【女房が明かしているのだが,日本の映画監督になれなかった安倍晋三君は,日本の政治経済の運営も破綻させている】

 【『日本経済新聞』の本日(2016年4月4日)の社説は,毒にはなるが薬にはならない,いまどきのアベノミクス(アホノミクス)を応援する〈ゴマすり路線〉ですら明確ではなく,おまけにその論調は意味不詳】


 ① 『朝日新聞』朝刊の本日「最終版(14版)」から消えた『AERA』最新号(4月11日号)の広告紙面

 つぎの画像2点を比較してみたい。上に置いた画像は,本ブログ筆者の自宅に配達された本日〔4月4日〕の『朝日新聞』朝刊8面下部に掲載の,『AERA』2016年4月11日号の広告画面である(ただし「嵐・大野 智」の右側にも記事の目次があるが,画像に切りとる関係でその部分は,これには写っていない)。

 下に置いた画像は,ウェブ版(14版で最終版)に出ていた,同じ場所の8面下部に配置されてはいたが,まったく別の広告画面(紙面構成)である。最終的に残るのはもちろん最終版であるから,13版〔まで?〕の8面における『AERA』の広告紙面は,正式な紙面として永久に残らないことになる。(画面 クリックで 拡大・可)
AERA広告2016年4月4日朝刊8面下
『朝日新聞』2016年4月4日朝刊8面AERAの広告が入れ替えられている
 筆者が注目したいのはご覧のとおり,この『AERA』の広告誌面には「安倍昭恵夫人 独占インタービュー『戦争をするときには私を殺せ』って言ってあるんです-映画監督志望だった主人は日本国の総理大臣を演じているところがある」と題した記事が出ていた点である。

 ここで,昔(敗戦前)の話題になる。大日本帝国陸軍のある軍人の妻が,この夫が出征した直後に自害して果てるという事件が起きていた。当時,この妻の行為が美談になっていたのである。
★ 出征軍人の妻の自刃 ★

 昭和6〔1931〕年12月12日,大阪第37連隊所属の陸軍中尉・井上清一の妻千代子(21歳)は,翌日満州へ向けて出征する夫への餞けとして,自ら若い命を絶った。当時の新聞は,「出征する中尉に 若妻が死の贈物 盛装して自殺を遂げる」と,その死の模様を詳細に伝えている。

 天皇,皇后の写真を飾った部屋へ白木錦を敷き,盛装し化粧をこらし,短刀で頚動脈を切断したもので,台所には門出を祝う赤飯,焼鯛の準備が整えられ,机の上には次の遺書が残されていた。

  --(引用したいが,このあいだは)中略--

 血なまぐさいこの異様な事件は,当時,戦時下の女性のあり方の典型として評判になり,「軍国の妻」の美談の第1項となった。妻の絶命直後に帰宅した夫は,報告を受けた上司か一時出征延期をすすめられると「断乎として私事のため躊躇すべきでない,また妻の意思に反する」として,翌朝出発した(昭和6年12月14日『東京朝日』『中国民報』)。

 翌〔昭和7〕年10月,無順の守備隊の一大尉が,匪賊を匿したという名目で,中国人部落の婦女子を集めて機関銃で掃射塵(?)殺という虐殺事件が起こった。血に狂ったようなこの大尉こそ,自刃した妻の鮮血で門出を祝われた件の夫であったという(森島守人『陰謀・暗殺・軍刀』)。
 註記)http://d.hatena.ne.jp/RedSpinach/20121004/1349324415
 以上に引用した文章の前段のなかには『国民新聞』1935〔昭和10〕年1月6日の記事へのリンクが張られていた。その記事の表題は「貞操国防」であった。

 つぎは,前段の引用に関連させていわれているものであるが,いまでも安倍晋三や櫻井よしこあたりがいいそうな内容だとして,こういう文章が紹介されていた。
    私は満洲事変当時独逸に居たが電報で大阪の某中尉の細君が夫の出征を励まして自殺し節約して蓄えて置いた60余円を部下に分配して呉れと頼んで死んだと云う報道が来た時,或る独逸人は私に言った。

