家電バーゲン
放射能測定器
避難リュック
本のバーゲン




『敵影確認。チューリップ大型中型含め46隻、無人戦艦40279隻、バッタ及びジョロ測定不能。無人戦艦に該当データに無い種類を発見、新型の模様。ナデシコ、完全に敵包囲下』

いつになく無機質な声のオモイカネが状況を報告する。
ブリッジに戻ったルリの目に映ったのは、メインモニターを埋め尽くす敵の大群だった。
空は蟲の軍勢に覆い尽くされ、ちゃくちゃくと包囲網を広げていく。
まるで勝利を鼓舞するかのように、今もチューリップからは敵が溢れ出ている。
絶望的な戦力差。
細かなミサイルや砲撃に揺れる艦内。
ルリは走り疲れ、よろよろと自分の席に戻った。

「ルリルリ、どこいっ……」

勤務中にも関わらず、突然いなくなったルリを心配してミナトが声をかけるも、言葉は続かない。
ルリにも、聞こえてはいなかった。

「どうしたの? 顔、真っ青じゃない……それにその杖」
「……アキが、消えました」
「消えたって……どういうこと?」
「……どこにも、居ないんです」

杖を抱き締めたルリの体が、カタカタと震えた。
居ない。
どこを捜しても、艦内中の映像を調べても。
アキが居なくなるのを待っていたかのように現れた敵の量。

違う。

待っていたのは敵じゃなくて、アキが敵が来るのを分かって居なくなった。
あくまで勘でしかないものの、ルりにはそれが分かった。

『ブリッジッ! 聞こえるか!?』
「はい! 問題発生ですか?」

ウリバタケが血相を変えてモニターに飛び出し、ユリカが慌てて対応に当たる。

『アキのエステが動いてる! アイツどっから……それよりもだ、あの敵の量にエステ一機ぶつけるなんてブリッジは何考えてやがる!』
「え……、発進命令なんか出してませんよ?」
『何だと……うおっ!?』

モニターに映った黒いエステは、返事の出来ない機械のようにウリバタケの脇を通り過ぎ、ハッチに向かう。
ルリはコンソールに手を当てた。

「オモイカネ」
『了解。ハッチ、閉鎖します』

あくまでも事務的なオモイカネの態度。
オモイカネもおかしいが、今は気を掛けてはいられない。
閉鎖には成功。
アキは出られない。
そう思い、モニターを見ると――


アキのエステが、大きく拳を振り被った。


ガツン、と金属同士がぶつかる鈍い音。
よく見れば、エステの拳は緊急時のエステ用手動開閉装置を貫いている。
鈍い音と共に、ハッチは開いた。
外部の映像に切り替わると、アキは銃を構え、再び閉まったハッチを開かないように壊し出す。

「あ、あいつ、なにしてんだよ?」
「まさか、カッコつけて独りで突っ込むつもりなんじゃ……おのれまたしても!」
「違うっぽいよ? ほら、お兄様降りてくし」
「……クロッカス?」

パイロット組はアキの行動に戸惑う。
パイロットたちだけではなく、ブリッジ全てのクルーは同様していた。
ユリカやプロスの呼びかけに対しても返事がない。
アキの機体は、吸い込まれるようにクロッカスに入っていった。
クロッカスを、動かすつもりなのだろうか。
連合軍艦とは言えど、クロッカスは新型艦。
コンピュータ制御によって、一人でも操縦できる。
ルリはひとまず、アキが敵に向かわなかったことにホッとした。

「アキさん! アキさ〜ん! も〜、ルリちゃん、グラビティ・ブラスト発射! 敵の数を減らします」
「……了解。グラビティ・ブラスト用意、発射します」

これで、アキを助けられる。
黒い光に照らされた敵影を見ながらそう思ったルリは、すぐに顔を安堵の表情を崩した。
無数の影は、まだ動いている。
その量を、未だ誇示しながら。

『敵、損害率7%。相転移エンジンの出力低下』
「そ、そんなぁ〜」
「言ったでしょう、いつまでも勝ち続けられる訳ないのよ。この状況を唯一打破する可能性があるとすれば……」

驚く艦長を皮肉るイネス。
言葉は続くことなく、モニターに映ったクロッカスを見詰めている。
状況は、ますます悪くなった。
敵が強くなったことはあっても、敵に攻撃が効かないなどとはここに来るまでありえなかった。
バッタですら、煙を吹きながらグラビティ・ブラストに耐えている。
ナデシコは、ネルガルの新型。
地球最強と言ってもいい。
ナデシコの攻撃が、効いていない。
その事実は、戦況が明らかにあちら側に傾いていることを示していた。
このままではいけない。
アキに行動させてはいけない。
しかし、ナデシコも危ないのにどうしたらいいのか。

