INTERVIEW

京都に出版社をつくる(には)

京都に出版社をつくる(には)  第一回 ホホホ座×月曜社 
前編「新しい方法論を探っていくしかないね、という結論」

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昨年、京都・北白川の個性派書店として知られる「ガケ書房」が京都・浄土寺に移転し、移転先にあった古本・雑貨店「コトバヨネット」とともに改名、「ホホホ座」として開店した。「ホホホ座」は本と雑貨を売るショップの名前だが、集ったメンバーたちで構成される企画編集グループの名前でもある。彼らはセルフパブリッシングを手がけ、自分たちで本をつくり、本を売っている。企画編集した『わたしがカフェをはじめた日。』は、好評につき小学館からも刊行されているが、最初から狙ったスタイルだったという。「京都に出版社をつくる(には)」は、自分たちの出版スタイルを模索している「ホホホ座」メンバーたちが、今の時代で出版社をつくっていくということについて、先人たちに聞いていく公開イベントだ。第一回は、人文書出版の月曜社を立ち上げた小林浩氏をゲストに招いて、出版社立ち上げのエピソードとその経営方針を聞いていく。
※本記事は、2015年10月25日にImpact Hub Kyoto(主催:AZ KYOTO / amu)で開催されたトークイベント「第1回 京都に出版社をつくる(には)」を採録・再構成したものです。

[前編]

独立とお金

松本:今日はよろしくお願いいたします。ホホホ座と申します。ガケ書房をやっていた山下君と僕で4月からホホホ座として再スタートしました。僕らは出版というか編集をやってまして、こういう本(『わたしがカフェをはじめた日』)を去年出しました。これはガケ書房で自費出版した本なんですが、いまは小学館から増補版という形で出ています。絶賛発売中で、しかもホホホ座で買うと特典がついてますので、よろしくお願いいたします。一応最初で宣伝しておこうかなと(笑)。
 さて、では最初に小林さんが月曜社を立ち上げられたきっかけをお聞かせ願えますか。

小林:そうですね。大学生のころから出版社に勤めたいと思っていたんです。それだけじゃなくて、自分自身で出版社をやりたかったんですね。当時から。でもいきなり自分で始めるのも難しいですから、まずは勉強と経験だと。幸運にも未來社に拾ってもらって、その後、哲学書房、作品社と移っていきました。
 作品社時代に同僚だった九つ年上の編集者がいて、その当時僕は営業だったんですけど、その先輩が先に作品社を辞めたんですね。そのあと僕が後を追うように辞めることになって、それで短期間に辞めた二人が一緒にやろうかということになって月曜社を始めたんです。
 僕が独立したのが32歳のときだったのですが、目標にしていたみすず書房の役員の方で守田省吾さんという方がいて、守田さんはもともと商品管理をやられていたそうなんですが、32歳の時に編集にうつられたんですね。売り手である営業から作り手である編集にうつるということの、目標というか憧れというのがあって、目標にしている守田さんと同じ年齢で独立できたというのは、偶然だったとはいえラッキーでしたね。

松本:素朴な疑問なんですけど、会社を立ち上げるわけじゃないですか。

小林:はい。

松本:もちろん出版業界にいはったんで、わかると思うんですけど、いうたらお金がいるわけじゃないですか。それはどこから調達しはったんですか。

小林:ウチは有限会社なんですね。株式会社が1円でつくれる現在の法制ができる前の時代に設立したので、代表取締役の神林とふたりで300万円を用意しました。300万円なんてあっという間になくなっちゃいますから、運転資金については、いまは日本政策金融公庫という名前になっていますが、当時の国民生活金融公庫に、お金を借りに行きました(中小企業金融公庫にではありません)。個人的に支援してくださる方から援助いただいたこともあります。今はようやく銀行から借りれるようになりました。
 ウチは2000年の12月に設立して、2001年9月に最初の本、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』を出したんですね。その3か月後、12月7日のウチの創業1周年の記念日に、取引先のひとつであった取次の鈴木書店が潰れたんですよ。そのときの負債が100万以上あったんです。資本金300万に対して、ようやく1年後に1冊出したばっかりなのに、いきなり100万を超える損失が出そうになって当時はすごくきつかったんです。鈴木書店の場合は倒産だったので、その後の返品の累積で債権を相殺できました。だから最終的に100万円以下になったんですけど。
 ウチが2000年に立ち上がった翌年にどういう版元が設立されたかというと、トランスビューですとか、株式会社批評空間などですね。ゼロ年代の新しい出版社として注目してもらえました。批評空間の内藤裕治さんは癌で早世されたので、会社自体がなくなってしまいました。トランスビューは、今は書籍出版だけでなく販売代行もされています。

