森の住人たちは

04年12月初

小淵沢界隈で良く見られる野生動物。
シカ、リス、ノウサギ、キツネ、テン。
これらの動物たちはリスを除いて、夜間に活動が活発になる。だから、人目に触れることは多くない。
しかし、確かにこんな動物たちが身近に暮らしている、と、明らかにわかるのは、糞や食痕など「生活の形跡」を見つけた時、それから車に跳ねられた死体を見つけた時である。

わが家の回りは遥かに森が拡がっている。そこは犬たちが思いきり、走り回る場所でもある。
人や車がなかなか入ってこない、とはいっても、今どき世間から隔絶された原生林、なんて、日本にはほとんど存在しない。そのため、私たちも、常に周囲に気を配っている。
もう一つ気を配るべき相手がある。野生動物との遭遇だ。
幸い、家の回りで、わが家の犬とシカやイノシシなどが面と向かって出くわしたことはない。
想像すると、そら恐ろしいものがある。マラミュートがイノシシとばったり鉢合せしたらどうなるだろう…?
知人の知人で、マラミュートをシカ猟に使った、という人があるそうだが。

04年は全国各地で、クマ出没のニュースが続いた。
市街地の民家に侵入したり、店舗や工場に侵入したり、と、クマも相当空腹に追い詰められていたのだろう。
話に聞けば、今年は異常に暑い夏に続き台風の連続襲来などで、山に自生するクリやドングリ、他の果実類が熟する前に落ちてしまったこともクマたちが飢えた一因だという。
国道20号線をはさんで甲斐駒よりの、水で有名な白州町ではしばしばクマ目撃の話を聞くが、こちら側ではあまり聞かない。
しかしながら、クマではないものの、今年の山には食料が乏しいのではないか、と思えるいくつかのシーンは確かに私たちも経験した。

9月も終わりの午後、ずらりと連なる犬舎の一番端っこに私は入り、犬たちと揉みくちゃになって一緒の時間を楽しんでいた。
すると、スナジーが、5メートルほど近くの梢をじっと見つめたまま動かない。
何だろうと見ていると、梢の一部がごそっと揺れた。繁る葉で姿は見えないがカラスでもとまっているのだろう、と思った。
すると次の瞬間、驚いた。
大きなサルが、ぬっと現われたのである。
別に慌てる様子もなく、威嚇的な態度ということもなく、枝にどっかり座り込んで、私の顔をじっと見ている。5メートルといえばかなり近い。
普段からサルの多い地方なら、さほど驚くこともないだろうが、この辺には猿の群れはいないのだ。
相手は1頭だけ。どうやら若いオスの個体で、群れから離れて単独で暮らしているようであった。
なかなか立ち去ろうとしないサル。夫も来て「サルにじっと見られていると、何だか不気味だなあ」と言う。私は接近してみた。万一、攻撃的な行動に出られたって、マラミュートという犬たちが回りにいるから恐いという気持ちはなかった。この梢のすぐ下まで行くと、サルはようやく重い腰を上げて、すぐ上の梢に移動した。
何時間、サルはその辺りの木でのんびりしていただろう。
夕闇が迫る頃になると、フェンスのすぐ向こうの地面にふいっと降りて、山栗や赤松の実を拾ってはかじっている。こんなものを探しては食べ、そうして一人、移動しているうちに、わが家の森にまで来てしまったのだろう。地面で食べた後は、薮のなかを歩くようにしてどこかに行ってしまった。

前回の冬は、山を降りてくるシカの群れが少なかった。
その前の冬、すなわち2002年は、八ヶ岳高原道路を通ると、朝でも昼でも、まるで「シカのサファリパーク」のごとくに、あちらでもこちらでもシカの群れが目撃できた。特に、見晴らしの良い牛の放牧場はシカたちのお気に入りらしく、そこを突っ切る 道路の真ん中にまで群れが陣取り、或いは20頭ほどの大群が移動中で、車のほうが止まらざるを得ない。シカもわかっているかのようにずうずうしく、逃げようともしない。
特に、朝早くと夕方は、標高の高低を移動するため活動が活発になる。その年の春にでも産まれたような、まだ小さくて若いシカが群れからしっかり守られているのも観察できる。
冬に山を降りてくるシカの多少は、雪の多少と密接な関係がある。
標高の高い、人が入り込んでこない安全な場所に食べ物さえあるなら、シカだって敢えて危険をおかしてまで人の住む集落のほうまで来たくはないのだ。人間や車や犬の、イヤな匂い!
毎年、この辺りのJR中央線や小海線では、線路でシカを跳ねるという事故で止まってしまうケースが続発する。
山を降りなければ、交通事故で死ぬこともなかっただろうに。