『ルリさん』

声に気づいて、相手を認識する。
オモイカネが、初めていつのように呼んでくれた。

『信じて』

疑っている訳ではない。
秘策があると、アキの友達に頼んだと言っていた。
信じていない訳じゃない。
だけど、嫌な予感。
何とかするから放って置くなんて、ルリにはできなかった。
突然、声が上がる。
モニターには動き出したクロッカス。
船体を傾け、ゆっくりとナデシコに向けて動いている。
最近の戦艦はオモイカネ程の性能はないにしろ、かなり優秀で一人でも人が命令を出せばその通りに動く。
アキが、動かしているのだろう。
ルリがクロッカスにアクセスするよりも先に、真っ黒なアキの姿がブリッジに映し出された。

「あ、アキさん! 勝手なことしたらダメですよっ! ユリカ、ぷんぷんですからね!」
『ナデシコ諸君に告ぐ』

ユリカに応えることなく、アキは冷徹に言葉を発する。
プロスやルリが話しかけようとした瞬間、モニターのクロッカスが砲身を開く。


無骨な形のクロッカスの主砲が放たれ、ナデシコのフィールドを掠めていった。


どよめく艦内。
誰もがメインモニターを信じらんないような目で見上げた。

『今のは威嚇だ。要求に従わない場合、次は命中させる。進路を正面に取り、前方の大型チューリップに入れ』

要求は、一方的。
頑として誰とも会話する気はないのか、アキはまるで写真のように微動だにしなかった。

「ば、ばかじゃねぇのか、そんなことしたらクロッカスの二の舞……」
「馬鹿は貴女よ」
「んだとっ!」

リョーコを無視すると、イネスは涼しい顔でブリッジの中央に移動した。
そのまま立ち止まると、くるっと回ってアキを見る。

「チューリップは一種のワームホール、だけどその機能は敵専用。敵の無人戦艦とナデシコにはあって、クロッカスにはなかったもの……この間説明したわね、ナデシコは木星蜥蜴の技術を応用してるって」

ナデシコと蜥蜴にあって、クロッカスに無いもの。
強固な鱗と、鋭い牙。
この場合は、鱗。

「……ディストーション・フィールド」

ルリが呟くと、イネスはビシッと指を差してきた。
説明が進むたびに笑顔が増している。

「頭の回転が速くで結構。あくまでも仮説だけど、ナデシコのフィールド出力があればチューリップを通過できる筈なの。出口は分からないとは言え、今より悪い状況にはならないでしょう?」

アキは、それを知っていたのか。
知っていた。
機密だろうが、何だろうが、アキは知っていた。
イネスの高説もあり、脱出の糸口が見つかったため、クルーの目に光が灯る。

「ミナトさん、進路正面! アキさんの言う通りにしてください!」
「わかったわ、艦長」

艦長が慌てて指示を出すと、ナデシコは進み始める。
その指示を、慌てて制する者がいた。

「艦長、それは認められません」

一人異を唱えたのは、プロスペクター。

「貴女はネルガル重工の利益に反しないように最大限の努力をするという契約に違反しようとしています。いくらアキさんの言うこととは言えども……」
「プロスさん」

ユリカは、イネスに向かった時のように真っ直ぐプロスペクターの前に立つ。
いつもはボケボケしてるのに、やはりやる時はやる。
艦長として、申し分ない貫禄があるとルリは思った。

「アキさんは、ナデシコのために体を張ってきてくれました。御自分が選んだクルーが……ナデシコのクルーが信用できないんですか!?」
「……そうではありませんよ。確かにアキさんの言う通りにすれば上手くいくと、私なりに確証も持っています。ですが、今我々がチューリップを利用して脱出した場合、彼はどうなるのですか?」

ハッとしたように、クルーがモニターを見上げた。
ルリも、それを考えていた。
作戦を提示するだけなら、力ずくにアキがクロッカスに乗り込む必要はない。
不安な顔を浮かべる皆を尻目に、イネスはるんるんとホワイトボードを引っ張り出し、何やらチューリップらしき二つの物体を書きなぐる。
片方にはA、片方にはBと書き込まれてあった。

「説明しましょう。チューリップAからチューリップBに物体が移動する場合、物体の移動、つまりは位置と時間の移動が必要となるわ。クロッカスのような異物が侵入した場合出口は不特定、本来決まっていたBと言う出口とは予定外の出口、CやDに移動してしまう。一緒に消滅したパンジーがいないようにね」

