March 30, 2016

プラグマティズム入門についての伊藤先生へのお手紙

伊藤邦武『プラグマティズム入門』をいただいた。



伊藤先生に感想と質問のお手紙を書いたのでここに転載しておく。


伊藤先生

ご無沙汰しております。過日はご著書『プラグマティズム入門』をご恵贈いただきありがとうございました。プラグマティズムのおこりから現代のプラグマティストまでを一気に鳥瞰する本はこれまでなく、新鮮な感銘をうけました。伊藤先生のようなバックグラウンドがなければできないことだったろうと思います。また、最近のプラグマティストについては私自身不勉強で知らないことが多く、勉強になりました。
以下、不勉強ながらに気になったことについてご質問させていただきたく存じます。

(1)まず、ジェイムズとそれ以前の実証主義の関わりについて質問があります。ジェイムズの「純粋経験」論は、一般には中性的一元論の一種と分類されると思いますが、そうするとジェイムズより前に中性的一元論をとなえていたアヴェナリウスやマッハとの関係が気になるところです。とりわけアヴェナリウスは「純粋経験」という言葉を作った当人で、ジェイムズもこの言葉を彼から借用したようですので、素人考えではなんらかの影響関係がないということはないだろうという気がします。それに対して、先生の記述では純粋経験論や中性的一元論をジェイムズが創始したという独創性の面が強調されています。また世間のジェイムズについての研究書一般に、マッハやアヴェナリウスの関係は論じないか、論じても関連性の存在に否定的であることが多いと思います。(注1)これはどういう根拠に基づくことなのか、以前から気になっていたのでこの機会にご質問するしだいです。

 また、87ページでラッセルが「ジェイムズの提唱した中性的一元論」を採用した、という表現をとられているのも気になります。ラッセルは1914年の論文でマッハとジェイムズをこの立場の支持者として対等に挙げており、注においては「マッハの理論は実質的にジェイムズと同じであるように見える」とも述べています。(注2) ジェイムズとマッハの立場の異同をどうとらえるにせよ、ラッセルの形而上学にジェイムズがもっぱら影響を与えたように書くのは、若干プラグマティズムびいきのようにも思えます。

(2)第二点はウィーン学団のアメリカへの導入についての記述です。先生はウィーン学団と古典的プラグマティズムの関係をかなり対立的に書かれていますが、それはジェイムズとカルナップを比較するからそうなったのではないか、という印象を持ちました。

具体的には、124-126ページにかけての節で、論理実証主義と古典的プラグマティズムの相違点として、事実と価値の二分法を受け入れるか否か、という点と認識における全体論に価値を見出すかどうか、という二点が挙げられています。カルナップやエイヤーの論理実証主義はたしかにこれらの点でジェイムズ流のプラグマティズムと対立するかと思いますが、ノイラートは科学の実践性を強調しましたし、さまざまな分野が協力するためにこそ統一科学(統一的な言語)が必要だと主張していました。認識論においてノイラートの船の比喩に象徴されるような全体論をとっていたのもよく知られているところです。ではノイラートが論理実証主義の中で異端だったかといえばそうもいえず、統一科学運動をリードしたのはノイラートです。最近論理実証主義の歴史については多くの研究がなされるようになってきましたが、そこでもアメリカのプラグマティストや左翼活動家たちによって(ノイラート流の)論理実証主義がプラグマティズムを補完するような存在として歓迎されたという分析がされることが多いと思います。(注3)

他方、古典的プラグマティズムといっても、パースのプラグマティズムが事実と価値の関係や認識的全体論の問題についてカルナップと対立したかというと議論の余地があるのではないかと思います。少なくとも、”How to make our ideas clear”で提示された、合意の収束点としての真理という考え方には有用性などの実践的な考慮は明示的にはからんでこないように見えます。そういうことを考えると、パースやカルナップのような理論派とジェイムズやノイラートのような実践派がプラグマティズムにも実証主義にもいた、というようなまとめ方の方がしっくりきます。わたしはパースについてそれほど詳しくありませんので、これについてもわたしの誤解でしたらその旨ご教示いただけましたら幸いです。