 「こう云う婦人を有する国は,決して亡びることはありません」と,或る独逸人か満洲を視察し,日本人勇戦の跡を見て嘆じて云ったそうである。「是程勇敢な軍人を生み出した日本の女は,さぞ立派な婦人であろう」と。
 註記)http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20121003/1349267143
 はたしてこのように本当に,「こう云う婦人を有する国は,決して亡びることはありません」といえたかどうかについては,現在では答える必要もないくらい明白である。その後における〈歴史の事実〉はそうなっていた,すなわち「亡びる」ことになっていたからである。

 だが,安倍晋三の女房である安倍昭恵が『戦争をするときには私を殺せ』というのは,「戦前的な戦争の政治価値観」に対してだけでなく,「敗戦後的な平和の政治価値観」に対してもまた,むすびつけられて解釈可能な文句である。それだけに,意味深長である以上に,きわめて奇怪な「夫婦間の対話の一端」(妻から夫への一方的な通信かもしれないが)が披瀝されていたことになる。
AKIEABE画像2016年4月4日?
出所)http://www.scoopnest.com/ja/user/lesliekeesuper/616787243278020609
 
 昭恵夫人は「3・11」以降,脱原発の立場を表明したことがあった。この立場は,夫とは正反対のエネルギー問題に関する思想を,彼女が抱いている様子を教えていた。だが,この話題はいまではほとんど人の口には上らない。

 安保関連法が成立・施行された現在,安倍晋三の女房が以上のように,なにやかや「戦争事態に関連するかのようなセリフ」を「申したてている」。もしかすると昭恵は,私を深く愛している夫に対してであるなら,戦争はダメよと宣告し,そのようにさせるとでもいっているつもりか? はたして,それほど夫に対して実際に影響力がある妻なのか?
アベノナチス画像
 出所)http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/da82198944b8065ee31aba8be583c55a

 安倍晋三の政治家として信条は「戦後レジームの否定・脱却」である。歴史のコマを実際には逆回しにすることはできないけれども,当人の精神構造の内部に限っていえば,そのように盛んに空回し的に,戦前回帰を志すことは不可能ではない。とはいってもあくまで,現在の状況のなかにおいて反動するその狂気の追求である。

 ② 政治家・首相としての安倍晋三をボロクソにくさす表現

 つぎに紹介する安倍晋三に対する2チャンネル的な「酷評」は,ずいぶんひどい形容・修飾を並べている。しかし,最近における「安倍晋三の公人:政治家」としての指揮ぶり,その実績をごくふつうに観察していれば,このような指弾・批判が登場しても,あまりにも当然に過ぎる議論・評価である。そうみなすほかない。

 ここではまえもって,「例の」といってもよい「マイケル・グリーンの画像」に「ある文句を加筆した画像」などを,再度,紹介しておく。猿軍団を模したマンガ図は,その日付けがやや古いが,基本的にはいまだに有効な画像。( ↓  右側画面は クリックで 拡大・可)
 マイケル・グリーン画像バカには 日本の猿軍団安倍晋三など
 出所)右側画像は,https://pbs.twimg.com/media/CHv3TUXUsAEXj1Y.png:large

 a)  2016/03/21(月) 13:41:26.13 ID:TTtY5BQD0  ⇒ ここで安倍晋三,登場。ノア・スミスが伝えるように,彼は経済学の英雄のイメージとは違う。彼は,国家主義者であり,世界大戦時の虐殺の否定者でもある。

 経済政策にはほとんど関心がない人物ですらあるのだ。彼が金融政策の旧守性を否定するとしたら,たぶん,通説ならなんでも軽蔑するという性向を反映したからであって,異端とされてきた金融政策理論を考慮してのことではないだろう。

  b)  2016/03/21(月) 14:11:20.92 ID:???   ⇒ 安倍にとって「知識がないこと」「一貫した論理を構築できないこと」は弱点でも恥でもない。むしろ,無知とダブルスタンダードは自分の武器であると自覚し,それを十二分に使いこなしてる。