スタートラインに立てた

山下:いま経歴を聞いていて思ったんですけど、最初は未來社さんですよね。で、次に哲学書房、作品社と。ちょっと一般的には固めの出版社だと思うんですけど、それはご本人の趣味が反映されているんですか。

小林:はい。哲学思想系の本が好きだったんですね。学生時代の就職活動では岩波書店と平凡社を受けたんですよ。岩波書店はそれまでは推薦入社枠しかなかったんですけど、その年はたまたま公募を再開した時期に当たりました。書類審査が通って筆記試験に行ってみたら、広い体育館みたいなところで試験があって、結果落ちました。その年はひとり採用したとかしないとかだったと記憶しています。平凡社も筆記試験までいったんですけど、論文が上手く書けなくて、やっぱりだめで。就職浪人したんです。
 大学を卒業してどうしようかと思っていた春、未知谷という出版社でバイトをさせていただきました。青土社で編集をされていた飯島徹さんが設立した出版社で、設立されてまだ間もないころでした。飯島さんからそのときにいわれたのが、「この業界は狭い世界だから、入っちゃえばそのあとは比較的移動しやすいから」ということでした。
 そのあと、就職浪人1年目で、医学系の版元を含め、とにかくたくさんの出版社を受けたんですが、全滅したんですよね。それで、にっちもさっちもいかなくなって、学生時代にファンレターを出したことのある未來社の西谷能英さんがちょうど編集長から社長になるちょうどその時期だったので、「お茶汲みでもなんでもいいのでやらせてください」ということで、なんとか運よく雇ってもらえたんですよね。しばらく経ったあとに、西谷さんに聞いたんですよ。「どうして採用してもらえたんですか」って。そうしたら「きみがいちばんしつこかった」って(笑)。僕はそのとき必死だったんで、自分がそんなにしつこいなんて思っていないわけなんですけど、必死さを受け止めてもらった結果、スタートラインに立てたのはとてもいい経験でしたね。

営業職から編集職へ

山下:そこに入られて営業職、その後編集もやられるわけですが、営業と編集のスイッチングってうまくできるものなんですか。

小林:僕はもともと編集をやりたかったんです。でも営業って要するに仕事という名目で本屋さんにいけるじゃないですか。僕は本屋さんが大好きであこがれてもいるんです。大学時代にリブロ池袋店によく通いました。いまは閉店しちゃいましたけど、当時今泉正光さんという名物店長もいましたし、田口久美子さん(現在ジュンク堂書店池袋本店)もいらっしゃいました。綺羅星のごときカリスマ書店員さんたちがいた黄金期だったんですね。そこに毎日通って、人文書売場ならどこの棚のどの列にどの本が置いてあるというくらいまで、覚えちゃうくらいに日参してたんです。

山下:へえ。

小林:そういう僕みたいなファンを狙っていたのかわからないんですけど、ときどき棚の中に在庫僅少本が1冊差さっていたりするんですよ。毎日通っていて棚構成を覚えているからその本だけパアーッと輝いて見える。そうなると必ず買ってしまう、そういう手に何回もひっかかって、というのを繰り返してました(笑)。だから僕からすると営業マンというのは、大好きな書店さんに仕事という名目で毎日朝早くからいけるということで僕自身はホクホクしてました。

山下:じゃあ、まあこのまま営業でもよかったかなという気持ちもあったんですか。

小林:そうなんです。ただやっぱり、編集者にはあこがれていました。僕が大学生時代にファンレターを出した方にはもう一人いて、7年ほど前にお亡くなりになってしまいましたけど、哲学書房の中野幹隆さんという方がいました。その方が僕の一番憧れていた編集者だったんです。
 中野さんは、最初「日本読書新聞」にお勤めになり、その後、竹内書店に移られました。そこで「パイデイア」という雑誌の伝説的なミシェル・フーコー特集号を手掛けられ、そのあとさらに青土社では「現代思想」を創刊され、そのあと朝日出版社で「エピステーメー」という雑誌も創刊されました。そして80年代半ばすぎに哲学書房を立ち上げられたんです。
 みなさんも読書の折に特定の編集者の名前をよく見かけるという経験がおありかと思うんですね。あとがきなどで、著者からすごく感謝されている担当者とか。僕にとってそういう人が中野さんだったんです。未來社で何年か働いた後で、中野さんに声をかけてもらったことがあって、一も二もなくやらせてくださいということで、転職したんです。そこで編集の経験をしました。