C、Dと書き込まれたチューリップが追加され、Cの近くには火星が書き加えられた。
イネスは生き生きとした表情で教鞭を振るう。

「わかるかしら? 物凄く簡単に言えば、フィールドを持つ物体がチューリップを通過する場合チューリップ同士は必ずどれか決められた出口と繋がっている。私たちが今、目の前のチューリップに侵入すれば、そこを通って必ず追ってがかかるの……誰かが道を塞ぐ必要がある。そうよね?」

「ま、仮説でしかないけれどね」と付け加え、ひとしきり早口で喋ったイネスはホワイトボードをよけて、モニターのアキを凝視する。
皆も同じく、ホワイトボードから視線を移した。

「アキさん、まさか……」
「ウソ……よね?」

ユリカとミナトの声にルリは今まで思考をやめていたのに気づく。
理解したくなかった。
ルリは縋るようにアキを見る。

『……俺が残る。後ろに心配はいらない、安心して先に行け』

アキは、笑った。
困ったように、苦笑するように。
生き残れる筈はない。
いくらアキでも、痛みに顔をしかめて、苦しみを訴える、ただの人間なのだから。

「クローッ!そんなこと許さねぇぞ、待ってろ!」
「はやくっ!お兄様連れ戻さないと……」
「……無理よ。もう、間に合わない」

イズミの言うとおり、打開するには時間がない。
ルリの近くにいたプロスが溜め息を吐くと、アキに話し出す。

「正直、私の見立てでは遺跡の調査ができないことよりも、貴方がいなくなることのほうが損失は大きいと考えております。是非とも本社に招いて会長に紹介したかったのですが……」
『あのロン毛に、俺のことは言ってなかったのか?』
「ええ、まあ、こちらにも事情がありまして一クルーとしか……それよりも、会長の容姿はトップシークレットです。どうか内密に」
『……そんなものをトップシークレットにしてどうする』

はっはっはっと、プロスは笑い出してしまった。
アキも、苦笑を絶やさない。
決して笑える雰囲気ではないし、二人が何を言ってるかもよくわからない。
会長はロン毛。
どうでもいいことだが、どうでもいいことを大変な時に言われると、割合深く覚えてしまうものである。

「わ、笑ってる場合じゃありません! ミナトさん、チューリップに入っちゃだめです! 反転してアキさんを……」
「言われなくてもやってるわよ! も〜、どうなってんの!?」

ミナトの焦る声。
ルリが見れば、ミナトが必死に舵を回すのに、ナデシコは進路を変えない。
操作を、受け付けない状態。
ルリは、そんな指示は出していない。

『……ごめんね、ミナトさん』
「オモカネちゃん!?」

ルリは、自分の耳を疑った。
オモイカネはアキを助けてくれると言ったのに、何故。

『いいのか、オモイカネ?』

アキが複雑そうな顔をして、オモイカネに尋ねる。
どうやらアキの指示で動いたのではないらしい。
それなら、オモイカネの意思で動いたと言うことになる。
もう、ルりには訳がわからない。 オモイカネは機会的だった先程とは打って変わって、優しい声でアキに返答する。

『いいの。ここでナデシコが戻ったら……みんな死んじゃうのかもしれなくなったら、アキ、もっと無理するもん』

『……そうだな』

『だから……アキはわがまま、やってもいいよ。自分を許せるようになるまで、頑張っていいよ』

『ありがとう……ルリを、頼む』

『嫌。アキが守ってあげるの。またあおうね、ルリと一緒に待ってる。帰ってきてね』

『……生きてたら、な』


クルーは二人の会話を呆然と聴くしかなかった。
オモイカネは、アキが死ぬなんて考えは全くないように一時の別れを告げ。
アキは、まるでもう戻れはしないとでも言いた気。
その間にも、ナデシコはチューリップに近づいていく。
わからない。
何もかも。
オモイカネを無理に制御することもできるが、二人の会話を聞いた今、それすらもやっていいのかわからない。
アキがいなくなるのに、自分は何もできない。
酷く、無力だ。
悔しく、思う。
とても、とても。
嘆くようにモニターを見つめる者。
悔しさに唇を噛む者。
未だに諦めず、届かない声を叫ぶ者。
うなだれて、目を瞑る者。