 だから,枝野〔幸男〕や志位〔和夫〕みたいな賢しらぶったインテリがどんなに事実を提示しようが,どんなに矛盾を指摘しようが「しらない,はい論破」と一刀両断できるし,会話が通じないからデカイ声で同じことをまくし立てて勝ってるようにみせられる。

 だから,話の通じない安倍に相手がオタつくところがクローズアップされておしまいそれをみた視聴者は,「安倍さんが小賢しいインテリ議員様をやっつけた!」と溜飲を下げるって寸法。

  c)  2016/03/21(月) 14:11:30.72 ID:???  ⇒ みんな安倍をバカだバカだっていってるけど,そこで安心して終わっちゃってる感がある。安倍の最大の武器は「バカなこと」だ。これが石破〔茂〕や谷垣〔禎一〕みたいな普通の人間だったら,枝野や菅〔直人〕に討論で負けるかもしれん。しかし,安倍は絶対に負けない,「バカだから」だ。

 普通の人間は王手をかけられれば負けを悟る。少なくとも,王将をとられれば負けということをしっている。しかし,王将をとられることが負けだということをしらず,それをいくら言葉を尽くして説明しても理解できず,また理解しようともしない人間を負かすことは絶対にできない。

 安倍はバカだからこそ強いのだ。
   註記)http://u2ch.net/sr/maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1458535286/l50
   参考文献)徳山善雄『安倍晋三「迷言」録-政権・メディア・世論の攻防-』平凡社,2016年1月。安倍晋三においては「自分への批判は〈レッテル貼り〉」であり,「みずからの暴言は〈言論の自由〉」となる。「そのアベコベな言語感覚を解剖する」と,なんといっても自分は「まったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」という,ものスゴク自己陶酔的な,そしてまったくの屁理屈そのものの確信が摘出される。

 昨日〔2016年4月3日〕の本ブログは,主題を「ノーベル賞経済学者の助言を都合良くつまみ食いしたかった安倍晋三の浅はかさは,この首相の『幼稚と傲慢・暗愚と無知』を実証した」とつけて記述していた。l副題はつぎの3項をつけていた。

 ◆-1 いつものように安倍流にセコく・狡猾で,浅薄かつ愚昧な,アメリカ経済学者に対しての〈舐めきった態度〉はいっさい通用せず,ただちに暴かれていた。

 ◆-2 ジョセフ・スティグリッツもポール・クルーグマンも晋三坊やにはあきれ顔。

 ◆-3 世界に向けて自身の羞恥(厚顔ぶり)を拡散させているこの首相は,日本国の偉大なる欠陥政治家なり。

 ここまでも徹底的に愚行を反復してきている安倍晋三である。すでに世界中から「あいつはなんだ」「▽△ではないのか?」という視線が集中している。

 安倍晋三のお声がかりで実現したと思われる,3月16日にもたれたジョセフ・スティグリッツとの対話も,3月22日にもたれたポール・クルーグマンとの対話も,この首相たちなりに “幼稚・傲慢,暗愚・無知” である程度・水準からする,「自国経済に関して用意された質問」に答える形式でなされていた。

 ところが,この質疑の内容を内密にしてくれといわれたクルーグマンは,安倍晋三が換骨奪胎的な悪用を図ったのにすぐに気づき,その対話の内容をブログを介して世界中に公開した。いま,安倍晋三側は大恥を晒されている最中である。
お手玉画像
 安倍晋三は,実は「手玉にとれる」つもりで,このアメリカの高名なそれもノーベル経済学賞保持者であるジョセフ・スティグリッツとポール・クルーグマンを日本に呼び,そして「意見を聴く体裁」をとることで,自分の立場にうまく利用しようと策謀していた。
 出所)右側画像は,http://matome.naver.jp/odai/2145316256055457601/2145316635058282403

