野矢 茂樹さん(哲学者・東京大学大学院総合文化研究科教授)
自分で考える。それが哲学の要だろう。今回、登場いただく野矢茂樹さんは「専門は?」と尋ねられたら「分析哲学」でも「ウィトゲンシュタイン研究」でもなく、たんに「哲学」と答えることにしているという。言葉を手立てにひたすら哲学問題を考えることを専門にしているわけだ。どういった経緯を踏まえて、考えることを仕事とされるようになったのか。野矢さんに尋ねた。
犬を飼ってたんですよ。その散歩係がぼくで、朝と夕方の二回犬の散歩をする。散歩の間中ずっとではないけれど、朝夕あわせて30分くらいはボーっとものを考えてました。
一年だと182時間。10年で1825時間ですから、ざっと見積もって少年時代に2000時間近く妄想に耽っていたことになります(笑)。おそらく、その経験がものを考えるきっかけになったんでしょう。
そういう性格なものだから、授業中も先生の話をあまり聞いていませんでした。小学生のときなんかは、とんちんかんな答えをして恥ずかしい思いをしたこともありましたね。
ものを考えているといったところで、ボーッとしていただけで、哲学に直接つながったわけではありません。「もっと走るのが速かったら女の子の人気を集めるだろうな」とか、そういう類のいかにもしょうもないことを考えていました。でも、2000時間近くの妄想に耽る経験がなかったら、哲学をやっていなかったでしょう。
ものを覚えるのが苦手で、暗記のいらない数学と現代文が得意だったのですが、それだと向いているのが理系か文系かわからない。いったいどっちなんだろうと思いつつ進路を文系に決めたけれど、高校2年の冬くらいにけっきょく、理系に転向し、東京大学の理科Ⅰ類に入学しました。
理系と文系というのは、あまりいい分類ではないと思っています。冗談で言えば、現実系と妄想系にわけてみるといいんじゃないでしょうか。
現実系には法学や経済、物理、化学がある。一方の妄想系には情緒派と論理派があって、妄想系情緒派なら文学や芸術に。妄想系論理派だと哲学や数学へ行く。
ぼくの場合、数学と現代文が得意だったことがひとつのキャラクターを表していて、つまり妄想癖があるけれど理屈っぽい。入学時に選択した理系に入ってもしっくりこなくて、勉強に精出すわけでもなく、かといって遊びもしなかった。何もしないまま4年生を迎えました。
朝起きても「なぜ起きなくちゃいけないんだろう。やることなんか何もないのに」と布団の中で考えるような時を過ごしました。何をしていいかわからないまま卒業を迎えることになったのです。
無気力な日々を過ごして、大学院の試験も落ちて留年し、そんなある日、キャンパスをぶらぶらしていたら教養学科の授業案内が掲示されていました。それを見たとき、「ちょっとおもしろいかも」と気になりました。やりたいことが何もない時期だったので、何かに対して少しでも興味をひかれるというのが、その頃の自分にとって貴重なことでした。それで、そのままたいして深い考えもなく学士入学をして、3年生に編入しました。そのときもまだ、哲学をやろうとは考えていなかったんです。だけど、そこで大森荘蔵に出会った。
哲学というと、へたをするとデカルトやカントといった過去の哲学者を研究すると思われがちですが、大森さんはそうではなく、哲学問題そのものをとことん考え抜いた人でした。
人と出会うというのはとてもインパクトの大きい経験です。生身の人間が目の前に現れるというのは、こちらの考えで捉え切れない何かをふんだんに浴びるということですから、それが与える衝撃は大きい。
それに大森先生との対話は相撲のぶつかり稽古にも似て、自分の考えをどんどん話される先生に対し、学生は反論していかないといけない。そして再反論されつぶされる。
そのようなスタイルは、どの先生もやっていたわけではありません。反論されると機嫌の悪くなる人もいましたから。
哲学というジャンルの特殊性もあるでしょうね。これが物理学なら専門家が悩んでいる最前線の問題に行き着くには、かなり勉強しないと無理ですし、反論などもちろんできません。しかし、哲学だと専門家ではない人の素朴な疑問が哲学者もわからない問題だったりします。
