いわゆる「新」ドラえもんの映画を始めてみた話。
結論から先に言うとのび太と恐竜は「決断」する事の映画だと思う。
のび太と恐竜2006
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説明不要のドラえもんの映画記念すべき1作目&新ドラえもんでも1作目のとなるなにかと節目になる映画だ。
先に結論を書いた通りこの映画では一貫してのび太の「決断」が象徴的に書かれている。
- けつーだん 決断
- 1 意志をはっきりと決定すること。「―を迫られる」「転職を―する」
- 2 正邪善悪を判断・裁決すること。
物語の序盤、いつもの様にバカにされたのび太は一人で恐竜の卵(の化石)を見つけ見事孵化させる事に成功する。
ひみつ道具は使った物の、この時点で既に人類史に残る偉業である。
孵化した恐竜は海に住む恐竜で「フタバスズキリュウ」と言う。
ピー助と名付けたフタバスズキリュウを飼う内に、のび太とピー助の間に愛情といっても過言ではない友情が芽生える。
大きくなったピー助を家で飼う事は難しく近くの公園の池で飼育を続けるのび太だが、すぐに「公園にの池に恐竜が居る」とうわさが立ってしまう。
それと同時にのび太の部屋に全身黒づくめの男が現れピー助を売ってくれと言う。
その場では断ったのび太だが、公園の池にTV取材が殺到しているのを見てピー助を白亜紀の海に戻す事を決断する。
この瞬間、のび太はまさしく決断したのだ。
普段は頼りなく、バカにされているのび太が「意思をはっきり」とさせ「正邪善悪」を判断したのだ。
出来ればピー助とずっと一緒に居たい、でもこれ以上自分だけで育てて行く事は出来ない。 怪しい黒づくめの男も気になる。
どうする事が一番ベストなのか?
手元にある情報と自分が出来るピー助にとってのベストな事、それらを考えてのび太が決断した事が「ピー助を白亜紀の海へ戻す事」だ。
のび太達のチームワーク
一旦はピー助を白亜紀の海へ返してきたのび太とドラえもんだが、タイムマシン移送中に黒づくめの男から襲撃を受け、白亜紀の日本の予定が白亜紀のアメリカに送り届けてしまう。
おっとり刀で白亜紀へ取って返し、ピー助と合流するがタイムマシンが壊れてしまい、今度は自分たちが白亜紀に取り残されてしまう。
帰る方法はただ一つ、場所の移動はできないが時間の移動は出来るタイムマシンを将来(と言うか現代)のび太の机が置かれる場所にセットする事だ。
今アメリカなんですけど?
絶対無理じゃん??
喧々諤々の議論が起こる。
どこでもドアで移動すれば・・・→白亜紀の地図が入ってないから無理
タケコプターで飛べばいいじゃん・・・→8時間しか飛べないから無理
連続じゃなくて休み休みいけばいいんじゃね?・・・→太平洋横断するから休む場所無くね?
昔って大陸繋がってたから陸伝いに行けばいいじゃん・・・それだ!帰れるぞ!
少し「決断」の件からは脱線するが、モノづくりをする人や会社勤めでの人でピンチを経験された方も多いと思う。
そんな中、最初はとても無理だと言う問題も切り崩して細かな問題に分割して、個別に問題解決のパッチを当てて行くとなんとなる事がなる。
タイムマシン壊れたから帰れません。
↓
壊れているけど時間移動なら出来るよ!
どうやって日本に帰る?
