2016-04-05

カルドセプトに見る文脈

カルドセプトシリーズというゲームがある。このシリーズリメイクが多く、SSPS世代のもの、そこから移植されたDS世代のものカード内容に差異があれどゲームデザインはほぼ一緒だ。

そしてこのシリーズには名作セカンドと悪名を作ってしまったサーガがあり、セカンドはDCPS23DS用に作られている。ここで問題が発生する。

最近の人たちはサーガDS3DS版を通ってきていることが多く、おおむね10年前以上の作品であるSS版はおろかPS版にも触れたことがない。

先日wikiを見ていると、今回不採用カード一覧、というページが荒れていた(といってもタイムスタンプは去年だが)。

主に議題とされたのは、DS3DS版で不採用カードを載せるべきという意見と、元々PS2移植なのだから比較PS23DSでおこなうべきだという意見だ。

旧版を知っているユーザーからすれば3DSDS版を比較することはPS版(カルドセプトエキスパンション)とPS2版(カルドセプト・セカンド・エキスパンション)を比較する所行に等しいもので、

DSから入った人にはそれが分からない。旧版を知る人からPS23DSという文脈が明確に存在しているためDS3DS比較文脈無視しか見えないのである

PS2版(DC版)を知っている人からすればDS版(PSSS版)と比較して違いすぎるのは当然なのだ。なぜならそれはシリーズの別作品として捉えられるからだ。

とても乱暴な言い方をすればあまりシリーズ空気踏襲しなかったサーガ3DS比較するくらい見当違いな比較だ。

しかDSからはいった人にはリメイクという文脈が通じないために、DS3DS比較するのは当然、という意識形成される。

このような経緯がありwikiは荒れてしまった。結局文脈の知識とは何だろうかと考えたとき文脈知識とともに入ってくる経験が伴わなければ文脈として認識されないのではないか、と感じる。

たとえDSの人たちがSSPS版を知ったところでファーストコンタクトは紛れもなくDS版で、実感的に他はSSリメイクという意識なんて起こりようがない。

この話は新旧カード比較という項目の話であり、目線一般に戻せばカルドセプトは有名でもないぽっと出の「ずっと僕のターン」という流行語を作った存在しかない。

これはこれで文脈を知らずに批判する恐ろしさを端的表している。サーガ以外は今でも高い評価を得ているからだ。

しか文脈が幅をきかせすぎると過去にとらわれて新しいものを生み出しにくくなることはよく知られたことだし、知識の死蔵によりただ知ってることを自慢する輩がはびこるのもまた確かなことだろう。

から文脈を知ると言うことは、ある程度の体感を得るための行動を前提とするように思える。

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