朝鮮労働党日本支部

社民党



握手を交わす金正日と土井たか子=社民党党首

 社民党は旧社会党時代の1963年9月、訪朝団が北朝鮮を訪問して以来、朝鮮労働党との友好関係を築いてきた。同党は、北朝鮮工作員のテロが発生しても、党機関紙で北朝鮮側を擁護する下記のごとき発言を繰り返してきた。 「社会主義建設を進め、自主的平和統一を求める国には無縁の行為」(1983年10月の通称ラングーン爆破事件)

「なぜ(北朝鮮や赤軍派による)テロ事件と断定できるのか」(1987年11月の大韓航空機爆破事件)



 9月17日の日朝首脳会談で、北朝鮮の金正日総書記は日本人拉致事件を認めた。にもかかわらず、社民党は同党のホームページ上に、「拉致は新しく創作された事件というほかない」とする機関誌「月刊社会民主」(平成9年7月号)の論文を、会談後も掲載し続けていた。論文のタイトルは「食糧援助拒否する日本政府」で、筆者は社会科学研究所の北川広和・日韓分析編集。この論文の中で北川広和は、1997年4月に開かれた日米首脳会談で、日本が拉致事件などを理由に北朝鮮への食糧支援を拒否した背景を分析している。その中で、拉致事件については、韓国の国家安全企画部(安企部)が北朝鮮の元工作員の証言に基づいた情報であるとした上で、「元工作員が本当に存在するのかさえきわめてあやしいと言わざるをえない」と主張。また、産経新聞が1997年3月13日に報じた元工作員のインタビューにも「証言そのものが創作ではないかとの疑念が生じる」とし、「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」と指摘している。さらに、日本語の教育係を必要としたため拉致したとする説については、「見ず知らずの日本人を連れてきて、日本語教育係に育てあげることができるのか。(中略)北朝鮮には多くの日本からの帰国者がいて、わざわざ危険を犯して拉致する必要などない」と北朝鮮の犯行説を疑問視している。最後に「拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件なのである」として、拉致の事実そのものを真っ向から否定している。拉致が明らかになったにもかかわらず、拉致否定の見解をホームページに掲載していることについて、社民党総合企画室は「機関誌の主要論文についてはこれまでホームページに掲載してきたが、(北川論文についても)現時点で取りやめるつもりはない」とコメントしている。


福島瑞穂   1981年3月に旧社会党は、「東北アジア地域における非核・平和地帯創設に関する共同宣言」を発表、「核兵器と生物化学兵器の開発、実験、生産、所有、運搬、貯蔵、持込及び使用を一切禁止」という厳しい内容だった。北朝鮮と結んだこの「非核共同宣言」を前提に、北朝鮮に「核兵器は存在しないし、持つ意思も能力もない」という主張を、社民党は今日迄擁護し続けてきた。2002年10月に、北朝鮮の核兵器開発が明るみになったのを受けて、社民党の福島瑞穂幹事長は、「北朝鮮の核兵器について」と題する談話を発表したが、北朝鮮と結んだ「非核共同宣言」への言及は全くなかった。福島は(中核派の同盟員としても知られ、同派の集会にも公然と出席している。「痴漢に間違われて捕まった男性は、男性として連帯責任を負え!」これは、福島の発言である。また、福島の夫である海渡雄一弁護士は、東京・中野ゼロ西館美術ギャラリーで9月下旬に開かれた「星野文昭絵画展」と「獄中者とその家族が子供を産み育てる権利を求める会」の集会で司会を務めた。星野文昭は中核派の元学生活動家で、1971年沖縄返還協定批准阻止闘争にデモ隊として参加した際、機動隊員を殴打・焼死させたとして無期懲役が確定している。