↓
タケコプターで行く
でもバッテリー上がったら海に落ちる
↓
陸伝いで休み休み行けばいい
問題を細分化して個々の得意分野から解決策を導き出していく様子はアクションシーンでも無いのに熱くなった。
あのシーンは是非、新人教育訓練で取り入れて頂きたい。
チームワークのお手本の様なミーティングであり、ソリューションである。
スネ夫とジャイアン
物語も終盤に差し掛かって、タケコプターの電池も切れ疲労も限界に達しようとしていた時、再び黒づくめの男たちから接触を受ける。
ピー助を渡してくれれば金と現代へ送り届けてくれる、との事だ。
ピー助を絶対に渡したくないのび太としずか。 反対にスネ夫はピー助を渡して帰れるならすぐに渡して帰ろうと主張する。
両者の議論が平行線をたどる中、沈黙を守っていたジャイアンがおもむろに立ち上がり、言う。
「俺、歩いてでも日本へ行くぜ」
唖然とするスネ夫と喜ぶのび太。
この時沈黙を守っていたジャイアンの胸の中でどんな考えがあったのか知る術は無いが、さながら清須会議の小日向演じる丹羽長秀が会議の最後に長い沈黙の後自らの一票を投じる時のような重々しさがある。
ジャイアンの映画での役割は間違いなくリーダーシップである。
よくのび太の役割と混同されるばのび太の役割は間違いなく「責任感」である。
ドラえもんが帰る話でジャイアンに立ち向かっていった様にのび太は自分が全幅の信頼を寄せる者への責任感は圧倒的に強い。
このシーンではスネ夫が一番クズ扱いされてしまうが一番人間らしいのは間違いなくスネ夫だ。
彼の役回りは一般人、見ている人間の心理を映す所にあると思う。
白亜紀から簡単には帰れなくなれば誰でも絶望するし、帰れる方法があるならそれに頼りたくなる。
スネ夫がある意味では非常に正直に自分の気持ちを打ち明けるからこそ、ジャイアンのリーダーシップやのび太の責任感、しずかちゃんの優しさが引き立つのだ。
全般的にスネ夫はクズ扱いされがだがドラえもんの映画では彼がいるからこそ、周りが輝くのだ。
のび太、再び決断す
黒づくめの男の基地に一旦は捕らえられたが、無事に脱出したのび太達。
タイムパトロールによって悪党は一網打尽にされ、追手の心配がなくなっり再び日本をめざして歩みを進める。
ここが旧版と新版の違いで旧版はタイムパトロールに自宅まで送ってもらい、新版は最後まで自分達の足で歩いて行く。
賛否両論かもしれないが、新版の方が「少年たちが自分たちの足で歩いていく」姿が彼らの成長の軌跡の様で僕は好きだ。
また、最後の最後まで自らの足で歩みを進める事がのび太の決断、「断じて決める事」の象徴の様な気がしてストーリー自体の〆としても良い。
無事にピー助を仲間の元へと送り届けたのび太たち。
去ろうとするのび太を追いかけるピー助にのび太は言う。
「来るな!」と。
同時に振った腕でのび太は海水をピー助に掛けようとするシーンも印象的だった。
これが最後の別れになるのをみんなわかっているのでタイムマシンで待つ仲間も皆泣きながらのび太を見ている。
のび太が乗り込みタイムマシンが光に包まれる瞬間「ピー助!」と叫ぶのび太の顔には笑顔が浮かんでいた。
ピー助を仲間の元へ無事に届けられた安堵感と余計な心配無くピー助が暮らしていける責任感からの解放、間違いなく決断した事への達成感があった。
のび太の部屋から出てきた一向にのび太のママが「みんなお揃いで何をしてたの?」と聞くと僅かな間をおいてのび太が一言
「うん、ちょっとね・・・」
振り向いた皆の顔は一様に達成感と安堵があったが、間違いなく決断と出会いと別れを経験して少しだけ大人になった顔があった。
ドラえもんの映画は間違いなく名作だ。
大人の視聴にも耐えられる。
表現方法が子供寄りになってるだけでストーリーや展開される物語は間違いなく大人の視聴や解釈にも耐えらっる作りになっている。
少し話は戻るが黒づくめの男にのび太とドラえもんが捕らえられている基地では恐竜が調教され、恐竜の子供が売れるので檻に入れられていた。
「子供は高く売れるからな」と言う事らしい。
これは表現が恐竜を使っているが実際のペットショップでも子供の方が高く売れるそうだし、檻ではないがお世辞にも広くは無いガラスケースに入れられている。
少し悪く表現したのが黒づくめの男の基地だが、日常に置き換えるとペットショップや動物を飼う事へのアンチテーゼともとれる。
最新作では新版のび太の日本誕生が好評との事だ。
子供ながらに旧版のギガゾンビの強さには絶望した。
鎧袖一触で蹴散らされるドラえもん達に「圧倒的じゃないか、わが軍は」の様だと感じた物だ。
「のび太の恐竜2006」は決断する事の大切さとそれに伴う責任感、チームワークでのソリューションを学びつつ、子供達がちょっぴり大人になるまでの道を一緒に体験できる映画だ。
それでは、また。