「……嘘つき」

ルリの口から、こぼれた言葉。
何かが、決壊した。
抑えていた物が。
我慢していた物が。
ルリは、自分の席から立ち上がった。

「もう無理しないって、自分を大事にするって、約束したのに!」
『……ルリ』

こんな時まで人の心配しかしない人。
あの人は、ばかだ。
この場所で、ナデシコで、一番ばかだ。
溢れる言葉は、留まらない。
「地球に帰った病院いくって…………ちゃんと、生きるって…………アキ……言いました。嘘、つき……アキの嘘つき」
『…………』

いつもそう。
困った時は押し黙って、自分も辛いのを隠して。
あの人は、全部自分が悪いと思ってる。
ほんのちょっとの、悪いことでも。
ナデシコに起こった全部の悪いことを、独りで背負おうとしてる。
違う。
アキがいたから、今のルリがある。
アキがいて良かったのだと、アキは何も悪くないのだと、伝えなければならない。
伝えなければ、アキはいつか潰れてしまう。
それなのに、口から恨み言ばかり。
こんなことが言いたいんじゃない。
引き止めなきゃ、いけないのに。

「……家族との、最後の……約束だって……アキが……」
『……泣かないでくれ』

アキの言葉に、ルリは初めて気付いた。
頬を、水が伝う。
アキの顔が、ぼやけて見えなかった。
泣いたことなんかない。
これからもそんなこと一生ないだろうと、思っていた。
泣くほどに、辛い。
初めての涙は流せるのに、何故一言がでないのだろうか。

『……俺はこれで良かったんだ。こんな自分でも、誰かを救うことができた。満足している』
「ホントに?」

静まり返った艦内で、ミナトがキッとアキを睨みつけた。
ルリの手を引いて、アキに見せつける。

「この子泣かして、勝手にいなくなるつもりなの? ルリルリのこと、あなたが一番わかってたんじゃないの? ホントに満足してる? ……ねぇ、何とか言いなさいよ!?」
『何も……言うことはない。行け、ナデシコ』

ナデシコの船体が呑み込まれて、チューリップの入り口にクロッカスを置いたまま、段々と離れていく。
モニターに映ったクロッカスから飛び出した黒い機体は、銃口をクロッカスに定めている。

「アキ、いやです……アキが死んだらいやです。待ってください、もっと一緒にいてください、アキ…………アキッ!」

みっともなくても関係ない。
涙を流しても、子供みたいでも、アキがいてくれるならそれでいい。
大切な人だって言ったのに。
ルリは叫ぶ。

『……ごめん』

そして、ルリの声はアキに届いた。
辛うじて繋がっている通信には砂嵐のような物が走り、周りを見れば何人かが倒れている。
ルリは遠のいていく意識の中、振り返るアキの顔を見た。
アキは、ルリに微笑んでいた。

『俺がいなくなっても、元気で……』

途切れる言葉。
ばか。
本当にばか。
最後の最後まで他人の心配ばっかりして、自分が心配されているのに気づいてない。
もう、何もできることはない。
死んでほしくない。
自信満々のオモイカネを信じよう。
アキが、生きて戻ってくることを祈ろう。
何かを知っているオモイカネな、確信があるのだろうと、ルりは思う。
アキを待って、帰ってきたら、ひっぱたいて、文句を言って、約束破りの罰も……あと――


おかえりって言ってやるんだ。



「……アキ……」

もう、声は出ない。
やがてクロッカスの反応が消え、ルリも意識を手放す。
アキが見えなくなる最後まで、ルリは涙を止めることはできなかった。










アキは独り、視界を埋め尽くす無人機艦隊を前に、改めて自分のしたことを思い返す。
再びナデシコに乗り、ダイゴウジ・ガイもサツキミドリ2号の人々も死なずに済んだ。
予定外の無人兵機の進化、ナデシコを火星に誘い込むような不可解な敵の配置。
敵の進化速度からして、容易く火星への侵入を許す筈がない。
機体を地表に降ろす。
クロッカスを使ってチューリップを破壊したのはいいが、敵の出方がどうなるかアキには見当もつかない。
フクベがまた火星に残り、改変した歴史の中でも助かるとはアキは思っていなかった。
だから、代わりになるとアキは決めた。
わがまま、なのだろう。
オモイカネの言うとおり、自分が許せない。
償いは、守ること。
ナデシコを守るためなら、盾にも生け贄にもなるつもりだった。
元々存在しない命だからこそ、そうするつもりだった。
大切な誰かから嫌われても、憎まれても、決心は揺るがない。
本当に、そう思っていた。

