捏造の構造分析15:ピルトダウン原人とナショナリズム

ずいぶんと間隔が空いてしまったが、そろそろ「捏造の構造分析」も終わりに近づいてきた。構造分析は今回で終え、あとは幾つか提言を述べて終わろうと思っている。分析の最後は、個人的な捏造が国民の期待と直結した一つのケースについて紹介して、小保方事件と比べてみたいと思っている。

小保方 晴子さんは、本のタイトルを「あの日」とつけて、もう取り返しのつかない事件の分岐点が何時だったのと問いかけている。「あの日」を見つけるのに手助けがいるなら、いつでも買って出るが、そのためには隠さず自分のことを全て語ってもらう必要がある。しかし「あの日」がいつか?最後は小保方さん自身がが自ら見つけるしかない問題だ。

一方、日本中を巻き込んだ小保方氏騒動に「あの日」があるとすれば、私は迷うことなく、あの賑々しい記者会見の日である2013年1月28日月曜日ではないかと思う。

これまで分析してきたように、ほとんどの捏造には「権力」と「金」(商売の場合もあるし、研究費の場合もある。)が背景にある。一番やりきれないのは、「権力」や「金」を求める上司からプレッシャーをかけられた若手研究者が、心ならずも不正行為に走ってしまうケースだ。これと比べると、小保方氏事件のように若手の自発的で主導性が際立っている場合、騙された側の組織や研究者から見れば腹立たしい極みだが、問題はそれほど深刻ではない。おそらく本人には、有名になりたいとか、より良いポジションが欲しいという程度の権力欲はあっただろうが、動機は他愛ないと言っていい。学部の学生が主役になった大阪大学医学部の論文不正事件(いわゆる、「福原事件」)も、おそらく同じ性質のものだろう。論文内容の再現ができなければ、結局、その論文は自然消滅する運命にある。小保方氏捏造論文も1月28日という「あの日」が存在せず、追試ができなければ、ほんの一瞬、話題を呼んだ論文の一つとして泡と消えて終わっていただろう。

ところが、1月28日の「あの日」、笹井 芳樹さん、若山 照彦さん、理化学研究書、行政、政権、メディア、そして多くの一般市民の思惑が一つにまとまって、折しもアベノミクスで自信を取り戻しつつあった日本経済再興に必要なイノベーションを担う一つとして「STAP細胞」というイメージを作り出した。知り合いの記者に聞くと、総理大臣と小保方さんの握手をしている写真が撮影される寸前までいったようだ。そしてこの期待は不正の指摘により、瞬時に失望、軽蔑、怒りへと変わり、国民を含むすべての関係者が冷静さを失ってしまった。

ピルトダウン原人事件

この「あの日」のことを考えていて、ふとスティーブン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould(1941年9月10日-2002年5月20日)アメリカ合衆国の古生物学者、進化生物学者、科学史家)著「パンダの親指」に述べられていた1910年に英国で始まった「ピルトダウン原人事件」の話を思い出した。「パンダの親指」を参考に、この事件を紹介しよう。

話は今からさかのぼることほぼ100年、1912年のロンドン地質学会で、アマチュア人類学者チャールズ・ドーソン(Charles Dawson:イギリス人。弁護士でもあった。)がピルトダウンの採石場(イギリス・イースト・サセックス州アックフィールド近郊)から発見された頭蓋骨の一部を示したことから始まる。この頭蓋と、その後、同じ場所から発見された骨の一部は、当時、古生物学の権威であったアーサー・スミス・ウッドワード(Sir Arthur Smith Woodward(1864年5月23日-1944年9月2日):ロンドン自然史博物館(イギリス)・古生物学者)の研究室に持ち込まれ、この権威の後ろ盾を得て、当時の人類学が探し求めていた類人猿と人類の間を埋める画期的発見として50年間人々を騙し続けることになる。しかし、科学的な年代測定が可能になり、1950年この骨が全て捏造の産物であることが明らかになる。

では誰が、何の目的でこのような手の込んだ捏造を企てたのか?

残念ながら現在も真相は闇の中だ。ただ、アマチュア考古学者の主張が権威の後ろ盾を得て通説になっていく過程を独自に分析し、グールドは、この捏造がドーソンと、彼の友人だった神父で人類学者のフランス人・ティエール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin(1881年5月1日-1955年4月10日)フランス人・カトリック司祭・古生物学者・地質学者・カトリック思想家)の合作ではないかと推理している。

ティエール・ド・シャルダンは、キリスト教と進化思想との統合を図った思想家の色彩の強い人類学者で、人類進化の過程については強い思い込みを持っていたと思われる。1911年英国で司祭に叙されており、事件当時ドーソンと親交があった。

発見当初から、ピルトダウン人は新しい原人ではなく、異なる種の骨が混合してしまった(意図的・非意図的を問わず)という批判は、多くの専門家から指摘されていた。この批判に対する証拠を得るため、ドーソンとディエール・ド・シャルダンは共同で現場の再調査を行い、ピルトダウン人の下顎とぴったりの歯を発掘する。もちろんこの歯も原人のものではなかったのだが、この発見は、ピルトダウン人が間違い(あるいは捏造)であるとする批判を抑え込む大きな役割を演じたことから、グールドは、アマチュア研究者ドーソンと、自らの思想を優先するティエール・ド・シャルダンが共謀して当時の権威ウッドワードを引き入れたのではないかと推論している。

ナショナリズムと科学

ではどうして当時の権威ウッドワードがかくも簡単に共謀者の一員に引き入れられたのだろう。これについてグールドは、いつか英国からも原人が発見されることが当時の英国人が共有する夢であったことを指摘する。

ドイツ・ネアンデルタールでネアンデルタール人が発見されたのが1859年、南フランス・クロマニヨンでクロマニヨン人が発見されたのが1886年だった。そんな中で、人類史を書き換える原人の発見が英国から生まれることは、当時の英国人共通の夢だった。この夢が英国人類学の権威の科学的判断力を鈍らせ、逆にナショナリズム高揚にこの発見を結びつけたのではとグールドは結論している。

「何を馬鹿な・・・。」と思う人も多いだろう。しかし、著名なフランス人脳科学者ポール・ブロカも、フランス人の脳がドイツ人の脳より大きいことを示すため努力していたことを、グールドの著書「人間の測り間違い」は教えてくれる。

小保方事件とナショナリズム

小保方事件に戻ろう。当時メディアも政府も、「iPS細胞」と同じように、我が国の優秀性を示すナショナリズムの象徴として、第二、第三の「山中 伸弥」を待ち望んでいなかっただろうか?アベノミクスの将来を担うイノベーション、第三の矢として一般にもわかりやすい象徴を望んでいなかっただろうか?この期待が、1月28日の「あの日」の演出につながったように私には思える。残念ながら、「あの日」笹井さんは、「STAP細胞」をこのナショナリズムと意図的にリンクさせるのに成功してしまった。出来上がった構造はピルトダウン原人事件のドーソン、ティエール・ド・シャルダン、ウッドワード、英国人類学界、そして英国民の関係と酷似している。

ノーベル賞は人類全体へのすぐれた貢献を顕彰するために始まった、ナショナリズムとは無縁の賞だ。それなのに、STAP論文を最初、第二の山中、新しいノーベル賞候補として持ち上げたメディアが、毎年のようにノーベル賞を我が国のナショナリズムとリンクさせ一喜一憂しているのを見ると、小保方氏事件の芽は、今も残ったままだと感じる。

次回はこの芽を摘むための具体的方策を提言してみたい。