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【報道ステーションは正義か不実か:長谷川豊】古館伊知郎が降板した理由

社会 社会-政治

古館伊知郎が3月で報道ステーションを降板し、メインキャスターとして富川悠太を迎えた新体制が4月からはじまった。

報道ステーション|テレビ朝日

古館さんの降板についてはネットでもいろいろ書かれているが、報道ステーションを含めたテレビニュースの内情を知る長谷川豊著『報道ステーションは正義か不実か』を読んで気づくところがあった。

《目次》

 

メディアを信じるバカ

日本人の70.6%が新聞の言うことをそのまま信じているのである。簡単に言うと70%の日本人がバカなのだ。日本人、ほとんどバカばっかりなのだ。

さすが長谷川さん、歯切れが良い。このトーンと裏話感に惹かれて読者がつき、個人ブログは1記事で150万PVを超えることもあるそうだ。

長谷川さんは百田尚樹が「沖縄の新聞社を潰せ」という発言をしたという報道を例にあげて、日本人は本当に何でもニュースを信じるバカばっかりだと断ずる。

百田発言問題は、彼の発言が気に入らないテレビ局が壁に耳をあてて盗聴まがいで入手した情報を流してイメージ操作したというのが真実なのだそうだ。

 

すべてのニュースはプロレス

一部のマスコミは安保法案をめぐる国会の攻防やデモ隊の行動を通じ、安倍晋三という政治家が、極めて独裁的で強権的な人物であるというイメージを作り出そうと腐心していた。特に熱心なのが、ご存知の通り朝日新聞とテレビ朝日の『報道ステーション』。

長谷川論では「すべてのニュースはプロレス」であり、必ず悪役が登場するそうだ。そうしないとニュースではなくストーリーとしての報道をポリシーにしている報道ステーション型の番組は成り立たない。

「安倍政権はこんなにひどいことをしている」「原発のせいで、こんなに多くの人が苦しんでいる」「エンブレムのデザインは盗用である」と悪役をつくって、正論っぽく叩く自分たちは正義だ。視聴者は正義を応援する「正義の味方」だという論理だ。

報道ステーションのストーリーづくりには目をみはるものがあるそうで、例えば前身の『ニュースステーション』ではニュースの常識だった「です・ます調」のナレーション原稿を「だ・である調」に変えて小説みたいにした。これは報道ステーションでも継承されている。

事件のVTRでは「殺害された○○さんは、中学時代から教師になる夢を持ち、多くの人か愛されていた」と、ドラマのように人間を描く。確かに、ほぼ同じフレーズを何度もみた気がする。

報道ステーションだけでなく、それに倣って多くの報道番組がストーリー仕立ての報道をしているそうだ。いち視聴者としても「どの番組も悪役を叩くスタイルだし、感情移入しやすいような被害者情報を流すよな」という実感はある。

 

古館伊知郎が降板した理由

古賀氏は番組内で菅義偉官房長官をはじめとする官邸サイドからバッシングや批判を受け、官邸の意向を受けたテレビ朝日上層部によって降板させられることになったと主張。「その話は承服しかねる」と反論する古館キャスターとのやりとりをめぐって、週刊誌などで官邸と大メディアの関係が取り沙汰された。

元経産省官僚の古賀茂明がコメンテーターとして報道ステーションに使われなかった理由として、長谷川さんは「ただの実力不足」だと断じている。つまり官邸やテレビ局上層部の圧力という主張は詭弁だと。

そう考えると、古館さんの反論には納得がいく。メインキャスターである古館さん自身が反体制の姿勢をとっているので、官邸から辞めろという声があがるとしたら古館さんに対してだろう。なぜ、いちコメンテーターというだけの立場である古賀さんにだけ圧力がかかるのか。どうも疑わしい。

古館さんが「その話は承服しかねる」と反論したのは、古賀さんの弁が絶対にウソだと感じたからだけでなく、もし仮に真実だとしてもそれを公共の電波で流していいものではないという信条があるからではないかと想像する。

長谷川さんも本著のなかで書いているが、メディアに出れば何らかのバッシングや圧力はつきものだ。古館さんにかかる圧力は相当のものだっただろう。それをはね除けてでも持論を通す、もしくは局が必死に作成した原稿をしゃべるというのがキャスターの役割だ。

この役割を軽く見た古賀さんに対して、古館さんは怒りをぶつけたのだろう。そんな古館さんだから、降板する真の理由が個人的なものでも、理由の1つに圧力が含まれていたとしても、公共の電波で言及することはないのだ。