たとえば、ぼくはいまあなたに話をしており、ぼくは「この人は心をもっている」と思っているけれど、本当にそうなのか。哲学者じゃなくても、こんな疑問が生じることがあります。もしかしたら心があるようなふるまいをしているだけかもしれない。そうではないということが、どうすればわかるのか。
このような事柄については「どうしたってわかりっこない」と言うしかない気持ち悪さがあります。こうした哲学の問題の原型については、素人でも「何か変だな」と感じるので、初心者も年季の入ったプロと同じ土俵に乗れます。哲学では、こういうことがふつうに起きるから、先生に反論するということも可能になるんですね。
あらゆることが哲学の問題になると言ってましたね。いま思い出すのは、これは比較的小さな問題ですが、「質と量という分け方をしているけれど、それはどこで区別されるのか」それに対して大森先生は、「質と量に明確な区別はない」と論じるんです。ぼくらが質と量を区別するような特徴を挙げて反論するとたちどころに再反論される。くやしいからまた別の特徴を挙げて「でも質と量はこういうところが違うじゃないですか」と反論するとまたすぐさま「そんなことはありません」と再反論されてつぶされる。そんな調子でした。
ともかく大森先生が格闘している問題があって、「諸君はこれをどう解きますか」と尋ねられる。そこで冗談めかして言うなら東大生の悲しい性というものがあり、問題を出されるとつい「解かなくてはいけない」と思ってしまう(笑)。わからなさを前に挫折した経験がないから、「自分には解けるんじゃないか」という傲慢さをもっているわけです。けっして「自分には解けない」と思わない。まあ、そういうところがないと哲学はやってられませんが。
自分自身の中で哲学問題を抱えて困ってしまったというような哲学青年っぽいあり方をしていませんでした。大森先生が格闘している問題を横からやらせてもらった感じです。
意気揚々と人生を歩んでいたわけではないので、「自分はなぜ生きているんだろう?」とは思っていましたよ。ただ、哲学の問題とそれらは切り離されていました。
問題との取り組みによって好奇心がかき立てられたり、新しい世界が開けるというよりも、「こんなものがわからないのは癪だ」という感じでした。しかし、真剣に取り組んではいました。
どう生きるか。どういう職につくかなどまったく考えませんでした。ぼくは1954年生まれで、70年代に青春期を過ごしたわけですが、その頃のキャンパスには学園紛争後の無気力感が漂っていました。
また、既存の社会に与することを潔しとしない、勤勉にあまり価値を置かない雰囲気があったと思います。社会から零れ落ちる、いわゆるドロップアウトもネガティブな言葉ではなく、むしろ既成の体制から出て、精神の自由を獲得するといったポジティブな言葉として受け取られていました。
ぼく自身について言えば、哲学を始めたときに「自分はドロップアウトした」と思いました。20代で隠居生活に入ったような感じで、就職するとかまったく考えませんでした。
職を得るために懸命に活動したこともなくて、大学の先生になれたのは、たんに運がよかったとしか思えません。
哲学をやったのはたまたま。大学の先生になったのはラッキーだった。ビジョンや努力がまるでありませんから、高校生の皆さんのためにならないでしょう。
ただ、哲学に出会ってからはがんばりましたよ。哲学に出会う直前には意欲も気力も失いかけて途方に暮れていましたが、そんな自分が哲学に出会ったらまるで変わってしまった。努力うんぬんではなく、哲学と大森荘蔵という人物との出会いに引きずられて、その後の人生が動き始めた。
「これだ!」と思えることとの出会いを望んでも、その願いがかなわないまま一生を終える人もいるでしょう。だからといって、出会うチャンスがまったくないわけじゃない。出会ったら逃さないことがだいじなんですね。チャンスが訪れているのに見逃してしまうということもよくあることです。だからこそ、チャンスを見逃さずに、それを自分のものにすることが本当にだいじなんです。
