「鉄道博物館」。まるで大人の思い出再生装置

2016.03.29

埼玉県の大宮にある「鉄道博物館」は、鉄道の博物館としては日本最大級の規模を誇る。2007年にオープンして以来、話題の施設としてテレビでもたびたび取り上げられているのはご承知のとおり。いったい何がすごいのか。半日かけてじっくりと見学してきた。

▲旧国鉄が誇る人気の特急・急行形車両が並ぶ

「鉄道博物館」へはJR大宮駅から埼玉新都市交通ニューシャトルに乗っていく。ひとつめの鉄道博物館駅(旧・大成駅)で降りて1階の改札を出ると、もうそこが「鉄道博物館」の入口だ。
改札から博物館の入口までは、「プロムナード」と呼ばれる展示ホールになっていて、「D51形式蒸気機関車」の先頭部や修学旅行用電車「なかよし号」が出迎えてくれる。
▲「D51形式蒸気機関車」(D51 426、1942年製造)。同形式の機関車はおもに貨物を牽引。「デゴイチ」の愛称で親しまれた
▲修学旅行用電車として使用された「クハ167形式電車」(1965年製造)の先頭部モックアップ

1階ホールの「ヒストリーゾーン」に所狭しと並ぶ往年の名車両

鉄道博物館のなかに入ると、大きな吹き抜けのホールがあり、そこに約40の車両が並んでいる。ここは「ヒストリーゾーン」と呼ばれ、館内のなかでもメインとなる展示スペースである。
鉄道博物館は、「ヒストリーゾーン」をはじめとして5つのゾーンに区分されているが、各ゾーンが1階と2階にまたがっている場合もあってわかりにくいので、むしろ階で分けたほうが見てまわりやすい。
・1階=「ヒストリーゾーン」「シミュレータホール」
・2階=「鉄道歴史年表」「模型鉄道ジオラマ」「コレクションギャラリー」
・3階と屋上=展望デッキ
この記事でも1階から順に紹介していく。
時間がない人は「ヒストリーゾーン」だけを見ていくとよいだろう。

「ヒストリーゾーン」には、旅客用機関車の名作といわれる「C57形式蒸気機関車」のほか、ボンネットスタイルの先頭部が印象的な特急「とき」、日本初の新幹線車両「0系新幹線電車」など、日本の鉄道史を彩る名車の数々が並んでいる。
▲「C57形式蒸気機関車」(C57 135、1940年製造)。戦後に特急「さくら」ほか、各線で急行列車を牽引
▲上越線の特急「とき」などで使用された「クハ181形式電車」(クハ181-45、1965年製造)。右のホームは1967年頃の新潟駅を再現している
▲特急「とき」のポスター
▲「0系新幹線(0系21形式新幹線電車)」(21-25、1964年製造)の先頭部分。日本初の新幹線車両として東海道新幹線を走った
▲「0系新幹線」展示の地下部分には、東京駅の東海道新幹線ホーム下にあるゴミ収集用通路が再現されている
▲東海道新幹線「ひかり」の列車名標

展示されている車両は、蒸気機関車や電気機関車、気動車のほか、機関車に牽引される客車や貨車もあり、バラエティに富む。車両によっては車内に入ることもできる。
▲「ナデ6110形式電車」(ナデ6141、1914年製造)。大正時代の山手線や中央線を走った。2本のトロリーポールから電気を取り込む仕組みだ
▲内部は乗客の服装も大正時代のものが再現されていて興味深い
▲「マイテ39形式客車」(マイテ39 11、1930年製造)。東海道本線を走る特急「富士」などで使用された。ホームは1934年頃の東京駅を再現している
▲「クハ481形式電車」(クハ481-26、1965年製造)。当時は作業員がヘッドマークを手作業で交換していた。特急「ひばり」は上野~仙台間を、特急「あいづ」は上野~会津若松間を結んだ。右のホームは1972年頃の上野駅を再現している
▲再現された上野駅の表示板

100年近くにおよぶ鉄道博物館の歴史

「鉄道博物館」のオープンは2007年だが、その前身となる博物館はとても長い歴史を持っている。
1911(明治41)年、鉄道院(のちの国鉄)総裁の後藤新平が、鉄道に関する資料の収集・保存を関係者に命じたのが始まりで、1921(大正10)年に東京駅北口前の高架下に初代の「鉄道博物館」が開業した。
この初代は2年後の関東大震災で被災し、一時閉館に追い込まれるものの、1925(大正14)年に東京駅の神田駅寄りの高架下で改めて「鉄道博物館」として再開する。

しだいに所蔵品が増えたことを受けて、1936(昭和11)年には万世橋駅(現・マーチエキュート神田万世橋)の前に移転し(2代目)、戦後に「交通博物館」と名を変える。
しかし、この「交通博物館」も手狭となり、国鉄から管理を引き継いだJR東日本はJR創立20周年記念事業として大宮に「鉄道博物館」を新設することを決定した。