土井たか子   土井たか子社民党党首(親族が北朝鮮に在住)は、原勅晃さん拉致事件の主犯である辛光洙元工作員の無罪放免を韓国当局に求めたことがある。土井たか子は、パチンコの業界団体から「パチンコ文化人」の称号を奉られている。北朝鮮財政を支えていたのは、実は日本のパチンコ産業からの献金であり、脱税業種の代名詞とまで言われるパチンコ業界は、過去半世紀にわたって脱税した金を、裏金としてせっせと北朝鮮に送金してきたし、いまも行っている。また、関連企業にパチンコ店を持つことで、脱税の隠れ蓑にしている北朝鮮系の企業も多い。土井たか子は、愛知県のパチンコ業界団体の名誉理事か何かを勤めており、これは、北朝鮮と友好関係にある社民党(旧社会党)が北朝鮮系のパチンコ業界を保護し、脱税の手助けをして金主席に外貨を貢ぐためである。つまり、社民党は組織的に脱税の手助けを行っているのである。そして、日本のパチンコ産業の献金が北朝鮮経由で社会党に流れこんでいる。また、土井の秘書である五島昌子は、1960年代に社会党に加入戦術を試みた国際過激派組織第四インターの同盟員であり、トロツキスト=世界同時共産主義革命論者である。五島は、母親が社会党婦人局長を務めていたこともあって、明治大学文学部在学中から社会主義青年同盟(社青同)活動家としてならし、1960年代初めから社会党国会議員の秘書を歴任している。


 1974年に訪朝した旧社会党婦人活動家代表団長の渡辺道子日本社会党婦人局長は、金日成主席と会見し、「チュチェ思想が具体的に実践された現実を見て、大きな勇気と信念を得ました。私たちは朝鮮を世界の人民から“社会主義先進国”と呼ばれる国にした偉大な金日成主席にお会いした感激を一生忘れない」と述べている。その後、土井党首は1977年に、社会党の朝鮮問題対策特別委員会委員として来日した北朝鮮女性代表団長のホ・ジョンスク朝鮮民主女性同盟中央委員会書記長から女性教育と女性の解放について教えを受けたという。ホ団長は「最も基本的な使命は、我国の女性達が国の真の主人として自覚的に生活できるよう、思想教育を行うこと。チュチェ思想で我国の全女性を武装させる活動を行うこと」と述べ、それを受ける形で、1977年11月4日付の「社会新報」で土井たか子党首は「金日成主席、ご自身の筆による『社会主義教育に関するテーゼ』を発表されましたが、その中でも女性に対する教育に対し、大変正しい指導をなさっていると思います」と北朝鮮の女性教育を絶賛している。


「北朝鮮拉致被害者が返ってこないのは当然!」

  この驚くべき発言は、社民党の辻元清美元代議士によるものである。<拉致問題というのは、これまでにも世界のいろいろなところで起きている> <国交正常化の中では、戦後補償が出るでしょう。日本は、かつて朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪ったことに対して、北朝鮮には補償も何もしていないのだから、あたり前の話>――辻元はそう言ってのけた。


 この辻元が詐欺事件を起こしたのは、記憶に新しい。辻元は、当時参議院議員だった照屋寛徳氏の私設秘書を務めていた邊見眞子を政策秘書だと偽り、1年8カ月もの長きに渡って国家から不正に給料を詐取し、5万のみを邊見さんに渡し、残りをピンはねして総額1500万円もの大金を着服した。また、辻元の第一秘書の名前は梅澤桂子というが、これと同姓同名の人物が在朝日本人女性故郷訪問団第3陣の一員だった。この集団は、北朝鮮人の夫と共に北に渡り40年間赤犬を食いながら同国で生活してきた女性たちで成り、2000年9月12日から18日まで日本に滞在していた。この在朝日本人女性の中に李桂順(61)という女性がおり、その人の日本名が梅澤桂子だったのである。もしも両者が同一人物ならば、辻元は第一秘書の給料も不正に取得していたことになる。日本にいないのだから、秘書として働けるはずがない。梅澤は北の住人であるから、日本国民の貴重な血税が北に流れ、金正日が日本人拉致やテポドン開発の資金になっていた可能性が高い。


 辻元の内縁の夫である北川明は、1975年にスウェーデンから強制送還され、旅券法違反で逮捕された日本赤軍のヨーロッパ担当兵である。西ドイツの日本人商社員誘拐・身代金奪取作戦に参加を予定していたものの未遂に終わり、公安調査庁がずっと動向を調査してきた要注意人物。辻元が北川と出会ったのは、朝鮮総連のスパイとして有名な小田実主催の「被差別民サークル」に加盟したのがきっかけだった。この北川明が経営する「第三書館」という出版社は、小田らの後援によって設立されたものであり、いかにも極左的・反体制的な題名の書籍や、マリファナや殺人・テロに関する詳しい書籍などを数多く発行している。この第三書館からは、辻元も取締役として出版に関係する傍ら、代議士として著書5点を刊行しており、HPでもその本を広告している。