 この行為は,7月に控えている参議院選挙用に,いままで自分のかかげてきたる消費税の上げ〔8%から10%へ〕という公約を撤回する根拠を,この2名の経済学者の進言・指導によるものとして〈すり替え・ゴマカシ・押しつけて〉おくかたちを創りたかったために「計画・実行」されていた,安倍晋三なりの浅知恵的な一工夫であった。

 しかし,クルーグマンの場合は明らかに,安倍晋三の今回におけるこの策謀を《嫌悪の感情》で受けとめていた。クルーグマンのツイートは,こうつぶやいていた。

     Aftermath (No,   I don't enjoy this sort of thing)
     〔= 余波 (否,私は,こういうのは好きじゃない)〕

 安倍晋三はジョセフ・スティグリッツとポール・クルーグマンと対等に渡り合いたかったのであれば,ノーベル平和賞でも授賞されてからにしたほうがよかったのかもしれない。安倍晋三の大叔父でさえ授与されていたのだから,安倍晋三でもそのひとつくらい,そうむずかしくはないと思うが……。

 ③『日本経済新聞』の低調な社説-アベノミクス(アホノミクス・アベコベミクス)をまともに批判できない日経の立場-

 本日の日本経済新聞「社説」を読んで一驚させられた。毒にも薬にもならない,いいかえれば,いまどきプラシーボ(偽薬)にすらなりえないような〈凡庸な論説〉を披露していた。これで本当のこと,いいたいことを展開しているつもりかと,いぶかるほかない。この社説は,日本経済の現況を平凡に概観しているだけの論旨でしかなく,実質においてなにをいいたいのか・訴えたいのか,意味不詳である。

◆ 日銀は効果と副作用を見極め政策運営を ◆
=『日本経済新聞』2016年4月4日「社説」=


 日銀が黒田東彦総裁のもとで「異次元の金融緩和」に踏み切ってから3年たつ。金融市場や経済の下支えに一定の役割を果たしたが,約2年を念頭に達成するとした2%の物価上昇率目標はなお遠い。
 補注)ここでの「なお遠い」というセリフは,いったいなんぞや,という感じである。アベノミクスが提唱していた中味に関する「計画→実行→統制〔→見直し〕」の経済政策の周期(サイクル)は,すでに一段落ついている。

 「その成果がほとんどなし」であった事実は,いまでは明快になっている。そうであるのに,この脳天気ないいぐさなのである。2年でやる(しあげるのだ)といっていたけれども,これが「できていなかった」のだから,あとは責任をとればいいだけのことである。


 日銀に求められるのは長期戦を視野に入れた脱デフレ戦略の再構築だ。量的・質的緩和にくわえ,マイナス金利政策を導入したことで緩和手段は増えたが,限界がないわけではない。効果と副作用を丹念にみきわめながら金融政策を運営していく必要がある。
 補注)この段落は “脳天気の2乗” 。「長期戦を視野に入れた脱デフレ戦略の再構築だ」というが,あと何年かけて,なにをみきわめながら経済政策を今後に向けておこなっていくというのか。それにしても悠長な話になっている。

 「黒田日銀」の大胆な金融緩和は,ゆき過ぎた円高の修正や株価上昇をもたらし,企業心理の好転や収益改善につながった。ただ,輸出や設備投資は思ったほど増えず,実体経済への影響は限定的だった。消費者物価上昇率は原油価格下落の影響などを除けば1%前後まで上昇しているものの,全体ではゼロ%程度と低迷している。
 補注)「消費者物価上昇率は原油価格下落の影響などを除けば1%前後まで上昇している」と断わっているが,われわれは仮定(イフ)の話をしているのではなく,目前に動いている日本経済に関して,この現実的な推移をめぐる話をしている。

