著名人の不倫のニュースが世を騒がせるたび、あーあ、またやってるよ、と不倫をした本人ではなく世間及びマスコミの方に対して飽き飽きした気持ちになる。
同時に、ざわりとした割り切れない気持ちが胸をかすめる。
なぜなら、私自身が不倫の子供であるからだ。
自分が不倫の末にできた子であることを知ったのは21歳で、実の父親に17年ぶりに再会した時だ。
それまでは、父と母はいろいろあって別れたんだろうな、くらいで、二人の関係にはさして疑問も持たずに生きてきた。
しかしその頃、ちょうど就職活動で「自己分析せよ」と言われ、「自己分析……っつってもな〜、自分のことなんか、わかんねーし」と思いながらも、
「そういえば、我が染色体の二分の一の提供者に会ったことないなぁ、会ってみるか」と思いたち、試しにスマホで父の名前を検索してみたら、一番上にwikipediaがヒットした。 父はとある大学の教授だった。
その時間、約0コンマ5秒である。IT時代の人探しは、かくも簡単なのか、と感心した。
研究所に電話して、秘書の人に「◯◯さんにつないでください」と言ったら、あっさりつないでくれた。「もしもし? あ〜、ワタシなんだけど」と言ったら(そのころは俺俺詐欺なんかなかった)、父は一瞬でわかったらしく、口をつぐんだ。
「会いたいんだけど」と言ったら、他のアポを速攻キャンセルしてくれ、かくして、我々は次の日に会うことになった。
はっや。
17年ぶりの再会にしては、絵にならないぐらいに、スピーディな展開だった。
私のXとのご対面
大声で話すギャルたちと、騒ぎ立てる幼稚園児、おしゃべりに興じるママたちに囲まれて、おもちゃみたいにカラフルなテーブルと椅子の間に、黒いコートの大男がちんまりはさまっていた。
「大学のセンセもミスドでストロベリーフレンチクルーラーなんか食べるのかぁ」と思うとおかしかった。
父はすでにウルウルしていた。私もそうだが、この人もかなり涙もろいんだなぁ、と私はなんだかぼんやり、遠くの影絵の中の人物を眺めるような気分で、目の前の男を眺めた。
ボソボソしゃべるところとか、笑うと目がくしゃくしゃっと細くなるところとか、何か話し出す時に「あー」と、一旦口ごもるクセ、とか。
ああ、たしかにこの人、私のX持ってんな、と思った。
父と近況を話し合ったあと、「奥さんとかいんの?」と聞いたら、「いる」と言う。
その人との間に、「コドモとかいんの?」と聞いたら、「 ◯◯歳と、◯◯歳と◯◯歳と……」と言い、私のかなり歳上だったので、
「なんだ、私の母とは、不倫だったんじゃんか」 と思った。
私の父と母は一緒に生活していた期間もあり、5歳までの父の記憶もうっすら残っていたので、不倫の可能性を疑ったことはなかったのだ。
で、そのまま私たちはフランス料理を食べに行った。
だいぶ落ち着いてから、
「で、なんでお母さんとできちゃったの?」と聞いたら、 父はコドモのように口をとんがらして、
「だって、好きになっちゃったんだもん」と言った。
こいっつ…………
と思った。
だもん、じゃねぇよ。
しかし、よく考えたら私もその時神と崇めていたボーイズラブ漫画家のメジャーデビュー前の同人誌をヤフオクで高額落札して
「だって、欲しかったんだもん!」
とか言っているな、と気づき、父を闇雲に責めるのはやめよう、と思い直した。
そんな感じで会食を終えて、どうしよっかな、いきなり来たからホテルもないし、漫画喫茶にでも泊まるかと思っていたら、父が
「奥さんに話したら、会いたいと言っているんだけど」と言うので、家に行った。
さすがに少し緊張したが、実際会うと、父の奥さんは私の母と正反対な感じの、すごく柔和で優しそうな人だった。
しかし、50代後半でなお現役の社会活動家で「今も裁判所の前で垂れ幕とか掲げてんのよぉー」と言い、押入れの引き戸をガラリと開けるとそこには真っ赤なおどろおどろしい筆字で怒りの言葉が書かれた白布が並んでいたので、「やっぱり父は、激しい女が好きなんだ…」と納得した。
社会問題がどうとか、今の若者がどうとかいう話で盛り上がったので、話の流れで「就活がうまくいかない」とこぼしたら、