 辻元は「ピースボート」を計画する傍ら、市民運動を装い金儲けと左翼運動を行う営利団体・株式会社ピース・イン・ツアーを設立し取締役に就任した。ピースボートは役員や会計の報告義務を回避するためNPO登録しておらず、㈱ジャパングレースの事業である。辻元が主催していた頃の「ピースボート」船上では、当局の目が届かないのをよい事に、参加者間(漫画家の石坂啓ら)で公然とマリファナが吸引されていた。また、船室、ラウンジ、医務室、その他いたるところで知り合ったばかりの男女が性行為を行い、数日後には別れているという乱交状態で、とても「ピース(平和)」や研修といった言葉とはほど遠い実情であった。さながら船全体が「乱交パーティー」会場、「売春宿」といった状態だったと参加者は語る。悪どい商法が各方面から大顰蹙を買っている「ピースボート」であるが、その実態は日本赤軍が国際的に作ろうとしている支援組織「ADEF(反戦民主戦線)」の表側の組織であり、北川明日本赤軍が移動する際ピースボートに紛れ込んでいた。またピースボートは、北川が経営する第三書館に数千万円を貸している。ピースボートは北朝鮮にもしばしば寄航しており、辻元がピースボート時代に北朝鮮に行くことができたのは日本赤軍関係者がいたからである。


 大阪10区(高槻・島本)を選挙区とする辻元だが、その地盤である高槻市はあの日本赤軍最高幹部の重信房子が潜伏、逮捕された場所であり、周辺に日本赤軍の関係者・支援者が多い地域である。辻本は早大在学中に極左団体と関係しており、彼女の選対本部には元過激派のメンバーが現在でも多数所属している。この他にも、社民党内には「元」過激派の活動家が相当数浸透している。例えば村山富市内閣当時の総理秘書には、共産同戦旗派(荒派)が1名、社青同解放派1名が属していた。社民党のみならず、民主党では比例区の今井澄参議院議員が元過激派であり、氏は共産同の大物活動家で東大全共闘を指導して安田講堂を占拠した人物である。これは、あの歌手の加藤登紀子の夫も同様である。


 辻元は、「組織も何もない市民派」と自称しているが、2000年6月の総選挙では、日本赤軍系の病院、中核派系の病院、赤軍系の北大阪生協、阪急電車労組が後援会の主力であった。日本赤軍は、社民党や辻元と利害関係のある選挙を有償無償で手伝っている。辻元自身、3年前から赤軍派が潜む西成にツアーを組むなどしていた。日本赤軍最高幹部の重信房子から警視庁公安部などが押収した1999年8月15日付人民革命党の第5回大会決議文には、「(日本赤軍が大衆組織にしようとしていた市民団体の)『希望の21世紀』、社民を軸に政治的影響力を強化する」との記述があったほか、重信が設立した人民革命党の昨年8月16日付の最新基本方針には「社民党との共同工作」の項目があり、また、「希望の21世紀として議員を出したり、社民党として地区基盤をつくりながら希望の21世紀の実力をつけていく」といった記述もあった。これに関連して警視庁と大阪府警の合同捜査本部は市民団体「希望の21世紀」関係者宅などを家宅捜査した。その中には、社民党の保坂展人代議士の元秘書のほか、東京品川区の船波恵子区議(34)=社民党=も含まれていた。共産同ML派(マルクス・レーニン)での活動を内申書に書かれたために高校進学を断念したことで有名な保坂は、「ピースボートを第一回から手伝っていた」と、自らの通信に書いていた。「希望の21世紀」は1995年に国内で設立、関東と関西を中心に活動。重信容疑者の逃走を助けたとして犯人隠避容疑で逮捕された元病院職員松尾整容疑者(39)も21世紀のメンバーだった。日本赤軍の国内組織有力メンバーである井上礼子は、夫が犯人(重信房子)隠匿罪で逮捕され、参院選出馬を断念した。重信房子の不正旅券取得に関わったり匿ったりしていたとして、辻元の選挙区にある大阪府高槻市光愛病院職員らが逮捕されている。この職員らは辻元氏の後援会有力者だった。たとえば、重信房子隠蔽で逮捕された吉田守は、辻元清美高槻後援会の幹部であった。この光愛病院は、日本赤軍支援グループの巣窟であり、その創設者は日本赤軍の前身である 共産主義同盟(ブント)赤軍派の元同盟員であった。また、重信を入院患者名義の偽造旅券で隠蔽した容疑で逮捕された人物は、「辻元清美後援会幹部」として社民党支援の「市民の絆・京都」に参加していた。北川れん子議員は、赤軍系のかりの会(よど号支援グループ)や、関東のがさ子ちゃんクラブと親しい「婚外子差別と闘う会」の古くからの会員であり、「かりの会」は、市民の絆・京都と同一人物が運営していた。「婚外子差別と闘う会」の主張は、性意識や一人親家庭の問題として非婚母子の人権を考えるというより、天皇制を頂点とする戸籍に婚姻届を出す必要はない、従軍慰安婦など戦時下暴力の原因も天皇制にあると考えよ、といったものであった。


