「無用の用」の意味
無用の用とは「役に立たないと思われているものが、実際は大きな役割を果たしている」このような意味があり、老子は「器」の空洞部分に例えて話しをしています。
「器は中が空洞だから器としての役割を果たす。もし中まで粘土を詰めて器を作ったなら、器としては役に立たない。」
鍼灸治療も「無用の用」としての側面がある
怪我や病気で最初に選択すべき医療は内科や外科などの病院であり、そこで血液検査やレントゲンによる原因の特定、治療は研究により薬効の認められる薬と手術そしてリハビリが行われます。
しかし、このような医療から漏れてしまう患者さんも多くいます。
たとえば、医師の言うことは正しくても、それを受け止められない患者さん。
そんなとき鍼灸治療は「正しい」とか「間違っている」ではなく寄り添いの医療として活用できます。患者さんとしては「何か治療をしないと不安だ」という気持ちを和らげるために鍼灸治療をしながら、医師の話を受け入れる準備ができます。
話しを聞くための存在としても役に立つ
心配事に愚痴などの雑多なたわいもない話しから。家族や友人など親しい人には話せないことまでたくさんあります。
そんな話でも 鍼灸師という、ちょっと距離のある存在になら話せることもあります。
鍼灸治療という非日常
マッサージは身近でも鍼灸にはなじみのない方が多く、針を刺したり艾(もぐさ)を燃やして軽い火傷を作る。という行為そのものを話題にしやすい一面があります。
さらに東洋医学という珍しい理論、気の流れやツボという神秘。どれも話題にしやすく、話しのとっかかりに便利な要素が満載です。
鍼灸治療を治療のためだけでなく遊び道具として捉えてるところもあり、「ブログやフェイスブックにネタ記事書きたいから呼んでみようかな」という使い方も全然OK。写真撮影はもちろん、事前に連絡いただければ自撮り棒もお持ちいたします。
そのうえで、上記リンクで語ったように、遊び道具としても楽しめるのですから
治療効果だけではない、無用の用としても価値のある存在であると感じています。