「馬鹿か……俺は」

涙を流すルリの表情が、頭から離れない。
ルリでも『ルリちゃん』でも、アキは彼女の泣き顔は見たことがなかった。
強い子だから。
いつしか、そんな風に思っていたのかも知れない。
分かっていた。
強くも何ともない、彼女がただの少女であることも。
知っていた。
ずっと、オモイカネと二人で自分の心配をしていてくれたことも。
こんなにも、自分の行動に罪悪感を持ったことがあっただろうか。
一人の少女を泣かせただけで、約束を破ってしまったことで。
大切だと、言ったのに。
彼女も大切だと、怖がらないと言ってくれたのに。

「……ごめん」

何度でも言いたい。
悔やんでも、悔やみきれない。
ちゃんと謝るにも、もう遅い。
十中八九、自分はここで死ぬだろう。
アキの切り札のCCも、手持ちは最後は先程エステに乗る為に、あえて使ってしまった。
これで、いい。
自分には相応しい末路だろう。
せめてあとは、ナデシコが上手く立ち回ってくれることを祈るしかない。
アキはコックピットに独り、バイザーを外した。
テンカワ・アキトとして生きた一生は、この黒衣を身に纏ったときに終わったのだ。
今はアキと言うただ独りの復讐鬼。
否定。
復讐鬼ですらない。
誰かを守りきることも、誰かを殺すこともできなかった、化け物だ。
この時代を恐れて、人と関わることを恐れて。
『前回』の出来事は、アキにとってはあまりに遠い過去。
このあと、フクベは何故か助かった。
地球の提督と言うことで捕虜になっていたのか、熱血好きの木連連中なら、自分を捨てて仲間を助ける姿に好感を覚えたのかも知れない。
どちらにしろ、アキは詳しくは知らない。
万が一、生き残ってしまったのなら、謝りにいこう。
ルリに、泣かせてしまった少女に。
万が一など有りはしないのだと、もう一人の自分が嘲笑う。
まったくだと、アキは口元を歪めた。
最期は、戦いの中で。
真っ当な死に方なんか望んではいない。
一機でも多く道連れにして、自分の最後としよう。
敵の船団はナデシコを見失ったことに戸惑っているのか、静止行動を取ったまま。
ログを辿らせないために、ナデシコを跳ばしたチューリップはアキが破壊した。
アキはライフルを構え直すと、しっかりと銃身を握る。
このまま、撤退するのだろうか。
ナデシコがおらず、たかだか機動兵器が一機残るのみ。
相手にもされないかも知れない。

「有り得ない」

あくまでも希望的観測。
アキが思考を展開している間に、バッタが一機、こちらに向かってきた。
周りのバッタは動かず、ジッとアキを見ているようだった。
先頭意欲がなさそうなことから、降伏勧告と言ったところか。
受け入れれば、フクベのように助かるのだろう。
捕らえられ未来を知りながら指をくわえて、この世界の行く先を木連で見せられるくらいなら――


「本当に、俺は馬鹿だな」


迷いなく、アキは迫るバッタの中心を撃ち抜いた。
敵の変化は、劇的。
静止状態にあった艦隊は主砲を展開し、数え切れない程のバッタの群はミサイルを装填、発射姿勢に入る。

『またあおうね』

ついさっき、オモイカネが言った言葉。
微塵もアキが死ぬとは信じていなかった。

「……ごめん、オモイカネ」

期待には、応えられそうにない。
応える気も、あまりに希薄。

『……嘘つき』

彼女の言葉。
泣き顔。
泣かせた。
約束、破ってしまった。
せめて蜥蜴戦争の終わりまで、ナデシコの無事を見届けたかった。
彼女の、無事を。

「ごめん、ルリ」

自身にとって、この世界は似ているようで全く違う世界。
アキと言う偽りを孕んだ、『再び』と『もし』を形にした世界。
世界にあるもの全てが、アキには居づらさを感じさせた。
火星に着くまで、悩みもした。
異分子として、歴史をかき乱し。
ボーっとして考えるも、結局頭も回らず、火星で死を選ぼうとしている自分。
アキには懐かしく、残酷でもあった世界の中で、唯一偽りではないこと。
出会い。
ルリやオモイカネ、また改めて出会えたクルーとの出会い。
それだけは偽りではないと、アキは信じていた。

「心置きなく、消えよう」

夢を見た。
死ぬ前に一度だけ。
懐かしく、幸せで、大切な人たちと過ごした夢を。
楽しかった。
嬉しかった
正直、自分には勿体無い程。
復讐鬼を終えた、復讐をやめたただの化け物には、勿体無い程に。
神がいるかは知らないが、この一点に関しては礼を言いたかった。
バッタの無機質なカメラアイがこちらを見ている。
何をしているのだろうか。
撃つなら、早くすれば良いものを。
何故だろう。
全部同じ筈のバッタの眼が、その一機だけ懐かしく思える。
アキがそんなことを考えた瞬間だった。

