昨10月13日の夜、桜美林大学 大学アドミニストレーション専攻の
高橋真義さんのクラスで、馬越徹先生がゲストでお話をされた。テーマは「大学教員論−自分史を中心に−」
その中で、馬越先生がD1年の時に読んで感銘を受けた論文として、京極純一「教師・学者・研究者」『思想』1965年4月号(岩波書店)を紹介された。その骨子は、大学教師には以下の3つの役割があるというもの。
- 教師→教育役割「貯蔵された知識を流通回路に乗せて配給する」(配給所)
- 学者→学問役割「生産された知識を整理し、貯蔵する」(補給倉庫)
- 研究者→研究役割「ルールに従って問いかけ、新しい知識を生産する」(生産工場)
この中で、学者・学問役割に注目したい。往々にして、「教育」と「研究」の2項で語られがちで、この「学問」の点に関しては、研究活動と混同されていることが多い。大学教員の評価では、伝統的に研究者としての評価が重要視され、近年は教育者としての評価も模索されている。しかし、よき学者としての評価や支援策については、議論からはスッポリ抜け落ち(馬越先生のレジメでも抜け落ちていた)、殆ど自覚的には取り組まれてこなかったと言えよう。
しかし、学問役割と研究役割は違うものであり、教育と研究をつなぐ結節点として、大切なものとして意識される必要がある。よき研究者となるためにも、またよき教師になるためにも、引き出しをたくさん持ったよき学者であることがベースとなろう。
教育中心か研究中心か、大学の目的に応じて教育と研究の評価のバランスが、議論されるが、学問役割については、どのような目的の大学であっても、重要なものとして取り組むべきであると思う。
例えば、教育機能が中心の大学や短大の教員を考えた場合、確かに研究役割(新しい知識の生産)を大きく期待したり求めたりするのは、目的にそぐわず不効率であろう。しかし、その分野の学者(補給倉庫)としてはちゃんとしてもらわなければ、教育者としてのパフォーマンスにも関わることになる。お茶を濁したような研究評価・支援は意味がないが、学問役割についての評価・支援はちゃんとすべきであろう。例えば、学会参加(最新の知識を把握するには不可欠)の費用などは安易にカットしてはならないのである。
それから、この学問役割は事務職員にとっても重要なものと考えるべきである。学問的知識もそうだが、大学運営・高等教育に関する情報も増大している中で、よき支援者(学生に対しても・教員に対しても)であるためには、このような良き学者としての役割も磨いておかなければ、これからの職員の仕事は務まらない。
学問役割を評価し高める為の具体的な方法は、これから開発していかなければならない課題であるが、教育と研究の結節点、そしてFD(教員)とSD(職員)の連携のベースとして注目して行きたい。
ニックネーム N. IDEMITSU at 09:00|
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