「余命半年」との宣告を受けた望月三起也さん(77)。1960年に漫画家の世界に飛び込み、1970年代には大ヒット漫画『ワイルド7』を世に送り出した。最後まで執筆活動を続ける決心をした望月さんに漫画家人生を振り返ってもらった。
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■入社1年で会社を飛び出し…
小学生のころから漫画家になりたいと思っていた。「なれる」と思っていたんですよ。高校を卒業して、建築会社で製図書きの仕事に就いたんです。しっかりしたものを描けるんで選んだんですが、おもしろくなかった。上司から「これ写しておいて」って設計図を渡されるとガクっときちゃって。
家に帰ると、夜通しで漫画を描いて、まとまると出版社に持っていっていたんです。会社をサボって…。でも、会社に悪いと思って、入社から1年たって辞表を出しました。今思えば、何のツテもなく会社を辞めて、図々しいっていうか、若いと分からないんだよね。
父親は昔かたぎの職人だったので、家にいるとうるさいんですよ。「男が一日、ごろごろして、世間の手前もある」とよくしかられました。収入はゼロですから。
原稿はどこに持っていっても大変でした…。家で描いたものを持って5カ所くらい出版社を回りましたね。少年画報社の編集長に「君、まだ若いんだから。サラリーマンでやり直したら、まだ間に合うよ」って説得されましてね。逆にそれが反発心になりました。「よし、ここで『ほしい』ってものを描いてやる!」って。少年画報社1本に絞って原稿を持ち込みましたよ。
すると、途中から「このシーン、3日で描き直せる?」と言われるようになって。3日で描けるわけがないような相当な量があるわけです。それでも仕上げて持っていく。それを10回やった。10回目で何とかならなかったら首をつろうと思いましたよ。でも10回もダメ。人間って勝手だから「じゃあ、11回にしよう」と(笑)。そうしたら11回目に「ページは少ないけどやってもらおう」って言われたの。うれしかったね。中身じゃなくて心が通じたのかなあって思いました。
■『ワイルド7』執筆秘話
〈1960年に漫画家デビュー。アシスタントを経て、週刊少年キングに連載した『秘密探偵JA』がヒットした。続いて執筆した『ワイルド7』は10年もの長期連載となった。7人の犯罪者で組織する警察集団『ワイルド7』が悪を退治するストーリーだ〉
連載が始まったらとにかくファンから『やめるな、やめるな』って手紙がすごかった。ここで連載が終わりそうだっていうことを見抜くんだね。2年間で7人が死んじゃう設定で、その分のネタしかなかったのに10年も続いてしまったんです。登場人物が殉職する場面が近づくと、「殺すな」って手紙がわんさか。1年もたたないうちに登場人物になじんじゃったんだね。
主人公の飛葉大陸(ひば・だいろく)は別格で、一番人気があったけど、それ以外の登場人物それぞれにファンがついてしまった。仕方がないから、初期は死ぬのは一人だけにして、あとはストーリーの関係で殺される候補をつくって、それぞれの死にざまを描くという方向になったんです。
でも、10年目に「やっぱりいつまでも引っ張っちゃいけない」と自分の中で決めましたよ。当時のことをファンは今も「涙なくしては語れない」と言ってくれるんですよ。
■スクリーントーンは使わない
〈望月さんは作画の際にスクリーントーン(絵に柄をつける特殊なシール)を使わないことで知られる。漫画家にとっては、必須アイテムなのだが、望月さんは、細かい陰影まですべて手で描くことにこだわってきた〉
漫画というのは機械に頼らないのが究極だと思う。1時間でできるところを10分でスクリーントーンを張ればすむけど、それよりもスクリーントーンを使えないような絵を描きたいと思ってやってきました。
今は、スクリーントーンで空や雲まで描くけど、どうもメリハリを感じない。写真のようにきれいだけど好きじゃない。特に、時代物になると障子から木、着物の柄も全部、手描きですよ。着物がひるがえった時も立体感が出るんだ。
『俺の新選組』が若い絵描きのバイブルになっているって話を聞いたことがあってね。笑っちゃったんだけど、まねするのは嫌いで、まねされるのは「どうぞ」ですね。よくぞ言ってくれたって思います。
■ちばてつやさんとの思い出
〈望月さんは漫画家との交流関係も広い。『仮面ライダー』などで知られる石ノ森章太郎さんや『同棲時代』の上村一夫さん、『あしたのジョー』のちばてつやさんと親しくしていたという。また、望月さんのもとに弟子入りした漫画家も多い〉
石ノ森さんや上村さんとは、年に一度、出版社のパーティーで必ず顔合わせをして、わいわい騒いでましたよ。石ノ森さんやちばさんは昔っから野武士みたいなところがあったね。
ちばさんとは特に親しくさせてもらったね。ある時、講談社に原稿持っていった時、ちばさんを紹介してもらったんです。年が全く同じだったっていうのもあって仲良くなっちゃって。ちばさんは「ホワイターズ」っていう草野球チームを持っているんですよ。僕はサッカーをやっていたんで、スポーツマンっていうイメージがすごく強くあったんですよ。だから、ちばさんところの野球チームからお誘いがあると参加していましたね。
弟子はこれまで100人くらいとったかな。その中で、プロになったのは5人。(『What’s Michael?〈ホワッツマイケル〉』『1・2の三四郎』などの)小林まことも弟子入りしてきた。暗い漫画が多くて。「いっそのことギャグ漫画を描いたら」ってアドバイスをしたんです。それで、お笑いの四コマ漫画をずっと描かせたことがあった。たったそれだけ。今は明るい漫画が多いでしょ。
弟子を育てるのは3年って決めていたの。だいたい3年で「出て行け」って。その間に連載を持てるようなところまでは教える。ほとんどはアドバイス。独立できるかどうかは当人の腕次第ですよ。でもね、連載を持てても二の矢を打てずにやめていった子もいる。本当にこの世界は難しい世界ですよ。
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もちづき・みきや 1960年漫画家デビュー。69年から10年間にわたり連載された『ワイルド7』で漫画家としての地位を固めた。大のサッカーファンで、芸能人らが集うサッカーチーム「ザ・ミイラ」の監督を務めている。主な作品として『秘密探偵JA』『ケネディ騎士団』『マシンハヤブサ』など。横浜市出身。
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