2016年を考える 国と地方 対等の精神を生かそう
毎日新聞
ひとつの国家は、もともと住民が暮らす地域の共同体が数多く集まり形づくられている。では、国と地方はどんな関係であるべきだろうか。
戦後の日本で、この関係にふたつの大きな変化があった。まず、憲法で首長や地方議員の直接公選が定められ、戦前の官選知事のような制度が廃止されたことだ。ただ、実際には国と地方には上下関係的な制度が残されていた。
やがて画一的な中央集権は行き詰まり、地方の多様さや自主性が逆に必要になった。そして2000年、地方分権一括法が施行された。この法律が国・地方関係の「上下」から「対等」への転換をうたったのは時代の要請だった。
対立調整する仕組みを
この「対等」とは何を意味するかを考えざるを得ないような事態が起きている。米軍普天間飛行場移設をめぐる国と沖縄の対立である。
沖縄県の翁長雄志知事が辺野古沿岸の埋め立て許可を取り消した処分に対抗し、国はこれを取り消す代執行の手続きに着手した。つまり、県にかわって国が事務を執行しようというのである。
国が地方を上下関係で指揮した機関委任事務制度は分権一括法施行に伴い廃止された。代執行はそれ以来、使われてこなかった手段だ。
沖縄県は「自治権の侵害」を理由に訴訟を起こし、国と県双方が司法の場で訴え合う展開となった。国の強引な手法は分権の歩みに逆行すると言わざるを得ない。
沖縄の基地問題は歴史的経緯などの事情がある。ただ、沖縄に特有な問題と受け止めず、国が地方をどこまで尊重しているかが再点検されるべきだ。
たとえば原発問題。東京電力福島第1原発事故から5年もたたずに十分な安全、防災対策が講じられないまま再稼働が進んでいる。「福島事故以前」に戻るような動きは住民理解や立地・周辺自治体との合意を重視したものとは言えまい。
国と地方の対立をどう考えるかは確かに難しい。国家主権に密接に関連する安全保障やエネルギーなど基本政策は、国の権限や判断に属する領域である。
だからといって、国の論理と地方の自治権や住民の意思がぶつかった場合、上下関係で解決しようとするのは誤りだ。国と沖縄の対立はどんどん深みにはまっている。結局、問題の解決にはつながらない。
住民の意識は大きく変わってきている。06年に山口県岩国市で米海軍の空母艦載機受け入れをめぐる住民投票が行われてから10年がたつ。住民が意思決定に参加する流れはますます加速している。国、地方が尊重し合い、合意を形成するルールの構築が求められている。
まず実現すべきなのは、重要なテーマで国の方針が地方と対立する場合、地方が意見を申し立て、協議を求める権利の確保である。
欧州の行政裁判所のように、国と地方の係争になじむ仕組みが日本の司法にはない。このため、00年に第三者機関である国地方係争処理委員会が置かれ、これに続く司法手続きが用意された。
見て見ぬふりは避けよ
だが、係争委は中央官庁である総務省の内部組織である。今回、沖縄県による申し立てを係争委は審査しないまま却下してしまった。地方の意見を尊重し、国と調停するにはやはり限界がある。自治体が国に物言う場にふさわしい独立性の高い機関とすべきだ。
憲法95条が定める特別法の制定手続きについてもふれたい。
95条は特定の自治体に適用される特別法を制定する場合、住民投票で過半数の同意が必要だと規定する。政府は基地問題を対象とは認識していない。だが、首都大学東京の木村草太准教授(憲法)は「米軍基地設置や高レベル放射性廃棄物処理施設のように自治権を制約したり、地域の将来を左右したりする施策は対象とすべきだ」と主張している。
住民同意を要する特別法による立法は60年以上途絶えているが、国に住民との合意に本気で向き合わせる効果がある。国の施策を単に阻止するためではなく、合意の手段として活用していく方策を検討すべきではないか。
全国知事会など、地方側にも問題がある。自治が軽んじられている沖縄の現状を地方全体の課題として受け止めなければならないはずだ。にもかかわらず、直接の当事者以外の自治体から国の対応を問題視したり、連帯をアピールしたりする声はほとんど聞こえてこない。
こんな状況を元総務相の片山善博慶応大教授は「見て見ぬふりだ。子どものいじめの構造に似ている」と指摘している。国にもっと毅然(きぜん)として向かい合うべきだ。
国と地方が分権時代にふさわしいルールを構築していくためには双方の努力が欠かせない。「対等」の中身を踏み込んで論じる時である。