国際大学GLOCOMは2015年4月21日、スウェーデンのストックホルム郊外にあるソレントゥナ市(Sollentuna kommun)の教育関係者4人を招き、公開コロキウムを開催した。同市は政治主導で2009年に1:1コンピューティング(生徒1人につきPCあるいはタブレット1台)を決定し、段階的に導入してきた。その結果、生徒の成績ランキングは全国18位(2009年)から4位(2014年)へと大きく改善した。また、ただICTを使えばいいというわけではなく、どのようにICTを授業に統合していくのかを教員が理解したうえで、ICTを使っていくことが重要だということがフォローアップ研究によって明らかにされた。
公開コロキウムでは、同市の現状と展望について話をうかがい、日本との比較について意見交換を行った。会場からは、ICTに否定的な教員をどう説得したのか、どうやって教員の意見交換や取り組みを活発にしているのか、子どもたちの発言がネット上でオープンになることに対して保護者の抵抗はないのか、日本の自治体ではコストに対して目に見える効果がないとなかなか導入できないが、そこはどうしたのかなど、多くの質問が寄せられた。以下、コロキウムの内容を紹介する。(2015 年4月 21 日開催)(初出:智場#120特集号 子どもの未来と情報社会の教育)
ソレントゥナ市の教育
ソレントゥナ市の人口は約7万人、生徒(6~16歳)数は約9000人で、77%が公立学校に、23%が私立学校に通っている。2009年、ソレントゥナ市教育委員会の委員長だったマリア・ストックハウス(Maria Stockhause)が1:1を提案し、2013年までに各生徒に1台のPC(あるいはタブレット)を持たせることが政治主導で決まった。これは、家庭の収入格差によって生徒のデジタル能力に差がつくことがあってはならない、学校で平等なICTの学習機会を提供することは民主主義にとって重要だという考え方からだという。この結果、生徒の学力テストにおけるソレントゥナ市のランキングは、全国18位(2009年)から6位(2013年)、4位(2014年)と大きく改善していった。
左から、豊福、ブロマン、エリクソン、ホルムグレン、ゲンロット、上松(敬称略)
教育事務所長のダニエル・ブロマン氏は、市の教育目標として次の三つをあげた。
・スウェーデンでソレントゥナ市がトップになること
・すべての生徒がすべての科目で合格点を取ること
・すべての生徒が安心と安全を得られる教育環境をつくること
これらの目標を実現するために、政治、行政、校長、教員が協力してともに働いている。教員同士で意見を交換する場を設けて互いに学び合っていて、指示が上から一方的に降りてくるというような形ではない。具体的には次のようなことを組織的に行っている。
・良い事例をみんなでシェアする。
・新しいアイデアを採り入れるにあたり、それを研究している人たちと協力する。
・教員たちは、教育手法を発展させるために毎日のように学んでいる。
・ICTを各授業に統合していく。このためにも教員は学ぶ必要がある。
1:1プロジェクトの実態と研究
ソレントゥナ市で1:1を進めるにあたっては、何の問題もなくスムーズに目標が達成されたのだろうか。教育事務所のアニカ・アゲリ・ゲンロット氏によると、彼らが1:1で経験したことは、ハイプ・サイクル(Hype cycle)というモデルに沿って説明できる(図1)。ハイプ・サイクルとは、新しい技術が社会に適用されていくプロセスをモデル化したもので、(1)黎明期、(2)流行期、(3)幻滅期、(4)回復期、(5)安定期という五つの段階があるとしている。すなわち、新技術が登場すると関心が集まり、「これで何でもできるようになるかもしれない」と、期待が非現実的なところまで急速に高まっていく。ところが、もちろんそれら全部が満たされるわけはないので、期待は失望に変わる。急速に落ち込むが、そこから現実に何ができるのかを考えていくうちに、徐々に期待と技術でできることがすり合わされていき、現実的なところに落ち着いていく。
図1 ソレントゥナICT導入におけるハイプ・サイクル 出所:当日の配布資料から
ソレントゥナ市では2009年に、政治家が「2013年までにすべての学校で1:1を達成する」という目標を定めた。そこから期待が高まっていき、2010年頃にピークに達した。ところが、実際に各生徒にPCを与えたものの、Wi-Fiがうまく機能しない、多くの教員が技術の使い方を分からないといった事態が明らかになり、落ち込みを経験した。それをどう解決するかを考えていくなかで、しだいにネットワークが機能するようになり、教員に対する教育も行われていった。
スウェーデンの多くのメディアがソレントゥナ市の挑戦を取り上げ、そのなかには批判的な記事も多くあった。それでも続けていくことができたのは、政治家や校長が、1:1という目標に対して統一的な見解をしっかりと共有していたからだという。2015年の段階で、ある程度の目標を達成することができた。スウェーデン全体で見ても、生徒1人当たりのPC整備は進んでいる。2011~12年のデータによると、たとえば8年生で、1台/2人とEU諸国の中でトップである(EU平均は1台/5人)。
