AV男優ムータンの勃ち上がれチッポン

AV男優ムータンのブログです。

2016年03月

いつも行ってる精神科の前に今日練炭屋さんがあるのに気が付いて、脱臭のために練炭を大量に購入したら、店の人に「自殺しないでね」って言われた(笑)

冗談で「よくわかりましたね、、帰って自殺しようかと思って、、さすがお見通しですね~ケラケラ(笑)」といいながら家が広過ぎるので大量に買って帰った

僕の場合半分冗談だけど、本当に自殺する人いるんだろうな~と思った、、まさかそれが狙いで練炭屋やってるわけじゃないと思うけど、練炭屋さんの方がどうみても店構えが古くて後から精神科ができたっぽいから、可哀想だなと思いつつ、、帰りの電車でコントになるなと思いつつゲラゲラ笑ってたら、前に立ってたおっさんに「うるせー」ってぶったたかれた(笑)

電車で暴れておっさんを警察に突き出して金取ってやればよかった、、と痴漢被害に遭った女子高生みたいな事を考えてた僕なのでした(笑)


よく「私って幸せだわ~」とか「俺は幸せだなあ~」っていう人達がいるけど、僕はそれは自分にそう思い込ませるためのポーズにしか見えない

確かにいつ化学兵器や空爆をくらうかわからない戦争中の国の人や公園や難民キャンプで食うや食わずの生活をしている人達は一見不幸に見えるかもしれないが、東南アジアやアフリカ・中東の戦時中の国に行った事のある人は衰弱している人達もいる中で、日本人にはあり得ないとびっきり幸せそうな笑顔を見せて素っ裸でじゃれてきたりする人達もいるのをご存知だろう、、あれを見ていると宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」ではないが「本当の幸いとは一体何か」わからなくなる

それはあなたの心が幸せを察知する能力に優れていたり、様々な経験や人を見て、自分はなんて幸せなのだろうか、、なんて思ったりするんだろうけど、、

僕のまだ未熟な経験で言わせてもらうと、「幸せ」なんていうものは一瞬思う事であって、断続的に続くものではなく、この世界に断続的にあるのは「不幸」な状態か「不幸ではない」状態かそのどちらかである

断続的に幸せが続くのは死が訪れて肉体がなくなってからであって、この重苦しく、どこも痛くない、どこも苦しくないなんていう完璧な状態の人間なんて存在しないわけで、必ずどんな涼しい顔をしている人も必ず問題を抱えているわけだ。

お医者さんが家の祖父が死ぬ時に「恐い、恐い」と絶叫してるものだから言った言葉に僕は感動した

「人間が死ぬという事は、風船が割れるのに似ている。風船が割れたら周りの大きな空気と同化するだけ、だからあなたは死ぬのではなく周りの大きな空気と同化するだけだから何も恐がる事はない、、むしろ気楽になって喜ぶべき事なのだよ」と言っていた

確かに僕もそう思う、、人間は周りの空気から生まれて、周りの空気を取り込んで育ち、最期には周りの空気とまた同化していく、、ただそれを繰り返していくだけだと、そんな理由は神様にしかわからないけど、結局精子、、じゃなくてスペルマタズーンじゃなくて、、生死を何度も繰り返していくわけだ、、だから、☆死ぬことは恐くない☆、僕は心からあなたにそ
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「雨ニモマケズ」の現代語をご紹介します。
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>雨にも負けず 風にも負けず
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>雪にも夏の暑さにも負けず
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>丈夫な体を持ち
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>欲はなく決して怒らず
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>いつも静かに笑っている
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>1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ

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>南に死にそうな人あれば
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>行って怖がらなくてもいいと言い
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>北に喧嘩や訴訟があれば
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>つまらないからやめろと言い
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>日照りのときは涙を流し
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>寒さの夏はおろおろ歩き
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>皆にデクノボーと呼ばれ
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>ほめられもせず 苦にもされず
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>そういうものに私はなりたい
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>この有名な詩は、賢治さんが亡くなった後、賢治さんの手帳に書かれていたものをトランクの中から発見されたもので、発表されるためにつくられたものではありません。
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>賢治さんの理想の生き方だったのでしょう。
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>誰かが見ているからとか、有名になりたいとか、損得とかじゃなく、
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>純粋に、誰かのために優しく生きる生き方。
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>そういうものに私もなりたい。