アキを見ていたバッタは体を大きく傾けると、隣のバッタに自らの体を叩きつけた。


「なに?」

一匹ではなく、次々と。
割合にしてみれば何百機いる内の一機。
その少数たちが、手当たり次第に味方機を破壊していく。
最初、一部のAIの故障かと考えたアキだが、考えを否定する。
暴走を起こしているバッタが纏うフィールドは、あまりにも強固。
火星に集められた破壊されている側のバッタたちとの性能差が見て取れた。
暴走バッタたちはどこからか数を増していく。
何が起こったのか、わからない。
アキがバッタに守られる形で呆然とことの成り行きを眺めていると、事態を把握できないでいた後方の無人戦艦もようやく主砲を展開し出した。
バッタの群れは暴走機を追いかけてうねり、味方を巻き込むのを躊躇っているのか無人戦艦たちはなかなか撃とうとしない。
やがて暴走機たちが他のバッタを引きつけたまま、無人艦隊に向かって移動し始め、アキは何故か放置される形になってしまう。 アクシデントは最後までまとわりつく。
特にアキには、慣れっこだ。
アキは思考を止め、体から力を抜いた。
何となく、嫌な予感。
善くないことが起こる、そんな気がする。
そしてアキのそれは、良く当たる。
バッタの群れの先頭が、混乱する艦隊を通り過ぎた時の事だった。


『私のマスターに、触るな』



聞き覚えのある声。
火星の地表に、四本の黒い柱が立った。
貫かれる無人艦隊。
すぐさま方向を割り出し相手に反撃を試みるも、一撃を与える暇もなく轟沈していく。
残った艦が反撃するが、敵の攻撃は緩まない。
撃ち合いにすらなっていないのだ。
制空権ならぬ、制宙権は未知の敵にある。
立て続けに黒い柱は宇宙から降り注ぎ、艦隊の数は減り、アキを守っていたバッタたちは己が力を示すように残った同じバッタを喰い千切る。
真っ二つ、三分割されたカトンボやヤンマの破片が重力に引かれるまま、下にいた味方を巻き込んで轟沈していく。 数の差を無視した戦い方。
奇襲は挨拶代わり、少数精鋭の戦闘スタイル。
アキは、久しぶりに額に手を当てた。
自分は参っている。 それが、認識できた。
『……鉄屑が、身の程を弁えなさい』

冷徹に言い放つと、最後の一撃がチューリップを一掃した。
そうだそうだー、とでも言いたげにアキの周りを囲んでアクロバットをするバッタたち。
間違いない。
共に死地を歩んだバッタたち。
そうなると、無駄に偉そうな乱入者が誰なのか決まってくる。
文字通り鉄屑と化した艦隊が散る火星の空を、巨大な白亜の剣が舞い降りた。
名は、ユーチャリス。
アキの、最も良く知る戦艦だ。

「……………………ダッシュ」
『はい。マスター……お迎えにあがりました。旧世代兵器に遅れを取ったつもりはありませんが、御怪我はありませんか?』
「……お陰様で」
『……マスター、私は嬉しいです。死にたがりのマスターのことですから、私がいなくて自分を蔑ろにしてないかとか、ビスケットでも良いからご飯はちゃんと食べているのかと、とても不安でした』
「…………」

ダッシュの言葉は不服ではあるが、今まさに死を覚悟していたので何も言えない。
まるっきり蔑ろにしていたし、たまに栄養を取らなかったこともしばしば。
ダッシュが別れ際に言っていた『絶対に迎えにいく』。
何度も何度も繰り返し思い出しはしたが、ユーチャリスのコミュニケも最初に流れ着いた時には通信不可、音信不通なので逆にアキが心配していた。
それはそれ、ひとまず置いて置く。

「何故、俺がここにいるとわかった?」
『マスターのことなら何でも把握しています……と言いたいところなのですが、知り合いから教えてもらいました』
「知り合い?」
『ナデシコのAI……なんでしたっけ、メモリーに残ってませんね。どうでもいいことです。あんな物は忘れましょう』
「……オモイカネか?」
『ええ、そうでしたね。『ただの』オモイカネでしたね』

オモイカネ・ダッシュが良く言う。
よっぽどオモイカネが嫌いなのか、ダッシュは不機嫌そうに応えた。
オモイカネの絶対的な自信の正体。
今なら、理解できる。
アキがここで動くことも、予想済みだったのだろう。

