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ニノとシオンと人類領域
「勇者に滅ぼされるだけの簡単なお仕事です」の書籍化に伴いダイジェスト化した部分となります。
ニノは、不満気に唇をとがらせていた。
此処は、シュタイア大陸。
人類領域とも呼ばれる場所の、聖アルトリス王国と呼ばれる場所の首都……であるらしい。
らしい、というのは興味が全くないからだ。
たとえば魔王ヴェルムドールが何かの拍子にそれを問うてきたならば即座に答えられる。
だが、ニノ自身はそれに何の興味もない。
人類が普段何を考えて過ごそうと、一切の興味はない。
まだゴブリンの一日を追いかけている方が実りがあるように思える。
そんなニノが何を不満に思っているのかというと……だ。
それは、彼女の主である魔王ヴェルムドールについてである。
今ニノ達がいるのは、鋼の魚亭と呼ばれる食堂兼宿屋である。
裏通りに存在する此処は、騒がしすぎず、また「信用のおける」場所であるらしい。
それ自体は、ニノにも依存はない。
メタリオと呼ばれる人類の一種である店主は多少いい加減ながらしっかりしているように見えたし、裏表も無さそうだ。
そこは、問題ではない。
あくまで、問題は魔王ヴェルムドール自身にあるのだ。
いや、その呼び方も此処では適切ではない。
シオン。
それがこの場での魔王ヴェルムドールの名前だ。
そう、魔王ヴェルムドールは今、人間の冒険者シオンとしてこの国に潜入しているのだ。
目的は、色々ある。
例えば、人類領域に伝わる歴史の調査。
これは暗黒大陸に残る歴史があやふやで断片的なものしか無いから仕方のないことではある。
何しろ、魔王ヴェルムドール……いや、シオンの目的は「勇者に滅ぼされないような状況を整える」ことである。
その為には、何故勇者が攻め込んできたのかを知るしか無い。
これは暗黒大陸では分からないし、人類領域のほうが詳しいことが分かるのは確かである。
実際に、酒場では吟遊詩人が勇者伝説を唄い、そこらの子供でも勇者伝説を知っている。
どうにも「勇者」という存在は、人類領域に平和をもたらした英雄として扱われているらしい事がわかる。
押し込み強盗の分際で厚かましいとニノは思うのだが、シオン曰く「前魔王にはそうされる理由が確かにあった」そうである。
しかし、シオンにはそれはない。
だからこんな所に来る必要はないのではないかと問えば、そうとも限らないとシオンは言うのだ。
シオンによれば、人類は不幸の理由を何処かに求める傾向があるらしい。
そして、それが魔族に向かないという確信はない。
故に、そのあたりを調査し原因があれば取り除くことが重要なのだという。
なら人類そのものを滅ぼしてしまえばいい……というわけでもないらしい。
ニノがそれを言った時、シオンは苦笑しながらこういったものだ。
それをやれば、間違いなく人類は勇者を召喚するだろうな……と。
「勇者……」
ニノは呟いて、ベッドから身体を起こす。
此処は、二つのベッドが置かれた鋼の魚亭で一番広い部屋だ。
この部屋が選択されるにあたっては二部屋にしようとするシオンと一部屋で一つのベッドにしようとするニノとの間で壮絶な駆け引きが行われているのだが、それはさておき。
もう一つのベッドで寝息を立てているシオンを起こさないように、ニノは部屋の隅に転がっている絵本を手に取る。
こんなものでも貴重品で、驚くべきことに小銀貨四枚もするのだ。
これを一冊買うお金で、リンゴジュースが五十杯も飲めてしまうのだ。
本当に驚くべきことだ。
あの甘くて美味しいリンゴジュースを四十杯飲んだほうが、どれ程幸せになれるかわからないというのに。
溜息をつきながらニノは勇者伝説の本を、窓の月明かりの下へと持っていく。
勇者リューヤ。
この国にあるアルトリス大神殿が、命の神の力を借りて召喚した異世界の人間であるらしい。
類まれな身体能力と魔力を持った勇者リューヤは、魔王シュクロウスを倒すために旅立った。
