高橋亨は、韓国近代史を学ぶ際、避けては通れない日本の学者だ。1902年、当時の朝鮮にやって来た高橋は、その後終戦まで朝鮮を研究した。思想・宗教・政治はもちろん説話・ことわざまで深く掘り下げた。高橋が残した韓国学研究の成果はとてつもない。帝国主義の学問はこれだから恐ろしい。相手をさげすみつつも研究するのだ。支配するために。高橋は、これに徹底して奉仕した学者だった。
100年前に高橋が朝鮮の民族性について記した著書『朝鮮人』は、そう長いものではない。しかし韓国史への影響は長く残った。当時の支配エリートは、同書を通して朝鮮観を形成した。「事大主義は朝鮮人が朝鮮半島に暮らすかぎり、永遠に持続する特性」という文言は、今でも日本の右派の韓国観を支配している。問題は、高橋が主張した民族性論が、(日本の植民地支配からの)解放後も悪霊のように韓国人に付きまってきたことだ。
高橋は朝鮮の10種類の民族性を挙げたが、その全てに言及するほどの価値はない。ウソであったり矛盾していたり、ゆがんだ記述が多いからだ、また、当時はそうであっても、近代化と民主化の過程で成功裏に振り払った悪習もある。しかし、今でもなかなか否定し難いものが一つ、韓国人にしつこく食い付き続けている。それは、高橋が朝鮮人の4番目の民族性として挙げた「党派心」、すなわち分裂的な民族性だ。
高橋は「家門・階級・信仰・利益を根幹としてやすやすと強固な党派をつくり出す人々を、朝鮮人のほかに見たことがない」と記した。「朝鮮人はもともと利害に基づいて動く連中」という暴言も残した。当時の日本は、こうした見方を朝鮮の小学生にも教えた。植民教育とは、被支配民族が自らをさげすみ、支配民族に奉仕させようとするものだ。この目的にアプローチする上で、高橋の党派性論は効果的だった。今日の友を明日の敵にしてしまう民族に、どうして自負を感じられようか。