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胸になんか刺さった

クリエイティブディレクター西島知宏が、思考、企画、表現、映像、言葉などについて書きます

音楽は僕に何をしたのか?

コラム

Ken Yokoyamaという人物をご存知だろうか。クレイジーケンバンドの横山剣ではない。90年代後半から2000年代初頭にかけてHi-STANDARDのボーカル兼ギターとして、若者から絶大な支持を受け、メロコアムーブメントを牽引し、現在はKen Yokoyamaとしてソロ活動を続けるロックミュージシャンのKen Yokoyamaだ。

 

私自身、Hi-STANDARDとKen Yokoyamaという名前は知っていたものの、特に強い想い入れはなかった。

 

そんなKen Yokoyamaの名前を、7月に入ってtwitterで目にするようになった。どうやらメディア嫌いで有名な彼が7月10日放送のミュージックステーションに出演するということで、彼のファンや音楽関係者からすると考えられない大事件だということだった。

 

さして気にも止めず、10日の放送を見ることもなく、Ken Yokoyamaという名前を見たことすら忘れ、数日を過ごしていた。そして、あるコラムを目にした。

 

Vol.89 - 横山健の別に危なくないコラム

 

少し長いので抜粋したい。

7月10日にテレビ朝日のミュージックステーション、通称「Mステ」に出演させてもらった。全国ネットの地上波の番組に出演するのは初めてだった上に、生演奏もさせてもらった。とてもエキサイティングな出来事だった。何故このタイミングで民放に出ようと思ったか...「今やらないと時間がない」と思ったのだ。気がつけば自分は45歳、「I Won't Turn Off My Radio」の歌詞にもある通り、すっかり古ぼけてきた。

 

「ロックそのものが小さくなってる」ことに、ある種の責任みたいなものを感じ始めた。もしかしたら自分がそれを再び大きくできるんじゃないか?

 

ライブハウスで人気を博した、カッコ良かったはずのバンド達が、メジャーデビューするとなぜかそれまでと違った服装をして、ぎこちない様子でテレビに出る。揃いも揃ってカッコ悪かった。

 

オレ自身や Ken Band はこの際どうでも良い。ただアイドル、アニメ主題歌が全盛のいまの時代、子ども達はロックンロール/パンクロックの存在など知らないだろう。なにしろわかりやすいキッカケがないのだから。大人達も忘れてしまっているだろう。かつてハイスタに熱狂した世代も、年を重ねるにつれて仕事が忙しくなったり、家庭を持ったり、子どもの世話に追われたり...きっとロックンロールどころではなくなった人も多いはずだ。

 

子ども達には「こんなラフな音楽あるんだよ、ロックンロールっていうんだよ」っていうのを見せたかったし、大人達には「ほら、かつて君達が熱狂したあれ、まだ死んでねぇぞ」っていうのを届けたくなった。

 

自分が子どもの頃、忌野清志郎さんをテレビで見た。他のニューミュージックと呼ばれていた人達とは明らかに違う空気感を放っていたことは、子どもながらにも察知して衝撃だった。10代の多感な時期、ブルーハーツをテレビで見て人生が変わった。音源は聴いてはいたが、テレビでみた時の衝撃は今でも忘れられない。オレも、もう遅いかもしれないけど、そういった先輩達みたいになりたい。

 

テレビで音楽番組というと、間違いなくMステなのだ。出たい、と思った。

 

次が自分の出番になった時、MC のタモリさんの横に座った。トークをするのだが、そこでタモリさんに「どうして地上波に出ようと思ったわけ?」と問われ...いくつか答えを想定していたのだが、口をついて出たのが「若い子達に『ロックンロールって、楽器を弾くことってカッコいいもんなんだよ』って、オレみたいなもんがパフォーマンスすることで思ってもらえたら...」という言葉だった。

 

オレはライブハウスシーンやバンドマン達の気持ちを、甚だ勝手にではあるが、背負って出たのだ。

 

ロックンロールにはまだまだ夢があるのだ。ギターや楽器には素晴らしい世界がある。

 

読み終えるとすぐにYoutubeでKen Yokoyamaが出演しているミュージックステーションを探した。出てきたのがこの映像だ。


Ken Yokoyamaがテレビ音楽番組地上波初パフォーマンス!I Won't Turn Off My ...

