医師から余命宣告を受けた漫画家の望月三起也さん(77)は、大のサッカーファンでもある。人気が低迷していた実業団時代からサッカーの人気回復に尽力をした。今回は、サッカーへの思いを聞いた。人生の締め切りを迎え、望月さんはどんな終活を考えているのか。望月さんならではの驚きの“構想”も披露した。
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■日本代表の手ほどき
サッカーボールに初めて触ったのは中学の授業。部活は絵画部で、別にサッカー部ではなかったんです。でもサッカー観戦は大好きでした。
ずっと日本サッカーリーグ(JSL)の三菱重工(現浦和レッズ)のファンでね。この仕事を始めてからも千歳船橋(東京)にあった三菱のグラウンドによく練習を観にいっていたんですよ。当時はヤンマー・三菱時代といわれていてね。ヤンマーには釜本邦茂さん、三菱重工には杉山隆一さん、横山謙三さん、森孝慈さんとかメキシコ五輪で活躍した選手がいたころですよ。
ある選手を題材に漫画を描こうと思っていたので、しょっちゅう観にいっていたら、選手たちとも仲良くなっちゃってね。選手たちと練習前にボールを蹴らせてもらったんですよ。
選手たち5人がぼくを囲んでパスをする。そのボールをぼくが取るゲームなんだけど、5分もしたら顔が青くなっちゃって。そりゃ、そうだよね。ふだん運動なんて何もしていなかったんだから。で、相手は日本代表だからね。選手たちがすごいと思ったのと同時に今度やったらボールを取ってやると思ったんです。それで、ぼくが練習場に行くと、恒例のようにやらせてくれるようになって。それが、サッカーをするきっかけでしたね。45年くらい前のことですよ。
その後、アシスタントたちと地元でサッカーチームをつくって、地元のチームと試合なんかしていたんです。
■ザ・ミイラの結成
〈1980年代、日本サッカーの低迷期に望月さんは、明石家さんまさんとタッグを組んで、芸能人のサッカーチーム「ザ・ミイラ」を結成。日本リーグなどの試合で前座試合を開催した。望月さんは「ザ・ミイラ」の監督でもある〉
漫画『ワイルド7』の望月三起也さん、がん告白 「さんまとのサッカー秘話語る」 ~SankeiNews動画
明石家さんまと雑誌「サッカーマガジン」の企画で対談する機会があってね。詳しくは、もう忘れちゃったけど、その時、「どうやって観客を集めるか」って話で盛り上がっちゃったんですよ。
当時のJSLの試合なんて、観客が50人しかいない、なんていうものあったんですよ。それで、何とかサッカーを盛り上げたいと意気投合したんです。当時、さんまもチームを持っていて、一緒に試合をしたりしていたんです。さんまはビートたけしを引っ張り込んで。すると、たけし軍団も加わってくる。芸能関係者から「チームに入りたい」って電話もかかって、どんどん集まってきた。JSLも前座の試合をやらせてくれるようになったんです。
でもね、前座が終わると観客が帰っちゃうんですよ。それで、始まる前にさんまが「絶対、帰るなよ!」って。そういうことを言うようになっちゃった。今では考えられないようなことだけどね。
だから、Jリーグが発足した時はうれしかったね。まず観客の数が違う。何万人でしょ。告知しなくても人がくる。もう感動しちゃったよ。前座は、Jリーグが始まる3年くらい前から始めたんだけど、だんだんお客さんが帰らなくなってくれてね。がんばったかいがあったね。
■サッカーの魅力は思いやり
サッカーの魅力って、1日1日、1試合1試合で、テクニックを新鮮に覚えられるんですよね。40歳になったら、もうできないかと思ったけど、ずっとできるんだよね。パスをする相手との関係が良くなると、ボールの通り方も違ってくる。パスは思いやりが原点。勝ち負けの前にパス一つで勝つ方向にいく。そういうところが魅力だよね。
ぼくは絵描きだから、ふだんの生活は座りっぱなし。だから、サッカーをする日曜日が楽しみでね。前日は寝られなくなるくらい興奮して。幼稚園児みたいだとか言われるくらいでしたよ。
今、サッカーをしている指導者に一言いいたいのだけれど、「独りよがりのドリブル」もやらせてほしいね。日本人は器用だけと、監督やコーチに対して素直すぎる。
ドリブルって最高のサッカーの楽しさですよ。「ここは俺の見せ場」と思ってドリブルしている選手の姿は観客も楽しい。でも、監督やコーチは「無茶は許せない」となってしまう。でも、もう少しやらせてあげてほしいよね。サッカーはもっと選手に楽しさを与えてほしいですね。
■お墓はサッカーボール型に?
サッカーは昨年6月までやっていたんです。三菱重工のOB会のチームなんですけど、ぼくはそこの名誉OBなんです。若くて60歳くらいのおっさんたちのチームで、巣鴨(東京)で、年1、2回、試合をしているんですが、その試合で異常を感じたんです。
ゴール前で点をとらせてやろうって、ぼくにパスをしてきたんです。いつどこをスタートすればどこからボールが出るのかって、お互い分かる。それで、いいボールが来たのに2回とも反応が遅れて、空振りしたんです。それから9月に試合があったけれど欠席です。脚が衰えてしまって…。もう、できないでしょうね。
自分の最後のことだけど、お葬式は家族だけにして、偲(しの)ぶ会を改めてやってほしいね。ごく親しい知人らに「偲ぶ会、よろしくね~」って頼んじゃった。かみさんじゃそういうこと全くできないからね。偲ぶ会をやるとすれば、漫画家半分、サッカー関係者半分でやりたいね。
今やみんな親しい連中はJリーグの監督になっちゃったりしている。純粋に漫画描いているから編集部には、一人くらいは出てきてほしいな。小さいところで、みんなでワイワイ、悪口でも言ってくれよって感じかな。
お墓は、先祖代々のものが家から4キロくらいのところにあるんです。サッカーボールの形をしたお墓? それ、うけるかもしれないね。いいアイデアだね。かみさんに相談してみようかな。
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もちづき・みきや 1960年漫画家デビュー。69年から10年間にわたり連載された『ワイルド7』で漫画家としての地位を固めた。大のサッカーファンで、芸能人らが集うサッカーチーム「ザ・ミイラ」の監督を務めている。主な作品として『秘密探偵JA』『ケネディ騎士団』『マシンハヤブサ』など。横浜市出身。
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