特定秘密の指定や解除の運用をチェックする衆参両院の「情報監視審査会」がきのう、年次報告書を衆参両院の議長に提出した。2014年末に特定秘密保護法が施行されて以来、初めての報告書である。

 しかし残念ながら、「監視」の名に値する内容とは程遠かった。これでは国民の代表としての国会の責任が果たせたとは、到底言えない。

 防衛省や外務省など10行政機関が指定した特定秘密382件(約18万9千点)について、概要を記した「特定秘密指定管理簿」などをもとに、各省庁から聞き取りして確認した。

 だが、開示された特定秘密は数点だけ。政府が提出した管理簿の記述は「外国から提供を受けた情報」などあいまいで、指定が適正かどうか判断できる内容ではなかった。

 最大の問題は、何が秘密にあたるかが秘密、その範囲が恣意(しい)的に広がりかねないという、秘密法それ自体にある。

 野党側は国会への情報提供を義務づけるよう求めたが、与党側は「三権分立の観点から行政権を侵してはならない」と受け入れなかった。ならばなぜ国会に監視機関を置いたのか。

 三権分立だからこそ、行政権をもつ政府に対する、国会の監視機能が重要なのだ。政府の外から特定秘密の運用を監視できるのは、唯一、国会の審査会だけである。国会は強い危機意識をもち、監視機能の強化をはからねばならない。

 審査会の対応で物足りなかったのは、政府の特定秘密の指定状況が適正かの判断に踏み込まず、運用改善を「意見」として求めるにとどめたことだ。より強い「勧告」になぜ踏み込まなかったのか。

 一方で、「意見」の中身には耳を傾けるべきものもある。

 例えば、秘密指定が適正かどうか、首相に報告する内閣府の「独立公文書管理監」に対し、審査会にも報告するよう求めたことだ。政府は真剣に検討してもらいたい。

 安全保障法制が施行され、自衛隊の運用など安保政策をめぐる政府の裁量の幅が広がった。そのうえ特定秘密への監視機能の弱さが放置されれば、国民の目の届かないところで、政府の恣意的な判断が際限なく広がる恐れがぬぐえない。

 国会が「国民の代表として監視する」という責任を自覚し、運用改善と法改正に向けた検討を不断に重ねることが、政府に緊張感を持たせるはずだ。

 形ばかりの監視で、政府の追認機関になってはならない。