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2016年4月1日

2016年4月 1日 (金)

改めて、”ラブライブ!μ´s Final LoveLive!~μ´sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪”の感想を。

一昨日だっけか、電車の中で、ドーム公演がなんとかと言っているのを聞いて、誰だろう?と思って、今日ラブライブ!のグッズを持っている人を見たので、なるほどとは思ったけれども、そのライブビューイングが行われているとは知らなかった。

検索したらこんなにたくさんの会場!完全にAKBを上回っている。

http://www.lovelive-anime.jp/otonokizaka/sp_finallive_lv.html
本当にたまたま、映画の日だから、”アーロと少年”を観ようとして映画館に来たら、なんでかサイリウム持ったヲタらしきのがいたので、何を上映するのか見て、そこで初めて気がついた。
それで、”ラブライブ!”に予定を切り替えて観た。
5時間の中でいろいろ知れて、めちゃくちゃ有意義な時間だった。
3,800円出した価値があった。
まずいきなり、公演が始まって数曲後の、自己紹介のMCで、秦佐和子さんみたいな子が見るからに汗だくで、中継中にもかかわらずタオルで汗を拭いはじめたのを見て、こりゃすごいなあと思った。
AKBでそういうところ見せんやん。
汗だくなメンバーは、公演ではゆかるんとかさややとかいるけれども、大箱で汗だくになれるようなパフォーマンスの場面もないし。
ちなみに、ラブライブ!の9人の声優さん、その他は、私が認識したのは、キャプテンでセンターのほのか役の子、にこ役でツインでめちゃくちゃクチを大きく開けて歌う子、りっちゃんみたいな顔つきで、今日最初のMCで緊張して声が出なくなった子、みゃおみたいな子、みぃちゃんとらんらんを足して2で割ったような子、さっきーみたいな子、背格好ははるきゃんで顔つきと喋り方はたなみんな子、乃木坂だかに似た感じのイメージの子がいた子、だった。
誰が誰か顔と名前は一致してないけど、私はそうやって9人を判別した。
中でもにこ役の子が、タイプ的にAKBにいない気がした。
まあチーム8滋賀の濱ちゃんが似ているかなあ。
調べたら徳井さんか。26歳。
てか、なんで”ラブライブ!”にヲタが熱狂するのか、最初いろいろ考えた。
前回からの課題でもあるけど。
AKBって、握手会で接触して、”擬似恋愛”というのがある。
いくらキモヲタが否定しようが、”擬似恋愛”をしているからこそ、メンバーに、自分が他メンのところに握手に行っていることがバレたりするのをネタにしたりしてしまうのだ。
だから、公演でも推しメンにだけ声援を送ったりするし、だから選挙だけでなく推しグッズなんかも売れたりする。
”ラブライブ!”には、意外なことに、”擬似恋愛”の要素がないと思った。
だって、誰かに対してだけ声援を送るとか、推しサイリウムがあるとか、推しグッズがあるとか、そういうのを見かけなかったもの。
若干はそういう人もいるかもしれないけれども、99%は”擬似恋愛”はしてない。
どうも、ヲタのほうも、声優さんに対して恋愛をしているわけではなくて、一緒に”ラブライブ!”という作品を盛り上げているつもりなのだろう、と思った。
そう考えると、AKBにだってもちろん一緒にAKB全体を盛り上げているつもりのヲタはいると思う。
けれどもそういう応援のしかたを、AKBの運営自体が儲からないからといって否定していて、それがAKBのチーム感のなさに繋がっているし、もはやAKB完全崩壊といっていい状況を作り出していると思う。
”ラブライブ!”を見ていると、メンバーがお互いに教え合っている。仲間だから。
AKBは仲間の中でも総選挙によって、悪い意味でライバル意識を燃やさせて、お互いに教え合える雰囲気を消し去ってしまっているのも問題である。
それと、私が覚えたし、ヲタもそれぞれに理解してサイリウムの色をその都度変えていたとおり、9人というのは、人間の認識の限界ギリギリの数字なのではないかと思う。
これがAKBの16人となるとどうだろうか。
もう多過ぎるから、公演で全員を見ない、自分の好きなメンバーしか観ていない、という見方に、ヲタのほうから自然となってしまうのだろう。
そういう意味では、AKBは16人で公演を始めたところに、実は崩壊のタネを孕んでいたともいえる。
難しい説明はしないけれども、とにかく9人という、誰もが認識できる人数だからこそ、ドームという大箱になっても、それぞれのメンバーのキャラが立って、パフォーマンスに焦点が当てられ、メンバー個々のパフォーマンスにヲタが一緒になって乗れる。
これが、”ラブライブ!”の勢いの正体だと思う。
AKBの大箱が全くつまらないのはその裏返しでもある。
そして、ライブを作り上げるために、声優さんは頑張ったようだ。
ダンスなんてズブの素人だったけれども、もともとダンスのプロが踊っているものをアニメのMVにしたものを、自分達は覚えた、ダンスのプロのものを直接覚えたと言っていたが、だからこそ、タイミングもけっこう揃っているし、パフォーマンスも一定以上の激しさが保てるのだろうとも思った。
AKBは、どう見ても自己流のいいかげんなダンスが多くてしんどいと思うのだが、メンバーはプロのダンスを直接見ているのではなくて、こじはるとかたかみなとか、テキトーに踊っているメンバーのテキトーなところを学んで、よりテキトーになっているフシをつねづね感じている。
やはりガチでやろうと思えば、トップのパフォーマンスを身に付けないことには始まらない。
逆に、声優として既に動いているので、声という意味ではイマイチどうかとも思った。
声優であるにもかかわらず、私はむしろダンスのほうが見応えがあったと思った。
