たとえばそれは、ものっすごくちょうどいい焼き色を見つけようとしてトースターをいじっていたら、焼きすぎて真っ黒焦げになることと少し似ているんだろうと思う。
良い仕事をしようとしたときは、つまりそういうことなんだと思う。
ぼくの仕事はさっそく少し手抜きになっていた。
入社して初めての土日を迎えている。
ぼくはぼくなりに高い目標をかかげてやっていこうと思っていた。
きっとそっちのほうが楽しいから。
それでも、高い目標を達成しようと思ったのに、だ。
朝ごはんをもくもくと食べながら、何にもない日々へとじぶんが向かおうとしていることに気づいた。
研修を受け、ノートをとり、与えられたことをやって、誰にも何にも指摘されないように、そつなく日々をこなしていた。
こんなもんだろ、と思う仕事をしている。
「こんなもんだろ」と言ってしまうくらいの努力だと、それは「そこそこ」にしかんならないんだ
というよりも
最初はちょうどいい高さで飛んでいると思っていると少しずつ落ちていて気づいたら地面ギリギリまで落ちてしまう、と気づいた。
この入社してから数日間も、それなりに頑張ろうと思っているけど、ともすると「よし、こんなもんだろ今日のじぶん頑張ったよな、おっけおっけ」と、すましていた。
新人だから。
まだ2日目だから。
求められてないから。
きっとそうだ。
という正当化するセリフが、知らぬ間に頭の中に流れて、手が止まる。勝手な満足を作り出す。
与えられたことをこなしてれば、何にも言われないだろう。
うん。
けど、それなんのために?
それ、誰が喜ぶ仕事なの?
ある日、ふっと最初の緊張から解放されたとき、それがつまらなさにつながっていくのだろうな。
140%努力をすることはやっぱり大事だ。
140%やろうとして、初めて100%の結果が出たりする。
そしてそれが、楽しさを生んでいく。
140%を出そうとすれば
きっとたくさん叱られるし、怒られるし、失敗もするのだと思う。
あと笑われる。
それはまるで、ものっすごくちょうどいい焼き色を見つけようとしてトースターをいじっていたら、焼きすぎて真っ黒焦げになることと少し似ているんだろう。
けれども、叱られるから、怒られるから、失敗するから、しないようにと「自分で」ブレーキをかけ始めると、誰も何も言ってないのに勝手な壁をじぶんの中で築きあげる。そして、
その壁で囲まれた空間ってのはものすごく狭くなっていって、
じぶんの可能性を勝手に狭めて大したことができなくなって、
挙げ句の果てに勝手に「つまんない」とか言い始めて、
勝手に被害者目線になっていく。
案外、
誰も、じぶんに何か制限したり束縛したりなどしていない。
大部分は勝手に作り上げているだけなのかもしれない。
大丈夫だ。
焦がしてやろう。
まる焦げにしてやろう。
考えて、一生懸命やり続ければ、きっとこんがりきつね色のパンが焼けるさ。って。
人生をかっぽしよう
こちらもどうぞ