  社民党が北朝鮮の「先進社会主義」に心酔しているとき、北朝鮮は日本人拉致を本格化し始めていたのだ。社民党は旧社会党時代から現在に至る迄、日本の国益よりも北朝鮮の代弁者としてその役割を果たしてきたといえよう。共産党も同罪である。2000年10月の党首討論で、当時の不破哲三委員長は、拉致事件は「疑いがある段階から出ていない」とし、拉致事件の解明を国交正常化交渉の前提とすべきではない、と主張していた。


 村山富市元首相を団長とする超党派訪朝団が一兆円もの持参金を持って日朝国交正常化に臨んだのは、1999年のことであった。同じ年、北朝鮮工作船による日本への領海侵犯事件がすでに発生しており、前年の1998年には北朝鮮が日本へ向けテポドンを発射してたばかりであった。当時北朝鮮は、戦争ポスターに「東京」と書き、攻撃目標にしていた。訪朝の際、金正日総書記への手土産として食糧80万トンの無償援助のほか、朝銀系信用組合に一兆円の公的融資が行われた。1997年に大阪朝銀が波綻した際は、預金保険機構から約3160億円にのぼる巨額の公的融資が、議論もなく投じられた。さらに、全国38の朝銀のうち、経営破綻を来した東京、福岡など13の信用組合に約一兆円の金融支援が追加されたのである。 朝銀は朝鮮総聯直系の金融機関であり、その中枢に北朝鮮労働党の非公然秘密組織「学習組」が存在し、カネの流れや人事を指揮しているという。その融資先のほとんどは、学校、機関紙(誌)、通信社、総聯地方本(支)部など非生産部門ということもあって、将来、再び焦げ付き、資金回収ができなくなる可能性が強い。すなわち、我々国民の血税が朝銀、総聯を通じて金正日に貢がれ、日本に向けた核弾頭ミサイルの開発にも充てられているわけだ。村山は政府に
(1)制裁処置の解除
(2)拉致問題を国交交渉再開の前提条件としない
(3)過去の植民地支配を謝罪
(4)食糧支援
などの条件を提示し、村山北朝鮮訪問団は日本人拉致事件解決などの前提条件抜きで両国国交正常化交渉の再開を決めた。交渉に際し北朝鮮側は、「食糧支援は国交正常化交渉に先駆けて前倒しで行って欲しい」と言い出し、野中広務も帰国後、「北朝鮮への食糧支援を速やかに行うべき」と発表している。また、野中はテレビのインタヴューの中で、「拉致やミサイルのことを、いつまでもグダグダ言つていたら、日朝交渉は進まない」と驚くべき発言をしている。