物流と金融

山下:さっきトランスビューという名前が出てきましたけど、トランスビューやウチが取引させてもらっているツバメ出版流通など、要するに自費出版もしくは小規模出版の本を取りまとめて書店に卸して取次としてやっているところがあるんですけど、そのあたりは一般の方に馴染みがないところだと思うので、説明していただいてもいいですか。

小林:本の流れはおおまかに言って、版元→取次→書店→個人客・図書館、という枠組みです。戦後の取次の歴史についてはそれだけで長い話になりますから専門研究書や業界紙誌のバックナンバーに当たってみるといいかもしれません。取次の機能は物流と金融です。
 版元にせよ書店にせよ、個々別々に取引をするのは膨大な仕事量になるので無理です。本の行き来とお金のやりとりを一括して扱うのが取次で、取次は出版業界のかなめと言っていいでしょう。少量多品種を扱う本の業界にとってなくてはならない存在です。
 新規の出版社が総合取次の取引口座なしで本を売るとなると書店さんとの直取引がメインになるでしょうね。直取引がしんどい場合は、仲介してくれるパートナーを探さねばなりません。そのときにトランスビューやツバメ出版流通が出てくるんです。トランスビューは販売代行です。ツバメ出版流通やJRCや地方小は中小取次。星雲社は発売元。さっきもいいました通り、直取引は版元にとっても書店にとってもやりとりがいちいち細かくなって管理が面倒です。販売代行にせよ、中小取次にせよ、発売元にせよ、物流と金融の二つの機能をなるべく集約するべく存在しています。

山下:トランスビューは「販売代行」で、ツバメ出版流通は「取次」ということで、それぞれ別のものなのですね。

小林:そうですね。ここ数年で出版界がいよいよ本格的なリストラ時代に突入した背景もあってか、「独立したいんだけど」という方々から「どうしたらいいのか」と相談を受けることが何度かあったんですね。そのときに必ず問題になるのが流通と販売の方法です。独立したいという方はだいたい編集者なので、営業や販売にさほど詳しくない。で、どうしたらいいんだ、と。取次の口座を取れれば一番売上的には大きいはずなんですけど、連帯保証人が必要なんです。そこが非常に厳しいんですよね。連帯保証人は自分の両親でもいいのかというとそうではなくて、業界の社長クラスの名前が2名分くらい必要です。

山下:なかなか新規では大変ですね。

小林:連帯保証人なんて誰もなりたくないですからね。でもそうしないと大手取次の口座は取れないんです。じゃあ取次が無理な場合に他にどのような流通の形態があるのかと聞かれると、出版社だけれども星雲社とかトランスビューのような、販売代行や発売元がいて……。

山下:あの、僕はそのへんの会社とよく取引しているんですけど、その辺の違いがいまいちよく分からないんですよね。僕にとっては小規模出版社をウチに紹介するという意味で、トランスビューでもツバメ出版流通でもJRCでもほぼおんなじ感じに見えるんですけど。それらは違うんですか。

小林:あくまでもトランスビューは出版社です。

山下:トランスビューの出版物ってありましたっけ? あ、池田晶子さんの……。

小林:『14歳からの哲学』ですね。あれは、何十万部と売れたので、書店さんとの直の窓口が開きやすかったでしょうし、取引が継続できたんでしょうね。自分たちがもっている流通網を取次の口座を取れない人にも使ってもらえるようなシステムを今の社長の工藤さんがつくったんです。

山下:なるほど……。

小林:トランスビュー扱いの版元の中には、水声社のご出身で、共和国の下平尾さんという方がいて、僕と同い年なんですけど、彼が独立する際に、話を聞いたんです。僕は15年前に独立したときには、先輩から「取次の口座」を取れ、といわれたので、それと同じようなことを下平尾さんにもいいました。でも営業をやったことがない人が取次の窓口にいきなり行って話をしてもまず門前払いをくらっちゃうんですよ。それなら、他にどういう手があるといったときにツバメ出版流通やJRC、星雲社、地方・小出版流通センター、トランスビューがあるという話をして、結局トランスビューを選ばれたんです。

新しい方法論を探っていく

山下:それぞれ取引の条件は違うんでしょうけどね。今日お集りの方の中にも本を流通の中に乗せることに一番興味持っている方もいらっしゃるのかな、と。今、本は質を問わなければある意味、誰でもつくれるじゃないですか。それを自分で好きな書店に直接交渉してみることはできると思うんです。でもそうじゃなくて、全国規模で効率よく展開できる方法論を次の世代たちは探っているのかな、と感じています。最近売りたがる人、つくりたがる人が増えてますよね。買う人が減っているのに(笑)。供給過多になっているのにね。昨日もね、僕本屋さんを始めたい人の前でしゃべったんですけど、そうすると「やめときや」みたいな話になるんです。