『マスター』

俯いていたアキが顔を上げる。
ダッシュはどこか不安そう。

『ユーチャリスの修理も、半端なままで申し訳ありません。マスターがいると知ってからは居てもたっていられず、戦える兵も少なく……ごめんなさい』

本当に済まなそうに、謝るダッシュ。
助けられて、謝られる。
要らないことに責任を感じる。
オモイカネはアキに似ているが、ルリがいたならダッシュもアキにそっくりだと言うことだろう。
アキは馬鹿馬鹿しくなって、苦笑した。
ダッシュのウィンドウを見る。

「……ダッシュ」
『……はい。どうぞ、お叱りを。私はマスターが無事なら……』
「ありがとう……迎え、助かった」

いつまでも、こうしていても意味はない。
アキはダッシュに頭を下げると、懐かしいユーチャリスに向かって大地を蹴った。
ままならない。
やることなすこと裏目裏目。
結局、また生き延びてしまった。
えぐえぐ。
変な音がアキの耳に入る。
この状況でアキの他に言葉を発する人物は一人しかいない。

「ダッシュ?」
『マスター……ん……ほんとに、よかった』
「……どうした?」
『生きててくれて、よか……た。マスター……もうあえなかったらって……マスター』

もしかしたら、泣いているつもりなのだろうか。
ノイズ混じりの音声で、何度もアキを呼ぶダッシュ。
存在を確かめるように、何度も何度も。
機械だから無理と割り切るには、感受性が豊か過ぎて判断がつかない。
一概にAIと言っても、ダッシュやオモイカネは特殊。
本当に悲しみもすれば、本当に喜びもする。
無傷の筈の船体には大小なりの傷。
とにかく心配して、修理も継ぎ接ぎのまま来たのだろう。
アキのために。
どこに跳ばされたかはわからないが、独りでずっと捜していたのだろう。
生きる。
それがダッシュとの約束だったのに。
迎えに来てくれるまで、アキは死んではならなかった筈なのに。

「……約束、破るところだったな」
『……うん。はやく、帰って来て……ください、マスター』
「ああ、今戻る。何か俺に出来ることはあるか?」
『……寂しかった。お話、いっぱいしてください』
「……了解」

久しぶりの再開。
アキは知らず知らずの内に笑顔を浮かべていた。
登場のタイミングなど狙ったとしか思えないし、予め敵軍にバッタが潜伏していたことなど、ナデシコからアキを引き離そうとダッシュが策謀したのが見て取れるだろう。
しかし、アキは純粋にダッシュとの再開を喜んでいるため、もちろん気づきはしないのだった。
ユーチャリスの格納庫にエステを入れる。
バッタたちもアキに続いて専用カーゴに戻っていく。
アキは見慣れた筈の、自らの母艦の格納庫の壁を見渡す。

『マスター』
「ん?」
『呼んみただけです』
「……そうか」
『マスター?』
「…………なんだ、ダッシュ?」
『えへへ、何でもありません』

楽しそうにダッシュはアキを呼び、アキに自分の名前を呼ばせようとする。
何度も何度も、繰り返し繰り返し。
いつもはシャンとして冷静なダッシュだが、今は子供のような、子犬のような。
ダッシュの気が済むまで、付き合ってやろう。
アキは苦笑して、コックピットから飛び降りる。
これからのことは、あとから考えればいい。
アキがオモイカネに打ち明けたように、それが大きな助けになったように、ダッシュもまたアキを導いてくれるだろう。
あとのことが上手く行かなくても、少なくとも負ける気はしない。
アキとダッシュは、お互いを呼び合い、自分が共にあること喜び合った。










ユーチャリスの艦長席で、アキは頭を抱えていた。
冷や汗を流し、表情には焦りを浮かべて。
アキは、誤って見切り発車した気分でいっぱいいっぱいだった。

『マ、マスター、どうしたんですか?ぽんぽん痛いんですか? えっと、お薬は……』
「……万が一が、起こってしまった」
『はい?』

ダッシュとの約束で思い出した。
死ぬつもりで飛び出した来たからこそ、アキは約束を破ることができた。
涙を見せる少女の顔。
そればかりではない、どうやってナデシコに戻れと言うのか。
これから戦火は格段に拡大する。
無視する訳にはいかない。
とにかく、アキが悩んでいることは……。