つまり現在の「鉄道博物館」は3代目である。
「ヒストリーゾーン」では、日本最初の鉄道(新橋~横浜間)を走った「1号機関車」のように、前身の鉄道博物館から展示され続けている貴重な車両を見ることもできる。
▲「1号機関車」(1871年製造)。イギリスから輸入された鉄道創業期に使用された蒸気機関車で、新橋~横浜間を走った。明治末に長崎県の島原鉄道に払い下げられたが、万世橋の2代目「鉄道博物館」の開業に合わせて東京に移送された。国指定重要文化財
▲「1号機関車」に接続された「創業期の客車」のレプリカの内部。当時は正座して乗る人も多かったのだとか
▲「7100形式蒸気機関車」(1880年製造)。北海道の開拓で活躍。弁慶号と呼ばれる。保存のために東京に回送される途中で関東大震災に遭遇し、黒磯駅で10数年間足止めされたのち、2代目「鉄道(交通)博物館」で展示された

感動!寝台列車用の「20系」に遭遇

展示されている車両のうちでとくに心惹かれるのは、やはり自分が子どものころに乗った車両である。
なかでも寝台特急「あさかぜ」の客車「ナハネフ22形式客車」の前では目が釘付けになってしまった。
この車両は、寝台列車用の客車「20系」のうちのひとつであり、「20系」はその青色の車体から「ブルートレイン」の愛称で親しまれた。
ずばり「ナハネフ22形式客車」ではなかったかもしれないが、1985年8月12日、小学4年生だった私は、当時住んでいた下関から群馬の祖父の家に行くために、「20系」で編成された寝台特急「あさかぜ」に乗って東京に向かった。なぜ日にちまでわかるかというと、翌朝、列車の窓からたくさんのヘリコプターが北へ飛んでいくのが見え、それが日航機墜落現場の御巣鷹山に向かうものだったとのちに知らされたからである。
▲「ナハネフ22形式客車」(ナハネフ22-1、1964年製造)。国鉄初の寝台特急用客車
☆(星)ひとつは客車の3段ベッドを示す。ちなみに☆2つは電車の3段ベッドで、客車の3段ベッドは寝台が枕木に対して平行なのに対して、電車の3段ベッドは進行方向に対して平行。☆3つは客車の2段ベッドだ。
▲ベッドをセットする乗務員

いまはなき「あけぼの」に涙あふれる

寝台特急「あけぼの」のヘッドマークも思い出深い。「あけぼの」は上野-青森間を結ぶ寝台特急で、駆け出しのライターだった2002~3年頃、「あけぼの」の寝台個室に自転車を乗せて秋田の男鹿半島にツーリングの仕事に行ったっけ……。
ヘミングウェイではないけれど、もはや「何を見ても何かを思い出す」という心持ちになり、思わず涙がこぼれそうだ。
▲寝台特急「あけぼの」のヘッドマークをつけた「ED75形式電気機関車」

200系新幹線など新しめの車両も展示

私は1975年生まれなので、鉄道博物館を楽しむには本当はまだ若すぎるのかもしれない。でも東北・上越新幹線用の「200系新幹線」のような昭和後期~平成の車両も展示されているので、私より若い人も絶対に楽しめると断言しておきたい。ノスタルジーにひたるのはけっして年配者だけの特権ではない。
▲「200系新幹線(222形式新幹線電車)」(222-35、1982年製造)。緑色がなつかしい。連結器を出し入れする様子を見学することができる
▲「200系新幹線」の内部
▲「クモハ101形式電車」(クモハ101-902、1957年製造)。両側に開くドアを国鉄で初めて採用するなど従来の機能を一新し、「新性能電車」と呼ばれた。中央線でデビューし、南武線では平成に入ってからも走っていた

「シミュレータホール」では京浜東北線や山手線の運転体験ができる

1階には「シミュレータホール」というコーナーがあり、実物の部品を使用した運転台に座ってハンドルを握り、スクリーンに映しだされた風景を見ながら運転体験ができる。シミュレータは「D51形式蒸気機関車」「209系(京浜東北線)」「211系(高崎線)」「200系新幹線電車」「205系(山の手線)」の全5種。
▲「D51形式蒸気機関車」のシミュレータ。このシミュレータのみ有料(500円・税込)で整理券が必要

子どものころから乗り慣れている「209系(京浜東北線)」の列に並んだ。
私の前の少年は王子~上中里間だったので、私は上中里~田端間を受け持つこととなった。
操作するハンドルはひとつで、手前に引くと加速し、奥に押すとブレーキがかかる。ディスプレイにはリアルタイムの運行速度と田端駅までの距離が表示される。
上中里を出ると上り坂なので一気に加速させた。やがて田端駅に近づくと下りになるので早めにブレーキをかけた。が、ブレーキを強くかけすぎてしまい、正しい停車位置から168メートルも手前で止まってしまった……。
▲「209系(京浜東北線)」のシミュレータ。田端駅のホームはすぐそこに見えているのだが、手前で止まってしまった

「C57蒸気機関車」が回転しながら汽笛を鳴らす!