ただ、学校にPCが整備されていても、ICTが高いレベルで授業に使われているわけではなかった。教員の約20%は、ICTが授業の差し障りになると考えていた。約30%はICTを授業に使うことに肯定的だったが、インターネット検索や、タイプライター代わりに使う程度で、授業の中でICTを統合的にうまく使うことはほとんどできていなかった。60~85%の子どもたちは、ほとんどICTを使えていない教員による授業を受けていた。そういった状況を変えるために、ソレントゥナ市はWTL(Write to Learn)という学習モデル(注1)を使った。WTLモデルは、次のようなサイクルを繰り返す。
(注1)ゲンロット氏の WTL モデルについては以下の文献を参照。 Annika Agélii Genlott, Åke Grönlund [2013],
“Improving literacy skills through learning reading by writing: The iWTR method presented and tested,” Computers & Education , Volume 67, September 2013, Pages 98‒104.
1. 最初に目標を掲げ、どういう目標が達成されるべきかをしっかり書く。
2. 次の段階で、実際の学習に入る前に、学びというのは生徒にとって楽しいことだ、面白いことだと教える。
3. そして、誰に向かって書くのか、何を書くのか、どういう形で書くのかというwriting strategyをつくる。
4. 実際に書いていく段階では、2人のペアでやっていく。初めは口頭で、徐々にGoogleドライブを使っていく。ソレントゥナ市では1年生(7歳)の段階からGoogleのユーザーIDを持たせていて、書いたものを他の子たちと協力してアップしていく。最初はペア2人で協力して書いたものを、別のペアと共有して、さらに別の人たちと共有する。そういうことによって、書くという行為を徐々に高度化させていく。
5. テキストができあがると、それをGoogleのホームページにアップロードする。そうすることで、それまでは先生に提出して、先生だけが読んでいたものを、多くの人が読むことができる。これが、結果を残すことができたキーポイントだという。
6. 最後に、生徒が何をどのように書いたかを、先生が評価する。
生徒たちは、他の生徒が書いたものをお互いに読んで、「こうしたほうがいいのでは?」といったコメントを付け合う。Googleのサイトを通してお互いにメッセージを残していく。先生も、ここにコメントを書く。文章が苦手な生徒たちは、学校や家庭から何度も何度もこのサイトにアクセスして、どういったレスポンスがあったのかを見ながら徐々に改善していく。そうすることで自信をつけていく。このWTLモデルによってどういう成果が得られたかというフォローアップ研究の結果が興味深い。3年生、500人について、国語(スウェーデン語)と算数の成績を、他の教育手法と比較した。比較したのは、(1)WTLモデルとICTの両方を使った群、(2)伝統的な紙とペンを使った群、(3)WTLモデルは使わずICTだけを使った群、の三つである(図2)。
図 2 WTL モデルと ICT の利用比較 ソレントゥナ市 3 年生の国語・算数の事例 出所:当日の配布資料から
結果、WTLモデルとICTの両方を使った群が最も良い成績を示し、しかも、女子・男子で到達度にほとんど差がなかった。伝統的な教育手法による群はほぼ2番目で、モデルを使わずICTだけを使った群が一番悪かった。つまり、端末を与えるだけで、どう使ったらいいのか分からないままで使っているのが一番良くない、ということになる。重要なのは、どのようにICTを授業に採り入れていくのかを教員が理解したうえで、授業にICTを使っていくことだと言える。
ソレントゥナ市では、生徒たちだけでなく、教員もこのモデルで学んでいる。約1年間のコースで、月に1回、講義を受けてWTLモデルを学習し、それを学校の現場で実際に試してみて、結果がどうだったかという分析をGoogleのサイトにアップする。生徒たちが学習でやっているように、教員たちも自分たちがどのように学んだかを書き、互いにそれを読んでコメントを付け合う。教員たちを指導している先生も、そこにコメントを書き込む。これを5年間続けてきた結果、このモデルを理解して実践できる教員の数は200人になり、これは約5000人の生徒たちが、このモデルで学習できるということを意味している。【次ページにつづく】
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