愛って♪ なあにぃ~♪
「
称賛ってなんだ? 」
(・・;)?
「
絶賛
称賛
賛美
チヤホヤ
一体なんなんだ? 」
(・・;)・
「
ガオちゃんは知っている
絶賛も称賛も賛美も
チヤホヤも
人が
見下した時に
起こる感情だ 」
(・・;)!
「「
おお!
これはすばらしい! 」
「 あの人はすごい人! 」
人は優れてるものを
賛美する
そう一般的に想われているだろう
でもな
人が本気で
この才能が欲しい
俺の物にしたい
本気でそう想った時にはな
ライバル心や哀しみ
そして
怒りの念が湧く
誰の心にもそういうものが湧くんだ 」
(・・;)・
「
人はな
本気でライバルと見なしてる存在は
称賛も絶賛も賛美もしないんだ
どちらかと言えば
相手を見下してる時
相手を哀れだと感じてる時こそ
称賛や絶賛 賛美をはじめるんだ 」
(・・;)・
「
要するにあれだ
あいつは哀れだから恵んでやってる
やさしくしてやってる
喜んどけ
そういう状態なんだ
そして
そんな人の気持ちがわかればわかるほど
称賛と絶賛と賛美を浴びれば浴びるほど
ブルーになるんだ
だって賛美の裏は
誰も自分を本気で相手にしてくれないってことだからな 」
(・・;)・
「
心の内がわかるとな
バッシングされればされるほど
ああ
俺はライバルとして認識されてるんだな
と感じるんだ
誰かの憎悪の念を感じると
まだまだ生きてるんだ
俺が生きてる証だ
そう認識する存在は多いんだ 」
(・・;)・
「
心とは複雑怪奇にできている
好きだから称賛するわけじゃない
尊敬してるから敬うわけじゃない
そうなりたいから賛美するわけじゃない
むしろ逆だ
ああはなりたくないと想うから敬ったり
絶賛称賛賛美をしたりする 」
(・・;)・
「
絶賛称賛賛美とはな
気が混ざらないようにする行為なんだ
人は
その気が混ざらないようにしたい時
本能的に
絶賛称賛賛美と言う行為を行い
身を守るんだ 」
(・・;)・
「
センスが悪い
貧乏など
気を混ぜたくない相手に
欲しい能力がある時はな
鳥族さんは
まずコーディネートをするんだ
コーディネートをしてオシャレにしたり
現実をのせるんだ
何故かって?
気を混ぜた時
一番気が混ざるのは表面のセンスや現物だ
欲しい能力があるからと言って
そこに怒りをぶつけたら
気が混ざって
センスの悪い服や貧乏な状況まできて
同じ服装や貧乏暮らしをしなきゃいけなくなるだろ?
だから怒りをぶつける前に
ライバルとして戦いを挑む前に
欲しい能力がある者には
富や自分好みのセンスをのせるんだ
自分好みの現実をのせてから
相手に憎悪の念を向ければ
自分のセンスが悪くなることも
貧乏になることもない
それでコーディネートをするんだ 」
(・・;)・
「
それでな
たまにいるんだ
どんなに薦めても
コーディネートすらさせてくれない意志の強いオタクさんみたいなタイプが
能力があってセンスが悪い
センスの良い服を着せようとしても
あまりに言う事を聞かないから
そういう人に
鳥族は
感情的になって叩きまくったりする
でもその結果起こるのが
センスの悪さとの融合なんだ
服に無頓着な状態で気が混ざると
能力は上がっても
融合次第では
奇抜な格好をする
大阪のおばちゃんみたいなセンスになったりする
要するに呑みこまれちゃうってことだ 」
(・・;)・
「
そしてな
お前のブログ見て
小犬は昔からやたら叩いてるけどな
実はな
叩いてる奴ほど
このボロアパートと貯金0の気
オシャレしない気が混ざって
それは時が経つにつれ
すさまじい現象化となってあらわれるんだ 」
(・・;)
「
本当に
お前に欲しい能力があると想った格上の連中はな
まずお前のことを称賛する
称賛すれば
とりあえず今の貧乏で
オシャレじゃないお前の気とは混ざらないからな
称賛と賛美をして
自分が欲しい現実が来てから
さまざまな形で
気を交えようとするはずだ 」
(・・;)・
「
大犬はな
いくら称賛しても絶賛しても賛美しても
快楽を感じさせるような現実をのせても
頑固なまでに
ボロボロの服で
ボロ家に住んでる者を苦手なんだ
手の施しようがないんだ
だからそういう連中には
ほめてほめてほめまくって
とりあえずバリアーをはって
あたらずさわらず
腫物に触るように
そして
何か欲しい能力がある時は
貢物をしながら
お伺いを立てる
そういう対応に自然になるんだ 」
(・・;)
「
大犬の下にも置かぬ姿勢を見て
小犬達は養分に嫉妬していたけどな
あれはただの誤解だ
むしろ愛されていないからこそ
ああいう対応をされてたりする
人は鴨だと想うと
チヤホヤする性質なんだ
詐欺会社もそうだろ?