 

見終えた瞬間。いや、見ている最中から「あのシーン」がフラッシュバックしてきた。

 

話は少し逸れる。僕は昔ブルーハーツが大好きだった。兄も大好きだった。どこで出会ったのか覚えていないが「リンダリンダ」という曲に出会い、「ドブネズミ」が美しいことを知り、「決して負けない強い力」は一つしかないことを知った。それから当時、次第に浸透してきていたカラオケボックスに、母にせがんで毎日のように連れて行ってもらい、兄とマイクを奪い合って「リンダリンダ」を熱唱した。まだ元号が昭和だった最後の日に始まった「はいすくーる落書」というドラマが金曜の夜の楽しみで、兄とかじり付いて見た後、二人で布団の上で「TRAIN TRAIN」を熱唱し、母に怒られるというパターンを繰り返した。

 

先日、私が編集長をしている「街角のクリエイティブ」で超人的なコラムを書き続けている電通の先輩、田中泰延さんが東京コピーライターズクラブのコラムである映像を紹介していた。

 

僕や君や彼等のため書かされています | リレーコラム | 東京コピーライターズクラブ

 

少しコラムを引用させて下さい。 

でたらめな詩を書いて、でたらめなスリーコードをつけた。

2台のギターにはディストーションをかけることしか考えていなかった。  

毎日でたらめな曲を練習して、

1年後にはライブハウスで演奏するようになった。  

そのときだった。彼らに出会ったのは。

1987年、12月30日。僕はテレビを見ていた。

「夜のヒットスタジオ」。

芳村真理が彼にピントのずれた質問をした。

「インディーズの世界では、なんか、すごいんですって?」  

「インド人のことは、ようわからんけん」

頭をバットで殴られたような衝撃が走った。

そして少年のような声が聞こえてきた。  

 

同じようにYoutubeで探し出したのがこの映像だった。


ブルーハーツ TV初出演 - YouTube

 

僕は、この「夜ヒット」のことは覚えていない。しかし、「あの日」ブルーハーツと出会った衝撃を思い出した。会社で手を止め何故だかわからないけど、しばらくぼーっと考えた。創るってなんだろう、伝えるってなんだろう、歌うってなんだろう。自分の仕事に重ね合わせ、日々自分たちが苦しんで生み出しているモノは一体何なんだろう、そう考えた。

 

何故そんなことを考えたのか、おそらくそれは「圧倒的なものを見たから」だと思う。

 

圧倒的なもの、それは言葉では決して表現できない、ある種近い感性を持った人間同士が共有できるテレパシーのようなモノかもしれない。決して物理的なスケールが大きいわけでもなく、もの凄くお金がかかっているわけでもなく、でも、自分が一生をかけて辿りつこうとしているもの、辿りつきたいと思っているもの。それを目の前に差し出された時、人は圧倒されるのだと思う。田中さんに教えてもらったその、僕が10歳の頃、無意識的に服従していたブルーハーツから受けた圧倒。そして。

 

2015年7月10日のKen Yokoyamaの姿は、27年と192日前の、あの姿とぴったり一致したのだ。

 

「すげー」

 

Ken Yokoyamaという男が短パンとロンTで歌う姿を見て僕は圧倒された。そして、今度は「誰かに伝えたい」と思った。

 

母ちゃんと兄ちゃんとカラオケボックスに行って、母ちゃんがテレサテンの「つぐない」を歌って、何故だかわからないけど泣いていて、「栄光に向かって走る」ためには列車が必要で、「世の中」がいい奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでもない、ということを歌から教えてもらったあの頃、僕はきっと音楽のそばにいて、そして、その経験はきっと、今の僕のどこかを作ってくれているはずだ。

 

もしかすると「創ることなら誰にも負けない」そう思い込ませてくれたのは、あの頃の原体験があるからかもしれない。わからないけど。

「若い子達に『ロックンロールって、楽器を弾くことってカッコいいもんなんだよ』って、オレみたいなもんがパフォーマンスすることで思ってもらえたら...」

 

なぜ、わざわざこんなことを書いているのか。正直自分でもわからない。ただ、書きたかった。このブログを読んでいるのはおっさんばっかりだし、こんなことをこんな所で書いても、若い人には伝わらないかもしれないけど、若い人たちに「創る」って素晴らしいことなんだと言いたかった。

 

国会議事堂の前で平和を訴える若者を作ってしまったこの日本で、それでも「未来ってすげーんだぞ」「創るってすげーんだぞ」と言ってあげたかった。情報が溢れかえって、すべての「良いもの」が埋もれて見つけづらくなっているこの時代の中で、「こういうのがすげーって言うんだぞ」「圧倒されて、圧倒されて、いつか圧倒しろよな」そうお節介だけど言ってあげたかったのだ。

 

 

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