自分で目標を立てて、それに向けて脇目もふらずに努力するというのは、チャンスをつかんだ後ではだいじなのだけれど、チャンスをつかむためにはかえってよくないんですよ。チャンスというのは自分の思惑を越えたところから、いわば想定外のものとしてやってきますから。
想定外のものに出会った時、それを受け入れられるオープンな気持ちが必要でしょうね。自分がすぐに受け入れられるもの以外は排除するというのでは、チャンスを見過ごしてしまいます。
確かに、言葉にはものごとを紋切り型に押し込めようとする力があります。だから手持ちの言葉で切り取ってまとめて終わりにしてしまう態度を自分の中から意識的に排除していかないといけない。
世の中には、何に対しても「けっきょくのところ、こういうことだ」とばかりに自分なりのまとめをパッと口にする人がいますね。そういった手持ちの知識からはみ出たものを顧みない態度では、想定外のチャンスは掴めないでしょう。
思考の枠組がまだしっかりできていない10代の人に注意して欲しいことがあります。同世代で自分のもっていない高級そうな言葉を使い、考えを述べる人を「すごいな」と思い、憧れるかもしれません。
自分の言葉で物事をまとめ、考えを言えるようになるのはなるほどだいじなことだけれども、しかし、なんでも自分の言葉だけで切り取ってそれでよしとするのではだめです むしろ自分の言葉で捉え切れない、考え方の枠組をはみ出ていくものに対する鋭敏な感受性こそが重要で、それがないとどんどん人生が紋切り型になります。
いま、高校生の皆さんが憧れている人は、下手をすると紋切り型が複雑になっているだけの人かもしれない。紋切り型をはみ出たものに対する感受性こそが、人生を豊かにするんです。
自分の考えをはみ出たものは、自分の言葉の外にあるのだからうまく言えないのは当たり前です。
初めて恋愛したら、その気持ちをどう表現したらいいかわからないのは当然でしょう。それをドラマみたいな言葉でくくったら、きれいな言葉であってもつまらない。自分の気持ちを持て余すことがだいじ。切り捨てないで抱えてじっと見ていると自分の言葉が豊かになっていくはずです。
ぼくらが学生だった頃よりも、いまの青年のほうが堅実な人が多いように感じます。自分の身の丈を知って無理をしない。もちろん一般的な傾向なので、そこから外れる人もたくさんいるでしょう。無謀なことをするのがいいとは思いませんから、身の丈を知るのはとてもいいことです。しかし、必ずしもいいとばかりはいえません。
自分の分を心得ているのは、社会が規格品を求める力が強くなっているからではないかとも思います。
大人が子どもを規格品に育てあげていく圧力は昔からあります。そういう圧力に対し、うまく立ちまわってそれを出し抜いていく知恵を身につける時期がかつてはありました。だけど、いまは大人や社会の用意する規格化を進めるやり方が巧妙で、それを出し抜く内在的な力が乏しい気がします。
結果として、規格化から外れた少数派が非常に生きにくい世の中になっていると感じるので、外れた人たちに「別にそれでもいいんですよ」と声を大にして言いたい。むろん、そのことで規格品たらんとする人たちを貶めるつもりはありません。
ただし、危険なのは規格に従うことに無自覚で生きて来た人は、自分の考えの枠組が壊れるような危機に弱いということです。一生トラブルがなければいいけれど、そういうわけにもいきませんから。
耐性は柔軟性やしなやかさから生まれてくるので、「規格にどれだけはまっているか」は、強さにはならないし、むしろ脆弱さにつながります。
どうか、規格外の世界でも生き抜いていけるしたたかさをもってください。
[文責・尹雄大 撮影・渡邉孝徳]
Shigeki Noya
野矢 茂樹
哲学者。東京大学大学院総合文化研究科教授。 1954年東京生まれ。東京大学教養学部基礎科学科を卒業後、学士入学で3年生に編入。大森荘蔵との出会いで哲学を始める。主な著書に『語りえぬものを語る』『哲学・航海日誌』『論理哲学論考を読む』『大森荘蔵-哲学の見本』など多数。
【野矢 茂樹さんの本】
『語りえぬものを語る』
(講談社)
『哲学・航海日誌』
(中公文庫)
『大森荘蔵-哲学の見本』
(講談社)