鴨の客ほど
下にも置かぬ対応をするだろ?
そしてな
その逆に
本当に愛してる存在には
冷たくあたったり
辛くあたったりするんだ
自分が悪者と認識されてもいいと想うぐらいの
愛があるんだ
人によって愛し方は
人それぞれだけどな 」
(・・;)
「
だからねこの森のねこ達は
DQNを怒らなかったんだ
人から見捨てられ森で寂しく暮らすねこ達
でもお前のフィルターを通して
たくさんのDQNがねこ達の気をつけかえようとした
ねこをねことも気づかず
夢でまばゆい人だと想って
その気を剥ごうとして
横浜や横須賀 東京から
わざわざ気を剥ぎに来てた
あれもな
ある種
ねこ達からすれば愛だったんだ
人間の生活を営んでる者達が
わざわざ野良猫と気をまじえに来てくれた
最近は行政までが
ねこ叩きをすることで
気をまじえようとしてるんだ
それはな
序列を欲するものがねこ達と気をまじえることで
自分が欲する社会的な地位を
猫に与える
猫からすれば
あれも愛の一つなんだ 」
(・・;)・
「
お前はな
猫に使われてたんだ
お前が来るから
DQN達も犬ばば達も
何かあると想い
たくさん ねこの森から気をつけかえようとした
あんな地味な場所なのに
この数年
ありえないくらい
芸能人のロケ隊もきたんだ
お前が餌になることで
野良猫たちがスター達と気を混ぜて
ねこは次第に人間社会で座を得たり
人気者になってきてる 」
(・・;)
「
でもな
お前がしている
ねこちゃんにやさしくごはんをあげるという行為は
実はお前が
猫の生命力と霊感を欲してやってる行為なんだ
DQNは怒りを向けて 社会運をねこにのせてくる
お前はごはんを配りながら
ねこ達の生命力と霊感を得ようとする
DQNとお前
どっちが本当に猫を愛してるんだろうな 」
(・・;)・
「
存在によって価値観は違う
愛の概念も違う
絶賛称賛賛美とは攻撃だ
むしろ目線が違えば
バッシングこそが応援だったりもする
ことばなんて
何の効力も持たない
愛を感じると愛は消えるんだ
愛されている
とあからさまに感じてるような行動や態度は
能力や愛を奪ってる行為かもしれないんだ
つまり愛とは想いこみだ
概念次第で 変わるんだ 」
(・・;)
「
それからな
太陽が愛を受けてばかりだとおもったら大間違いだ
光と影があるように
愛だけでは太陽は構成されていない
むしろ太陽のまわりには
激しい憎悪や 哀しみ 怒りの念が渦巻いてる
でも
太陽はそれらすべてを応援
すべてを愛と感じ
淡々と呑みこむから
太陽でいられるんだ 」(ガオガオちゃんのことば)
追伸
「
能力はな
一人でいる者の方が宿りやすい 」
(・・;)
「
それは
単純に見た目の問題だ
見た目とはエネルギーの構成により作られている
成長していく素粒子は
粒がはじきあって
姿形を変えて大きくなっていく
そして素粒子が
はじきあってる状態が
人に置いては孤独な状態に近いんだ 」
(・・;)
「
同じ友達とずっと一緒になかよしだとな
それはエネルギー的には
安定した状態に他ならない
でも安定してるということは
進化も
進歩もない
新しい能力が宿る可能性も低いんだ 」
(・・;)・
「