小林:(笑)

山下:でもね、新しい方法論を探っていくしかないね、という結論になるんです。例えば、いわゆる取次と呼ばれているところを経由する以外にも本を流通させる手段がいくつかあるわけですけど、そのあたりの会社と取引するに際しての具体的な条件をもしご存知でしたら、ここで披露していたければ僕らも勉強になるんですけど。

小林:それぞれの条件はさすがに他社さんのことなので、なかなかいいにくいし、くわしくはさほど知らないんですけど、どういう違いがあるかっていうと、トランスビューの場合には取次を介さないでそのまま書店さんとやりとりになるという方式ですよね。それに対してツバメ出版流通や地方・小出版流通センターというのはそれぞれ取次なので、そこからさらに日販などの取次を介して書店さんに行く。書店さんにとってみれば、直取引ができるのであればトランスビュー方式でいいんだけれど……。

山下:ウチはツバメ出版流通は取次を通らないですね。ツバメさんと直接やってます。

小林:ええ、ツバメ出版流通さんと取引していればダイレクトに来ますが、日販やトーハンを使っている書店さんは、ツバメ出版流通やJRC、地方小などを経由してメイン帳合である日販やトーハンに入れてもらうのです。これを仲間卸といいます。調達時間は多少長くなります。出版社→JRC→日教販→日販→書店というように、いくつもの会社が間に噛む場合もある。その点トランスビューのように直取引であれば、宅配便で早めに着荷しますよね。速度の違いがあります。

山下:僕はこの12年書店やって、肌で感じているのは、最初の頃はツバメ出版流通もなかったし、JRCもあるにはあったんですけど、地方・小出版流通センターが圧倒的に多かったんですよね。まあそれしかあれへんかったからかもしれませんけど、ちょっとずつJRCが増えてきて、だんだんトランスビューとツバメ出版流通の扱っている商品が増えてきている印象があるんですね。で、ウチの場合は地方・小出版流通センターやJRCは取次を通しているから時間がかかるけど、ツバメ出版流通とトランスビューはめちゃくちゃ入荷が早いんですよ。例えばトランスビューは夕方頼んだら翌朝に届くんですよね。しかも1冊から。でも地方・小出版流通センターとかJRCはそれ無理なんですよね。そういうリーズナブルさがどんどん求められているのかなと思います。

小林:そうですね。なおかつトランスビュー方式の場合は、扱い出版社(例えば共和国)と書店の間にいるのがトランスビューしかいないので、それぞれの取り分というのが多くなりますよね。とはいえ、版元には送料がかかっていますが。でも、ツバメ出版流通やトランスビュー扱いの版元さんがどんどん増えているというのは、確かに傾向としてありますね。

[中編に続きます]

取材・構成:宮迫憲彦(AZホールディングス)
(2015年10月25日、Impact Hub Kyotoにて)


PROFILEプロフィール (50音順)

小林浩(こばやし・ひろし)

1968年生まれ。月曜社取締役。早稲田大学第一文学部を卒業後、未来社、哲学書房、作品社を経て、2000年12月に月曜社設立に参画。編集・営業の両面で人文書出版に携わる。

山下賢二(やました・けんじ)

1972年京都生まれ。21歳の頃、友達と写真雑誌『ハイキーン』を創刊。その後、出版社の雑誌編集部勤務、古本屋店長、新刊書店勤務などを経て、2004年に「ガケ書房」をオープン。外壁にミニ・クーペが突っ込む目立つ外観と、独特の品ぞろえで全国のファンに愛された。2015年4月1日、「ガケ書房」を移転・改名し「ホホホ座」をオープン。『わたしがカフェをはじめた日。』(小学館)を刊行。2016年4月、『ガケ書房の頃』(夏葉社)を刊行予定。

松本伸哉(まつもと・しんや)

1967年生。舞鶴市出身。90年代に中古レコード屋を経営のち、映画のセールス、制作などを手掛け、2011年に京都浄土寺にて古本、雑貨の店「コトバヨネット」を開店。編集企画グループホホホ座を「ガケ書房」山下らと立ち上げる。2015年には店名も「ホホホ座」に改名。


PRODUCT関連商品

わたしがカフェをはじめた日。

大型本: 88ページ
出版社: 小学館
発売日: 2015/4/1