 それに,消費者物価が上昇している「以上の比率」にまでは,労働者の賃金・給与のほうは.全然上がっていない。わざわざ,一部の一流大企業のなかでも業績の好調な会社に勤務する従業員
,つまり,比較的よく恵まれた待遇を享受できている対象に限定した話をしているのではない。

 話題の運び方が稚拙である。「原油価格下落の影響」のほうに「なにかの罪」をかぶせておきたい,それに責任をなすりつけてみたいかのような論旨がにじみ出ている。これが日本経済新聞論説委員の見解だとしたら,これほどまでみじめな短見はない。「原油価格下落の影響」が日本経済の基調に大きく影響する経済要因になっている,そういっているだけの話題であった。ともかく,仮定での話はほどほどに……。

 黒田総裁は,強力な緩和策でインフレ期待を高めることで,物価目標を早期に達成できるとの自信を示していたが,その道筋はみえていない。日銀はこれまでの緩和策の効果や問題点を検証し,今後の政策運営に生かすべきだ。
 補注)このように「生かすべき」道筋がどこかにでもいい,どんなものでもいい,ともかくその手がかりはみつかるのか? 日本経済新聞の論説にしては,ずいぶん他人事風の,無責任的な論調に読める。『アベクロダミクス』は,当初から有効性を欠落させていた経済政策であったに過ぎない。それをいまごろになっても,まだなにかを期待したいかのような発言内容である。
黒田安倍画像
出所)http://webronza.asahi.com/business/articles/2015032700003.html

 日銀はしばらくのあいだ,緩和モードから抜け出せそうにない。世界経済や日本経済にはなお下振れリスクがある。金融市場が動揺し経済の先ゆきが危うくなれば,いっそうの緩和を求められる局面もあろう。
 補注)この段落は, “アベノミクス(アホノミクス・アベコベミクス)のより徹底化” を想定したほうがいい,とまで極論しているように聞こえなくもない。もっとも,しょせん,なにをいいたいのよく理解できない段落であるが……。いずれにせよ,ドン詰まり状態のアベノミクスにもう打つ手はないのでは?

 問題はどんな手を打てるかだ。総裁は「やり方はいくらでもある」とするが,理論的にはそうでも,有効性や副作用なども考えれば手法はしだいに限られてくる。量的緩和を続けた結果,市場に占める日銀の国債保有比率は3割を超えた。

 いたずらに国債購入を増やせば流動性を損ねかねない。財政健全化が進まなければ日銀による「財政ファイナンス」の様相も強まる。マイナス金利も一定水準以下では金融市場の機能低下など副作用が増すだろう。

 経済や金融システムへの影響など総合的な観点から政策判断をしていくことが重要になる。市場との対話を深めることも求められる。市場を驚かす決定で効果を高める「黒田流」は,マイナス金利の決定では逆に出た。政策の意図や道筋をできるだけ丁寧に説明すべきだ。誤解や過剰な期待形成は政策の有効性を損ねる。

 金融政策任せでは経済は強くならない。持続的な賃上げや潜在成長率を高める政策が不可欠だ。

 --以上は「アベクロダミクス」の現状(=惨状),その絶不調の局面を指摘しつつ,さらにこの局面から脱出をうながしているものの,あいも変わらずに「持続的な賃上げや潜在成長率を高める政策が不可欠だ」などといっているだけで,どう受けとめるにしても〈堂々めぐりの御説〉にしか聞こえない。

 これは要するに,何年か前になされた提言の反復でしかない。ほとんど冗舌とも形容すべき域にまで達した,それも〈日本経済新聞風に手抜き料理の論説〉であった。アベノミクスは開始されてから3年と4ヶ月も時が経過してきた。経済過程(産業経済史)から時間の要因を抜きにして議論することはできない。

 --要するに,なにをいいたかったのか? 本日の日本経済新聞「社説」は,その肝心なところを「意味不詳」にする筆法であった。このような論説の内容であっては,そもそも,安倍晋三君の理解力の及ぶところではない。