アニメを見ろ
ドラマを見ろ
映画を見ろ
視聴者が
惹きつけられるキャラは
ワイワイつるんでいつも楽しそうにしてるキャラではない
恋人もなく 友達もいなく
一人でぽつんとしてるキャラクターだ
一人の状態
そこから常にドラマがはじまるんだ
引力とはそういうものだ 」
(・・;)
「
そしてな
破壊の時期の緩衝時のように
月が地球の全存在の引力を増幅するタイミングに
一人でいた者
孤独でいた者は引力を増幅しやすく
能力 超能力も宿りやすいんだ
視覚的に
そのタイミングに孤独でいると
そこに集まりたい想念やエネルギーは多くなるんだ
これも見た目だ
見た目で能力は宿ったり変化したりする
」
(・・;)
「
でもな
ひとりとは言っても 種類があるんだ
ひとりの種類 」
ひとりの種類?
(・・;)
「
孤独にも色々ある
人いるのに人はなく
人いないのに人はいる
両者は真逆のようで似ている
でも似ているようで真逆だ 」
(・・;)?
「
つまりな
孤独には種類があってな
想念的な孤独と
現実的な孤独
その中間の孤独
さまざまな孤独があるんだ
人はいるのに人はなく
の状態はな
一見多くの人が群がってるように見えて
誰もその人を本気で独占しようとはしていない
誰もその人を本気では
愛していない状態なんだ
現実的には群がっていても
想念的に群がっていない状態なんだ
そして
現実を持たらされる孤独には
このパターンが多いんだ 」
(・・;)
「
そしてな
人はいないのに人はいる
この状態はな
一見周囲に誰もいないように見えて
多くの存在が独占したがってる状態なんだ
誰もが独占したいとおもうと
その緩衝で誰も近寄れなくなる
現実的には誰も群がっていないが
想念的に多数が群がってるような状態だ
そしてその孤独は
夢やあめに大きな緩衝を与えるタイプの孤独なんだ 」
(・・;)
「
ガオちゃんはな
今
場の想念を操る能力を宿すために
孤独にひたすら耐えている
場の想念が見える能力が宿るとな
金持ちが群がり
現実もつく
だけどそれは
想念的には 愛されない
相手は
現世利益を得る為だけに群がってくるからな 」
(・・;)
「
能力にはな
人から愛されないがゆえに
身につく能力もあるんだ
愛されないがゆえに束縛をされなければ
想念を見る能力も 束縛されなくなるんだ
それは現実的能力者も 想念的能力者も同じだ
だが
愛され過ぎるとな
束縛があるが故
それが能力の開花を阻んだりもする
愛されるということはな
能力をつぶされる危険性も孕んでいるんだ
お母さんお父さん おじいちゃんおばあちゃん
友達 知人
みんなから愛されていればな
能力は身につかなくなるんだ
だって生きる為に
能力を宿す必要はないからな
能力とは
愛情いっぱいの所には宿らないんだ
そして
愛がないところの方が 能力は宿ったりする 」
(・・;)
「
愛ってなんだろうな?
相手の才能を伸ばすことが愛というのなら 傍にいないことが愛とも言える
相手の傍にい続けることが愛というのなら 才能をつぶす行為が愛とも言える
冷たくする愛 暖かくする愛
愛には種類がある
ガオちゃんはな 冷たい愛が好きなんだ 」(ガオガオちゃんのことば)