「ブス」は「バルス」に並ぶ、滅びの呪文?
当コラムのテーマは「ブス」である。
非常に毒性の強い言葉であり、「いい意味でブス」「ブス(褒め言葉)」等、ありとあらゆるオブラートで包んでも、その殺傷能力は消せるものではない。
むしろ、「白雪のように白い肌と金糸のような艶やかな髪、福音のような美声を持つブス」というように、すべてのポジティブ要素を木っ端みじんにする上に、さらに破壊力を増大させるという、まさに滅びの呪文なのである。
もはや、シータとパズーが「バルス」の代わりに「ブス」と叫んでいても何ら不思議ではないし、ムスカの目がイカれたのも、彼の眼前を色とりどりの絶世のブスたちが、メリーゴーランドのように駆け巡ったせいなんじゃないかとさえ思える。
このように、取扱いが非常に難しい「ブス」を何故取り上げようと思ったかというと、まず容姿を第一に見られてしまう女性に対する差別への抵抗と、容姿にとらわれない生き方を提唱するため、ということは全然なく、私が以前運営していた「ブス図鑑」というブログを書籍化するにあたり、尺が全然足らないので、たとえ言いたいことが一つもなくても水増しのために書かなければいけないからだ。
そもそも、その「ブス図鑑」も、その時に発売した『アンモラル・カスタマイズZ』という漫画の販促のために始めたのである。つまり、一点の曇りもなく金のためなのだが、その本が売れたかいうと、無言で両腕を頭の上で交差である。
しかし、本作は何故か2013年の文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選ばれたという、実績もある。ちなみに何故選ばれたかは、関係者含め未だに誰も知らない。
だが、それで本が売れたかというと、超高速でウィンクしながら「察せ」という信号を送り続けるしかない。
しかし、私は他人の作品が、何かの賞に選ばれたというニュースを聞くだけで、その作者に会ったこともないのに、あたかもクラスのムカつく奴が校内で表彰されたかの如く嫉妬できるという能力の持ち主なのだが、実際受賞することにより、本の売り上げにつながる賞はおそらく一握りしかないのだ。ということがわかっただけでも、推薦作品に選ばれて心から良かったと思っている。
それに、当然、権威主義なので「文化庁の推薦」という肩書がもらえただけでも十分だ。現に三年経った今でも言い続けているし、晩年になれば1日100回は、介護士にその話をするつもりである。
みんな違ってみんなブス
このように、人間これだけ金のために全力で動いても、それが得られないばかりか、疲労だけ残るという場合の方が多く、美もまたそれと同じである。むしろ、美を得ようとあがく姿が醜いなどと言われてしまう始末なのだ。
つまり「ブス」とは、ただ単に顔のデザインが地球向けでない人、またはパリコレ級にハイセンスすぎて一般に理解されない人のことではなく、生き様がブスなことも含まれるのだ。
それに、「あの人は美人だが性格ブスだ」という言葉がある。
おそらく、どんな非の打ちどころのない美人を前にしても、絶対に敗北を認めないという不屈の精神をもったブスが発した言葉だろう。
また、「美人は三日で飽きるが、ブスは三日で慣れる」という、どう考えてもブスが考え出した言葉もある。それを先祖代々ブスが語り継ぎ、後世に残る格言になっているのである。
このように、ブスすぎて語彙能力が発達してしまい、とても美人には思いつかないような名言を次々ドロップするブスもいるのである。こんなブスなら三日で飽きる美人よりも一緒にいて楽しいであろう。
つまり、「つまらない美人より、おもしろいブスの方がいい」「歴史を作るのはブス」ということである。もちろんブスである私が、今考えついた言葉だが。
このコラムを通じて、ただ単に見た目がイケてない女だけをブスというのではなく、もっといろんなブスがいる、「ブスは細部に宿っている」「みんな違ってみんなブス」であるということを示していきたい。と、これも今思いついた。
自分の容姿を自己評価する女は全員ブス
じゃあ、そういうお前は結局どうなんだ、と言われるかもしれないが、日本において「自分の容姿を自己評価する女は全員ブス」なのである。例えば、「私はブスです」と言えば、「他人に『そんなことないですよ~』と言って欲しいだけだろう。なんて根性の曲がった女だ、それが顔にも出ている。ていうか本当にブスだ、死ね」となり、「美人です」と言えば「自分で自分を美人と言うなんて、なんて嫌な女だ。性格の悪さが顔に出ている。ブスだ、死ね」となり、「普通です」と言えば、「その顔でよく自分が普通だなどと思えるな、ブス、死ね」となるのだ。つまり、卑屈でも自信満々でも公平でも許されず、とりあえず死ぬしかなくなるのである。
よって、私のこともとりあえず「死ぬしかないブス」だと思ってくれれば、まず間違いはない。
ただ、これだけは言いたいのは「人は顔ではない」ということだ。じゃあ、心かというと、そっちで勝負するのもかなり厳しい。つまり、人は顔ではない。かといって、心でもない。じゃあ何かというと、とりあえずその二つ以外で頼む、ということである。
このように、ブスについて考えると、いつも何か深いことを言っているようで何も言っていない、という現象が起こる。
このコラムは、一貫してそういう感じである。