公開するからには読まれたい、誰もが読んでもらうために腐心して、疲れていく。
面白い作品やブログでも、埋没して消えていくことがしばしばある。それは氾濫する「読まれるためのノウハウ」へと人々を駆り立てて、SEO対策という呪縛をかけた。
だけど、それはやっぱり本質とは違うように思える。読まれるためにと「施さなければいけない」工夫が増えるほど、伝えることを難しくしてしまう矛盾を生み出して、あえぐ。
本当に面白いものは、中身が面白い
漫画でいえば、Web漫画発のヒット作「ワンパンマン(原作版)」、まさかのネーム(ラフ画)で本誌掲載されてしまった「HUNTER×HUNTER」がその例にあたる。
ブログなら「今日はヒトデ祭りだぞ!」が鉄板で、ここ最近になってにわかに読者を増やしている「一人暮らしランド」も、その光るセンスが徐々に評価されつつあると思う。
ただし、ここで挙げる例は俺の好みに当てはまったものだから、当然ながら面白いと思わない人もいるはずだ。その場合は、それぞれに当てはまる例を探してみてほしい。
こういった作品やブログ読むにつけ、画力や、文章の文法的正しさ、サイトのデザインや本文レイアウトなどは、本質が備わっていればこその補助的な要素だということがわかる。
HUNTER×HUNTER
商業漫画の体を成していないネーム(ラフ画)状態で、「週刊少年ジャンプ」本誌掲載を編集部が決断したほどの本作。連載当時、作者以外の全員に衝撃を与えたであろう話。
そのネームが紛れもなく面白かったことが、より一層物議を醸した。
考えてみれば、編集者はネームを読んでその出来を判断するわけだから、完成原稿が話として面白いものになっているなら、ネームの時点で面白いのはごく当然のことだ。
あろうことか、単行本でも完全には修正されなかっという伝説を打ち立て、それでも連載休止のたびに再開を望む声が聴かれるほど。ただ、流石に見限ったファンもいるようだ。
ワンパンマン
原作者であるONE氏作画の「原作版」と、作画担当として「アイシールド21」作者の村田氏を起用した、通称「村田版」があり、いずれも連載中(比較はリンクより)。
好みの問題はあるにせよ、少なくとも俺がより面白さを感じるのは、原作版だ。それは一度読んだ話だからじゃないか?という疑問は、村田版での独自展開を読んで、氷解した。
原作版は作画が拙い分、そのテンポやノリのいい話、斬新な発想を堪能できた。
それが村田版になると、過剰演出によるシーンの引き伸ばしが多用されるあまり、話のテンポが極端に悪くなってしまったし、独特の軽いノリが抜け落ちてしまった感が強かった。
今日はヒトデ祭りだぞ!
プロのデザイナーが作るメディアサイトとは違って、50~60万PVを誇るとはいっても手作り感にあふれるそのビジュアルは、個人ブログ特有の懐かしい風情を醸し出している。
文法もへったくれもない自由な文章は、旧くからの(頭の固い)文筆家からすれば発狂を禁じ得ないものに映るだろうし、校閲・校正者ともなれば、匙を投げるに違いない。
それこそが、軽快に読めてキレのあるその文章が、人を惹きつける力を秘めている。
ある時は「そうくるか」と唸らせ、またある時は「あるある」とも思わせて、そうかと思えば、胸を打つ美しい文章さえも紡ぐ……そんな「今日はヒトデ祭りだぞ!」は、面白い。
一人暮らしランド
何の変哲もない「一人暮らしランド」だと思っていたのに、そんなことはなかった。
ある記事を読んで以来、センスを感じさせる記事が次々と公開されていく。
その読むほどに味わい深いスルメ文と、本気を出せばかなりの上手さを予感させる挿画の織り成す世界に……そしてそれを支える、現実での若干頭のネジが緩んだような行動に、俺は足を滑らせ、後頭部をしたたか床に打ちつけた気分だ。
この先、青天井に面白くなっていく可能性を感じずにはいられない。
例えるなら、AR……いや、例えるのはやめておこう、まずいことになりそうな予感だ。
中身が本物なら、今はそれで勝負できる時代
本物の面白さが備わっているなら、粗さがそれを毀損することはないと俺は思う。
みてくれが良くなるなら、それはもちろんその方がいいし、優れたデザインは信頼感を担保してくれる。ただ、見た目に反して中身が残念なものだと、再訪の期待は難しい。
画力も、文章も、デザインもレイアウトも、どれも作品の本質を装飾するための手段でしかない。それが中身の面白さを損ねたり、乖離するなら、何の意味もなくなってしまう。
HUNTER×HUNTERも、ワンパンマンも、漫画が面白ければそれでいい。
今日はヒトデ祭りだぞ!も、一人暮らしランドも、記事が面白ければそれでいい。
その作品にとって、最も価値あるもの、本質は何で、どこに労力を割くのか。
どれだけ画力があっても、正しい文章でも、優れたデザインや整ったレイアウトでも、肝心の話が面白くなければ、片手落ちだ。特にブログは、みてくれよりも中身が重視されやすいものだから、もしSEO対策やデザインに「やらされている感」を覚えるなら、いっそのこと放棄してしまって、その労力を本来注ぐべきところに注げばいい。
あらゆる分野にプラットフォームが生まれて、誰でもそこに作品を投じられる。投じた作品に本物たる面白さがあるなら、SNSが拡散してくれる……今はもうそんな時代だ。
その面白さを求めている誰かがいるなら、その目に留まったとき、奔流となってWebを駆け巡っていく。読んで面白いと思えば、細かいみてくれは気にもならない。
あればなおよし、ないならないで、何の足枷にもならない……本質の良さだけで読者を魅了できること、それがこそが「本当に面白い」ものの条件だなんだろうと俺は思う。
本当に面白いものや価値あるものなら、少なくともはてなブログで書いている限りは、いつまでも低迷の一途を辿るということは考えにくい。その分野に興味がある人がいて、孤立点のような活動を続けていない限りは。
誰でも発信できる環境が整うにつれて、その発信を届けるための競争は激化の一途をたどり、読者の目も肥えるばかりで、ハードルは上がる。
結局のところ、SNSというクチコミに期待がかかるようになっていき、いつの時代になったとしても、クチコミによる伝播に勝るものはないのかもしれない。
最後に言及しておくと、上の記事に触発されて、共感の一部を捻りつつ書いた。
うん。
そんなところだ!