「あんたはあんたの感性信じて、フラフラしたらいいよ」と言われた。
一泊し、翌朝京阪電車に乗って帰った。
帰りの電車の中で、奥さんから来たメールに、
「美由紀ちゃんみたいな素敵な娘がいるなら、私も他の男と子供をつくってみたらよかったわ、ってお父さんには言いました」
と書いてあって、なんか、優しいなぁ、と思って、あとからあとから涙が出た。
誰になんと言われようと私はまあまあ幸福だ
そういうわけで(?)その後全く自己分析は進まず、就活もさっぱりうまくいかなかったが、今、こうして生きてるということは、まあ、なんとかなってるのだろう、と思う。
こうして書くと、父はずいぶん無責任な人のように思えるかもしれない。 不倫をして子供を生んだ母は、ひどい女のように見えるかもしれない。
しかし、私は彼らのことを、責める気持ちになれない。 彼らがひどい人間かどうか、実際のところは、よくわからない。
だって、今の私は、まあまあ(……かなり、わりと)幸福なのだ。
十分な教育を受け、美味しいご飯を食べ、友人と仕事相手に恵まれ、そして、自分で稼いで生きている。
片親であることで辛いこともそれなりにはあったが、ビーカーの中の水を、そっくりそのままとなりのビーカーに移し換えるようにして、同じ分だけ、幸福だ。
今の私が感じている、災禍も幸福も、おなじひとつの歪から、発生しているのだ。
同じ女の卵子と、同じ男の精子から発生したものなのだ。
それを、どうとも思えない。
不倫していた父と母を憎んでいるかといえば、憎んでない。
父は弱く、だらしのない人間だった。そのことを決して肯定はできないが、私は彼の他の良いところを、あと98個は述べられる。
彼はとても頭がよく、繊細で、思慮深く、優しい。茶目っ気があり、ハンサムで、服のセンスがいい。
母は他人の気持ちに疎く、言い訳の多い人間だが、それだって彼女を否定する理由にはならない。 母は活力があり、手際がよく、人望があり、強い。よい仕事をするし、身体が丈夫で、切り替えが早い。
生き写しなのだ。
私は。
彼らの生き写しなのだ。
そんな彼らを、どうやったら否定できるだろう?
不倫は絶対悪だと言う人には、やったことないのにわかったふうなこと言ってんじゃねーよ、と思うし、
(不倫を批判する人間がよく持ち出す理屈に「子供がかわいそう」というのがあるが、「かわいそう」かどうかはその当人のみしか決められないことであり、余計なお世話である)、不倫くらいやっていいんだ、と開き直る人間には、それで傷つく他者がいることを想像できない鈍感さを軽蔑する。
人間、悪だと分かりながらもどうしても何かの行為に手を染めてしまうこともあるし、それが幸福のためとは限らないこともある。
さらに、そのことが最終的に良い結果をもたらすか、悪い結果をもたらすかは、誰にもわからないのだ。
私はその事実のみと仲良くし、過ちを犯した人間とは、距離を置きながら許したい。
……て、ゆーか。
ぶっちゃけ、本当はどうでもいいのだ。
私の日々の生活は両親が作っているわけではなく、人生に否応なく流れ込んでくる、砂粒のように小さな無数の物事によって成り立っている。
友達だったり、恋人だったり、仕事だったり旅行だったり、今日の夕飯だったり。
自分の出自がどうのこうのよりも、スーパーの魚売り場で、どの鮭の切り身に一番脂が乗っているかを見極めることのほうが、今の自分にとっては100倍重要だ。
家族が私の幸不幸を左右するわけではない。
それでも、一つだけ心に決めていることがあって、それは、私の結婚式には父と母の両方を、首根っこ捕まえて引きずってでも出席させよう、ということだ。
お前ら、それくらいは責任取れよなー、って。
いつまでも子供のカオした父と母に、大人のカッコさせて、参列させてやる。
それで、私はその間で、最高の笑顔でにっこりしてやるのだ。
だって私たちは、歪でも家族なのだ。
私の家族は、私も含めて歪だが、歪であるがゆえに、チャーミングだ。
この歪さを、突き放しも否定も、またそれに甘えもせずに、小脇にしっかりと抱えて、人生を生きてゆきたい。
追記
「一休さん」で有名な一休宗純も、一説によると不倫の子だそう。
一休さんと同じだと思うとアガるよね〜。