これは実は演劇界にとっては問題なことでもある。
演劇の人間は、声優を一歩低いものとして見ているようだと私は感じている。
ジブリの宮崎駿とかもそうだし。
ところが、声優のほうが正しいダンスを身につけてしまった結果、演劇をやって、自分達は正統だと思っているはずの人々(例に挙げて悪いけれども、たとえばスイセイミュージカル)のダンスのほうが、みすぼらしいものになってしまっている。
結局、演劇界が求めているものが低かったので、勢いのあるアニメ声優界に逆転されてしまった格好なのだ。
そうすると今度は、”アニメ声”というものの正統性さえもが疑問になってくる。
”アニメ声”はマズイ、と、私はどうしても思っていたし、宮崎駿なども嫌ってはいるが、”演劇声”はやはりあって、一般人の会話とは明らかに違う。
じゃあ”アニメ声”はマズくて”演劇声”はいい、という理由を考えると、受け手が聞いて気持ちいいかどうかになっていると思う。
けれどもそういうと、アニメ声優さんは、自分達の声について、受け手が気持ちいいと思ってくれているから、自分達はこういう発声をしているのだ、と言うだろう。
けっきょくそれは、今後観客にどう支持されるか?にかかってくると思う。
あと私は、アニメについて声優よりも動画の動きという意味で着目して欲しい、と常々書いてきた。
なのにいま、声優さんが動画の動きを文字通り体現しているのを見て、これは声優という職業について認識を改めねばと思った。
というか、”ラブライブ!”が、声優さんやアニメの新たな可能性を切り開いたのかも知れない。
このコンサートの中では、”ラブライブ!”の歴史が紹介されていて、アニメ放映が2013年と2014年というのも知った。
”AKB0048”の1年後を追っている。
私は、”AKB0048”においても、AKBの既にいるメンバーから切り離して、新しいメンバーの新しい物語を作ったらいいのだと主張していた。
”AKB0048”を、AKBに対する、”μ's”と”A-RISE”の関係のような、違った切り口から描く方法だってあったはずである。
なのに河森正治とアキブータンは、”AKB0048”で、”襲名制”とかいう古臭い概念を取り入れてAKBから脱皮できなかったから、”AKB0048”は”ラブライブ!”になり得なかった、という解釈もできる。
それと、背景の和風の3D画像がどう見ても田野の”DNA-SHARAKU”をイメージさせて、制作者に関連があるんじゃないか?と思ったけれども、それはよくよく考えたらあり得ることである。
というのも、アニメでアイドルのダンスを描いたのは”ラブライブ!”が初めてで、アニメ製作のために、プロのダンサーと3DCG技術者、アニメーターがタッグを組んだとのことである。
”DNA-SHARAKU”でも、3DCGアニメと田野のダンスがシンクロしていた。
この3DCGアニメ技術者が別々の部隊であると考えるほうが難しくて、たぶん同じだろう。
というか”DNA-SHARAKU”の製作側もそこまで認識していただろう。
あ、そうか、”DNA-SHARAKU”の製作ってNHKだから、”μ's”が昨年の紅白に出場したのともリンクしているもんなあ。
それと、最後のほうで、メンバーの歌に合わせて、ヲタ達が歌いだして会場内が異様な雰囲気になったのはすごいと思った。
かつて、映画館では歌い出す人がいた、と、これも宮崎駿だかが発言していたのを読んだ記憶があるけれども、現代でもじゅうぶん通用する、人々のココロはひとつになると思った。
さらには、最後にメンバーは歌わずにBGMが流れているところでさえ、劇場のヲタ達は歌っていたのだ。
それほどまでに、大勢のヲタのココロを掴んだのである。
学生運動の頃の熱気がいまの若者にない、なんて、まことしやかのように、宮崎駿らは言ってきたけれども、学生運動の頃の熱気をいまの若者も持っている。
ただ、その熱気を汲み取る手段が宮崎駿達の側になくなって、アイドルなどに向かっているだけなのだ。
そう考えると、ハナシを一回転させると、自分達がアイドルになればいいことになる。
”μ's”がどうしてここまで人気が出たかというと、人々に向かって、「私達の成長を見守ってください!」と主張し、頑張りを見せたからである。
それをそのまま私に当てはめれば、
「いまの、フツーに生きてても結婚さえできないような世の中って全くおかしいですよね。江戸時代だって結婚できたし子供はいくら作っても良かったのに。私は必ず諸悪の根源である日本政府をぶっ潰します。私の成長を見守ってください。」
と言えばいい。
それで、SMAPばりにパフォーマンスを決めているところで(センターはもちろん私ねw)警察が取り締まりに来たら、
「こういう言論を明示的に統制してくるのが警察、日本政府のやり方です。どちらが正しいかは明らかでしょう。」
と言ったら、もうほぼ全員を私の味方にできる。
警察とか機動隊、自衛隊、暴力団が連帯して銃撃戦してくることさえをも想定して、私が射撃の的になった場合に責任取るという意味も込めて、私がセンターを勤める。
さすがにダンスの振り付けとか作曲はいまの私には無理だけれども、作詞ならばなんとかなる。
ダンスの振り付けとか作曲は、そういうのが好きな若者つかまえてきたらええやろ。
私は正直、いざとなったら、国会議事堂にバズーカ撃ち込んで国会議事堂を壊滅させる方法だってあると思うとる。霞ヶ関の省庁とか。
どうやってバズーカ調達してくるかは問題やけど。
アメリカのB52を乗っ取って、搭載した水爆ごと国会議事堂に突っ込ませるという案だってあるかもなあ。
なんたって日本政府は「放射能は安全」キャンペーンをやっとるんやから、国会議事堂に水爆が落ちたら危険なんてクチが裂けても言えんしなあ。
なんか、最後のほうは内容が発散したけれど、このライブを観ながらそこまで含めて考えたりした。