今から半月ほど前の11月半ば過ぎ、子どもの送迎で夜に森をぬけて帰宅した。
その時のことだ。
わが家へは、森へ入って、未舗装のがたがた道をしばし車で走らないと至らない。
あと100メートルほどでうちの灯りが木々のすき間から見えてくる、という辺りだ。
太い木々が鬱蒼としていて、夜にでもなれば、ちょっと恐ろしげな雰囲気さえある。
ちょっと恐ろしげ、ではないかもしれない。初めてのお客様などは、しばしば昼間でさえ「まさかこんなところに人家はあるまい…道を間違ってしまったのだ」と、引き返してしまうことも少なくない。
夜なんて、住人の私たちでさえも、懐中電灯があってもなくても出来れば歩いては通りたくない雰囲気だ。
その日、ここを車で通った時、子どもと私はカーブのすぐ先で車の直前に異様なものを見つけて、同時に叫んでしまった。
緑色にギラギラする4つの玉!
それが、ひゅるり、ひゅるり、と怪しく上下する。
続いて、長い首が見えた。とっさにそれは、馬かラクダ(笑)に見えた。それくらい、顔が高い位置にあり異様に大きな動物に見えたのだ。車のライトに全身が浮かび上がって初めて、それが2頭のおとなのシカだとわかった。目近で見ると、野生のおとなのシカは本当に大きい。シカたちは何故か脇に逸れることなく、車のすぐ前の道を、白い尻尾を目立たせながらヒョ〜ン、ヒョ〜ン、と跳ねてゆく。車が追う。まるでナイトサファリのようである。もう少しで家、という
ところで、1頭が一気に大きく脇の繁みへと跳ね入った。続いてもう1頭も。
子どもが登校途中に、森の出口でシカと遭遇したこともある。
以前、犬たちと森で遊んだ後、犬舎に戻った1頭がシカの糞を大量に吐き戻したこともある。その時も「姿はなかなか見せないけれど、この森にもシカは来ているのだな」と思ったものだ。
そういえば、今年の夏は、森に一番近い農家でイノシシが目撃された、という話も聞いた。イノシシはもう少し暖かい、ここより標高の低い場所を好むのだが。
子どもが通う学校の校門前では、車に轢き殺されたハクビシンの母親に健気に寄り添って離れない2頭の子どもたちが保護された、という事件も。
巷でよく言われることだが、野生動物とトラブルなく暮らしていくことが難しい世の中になってしまったのは本当に嘆かわしい。動物の肩だけを持つわけではないが、元々彼らが当り前の、必要最低限の食べ物をとり、繁殖活動を行い、そうして永い永い間営んできた当然の生活の場所から”ドケドケドケ〜!”と彼らに有無を言わせず追い出したのが人間だ。なぜ人間だけにそんな権利が?クマやイノシシがあまりの飢餓から人里に降りて食べ物をさがせば、見つかり次第に射殺される(麻酔で眠らせ場所を移動して放す、という方法を実践している自治体に心から拍手を送りたい)。なぜ人間だけがそんな傲慢なことを?
県の鳥獣保護センターへ行けば、狭いオリに所狭しと保護された野生動物が並んでいる。子ジカ、子グマ、サルにイノシシ、アナグマにハクビシン。それらの動物は死ななかっただけ良かったのかもしれないが、野生復帰を受け入れてくれる自治体は少ない。
便利な生活、快適な暮らし、全てに合理化を求め、躍起になって頑張ってきた日本人は今こそそれを手に入れた。しかし、ここに至るまでの間に大事なものを忘れ、そのことに気付く感覚さえも麻痺してしまっているのかもしれない。
山の命たちは、私たちに訴えたいことがたくさんあるように思えて仕方ないのだが。

(沙)

 

オオルリのこと

04年11月末

2004年も師走を迎え、森はすっかり見通しがよくなった。
北には八ヶ岳のなだらかな傾斜が、そして、南の木立の向こうには遥かに甲斐駒ヶ岳の姿がちらりとうかがえる。
八ヶ岳南麓でも、このあたりは特に雪が少ない。しかし、標高は1000メートル近くあるので気温は低く、しかも湿度が少ないため、空気が張り詰めたように感じられる。もう少しすると全てが凍ってしまう。一度降った雪は晴天が続いても溶けない。
柔らかな冬の日差しに透けるような冬の森も、ヨーロッパの絵画のように味のある風景だ。
狼灰色のマラミュートたちは白い息を吐きながら、疾走し、互いにぶつかり合い、倒木を飛び越え、躍動する。