また、細かいことですが、122ページで「彼らの思想は新大陸においては「ウィーン・シカゴ学派」と呼ばれるようになった」という記述をされていますが、これだと周辺の人々がそう呼んでいたように読者が受け取ると思います。わたしの理解ではこの呼び方は日本での紹介に際して作られた表現で、英語圏でこれに類する表現はほとんど使われていないようです(ちょっと調べましたが英語圏での用例が発見できませんでした)。 (注4)実際、アメリカ移住後の論理実証主義の拠点をシカゴと見なすのは、特定の時期のカルナップに偏重した史観のような気がします。

(3)次に、パトナムの紹介のしかたについて少しお伺いしたいことがあります。内的実在論の不十分点として、177ページで「世界についてのもっとも詳細で完全な記述や描写、という概念がそもそも意味がある概念かどうか」「その達成の可能性を問うことに意義があるのかどうか」に「正面から答えようとしていない」ということを挙げておられます。しかし、先生が想定しているのと少し違う角度からだとは思いますが、パトナムのいわゆる「中期」の哲学はまさにこうした問題を扱っているように思います。パトナムが内的実在論の基礎においたのは、レーヴェンハイム=スコーレムの定理や並べ替えの議論を使った、「言語は意図する解釈を特定することができない」というテーゼです。内的実在論はこのテーゼの不可避の結論として出てきます。われわれが世界についてどんな記述をしようが、その記述が世界とどう対応するか(個々の名前や述語が世界におけるどういう対象や関係を指し示すか)は原理的に決まらないわけです。そうすると、世界についてのもっとも詳細な記述とか完全な記述などという概念にはそもそも意味がないことになるでしょうし、そんな記述の達成の可能性はないということで決着がつくはずです。そういう点を紹介せずに177ページのような書き方をするのはパトナムに対してアンフェアなようにも思うのですがいかがでしょうか。

そのすぐあとの箇所ですが、178ページで真理のデフレ理論のデフレーションというところに「価値の切り下げ」という表現をされているのも少し気になります。パトナムにせよ、真理のデフレ理論の支持者にせよ、真理というものを切り縮めているのは確かですが、それは真理というものの価値が少なくなるのかどうかというのとは独立の問題だろうと思います。特に真理のデフレ理論が真理というものの価値についての立場であるような誤解を与えるのはどうかと思います。真理の価値が世界との対応にあると思っている人にとっては、真理が世界との対応というニュアンスをなくすことで真理の価値が減るでしょうが、そういう立場をとらないならデフレ理論をとっても真理の価値がまったく減じないということは十分ありえます。

とりあえず一読して気になったのは以上の点です。また何かの折にでも、ご教示いただけましたら幸いです。

注1   LamberthのWilliam James and The Metaphysics of Experienceでは、ジェイムズの1890年代のノートを使って、純粋経験という言葉をアヴェナリウスからもらってきたことがほぼ間違いないことを示しながら、単に言葉を借りただけだ、という見解に落ち着いています。

注2 Russell, B (1914) “On the nature of aquaintance II: neutral monism” The Monist 24, 161-187.  p.162, n.1.

注3 G.A. ReischのHow the Cold War Transformed Philosophy of Science などが代表だと思います。

注4 おそらくこの表現の初出と思われる篠原雄『統一科學論集 : ヴィーン・シカゴ學派の思想と理論』(創元科学叢書1942)の訳者序で以下のように述べられています。「そしてこのマッハの伝統をひくヴィーン学団の研究はその主動的中心の一人であるカルナップが最近シカゴ大学に拠るに及んでプラグマティズムの流れを汲む同地の傾向と合体し、ここに極めて興味ある展開を示した。私は、そこで仮にヴィーン・シカゴ学派の名称を以って彼らを呼ぶこととしたのである。」

iseda503 at 14:54│Comments(0)TrackBack(0)

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