむCHAGEさん。なんかおふたりの性格というか、ソロ活動での音楽の方向性というか、そんなものともつながっているような気がしませんか。

ほとんど『SEE YA』の内容に触れていませんね(笑) そろそろ中身に触れます。
ASKA曲は「DO YA DO」「水の部屋」「僕は僕なりの」「モナリザの背中よりも」「ゼロの向こうのGOOD LUCK」「太陽と埃の中で」の6曲。
アルバムカラーを印象付ける1曲目の「DO YA DO」。シングルの解説の時に書きましたがとんでもない転調をしています。実にロンドン色が濃厚。日本の歌謡曲的なメロディーがありません。「水の部屋」はASKAさんの死生観もうかがうことができる優しい歌詞の世界とやさしいメロディーが秀逸です。一般的にはあまり知られていませんが名曲だと思います。個人的にはASKA曲の中で一番好きです。ASKAソロの「僕は僕なりの」。この時期に特徴的なバラードです。『TREE』の「夜のうちに」と雰囲気が似ていますね。「ゼロの向こうのGOOD LUCK」は『NO DOUBT』あたりに入っていそうなマイナーロック。アレンジが90年代的なデジタルサウンドのロックですので今演奏するならざっくりとした生演奏主体になるでしょうね。「モナリザの背中よりも」はライブでの人気曲。90年代のショー的要素の強かったコンサート構成の中でのパフォーマンス込みでの人気曲です。「モナリザの背中よりも遠い気がしてた」という比喩が凄すぎます。絶対に思いつかないような比喩なのに誰もがイメージできる超絶フレーズ。本当にすごい。「太陽と埃の中で」はコンサートのエンディングでのロングVersionが印象的です。メロディーもコード進行も完璧。歌詞が英語なら当時のヨーロッパで流行った歌だと紹介してもまったく違和感がありません。歌謡曲的な色合いは本当になくなりました。ロンドンに移住までしてASKAさんが目指したものはこのサウンドだったんだなと思うのです。

Chage曲は「すごくこまるんだ」「ROLLING DAYS」「Primrose Hill」「Reason」「YELLOW MEN」の5曲。
「すごくこまるんだ」は青木せい子さんの歌詞先行で作られた歌。この頃のChageさんのとんがった感じがよく出ています。王道のチャゲアスファンからは嫌われるカラーですけど(笑) 「ROLLING DAYS」も青木せい子さんの歌詞先行で作られた歌です。後にそのメロディーに澤地隆さんが新たな歌詞を付けて西田ひかるさん「月夜に機関銃」として提供されました。面白い変遷をたどった歌ですね。「Primrose Hill」はChageソロです。お互いのソロ楽曲を1曲ずつ入れる方針だったんでしょうね。ロンドンに実在する場所がモチーフになっています。私もロンドンに旅行した時にPrimrose Hillに行きましたよ。普通の丘でした。こういう鼻歌で作ったようなシンプルな楽曲にこそChageさんのメロディーメーカーとしての魅力が出ますよね。大好きな歌です。1曲とばします。「YELLOW MEN」はギターがかっこいい歌なんですが、歌詞が時代を感じさせます。バブル経済の頃の日本ですね。現在では考えられない…。
さて、私にとってのアルバム中のベストトラックは「Reason」です。澤地さんの歌詞も大人のラブソングとしては完璧ですし、伸びやかなメロディーもCHAGEさんの声質にはまっていてたまらなく切なくなる曲です。コード進行は案外シンプルです。しかし、「ふーたりーのReason」の「り」部分がマイナーでなくメジャーになる部分転調が実に効果的なんです。そこだけをリピートして聞きたいほど。

とにかく、ロンドンで受けた刺激を作品作りに100%いかしたASKAさん、MULTI MAXでの活動を経てロックのダイナミズムを獲得したCHAGEさん。それぞれの音楽性が全く混ざらず(だからいい!)、CHAGE&ASKAとしてのそれぞれの才能の見本市のような作品集です。翌年の大ヒット作『TREE』よりも好きですね~。個人的には。

PRIDE

テーマ:
12th『PRIDE
1989.8.25発売 オリコン最高1位 売上約30.1万枚

デビュー10周年の記念日に発売された『PRIDE』です。見事オリコンチャートでは『熱風』以来、8年ぶりとなる1位を記録しました。1位獲得期間がこれだけ空くのも珍しい記録らしいです。最終的な売り上げも約30万枚です。前作『ENERGY』の6倍の売り上げなんですね。そんなに内容に差はないのにな。ただし、この年の売り上げは約20万枚。「はじまりはいつも雨」「SAY YES」の人気を受けて再ランクインした結果、最終的に30万枚を超えました。そんなわけで100位以内には合計39週ランクインのロングセラーになったのです。ちなみにこれを超えるロングセラーは『SEE YA』と2枚の『スーパーベスト』のみです。
当時はとうとう1位をとったぞ! とチャート1位獲得を嬉しく思いました。「ブレイク」という言葉はまだ一般的ではありませんでしたが、まさに再ブレイク! だと思ったわけです。後にそれがまだ序章に過ぎないことを知るわけですが。

