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心がよろけそうなときに読むポンコツ日記

自死遺族としての思いや日常のことなど徒然なるままに

「アホ」よりも「一緒に生きよう」って言って欲しかった

自殺関連




正直「またか」と思いました。これから私が死ぬまで何回こういった言葉を目にするんだろう。「自殺するヤツはアホ」。そうかな。私の父さんはアホだったのかな。そういうふうに読んで考えてしまう人がいるって想像してくれたかな。少しでも想像してくれたなら、それよりも上回る理由でその言葉を使う意図があったのかな。そうやって考えて考えて、疲れて、ムカつくとかよりも悲しい気持ちが上回ってしまいました。結局当事者にしかわからないのかもしれない。でも当事者ですら強い言葉を使う人がいる。それは自分を守るためかもしれない。だいたいが分かり合えないのかもしれない。でも私はまだ良い。私はまだ見慣れてるから、そういうネットの言葉に。自殺するヤツば馬鹿だのアホだの言う人がいるってもうわかっているから。だけど私以外の人が大丈夫って保証はどこにもないんですよね。なかなかリアルの知り合いには自分の近しい人が自殺したこととか、話せないですよね。それこそ他人に受け入れられなかったり、引かれたり、そういう反応をされることが恐ろしいからなんですよね。話すのは怖い。だからネットに救いを求めるんです。そこで見る言葉が「自殺はダメ」とか、拒否的な言葉だったら救いがないじゃないですか。私だって最初ネットでそういう言葉を目にしたときは泣きましたよ。つらかったですよ。さみしかったし、悔しかったですよ。

だけど私と同じような苦しみを他の人に受けさせたくないと思いますよ。自殺したくなった人を責めたくないですよ。無知でも良い、大切なのは相手どう思うか慮る心だと思う。私はネットに救いを求める人がネットで少しでも救われると良いなと思っています。だからどうすれば寂しさや苦しさが軽くなるか考える。考えてみたことをブログに書いてみる。そういう試みを地道に続けていくしかないんです。優しいネットを作るには。自殺した人を批判しなくていいし、自殺したくらいつらかった人の気持ちを少し想像してみたり、遺された人の悲しみが癒されることを願うネットでありたいと思います。


私もそうであったように、どうしても「自殺を止める」という発想が先行してしまいがちな気がします。だから強い言葉でブレーキをかけようとする。でもなかなかそれだけでは不安でいっぱいの心を受け止めきれないんだと思います。少し見方を変えてみれば「自殺を止める」っていうのは「生きることを促す」ということなのではないでしょうか。そう考えてみると自殺を考えざるを得なかった人達が生きてみたいと思う世の中にするにはどうすれば良いかと考えてみればいいのかな...と、ちょっと光明が見出せそうな気がします。
例えば今は生きる気がしない人もいると思うんですけど、そういう人たちに安心して休養をとってもらえるような環境づくりであったり。働くことが困難になった人達が経済的に困窮しない一時的なサポートであったり、死にたい人だって「生きたい」と思っていたときがあったんだと思います。そういう当たり前の「自分は生きていて良いんだ」と思えるような環境づくりを一緒に考えていきたいと思います、私は。ネットだとあなたの気持ちを聞くくらいしかできないかもしれないけど、根本的な解決にはいたらないかもしれないけど。身近な人に相談しても良いのではないかと、自分の気持ちを受けいれてくれる人が世界にはたくさんいるんだってことを知ってもらいたい。私の父も自殺したし、そのことを誰にも打ち明けられなくて泣いたこともたくさんあったし、うつにもなったけど、自殺したいと思ったこともあるけど、今はこうやっていろんな人に支えられながら、苦しさと不安を抱えながらも「生きてて良かった」と思っているから。そう思える世界だってあるから。だから一緒に生きようって言えるような人間でありたいと思います。私もそうだったから。死にたいと思うのは悪いことではないです。


何の手助けにもなってないだろうけど、気持ちを吐き出すことくらいしか手伝えないけど。気持ちを受け止めてくれる人もネットにたくさんいるから。死にたい気持ちもわかるから、その苦しさや不安と一緒に生きようと思います。