アフガン侵攻作戦について 今度の戦争は、キリスト教文明圏 vs イスラム教文明圏 の再発といった図式になりそうですが、その根底には、農耕民族 vs 遊牧騎馬民族 という図式があるような気がします。そうだとすると、両者の言い分には、まったくかみ合う点がないはずです。この戦いこそは、人類史上一度も決着がついたことのない半永久的な民族抗争の再燃であると思われます。人類は、狩猟採集生活でもって今日まで進化したわけですが、ここ1万年の間にすっかり農耕民となり、地球上の土地という土地をほとんど耕し尽くしてしまいました。遊牧騎馬民族というのは、この全人類が農民化されてしまう課程で誕生した反農耕民族であり、そのモノの考え方や合戦のやり方などはまったく異なります。 彼等は、元来、定住民族ではないので、故郷だとか、祖国だとかという観念を持ちません。このため、陣地をつくって、その拠点を基軸に作戦を展開する農耕民的な合戦は、彼等には通用しません。 ちなみに、彼等のアイデンティティーは故郷とか祖国といった土地に根付いたものにはなく、富や宗教を精神的なバックボーンにしています。司馬遼太郎の筆を借りるなら、羊たちを食わせるための草原を生命の源泉と考え、その草原をほじくりかえして畑にしてしまう農耕民族を諸悪の根元ととらえてます。 農耕民族が遊牧騎馬民族と対戦して、これに勝利することは、近代に至るまでは、ほとんどありませんでした。前漢の霍去病(カクキョヘイ)が独創的な騎兵戦を展開して匈奴の王を捕虜にしたりしましたが、これは、例外です。ちなみに、その霍去病の脅威は、匈奴に玉突き現象を起こさせ、西に移動した匈奴に押されたゲルマン民族が大移動を開始し、ローマ帝国をボロボロにうち砕き、東ローマ帝国を誕生させました。匈奴の支流は、さらに、セルジューク・トルコの大帝国を打ち立てたり、オスマン・トルコの大帝国を打ち立てたりしました。現存するアラブ人も、この匈奴の末裔です。 遊牧騎馬民族は、まず、身体的に農耕民族よりも優れてます。視力が比較にならないほど良く、ある程度の距離を隔てて農耕民族と対戦すると、騎馬民族側からは農耕民族たちの表情までもがわかってしまいますが、農耕民族側ではその騎馬民族の姿すら確認できないとう状況が発生します。このため、騎馬民族が農民を攻撃する際は、常に奇襲の形になります。 また、騎馬民族は、農民のような生活への執着心が薄く、勇猛果敢で部族の誇りのためには死をも厭いません。このため、彼等は農民のひ弱さを理解できず、農民を同じ人間として評価せず、いちランク低い動物と見ていました。紀元前8世紀ごろに現れた最初の遊牧騎馬民族は、年に一度の大会(全部族が集うお祭り)のために、殺した農民の頭の皮をナプキンにして胸に飾り、その数を競い、一枚もナプキンを下げてないと、みんなから臆病者の烙印を押されました。 その残虐性は、ソ連がアフガン侵攻をやったときにも発揮され、ソ連兵は皆捕虜になることを恐れるあまり手榴弾を身体に括り付け、いつでも自爆できるようにしていたと聞きます。 遊牧騎馬民族の日常生活は、農民のようにあくせく働くようなものではありませんが、羊の群を誘導する先を誤ると羊が全滅してしまうので、「次にどこへ行くか」を真剣に考えます。このため、一度見た景色は決して忘れず、その地理感覚は、我々のものとは比較にならないようです。 私は、アメリカの高校に居たときに、何人かのイラン人(中にはトルコ系もいた)と親しくなりました。彼等は皆血の気が多く、空手やナイフが好きで、粗暴で猥雑で知性のかけらも感じられない連中に思われましたが、あるとき、その中の比較的おとなしい少年のひとりが、成績がおそろしく悪いにもかかわらず、白い紙にどんどん地図を描いていくのを目撃しました。「イランがここで、その隣がイラクで、その隣がなんとかキスタンで・・・」という描き方で、瞬く間に西アジア全域の地図を描き上げました。我々にとっては広大な大地に思えるものが、彼等にとっては、それほど広大ではないようでした。アメリカ人の先生も、かなり驚いていましたが、私も、彼等は愚鈍ではないんだな、と感心したのを覚えてます。 騎馬民族は、通常は、小さな部族に別れて暮らしていて、互いに牽制し合ってました。が、偉大な酋長が現れると大団結して大きな合戦を連続的に敢行し、大帝国をつくります。