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藤山晃太郎、手妻を卒業して普通のVRプロデューサーになります! 
藤山姓をお返しして、今後は安藤晃弘になります。これに伴い、サイト・ブログなどを順次閉鎖して参ります。


 親しい友人には既知のことと思われますが、私は2013年からOculus Riftというヴァーチャル・リアリティ(VR)ヘッドマウントディスプレイに魅せられて、2014年からいくつものコンテンツを発表し続け、大手アミューズメント施設にアトラクションなどを納品し、2015年12月には起業して株式会社ハシラスの代表取締役になるなど忙殺されている次第で、自主公演の主催などはしばらくできずにおりました。

 そんな折、わずか1日、メール2往復にて藤山姓をお返しするはこびとなりました。
これまで可愛がって頂いた芸能界の諸先輩方や、活動を応援下さっている方々には経緯のご報告をしておこうと思います。

 まず、そもそもの芸能に対する意欲の低下を自覚したのは、2014年の1月に一門の段位札を目にしたときです。
 2012年ころまでは、藤山流、といいつつも、名取の弟子は皆辞めており、師匠のお嬢さんである藤山すみれさんは全く芸能業から遠ざかっていて、弟弟子の大樹は名前を取っておらず、藤山は師匠と私の2人きりという状況でした。私は、藤山新太郎師匠が興した流派を自分の代で受け継ぎ、より大きく発展させようと、新しい手順の制作や全て生演奏の公演など多くの挑戦をしていました。
 仕事が少なく、生活は苦しくとも、自分が辞めると言ってしまっては未来に全く残らなくなってしまうのではと、真剣にこの芸能の将来を憂い、様々なアプローチでその認知度を高めていた頃でもあります。TVやSNSや動画投稿サイトを通じて、「手妻」という言葉(若干の補正があるもののw)を広めることには、大きな役割を果たしたと自負しています。

 藤山大樹の名取を控えた2013年初頭に、突然に師匠は「師範免許」という、弟子に師範免状を与えることで指導認可を与えるシステムを思いつき、それにより数十万円の出費を弟子に負担させることを提案してきました。私は、その当時すでに数名に指導は行っており、その提案を受ける金銭的な余裕もなかったため、「私は師範免許はとりません」と申しておりました。
 その後、2013年11月に藤山大樹の襲名披露があった際に、広島の池田政人さんという方も藤山仙寿の名前を取り、合わせて池田さんの生徒に当たる十数名にも藤山姓を配っておられました。

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 池田さん自身は経営者として優れた実績をお持ちの方でしたが、手妻・舞台芸の技量はかけだしのプロにも及ばないレベルであり、その方が指導する面々におかれては何をかいわんや、という状況でした。彼らの名前は一人も記憶にありませんし、お顔も全く存じません。一応、この時自分は弟子の中でも筆頭格であったはずですが……。

 さて、その後、一門の名札が入った道場に飾るような額を師匠は買ってきて、事務所に飾り、2014年の新年会などで来客に披露していたとのことです。私がそれを知るのは少し経ってからなのですが、その額の序列は、宗家・藤山新太郎、師範・藤山すみれ、師範・藤山大樹、師範・藤山仙寿、と並び、その次に私(肩書は忘れました)、それから聞いたこともない有象無象の藤山某が続く、となっておりました。これについて、特段の事前の示し合わせや会合などはなく、ある日そのような状況になっていたのを目にしたという感じでした。
 この時、ああ、自分が守りたいと思っていた金看板はもう無いのだなぁ、と思ったのをよく覚えています。藤山流であることは誇らしいことと思っており、そのブランドをさらに輝くものにしようと思って続けていましたが、よくわからないシロートのおじさん・おばさんが藤山を名乗り、実質芸能をやっていない方、お金を払って師範免許を持った方が自分より高位にいて、その様をもって「藤山流は安泰だ」というのであれば、気張って自分がこの流派を背負う必要はないな、と自分の気持ちに一区切りをつけたところでした。

 この頃からまるで自分の心を映すように、入れ替わりでVRの活動が非常に高い評価を受け始め、常設アトラクションとしての納品や有馬記念イベントでベルサール秋葉原で1週間の興業など、奇術の世界とは比べられないほどの規模になっていきました。最先端技術に触れ、超一流の経営者・開発者・アーティスト・ディレクターと肩を並べてのもの作りは、かつてない刺激的な体験で、益々VRに惹きこまれていきました。
 今は、サンシャイン60展望台のリニューアルオープンの目玉企画を手がけ、常設VRスタジオを都内に構えようとし、2016年前半の受注だけで5千万円を超える売上の活動となっており、日々新しいことを学び、挑戦を続けています。



 翻って、一門の様子を見るに、大樹くんは元々の素養もあり国際的な賞を獲り活動の幅を広げてはいますが、それ以外だれも発展的な活動ができていない状況です。芸能の世界で、停滞は後退と同義です。自分自身も、制作・稽古の時間の多くをVRに割いており、とても「本業は手妻師」と呼べない状況になりつつありました。

 そんな折、師匠から仕事の依頼があり、その流れで一門を離れることになりました。

 経緯としてはこうです。
・私の仮の仕事が入っている日程に対して、「出演分・後見分まとめて支払うから先に入っている仕事は切ってくれ」と師匠から依頼がありました。(もちろん断ることはできません)
・受けたあとになってから提示された金額は、1回の出演分に満たないわずかな額でした。
・その後に、さらに値下げと追加の演技の要望がありました。
・それに対し、「お請けさせて頂きますが、今は多忙を極めています。弟子であってもあまりぞんざいに扱わないでもらえないでしょうか」とお願いの連絡を入れる
・破門を言い渡される
…とまあ、15年ほどかけて深めたご縁がこんな形でご破産かー、と、師匠にとって自分がその程度であったなら、これもいい機会だなと、離れさせて頂くことにしました。
 おそらく、奇術界において私と師匠の不仲などは一度として噂されたことは無いでしょうし、事実定常的なトラブルは皆無の状態でしたが、なぜかこのような仕儀となりました。
ま、しょーがないっすね。

 以上は私の観点であり、師匠は……元師匠は、元師匠で何か思うところがあるのかもしれません。気になる方は、両方のご意見を伺ってみて下さいませ。


 私が弟子入りするにあたって、後見人になってくれたのは、『頭の体操』『レイトン教授』の多湖輝先生でした。藤山流を辞めるということは多湖先生に対してきちんと筋を通さなければいけないところではありましたが、大変残念なことに2016年3月6日にお別れをしてしまいました。先生はVRの活動を多いに褒め、応援くださっており、次のステージに進む自分をお見せできなかったことは悔やまれます。


 昨年12/8より法人の代表になったため、各所で本名での活動をする必要がでてきており、名刺もメアドも一新する所存です。芸能活動を完全に辞めるかは迷うところではありますが、別の名義の資料を諸々作るほどに今は心を割けませんので、以後は「安藤晃弘」名義にて普通のどこにでもいるVRプロデューサーになります。

長年のご愛顧を、有難うございました。安藤先生の次回作にご期待下さい!
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