ラブライブ!μ’s のFinalコンサート終わった。かなり良かった。

改めて書くけど、AKBにいろいろとないモノについて考えた。

本当にいろいろ想像した。

School idol といいながら実は就職している声優が人生をかけてやっているから、パフォーマンスとしていい。

リアルな School idol であるはずのAKBは、大勢からチヤホヤされて、怠けても自分らの実力やとカンチガイしてもとるとこがある。

「アーロと少年」を観ようと思って有楽町の日劇に行ったらすごいヲタで、ラブライブ!を観ることにした。

劇場にサイリウム持って来るのがいて、なんか怪しいと思って松竹のチケット売り場見たら16時からでチケット完売。

しゃあない、当初予定どおりアーロと少年観るか、と思って東宝のほうを振り返ったら、コッチでも同じチケット発売しとって、まだ△印。


てか日劇の東宝と松竹の2劇場で、同じコンテンツ放映するなんて前代未聞ちゃうか?
(・・・と、書いたら、違うかったら誰かがツッコミ入れてくれるシステムになっとるしココw)


値段と時間聞いたら、3,800円で21時終了予定と、相当長いけど、ちょっとコレは観る価値あると思って観る。


前も違う映画観ようと思って、ラブライブ!にしたんやったっけ?


ちなみに今日は新年度早々から株価が大暴落で、一旦落ち着いて見えた世界連鎖株安が再燃しとるみたい。


というわけで、今日はE235系よりもラブライブ!を優先します。

チームKの10周年公演とか、正直あんま興味ないし。

AKBのメンバーに向けて、違う方向性を示すこともまた大事やし。

大西弘子ネタって、ガチなんかエイプリルフールのネタなんかイマイチ判別つかんなあ。

そもそも大西弘子は存在自体がエイプリルフールやしなあ。
・・・いやそれはエイプリルを取って単なるフールなんかw

トリップないしなあ。

明美が私にツラく当たったとかも、私の認識では事実ではないし。

大西弘子が富士弥とデキていたとしたら、博昭の静止を振り切ってでも、自分から借金返済を言い出すんやろけど、現実に借金返済を言い出したのは博昭やし。

弘子はあくまで大好きな博昭の言うことを聞いたまでや。

大西弘子にとってセックスに等しい夫婦喧嘩のネタができて、大西弘子はシメシメやったやろ。

いずれにせよ、今回の大西弘子がホンモノであろうがニセモノであろうが、いずれにしても、自分の言い分しか言ってない。

私が、日立製作所は個人情報保護法に違反して、違法に私の個人情報を収集し、それを隠蔽するために私を懲戒解雇してきたという主張はなにひとつ聞いてない。

日本共産党のイヌ杉浦はる子とか、ガマガエル藤井昭子とかが、
「日立さんがそんなことしてのはずがない!」

と言うたら、それが正しいと思うてまうねん。

私は大西弘子にとって子供やから、子供には自分から教える一方で、子供から教わることなんかないと思うてもとる。

だから、日本共産党の元議員という肩書きのある杉浦はる子とか、大学教授だか講師だか知らんけど、そんな肩書きのある藤井昭子の言うことばかり聞いてまう。


ああ、大西弘子をひと思いに殺したいなあ!
バットでアタマを思い切り叩き潰したい。


警察もコレで私を逮捕したら、恣意的過ぎるけどなあ。


お、E235系は10Gかよ。

今日は久々に、「アーロと少年」でも観たいしなあ。

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