その指導者のことを中国では可汗(カガン)と発音しますが、英語では Khaghan(ハガン)と書きます。その略称がハーンです。チンギス・ハーンのハーンです。アラブには、ムハンマッドという名前が多いようですが、そのハンは、遊牧民の指導者の称号だったのではないかと私はかってに解釈してます。そのことはともかく、あの、アフガニスタンに隠れているウサマ・ビン・ラディンなる者は、かなりの大ハーン的要素をもっているやに思われます。 「次にどこへ行くか」 という指示を的確に、矢継ぎ早に出す能力を持っていて、それが着実に実を結んでいるわけですから、今に、全イスラムのリーダー的存在になるのではないでしょうか? そして、彼等が核兵器を手にすれば、ためらうことなく、それを使用するでしょう。 遊牧騎馬民族は、畑を耕さず、文化と言えるほどのものを持ちませんでしたが、帝国をつくるときには、農民をさらって来てこれに畑を耕させ、職人をさらって来てこれに財宝や武器を造らせ、官僚をさらって来てこれに王朝組織を造らせます。農耕民族が持ってるものを奪って、それを有効に使いこなす能力を持っています。 アメリカは、戦えば、きっと負けるでしょう。あのブッシュ大統領の優越感に浸りきったものの言い方は農耕民特有のカンの鈍さを丸出しにしています。 彼には、敵の本質がまったくわかっていません。 「Noble Eagle」 とは、なんという命名でしょう。ルール無用の反則専門民族を相手にしようというのに、我々の社会だけに通用する紳士性や気品のようなものをもって戦うつもりのようです。 アフガン侵攻では、凄まじい被害が出るような気がします。 ちなみに、霍去病が匈奴を討伐できたのは、敵のやり方を応用したからです。当時の中国では、馬にまたがるというのは、非常に下品な行為とされていて、だれもそれをしようとしなかったのですが、戦車(車を馬に引かせる形式のもの)では勝てないということを認め、騎兵を使ったところが勝利につながったようです。なりふりかまわず、下品だろうがなんだろうが、有効な手法は全て取り入れる心構えがなくては、異民族には勝てないのです。 Noble Eagle では、元の大軍を迎える鎌倉武士が一騎づつ前に出て名乗りを上げようとしたことが連想されてしまいます。元軍は3人で一人をやっつける合理的な白兵戦闘法を展開するのに、鎌倉武士は一騎同士の一騎打ちを理想として戦い、まったく歯が立ちませんでした。 また、古参のアメリカ兵は、今、湾岸戦争で使用した劣化ウラン弾の不始末で戦う意欲を失っていると思われます。その劣化ウラン弾の責任を知らぬ存ぜぬで押し通しているのがパウエル国務長官です。CIA も今やかつての諜報能力を失い、文書作成能力しかない腐敗した官僚組織に成り下がっているそうです。 ホワイトハウスが炎上するのも時間の問題であるように思われます。 とにかく、今回の戦争には、日本は参加すべきでないと思います。 日本は、まだ、法的にもテロ対策が充実しておらず、バスジャックの少年すら射殺できない状態です。こんな国があのテロ集団の標的にされたら、ひとたまりもないと思われます。平和ボケ状態の市民の目を覚まさせるには適度の刺激が必要であるとは思いますが、しかし、無差別テロの標的にされるのはまずいことです。そのようなことになれば、女性や子どもたちは動転し、男たちは失業し、弱りきった社会構造に致命的な破綻が起こるのではないでしょうか? それに、一連のテロは、アメリカ・イスラエル ラインによるパレスチナ弾圧に問題の発端があるわけで、そのあたりのことには、日本はまるで無関係です。 「国際的に孤立したくない」 という程度の安易な意識だけで手出しすべきものではないように思います。 したがって、政府においては、 「今回の戦争は、これまでのアメリカがやってきた自己中心的な外交政策のツケがまわってきたもので、我々には関係ない!」 と、大声で断固とした態度を示していただきたく存じます。 湾岸戦争のときの轍(てつ)を繰り返したような形になり、日米の同盟関係に皹(ひび)が入り、欧州先進国から臆病者の誹り(そしり)を受けようとも、勇気をもって、 「今の日本には見せられる旗がない」 という恥ずべき実情を世界に披露し、生き残りの道を探るべきと考えます。悔しいですが、今の日本は無力です。 |
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