>生徒たち同士で放課後話し合ったのだろうか?
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>それとも両親に話したのだろうか?
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>でも、そんなことはどうでもいいことだった。
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>みんなが再び元気になり、心の平静を取り戻せたのだから。
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>生徒たちは私の元から飛び立っていった。
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>それから何年か経った。
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>ある日、休暇から戻ると、両親がいつものように空港に迎えにきてくれていた。
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>車の中で、母がいつものように聞いてきた。
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>旅行先での天気はどうだったか、どんな経験をしてきたか、とかいった質問だ。
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>でも、私は両親の態度に何か不自然なものを感じた。
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>しばらくすると、母が促すように父を構目でちらっと見て言った。
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>「ほら、父さん。あのこと・・・」父はゴホンとせき払いをした。
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>「マーク・エクランドの家族から、昨日の夜、電話があったよ」
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>「本当? ずいぶん久しぶりだね。最後に手紙をもらってから、もう何年にもなるわね。マークは元気にしてた?」
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>父は静かに言った。
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>「マークはね、ベトナムで戦死したそうだ。葬式は明日だそうだよ・・・・・ご両親がお前にも出席して欲しいって言ってたよ」
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>それを聞いた瞬間、時間が止まったように感じた。
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>四九四号線のどこを車で走っていたかさえ、今でもはっきり覚えている。
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>翌日の葬儀で初めて見る軍の棺には、あのマークが横たわっていた。
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>じっと目を閉じた彼の顔はとてもハンサムで凛々しかった。
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>その彼に向かって、私は心の中で叫んでいた。
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>「マーク、先生に何か言ってちょうだい。世界中の粘着テープを用意して、あなたが話してくれるのを待ってるから。お願い、昔みたいにおしゃべりをしてちょうだい」
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>教会はマークの友だちでいっぱいだった。
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>チャックの妹が「戦死した兵士を天国へ送る歌」を歌った。
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>よりによって、この葬式の日に、どうして雨が降らなければならないのだろう?墓地では、さらにその思いが強まった。
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>牧師のお祈りに続き、軍のしきたりにそって弔いのラッパの音が響き渡った。
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>一人ずつ棺に聖水を振りかけてお別れをした。
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>最後に私の番がやってきた。
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>そこへ、棺の付添いとして立っていた兵士が近寄って来た。
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>「失礼
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人を褒めるという事がいかに大切かというお話です、、長いので時間がある時にお読みください

>何年も前のこと、私はミネソタ州モーリス市にある私立セントメリー学園で、三四人の小学三年生を教えていた。
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>子どもたちはみな可愛かったが、中でもマーク・エクランドは特に記憶に焼きついている。
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>ハンサムな上に、いつも楽しくてしかたないといった様子をしていて、いたずらをしたときでさえ思わず楽しくなったものだ。
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>ただ、マークはひどくおしゃべりで、「授業中に勝手にしゃべってはいけません」と、一日に何回も注意しなくてはならなかった。
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>でも私が驚いたのは、叱られたときのマークの態度だった。
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>いつもまじめな顔になってこう言うのだった。
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>「先生、注意してくれてありがとうございます」
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>初めてそう言われたときは、どう受けとめたらいいものか戸惑ったが、いつも言われているうちに慣れてしまった。
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>ある日、午前中の授業で、マークのおしゃべりがあまりひどいので、私はついに我慢できなくなった。
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>マークをにらむと、教師があまり言うべきではないことを言ってしまった。
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>「マーク!あと一言でも何か言ったら、その忙しいロにテープを貼ってしまいますよ!」すると10秒もたたないうちに、チャックという子が言いつけた。
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>「先生、マークがまたおしゃべりしました!」
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>マークの見張りを頼んだ覚えはないのに…。
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>でも、もういちどしゃべったら罰を与えるとみんなの前で言ってしまったのだから、そうするほかなかった。
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>あの朝のことは今でも忘れない。
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>私は机の引き出しからもったいぶって粘着テープを取り出し、一言も言わずに歩いて行くと、マークの口にテープでバツ印をつけた。
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>そして、教室の前の自分の席まで戻った。
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>そこでどんな様子かと目をやると、マークは私にウィンクしてくるではないか!思わず笑い出してしまった。
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>クラス中がワイワイと大騒ぎする中を、私は彼の机まで戻リ、テープをはがし、肩をすくめた。
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>すると、開口一
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