今年も多くの野生動物や鳥たちと接点があった。

4月、わが家にオオルリが巣を作った。
あのオオルリが?
日本の3鳴鳥といわれ、素晴しい声ばかりでなく、そのまばゆいように光る濃青色の印象的な、美しい鳥である。深山幽谷に住み、渓谷沿いの崖淵などに営巣するバードウォッチャー憧れの鳥だ。
そんな鳥が、わが家の壁に打ち付けた工具用の棚に巣を作った。高さは人の肩あたりだろう。近づけば充分になかが覗けてしまう。
2羽でせっせとコケを運び、器用に皿型にまるめ、そのなかに茶色いメスが2週間ほどひたすらうずくまっていた。
私たちは鳥に気を使って、この棚の周囲は勿論、傍の通路さえ使わないようになってしまった。
犬舎も隣接し、犬たちが2メートルほどの近くをうろついている。
なのに、オオルリたちは犬が何もしないと知っていてここを選んだかのようだった。
ここの森がオオルリの、オスのテリトリーに入っていたことは2、3年前から知っていた。毎年4月から初夏にかけて、金属的な響きの歌声が高らかに聞こえる。あの小さな体のどこから?と驚くような声量だ。時にはすぐ近くの赤松の枝に来て美声を張り上げることもあった。

やがて巣から少し離れたところに捨てられた卵の殻を見つけ、親鳥たちがせっせと虫を運び始めた。
4羽のヒナがかえっていた。
無事に育ってくれればよいが…と、何かにつけては遠くから、働く親鳥を見るのが楽しみになった。
軒下の、犬のフェンスの真ん中で、青く光る鳥が密やかに休憩している。手を伸ばせば届くような近くで、あの鳥が身動きもせずに。
まるで有名人の私生活を覗き見てしまったような、秘密を共有しているような不思議な気分に陥る。
ところがある時、これまた大変なものが現われた。
巣のすぐ斜め上の軒先から、大きなヘビがひょっこり顔を出していたのだ。
ヘビと目が合ってしまい、しばらく見つめあった後、思わずオオルリのことを考え、とっさに手づかみで軒から引きずり出そうとした。が、するりと逃げられてしまった。軒の奥へ…。姿を見失った。
それからというもの、あのヘビがヒナたちを取ってしまうのではないか、と、そればかりが気になった。
考えてみれば、ヘビにとってオオルリがどんなに魅力的な鳥かなんて、何の関係もない。餌がとれなければ、彼らが繁栄できない。しかし出来れば、狙う獲物はわが家のオオルリでなく、その辺りにたくさんいるカエルにでもなってくれないか、などと思ってしまう。
幸いなことに、ヘビはそれからは2度と姿を見せなかった。
このヘビに関連して、もうひと騒動があった。
ヘビを寄せ付けない方法をある人に相談したのが発端だ。そのある人とは動物の写真家として名が通っている。相談したものの答えは返ってこなかった上、ヘビに代わって今度はそのオジサンが現われるようになった。「珍しいから是非撮影させて欲しい」と。
ところが、良い写真を撮りたいのは理解できるが、あまりにも接近してカメラを設置、本人もその場にどっかり腰を据えて見張っているため、親鳥が恐れて巣に戻れなくなってしまった。10メートルほど離れた山桜の枝にとまって、夫婦で盛んに警官音を発している。そうして数時間が過ぎた。鳥たちの姿は見えなくなった。
見かねてそれを伝え、別の日に改めてもらえないか、と頼むと、がっかりする言葉が返ってきた。「鳥が巣に戻れない、って?こんな場所に巣を 作る鳥のほうが悪いんだよ。犬だってこんなに近くにいるのに、わざわざこの場所を選んだのだから最初から無理があったってことだね。どうせ自分が来ても来なくても、鳥が巣に戻れないのは自分のせいじゃないよ」。一応、自然保護員という肩書きのかたである。
翌日の朝、いつもと変わりなく巣に出入りする鳥たちを見つけて、一安心した。
あの後きっと、こっそりと巣に戻ってきたのだろう。余計な迷惑をかけて悪かった、と、オオルリ夫婦に謝りたいような気持ちになった。
そんなこんなで、2週間あまりが過ぎ、ヒナたちはあっけなくいなくなってしまった。
うちから巣立った4羽のオオルリたちはきっと、犬や人の姿を見ても警戒心が少ないのではないか、などと思ってしまう。
緑色の、かわいいオオルリの巣は、記念にそのまま置いてある。
来春もきっと、雪が溶けた頃、ピールリ、ジギー、と大きな声がこの森に響き渡るだろう。
 

(沙)

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