2階に上がると、1階の「ヒストリーゾーン」が一望のもとに見渡せる。
「C57形式蒸気機関車」の置かれている転車台は、12時と15時に回転の実演を行なう。回転の最中には汽笛を鳴らしてくれるので、ぜひその迫力ある音も聞いていただきたい。
▲「C57形式蒸気機関車」は、転車台とともに時計の反対まわりで回転する

2階の「鉄道歴史年表」は実物資料や模型が充実

2階には、長さ75メートルにおよぶ「鉄道歴史年表」が展示されている。
実物資料や模型なども展示されていて、読まなくても“見て”楽しめる年表となっている。
▲「鉄道歴史年表」の展示
▲特急「はと」に乗務した「はとガール」の制服(レプリカ)
▲戦前に計画された「弾丸列車」の模型と設計図

またもや個人的な思い出で恐縮なのだが、通っていた高校の最寄り駅だった京浜東北線の与野駅の模型が展示されていたのには心底驚いた。駅舎の設計が東京の郊外駅の典型なのだそうだ。
▲京浜東北線与野駅の模型

「模型鉄道ジオラマ」は25メートルプールなみの大きさ

2階で忘れてはいけないのは「模型鉄道ジオラマ」のコーナー。
25×8メートルという巨大なジオラマのなかに総延長1,400メートルのHOゲージ(在来線=縮尺1/80、新幹線=縮尺1/87)の線路が敷かれ、最大20編成までの鉄道模型が所狭しと走りまわる。
1日8回、スタッフの説明付きの「解説ショー」も行なわれる(1回約10分)。
▲「鉄道模型ジオラマ」。水族館の大水槽のような大きさ
▲秋田新幹線の「E6系」(赤)を連結した東北新幹線の「E5系」(緑)が走る。新幹線はほかの車両にくらべて速いのでカメラでとらえるのもむずかしい
▲「成田エクスプレス」が走る
▲「解説ショー」の演出として、ライトが消えて夜にもなった

「コレクションギャラリー」に膨大なお宝が集合

さらに2階には「コレクションギャラリー」というコーナーもあり、ここには初代の「鉄道博物館」以来、長年かけて収集されてきた資料の一部が展示されている。
▲さまざまな列車のヘッドマーク
▲岡山駅で使用されていた東海道・山陽新幹線のアナログ式発車時刻表示板

3階「ビューデッキ」と屋上「パノラマデッキ」は“生”新幹線の見学スポット

最上階の3階とその屋上は展望デッキとなっている。
どちらも東北・上越・北陸新幹線の線路と隣接しているので、間近で“生”の新幹線を見ることができる。親切なことに新幹線が通過する時刻表も設置されている。
▲3階の「ビューデッキ」
▲屋上の「パノラマデッキ」にある新幹線の時刻表
▲北陸新幹線の「E7系」が走り抜けた

お腹が空いたら、食堂車で料理を食べよう

さて、お腹が空いたときや休憩したいときはどうするか。
「鉄道博物館」には1階に「レストラン日本食堂」、2階に「レストランTD(ティーディー)」という2つのレストランがある。どちらも高崎線や川越線の線路に面していて、走る列車を見ながら食事をすることができる。
「レストラン日本食堂」は、国鉄の食堂車を経営していた「日本食堂」の名を冠しているとおり、昔の食堂車で提供していたメニューをとりそろえている。
ちなみに「レストランT D」の「T D」は食堂車の略号。
▲「レストラン日本食堂」
▲「懐かしの食堂車のカツカレー」(900円・税込)と「アイスコーヒー」(300円・税込)。窓の外に川越線が走る
▲テーブルには車両の設計図が描かれている
▲2階の「レストランT D」
▲「ドリンクバー」(270円・税込)のカップには「D51形式蒸気機関車」のイラスト入り。テーブルには列車の運転時刻を示すダイヤグラム

おみやげは本でも模型でもお菓子でも

最後に、おみやげを買いたい人は1階と2階にあるミュージアムショップへどうぞ。
1階はお菓子や博物館のノベルティグッズが中心。2階は鉄道関連書籍や図録のほか懐かしのプラレールを販売している。
▲2階の書籍コーナー
▲2階で販売されている「プラレール」(1個2,000円程度)。懐かしい
▲1階のミュージアムショップ
▲1階で販売されている「ダイヤグラムケーキ」(1,080円・税込)

この日は13時から閉館の18時まで5時間かけて見学したが、各展示のディテールをじっくり見るにはまったく時間が足りないと感じた。2度3度と足を運ぶ価値のある博物館だと思う。
大塚真

大塚真

編集者・ライター。出版社兼編集プロダクションの株式会社デコに所属。最近編集した本は、服部文祥著『サバイバル登山入門』、松崎康弘著『ポジティブ・レフェリング』(ともにデコ)ほか。ライターとしては『TURNS』(第一プログレス)、『BE-PAL』(小学館)などで執筆。

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