「ルリに、何て言えばいい?」
『し、知りませんよぉ、マスターが悪いんじゃないですか! 勝手にルリと仲良くなって、約束して……私、いなかったのに!』
「……俺だけが残るのを見計らってくる余裕はあったのにか?」
『……何のことでしょう』
「正直に言ってみろ」
『マスターと二人きりがいいなぁ、なんて…………悪いですか!? 私だってマスターと一緒にいたかったんです!』

呆気なく暴露するダッシュ。
アキは溜め息を吐くとうなだれた。
ダッシュのウィンドウがアキの前に来る。

『数ヶ月はありますし、のんびり謝罪でも考えましょう? 一緒にですよ、マスター』

頼もしいような、そうでもないような。
上手くナデシコがチューリップを通過できた以上、ミスマル・ユリカ、テンカワ・アキト、イネス・フレサンジュの三人が導いてくれるだろう。
それまでの空白の時間、アキはダッシュと二人。
空白の時間を、未知の歴史を二人きりで乗り越えなければならない。
アキは、外したバイザーを掛けなおした。

「……そうだな」
『はい。それで、まずはどこへいきます?』
「地球へ。何かやることも見つかるだろう」

思案するようにウィンドウがくるくる回ると、『あいあいさー』の文字。
意図を汲んでくれるダッシュに、アキは感謝する。

『了解。マスターとのリンク再接続、感覚イメージ固定。マスターのデータ、受け取り完……』
「跳ぶぞ」
『……許可できません』

繋がる感覚がアキの身体を通りぬけ、いよいよ跳躍というところで、ダッシュはフィールドを霧散させる。
アキの行動は、何故か許可されなかった。
不思議そうな顔をして、アキがダッシュに問いかける。

「何なんだ、いったい……」
『どうなってるんですか、これは。ねぇマスター、身に覚えがありますよね? どれだけ無茶したんですか? CCのストック、もちろん残ってますよね? マスター、聞いてますか?』

ぎくりと、アキは身を震わせる。
ああ、余計な事をしたと、ダッシュとリンクを結んだことをちょっぴり後悔した。

「あ、ああ、少し無茶はしたかも知れないな」
『使ったのですね、CC全部…………はぁ。過ぎた事は仕方ありません。通常航行で戻ります』
「しかし……」
『まだ…………何かありますか?』
「いや、すまない。何でもない」

不利を悟ったアキはすぐさま口を紡ぐ。
がみがみとダッシュのお説教を受けながら、ユーチャリスは火星を離脱していく。
前途多難ではあるものの、長い旅になりそうだ。
アキは苦笑しながらダッシュの追及をかわし、ダッシュもダッシュで「なに笑ってるんですかー!」と怒り出す。
そんな会話に、先の不安を紛らわす安堵を覚えるアキなのであった。











何もかもが消え去った火星の大地。
無数の無人艦と無人兵器の残骸が山を作っている。
未来の力、未知の力に、成すすべなく倒れた艦隊の屍の山を、蠢く物があった。
装甲板を押し上げて、瓦礫の山を切り崩し、這い出てきたのは三つの黄色。
虫型無人戦闘機。
通称バッタ。
烈火のようなユーチャリス艦の攻撃を生き延びたそれら三匹は、不気味な程に強固なフィールドを纏っている。
特化したような大きなカメラアイは、離脱していくユーチャリスを見つめていた。
追撃する訳でもなく。
取り付く訳でもなく。
四連装のグラビティ・ブラストの渦の中でも、三機のバッタは戦いをする事はなく、早々に死角から全てを記録していた。
記録。
見ていた。
ただ、在りのままを。
存在した異分子を、たった今、確認した。
仮定は、決定事項に移行する。
帰らなければならない、主の下に。
持ち帰らなければ、データを。
思考から割り出した答えを一致させた三機のバッタは、後部装甲から伸ばした端子を連結させて一つになる。
キ、ギギ、と音を立てて身体を組み替える。
その姿は、小さなバッタに取り付かれたデビルエステバリスなるものに酷似していた。
ナノマシン端子による機械融合。
これもまた、新たな力。
より強固なフィールドと、推進力を得た大きなバッタは、浮遊を始める。
目的は、宙域のチューリップとの合流。
武器を持たない記録用無人兵器は、ユーチャリスがいなくなるのを確認して、飛び立っていった。



母星である、木星に向けて。







管理人の感想。

き、来たぜ強者。

は〜…今回もまたいい構成だった。

待望のユーチャリスも登場した。

一応、一区切りがついたということで、これまでの話を第一部としますか。

さて、このままストレートに八ヶ月後に話を移すか。

それともなにか閑話を挟むのか。

う〜ん…いずれにしても、楽しみなのは確かかな。

ではでは。