韓国の学者は、これを否定するため、不断の努力を行ってきた。実際、どんな国でも権力闘争は起こる。闘争は、正反合のプロセスを繰り返しながら歴史を発展させる。朝鮮における党弊の象徴のようにいわれる「士禍(朝鮮王朝時代の新旧官僚間の抗争)」もまた、腐った既得権をえぐり出す歴史の発展過程で生じた。悲劇的ではあるが、意義深い犠牲だった。しかしどう考えても、朝鮮王朝後期の朋党(ほうとう)の争いまで前向きに解釈するのは難しい。哲学も、名分もない。身内の利益があるだけだ。だから、相手を永遠に消してしまう「独存」を追求した。そうして独存に成功したら、すぐに分裂し、また戦った。北人は大北・小北、そして肉北・骨北・濁北・清北に、西人は功西・清西、洛党・原党・漢党・山党、老論・少論、僻(へき)派・時派…。最近繰り広げられている複雑多岐な政派分裂を見るかのようだ。そうして分裂していき、国全体を滅ぼす場面は、盛んに分裂していた細胞がたちどころにがんの塊に変わる過程を思わせる。
高橋以前から、朝鮮の党派性は朝鮮の学者によっても厳しく批判されていた。朝鮮王朝末期の大文人、李建昌(イ・ゴンチャン)は、著書『党議通略』に「2党が3党になり、4党になり、200年余りという長い時を経てもついに正論を立てられない朋党を挙げるとするなら、それはひとえにわれわれ朝鮮だ」と記した。高橋の誤りは、17-18世紀の時代的悪習を韓国史全体に拡大し、民族性にまで飛躍したことだ。従って、韓国人が分裂しなければ、高橋の主張は歴史の中に消える。しかし、現実はそうではない。高橋の悪霊を韓国の地に留め置いているのは、日本ではない。