 翌2000年、日本政府は北朝鮮にコメ50万トン(1,200億円相当)を送った。北朝鮮が支援要請してきていないにもかかわらず、である。すでに2000年3月、日本は北朝鮮にコメ10万トンを無償で送っていた。ちなみに過去5年間では70万トンも送っている。9月、世界食糧計画は北支援のため国際社会に対して19万5千トンの供給を要請した。ところが、日本一国だけでその2~3倍に当たる50万トンを出すという。このコメ支援決定は「私の責任で決断した」と河野洋平外相(当時)が語った。1997年11月に、自・社・さの与党三党訪朝団(事務局長・野中広務)は、北朝鮮の対日工作責任者、金溶淳書記と50万トンのコメ支援を密約していた。この時の団長が、森義朗首相(当時)だった。更に1999年12月、村山訪朝団はそれを追認した。その約束履行の一環として、2000年3月に10万トンを送ったのだが、4月と8月に開いた日朝交渉本会談で、北朝鮮は密約の残り40万トンを早く送れと執拗に迫ってきた。コメの行く方は労働党幹部と軍部に廻しているといわれ、実際に飢えた人々に配給されることはなく、その使途が不透明であることはすでに周知だ。コメというカードを使い切ってしまったら外交の場で先にギブアップするのは日本の方だろう。何故50万トンなのか、その根拠について、政府は国民に納得できる説明をしないし、野党も全く追及しない。与野党、閣内においても議論されなかった。




日朝友好議員連盟 メンバー一覧



衆議院

〈自民〉

河井克行 中川秀直 池田行彦 相沢英之 河村建夫
滝実 野中広務 河野洋平 鈴木恒夫 佐藤静雄
武部勤 谷洋一 山口泰明 桜田義孝 中山義活
木村勉 森喜朗 横内正明 藤井孝男 伊藤英成
中山太郎 大野功統 塩崎恭久 山崎拓 原田義昭
衛藤征士郎 園田修光 小里貞利 園田博之 岩下栄一
松岡利勝 林義郎 桧田仁 鈴木宗男 吉川盛
二田孝治 井億貞雄 中村正三郎 中山正暉 奧谷通
奥山茂彦 坂上義秀 目方信 西田司 堀之内久男

〈民主〉

横道孝弘 佐々木秀典 鳩山由紀夫 鉢呂吉雄 永井英滋
辻一彦 中川正春 土肥隆一 北橋健治 池端精一
金田誠一 中沢健次 大畠章宏 細川律夫 近藤昭一
生方幸夫 石毛えい子 海江田万里 藤田幸久 桑原豊
坂上富男 高木義明 松本惟子 鍵田節哉 前原誠司
山本孝史 山元勉 日野市郎

〈社民〉

土井たか子 三重野栄子 村山富一 横光克彦 畑山健治郎
三重野栄子 村山富一 横光克彦 畑山健治郎 深田肇
伊藤茂 保坂展人 北沢清功 辻元清美 中川智子
知久馬二三子 中西積介 濱田健一

〈自由〉

西野陽 松浪健四郎 野田毅 横光克彦 畑山健治郎

〈明改〉

若松謙維 並木正芳 大野百合子 上田勇 小沢辰男
池坊保子 久保哲司 東順治

〈無所属〉

武村正義

〈共産〉

松本義明 金子満広 矢島恒夫 大森猛 中路雅博
穀田恵二


参議院

〈自民〉

景山俊太郎 山崎力 亀谷博昭 斎藤滋宣 岸宏一
国井正幸 長谷川道郎 馳浩 鈴木正孝 山下義彦
平田耕一 西田吉宏 常田詳 北岡秀二 山内俊夫
田村公平 森下博之 森山裕 佐藤昭郎 須藤良太郎

〈民主〉

菅川健二 峯崎直樹 小林元 梁瀬進 角田義一
藤井俊男 広中和歌子 斎藤勤 小山峰男 山下八洲丈
木俣佳丈 佐藤泰介 笹野貞子 久保恒 上原康助
今井澄 前川忠夫

〈公明〉

高野博師 海野義孝 加藤修一 福本潤一

〈社民〉

田英夫 大渕絹子 梶原敬義 照屋寛徳 大脇雅子
菅野壽 日下部きよ子 清水澄子 谷本勉 渕上貞雄
山本正和

〈共産〉

富樫練三 井上美代 緒方靖夫 宮本岳志 山下芳生
大沢辰美 小池晃 小泉親司 吉川春子

〈参会〉

高橋紀世子 堂本暁子

但し1999年3月31日現在



 

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