彼は丸顔の若者で、精神を高揚させる物質が好きな不良だった。人生の目的を探す中で、自分の国を標的にした残虐な大義を見つけた。それはあらがえないほど刺激的だった。仲間も大勢、この大義に加わった。彼の背信の経歴は、治安部隊の目をかいくぐってフランスを駆け抜けたときにクライマックスを迎えた。
これは昨年11月に起きたパリのテロ攻撃で後方支援を率いたサラ・アブデスラムの物語だ。アブデスラムは先月ベルギーで拘束され、フランスで裁判にかけられる。だが、これは1930年代に英ケンブリッジで勧誘されたソ連工作員の一人、ガイ・バージェスの物語でもある。
バージェスは社会の最上流階級の出身で、共産主義にのめり込んだ。一方、アブデスラムは最下層の出身で、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)にのめり込んだ。2人は驚くほどよく似ている。バージェスとその世代の物語は、今日のISの新メンバーらが歩む道を予言するかもしれない。
■大義を探し求めるはみ出し者
パリのテロ攻撃の数日後、フランスのイスラム学者オリビエ・ロイ氏は、「ジハード(聖戦)主義テロリズムの背後にある原動力は何か」と題した講演を行った。同氏が洞察したことの多くは、ジハード主義者と同じくらいケンブリッジのスパイにも当てはまる。
ロイ氏いわく、まず、「若者だけが参加する」。アブデスラムは恐らく24歳でISの思想を受け入れた。バージェスは23歳でソ連国家保安委員会(KGB)に加わった(バージェスについてはここ数カ月で、『Stalin’s Englishman(スターリンのイングランド人)』『The Spy Who Knew Everyone(すべての人を知っていたスパイ)』という素晴らしい伝記が2冊出版された)。
バージェスもアブデスラムも大義を探し求めるはみ出し者だった。アブデスラムが決してベルギーが自分の居場所だと感じえなかったように、バージェスは自分の階級が、大恐慌に打ちのめされた英国から切り離されていると思っていた。バージェスは1934年、イートン校OBのネクタイを身につけ、電車で移動したものの、ロンドンへの飢餓行進に参加した。
バージェスが恐らく、同性愛者だったことが社会との距離をいっそう遠くしたのだろう。興味深いことに、店のバーテンダーたちによると、アブデスラムはブリュッセルのゲイバーの常連だった。2人とも気分が高揚する酒や薬物を好んだ。バージェスが主に酒を飲んだのに対し、アブデスラムは兄とともにバーを経営していた。この店は薬物を販売したために昨年閉鎖された。