この作品が名作であることはわかりきってるわけで… 一番好きなアルバムだ! という人も多いでしょう。神がかっている飛鳥さんの作品がアルバムを引っ張ります。
ASKAさんの曲名並べますね。これで十分レヴューになりますから(笑)
LOVE SONG」「PRIDE」「HOTEL」「砂時計のくびれた場所」「天気予報の恋人」「Don't Cry,Don't Touch」「WALK」… はい! 名盤決定!(手抜きじゃないですよ!)
後にセルフカバーされた楽曲も多いです。一般大衆が思い浮かべるチャゲアスのイメージって今でもこの頃から5年ほどの時期じゃないかな。
おそらく今日チャゲアスの人気曲アンケートをとっても「PRIDE」が1位になるでしょう。ラブソングの範疇にありながら、男女の恋愛にとどまらない人生観を歌った歌詞の世界観が共感を生んでいるはずです。ただしゴスペル的な要素もあるメロディーと編曲。Chageさんの完璧なハーモニーと非の打ちどころのない名曲中の名曲です。コンサートで歌われることも多く、しかも一番のクライマックスで歌われるイメージがあります。
「天気予報の恋人」の何重にも重ねられたアコースティックギター、「HOTEL」のアダルティーな歌詞の世界、壮大な「砂時計のくびれた場所」、子育てに追われる姿をコミカルに描いた「Don’t Cry,Don’t Touch」。本当にこのアルバムのASKA曲は素晴らしい。

Chage曲はASKAさんと比べるとちょっと分が悪いですが、甘くなる料理に香辛料をまぶすような曲作りです。飛鳥さんに「王道」は任せた! って感じ。「天気予報の恋人」の世界を愛する人に「SHAINING DANCE」は確かに辛いかも… 80年代のプリンスやデヴィッド・ボウイなんかの世界観かな~。確かに大衆的ではありません。かたや「流れ星のゆくえ」なんていうあま~いラブソングもあれば、Aメロをコードの変化なし(ワンコード)で通す「Break an egg」、複雑な構成の「絶対的関係」といった実験的作品もあります。「さよならは踊る」は「ショート・ショート」の続編的作品。跳ねたリズムがこの時代のChageさん的。
これらの名曲に加えて過去の名バラード4曲のセルフカバーもこれまた秀逸。がっかりさせないリアレンジで新たな魅力を生んでいます。
さて、バラバラだけど通して聞けばやっぱり『PRIDE』なこのアルバム。当時も今もファンの絶大な支持を得ている作品です。

では、今日のつっこみどころは… 「どうして『PRIDE』は売れたのか?」
「曲がいいから」…っていうのは当たり前です。でも前作『ENERGY』だって名曲ぞろいですよね。
「ASKAさんが髪を切ってかっこよくなったから」…って、いやいや髪が長くてもかっこよかったです。しかも、髪を切ったのは『RHAPSODY』からですよね。

さあ、分析しましょう。
その1 10周年という話題性
当時、大きな影響力のあった「夜のヒットスタジオ」というフジテレビの音楽番組では、かなりチャゲアスがフィーチャーされていました。『PRIDE』の発売直前にはシングルではない「HOTEL」を歌っています(8月16日の放送)。アルバム発売の直後の9月にはマンスリーゲストとして、4週連続の出演をしています。そして、アルバム発売後コンサートツアーが1年間組まれておらず、飛鳥さんが単独で渡英することもあり、(何度目かの)「解散説」が流れました。そして、この解散説がそれまでよりも真に迫るものがあったということもあります。私たち熱心なファンはそれほど心配していませんでしたが。
この話題性がそれまでチャゲアスのアルバムをレンタルで済ませていたような人に、「買う」という選択肢に走らせた理由のひとつではあるでしょう。

その2 光GENJIファンの成長
実はその1は誰でも思いつきそうな理由です。私はこの「光GENJIファンの成長」こそが、あまり語られないチャゲアスブレイクの理由だと考えています。
1987年8月19日に「STAR LIGHT」発売。11月26日「ガラスの十代」。1988年3月9日「パラダイス銀河」とチャゲアス提供曲で瞬く間にスーパーアイドルとなった光GENJI。チャゲアスが全曲を提供したファーストアルバムはシングルを上回る大ヒットでした。誤解されることが多いのですが「STAR LIGHT」の作曲はチャゲ&飛鳥名義。しかも曲の骨格部分を作ったのはChageさんですよ。
光GENJIファンがそのままチャゲアスファンになった場合もあるでしょうし、光GENJIを通じてチャゲアスのサウンド(メロディーや歌詞)に慣れ親しんだ人が自然にチャゲアスを聞くようになったということもあると思います。

例えば光GENJIを小5で聞いていた少女は『PRIDE』の発売時は中学生です。そろそろアイドルは卒業かな…、と大人びた女子に「君が思うよりも僕は君が好き」「誰のための君だろうと思う」「君を失うと僕のすべては止まる」はストライクでしょう。

少年隊の「ふたり」を含めたこの当時の、多くのアイドルを中心としたチャゲアスの提供曲を聞いて育った小学生や中学生が、ちょっと大人ぶって手にしたアルバムが『PRIDE』なのでは? というのが私的な分析であります。

もちろん、この後のチャゲアス大ブレイクの理由のひとつも…

みなさんはどう思います?

とにかく完璧なジャケットワークも含めて名盤ですね!