様々な仲間達と絆を紡ぎ、あるいは別れ勇者リューヤは成長していった。
神々の力を束ねた聖剣を振るい、魔王シュクロウスを倒した。
そして、全ての黒幕であった大魔王グラムフィアをも倒して世界に平和をもたらした。
簡単にまとめるなら、そんな話だ。
魔王シュクロウス。
これの存在もよく分からない。
魔王というのは唯一無二の存在であって、この当時で言えばグラムフィア以外の魔王が存在するはずはない。
しかし、人類領域ではシュクロウスなる魔王の存在が語られている。
単なる創作と断じるのは簡単だが、どうにも違うように感じるのだ。
存在しないものが存在している。
その矛盾を解決する手段は、今はない。
そして、聖剣。
かつての魔王グラムフィアを滅ぼしたという武器。
これの正体と所在についても、よく分からない。
シオンは最初、何処かに安置されているのではと探っていたのだが、その結果は芳しくなかったようだ。
何しろ、勇者リューヤのその後の足取りですらも追えないのだ。
貴族となって幸せに暮らしたと、とある人間は語る。
愛する人と何処かで隠遁して暮らしたと、とある人間は語る。
神々の園へ導かれたのだと、吟遊詩人は語る。
しかし、これこそ真実だという話に出会えたことはない。
調べれば調べるほど、シオンの悩みが増していくのがニノには心苦しかった。
くだらない妄言を吐く者を見る度に、路地裏に引きずり込んでボコボコにしてしまいたい衝動にかられる。
……ちなみにではあるが、完全に我慢しているわけではない。
時折、身なりの良いシオン達を狙うごろつきの類が出ることがある。
そういった連中の粘っこい視線を確認する度に、ニノは何かを言う前にボコボコにしている。
本来ならば遺恨を残さないように殺しておくのが大切だが、余計な噂をたてて目立つわけにもいかない。
ついでに、シオンに心労をかける前にどうにかしておくのも大切だ。
今日も確か、数人を裏路地に転がしただろうか。
殴っても殴っても湧いて出る辺り、この首都とやらは暴虐と背徳の街なのではないかと思うこともある。
それとも、人類がそういう種族ということなのだろうか?
充分に有り得る話だとニノは思う。
やはり機会さえあれば一掃しておいたほうがいいようにも思えるのだが……シオンはそれを良しとはしないだろう。
「……」
ニノはちらりと、寝ているシオンの顔を見る。
寝ている時だけは悩みから解放されるのか、実に幸せそうな顔をしている。
こっそりとシオンの寝るベッドの横に移動し、頬をツンツンと突いてみる。
反応は、無い。
髪の毛を、撫でてみる。
聞こえてくるのは、寝息だけだ。
布団を、軽く捲ってみる。
「……ん、むう……」
小さな声が聞こえてきた後、また静かな寝息が聞こえてくる。
ごそごそと、シオンの隣に収まって布団を被る。
伝わってくる暖かさが、なんとも眠気を誘う。
明日シオンが起きたら怒られるだろうが、それは明日の話だ。
そう、明日。
明日は確か、ゴブリン退治に行くのだっただろうか?
このシュタイア大陸のゴブリンの頭の悪さを思い出して、ニノは辟易する。
魔王の威光に畏れすら抱かないシュタイア大陸のゴブリンは、まさに魔族の恥さらしだ。
そんなものを殺すのは問題ないが……それが魔族だと人類に思われるのは、どうにも我慢がならない。
どうにか、まるごと殲滅できないものだろうか?
「む……」
ニノから漏れだす殺気を感じたのか、シオンが薄目を開ける。
とっさにニノが気配を殺すと、シオンは再び目を閉じる。
危ないところだった、とニノは思う。
ここでシオンが起きてしまっては、一緒に寝る計画が台無しだ。
今日のところは、何も考えず寝ることにする。
「……おやすみなさい、シオン様」
色々と我慢できないことはあるが……折角の二人旅なのだ。
このくらいの役得は、あってもいいに違いない。
ニノはそんな事を考えながら、ゆっくりと目を閉じた。
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