1月に、もちおが、進行がんだと判明しました。
駄洒落を制御できない世代に入り、日々くだらないことをうれしげに言い続けていたもちおもさすがにショックが大きく、「運命」の曲に合わせて「ガガガガーン」とつぶやいたのは診断が降りた日も深夜、日付けが変わるころになってからでした。
病名で検索すると誰かGoogleに圧力をかけているのかな、と思うほど恐ろしいことしか出てこないため、わたしもこれまでの人生で味わったことのない衝撃を受けてました。というか、いまもなお受け続けています。
わたしはこれまで「癌」という文字を見ることすら恐ろしく、Gではじまる例の虫を避ける勢いで徹底して癌情報を避けて生きてきました。書店で背表紙を見るのもいや、映画や小説でストーリーにちらっとでも癌の要素があったら観ない、見てしまったら早送りするか速読&ネタバレ検索をする。そういう方針で生きてきたのです。
いまにして思えばそこまで癌を恐れていたのも何かの宿縁のように感じます。
もちおが告知を受けてからの二ヵ月あまり、わたしはこれまでの人生で避けてきた癌関連書籍、webサイトを総なめにして情報を集めてきました。そして現在もっとも期待できるともちおが判断した医療機関に判断を仰ぐとともに、これはと思う各種健康療法を試しています。
でも癌治療って原発と似ていて、意見が敵対していることが多い。
健康療法&食事療法は金の無駄派 VS 健康療法&食事療法に勝機あり派
スピ系&神頼み無駄派 VS あなたの知らない世界系影響力重視派
「間をとって抗がん剤受けながら健康療法しつつちょっと食事療法と神頼みも」
みたいなことをすると「それじゃ水の泡だ!」と両陣営から叩かれたりね。それでブログが「生前お世話になったみなさまへ」で終わってたりすると「ほらみたことか」ってなる。
なので今回はもちおがいまどういうことをしているのかは書かないことにします。代わりに癌患者を看護する家族として助けになったことと、負担が増したことを書きます。今回は助けになったものです。身近に同様の状況の方がいらっしゃる方の参考になればうれしいです。個人的には介護や看護、保育や介助の負担が大きい方についても考える機会になりました。
助けになったこと
がん保険
ひまわり生命の「勇気のお守り」というがん保険に2011年に入っていた。もちおは年末の仕事の打ち上げ以外では飲酒もせず、喫煙もしないし身内に癌を患った人もいなかった。けれども同年原発事故があったことで放射能について深く考えさせられ、万が一に備えて入っておいた。毎年6万円ほど支払っていたと思う。
60歳満期で以降は払い込み済み扱いで保障が続く。一年あたりの支払限度日数が多く、診断が降りてからの通院、入院、すべて対象となる。
メットライフアリコの医療特約にも入っていたが、こちらは入院してからでなければ通院分の保険が出ない。つまり手術が出来ないなど何らかの理由で入院せず治療をした場合、1円も保険がおりない。入院したとしても入院前に検査通院する機会は少なくないのでこれはかなり痛い。何のための保険だ。
一方、ひまわり生命の「勇気のおまもり」は診断がおりると一時金として100万円振り込まれる。「ひゃくまんえん!わー!ごじゅうまんえんのパソコン買いたい!」と一瞬もちおは浮かれ、わたしも欲しいものは何でも買ってあげよう…!みたいな気持ちになった。しかし社会保険の三割負担でカバーできない買い物が驚くほどあり、まもなくこの100万円の虎の子感とありがたみがわかってきた。
「何かとご入り用でしょうから、こちらの一時金はすぐにお振込みが可能でございます」
とひまわり生命のお姉さまがおっしゃった理由を痛感した。交通費、健康食品、健康器具、健康施設費、飲料用の水、寒い家を薄着で過ごせるだけの光熱費、無農薬野菜や外食費などにも使っている。もちろん休業分のカバーにも充てる。
現金や金券などのお見舞い
もちおから目が離せないので家から出る機会が作りづらい。また健康回復に効果がありそうなもの、よい情報が得られそうなものを次々に、また定期的に買うようになり、週に何度も宅急便に来てもらうようになった。Amazonポイント&楽天ポイントがどんどん貯まってどんどん減る。なのでこちらが必要とするものに替えることが出来る現金や金券は本当にありがたい。
でも実はいままでいただいたお見舞いはまだ1円も使っていない。お見舞いをいただくともちおは自分を思ってくれる人がいることをとてもうれしく思うみたいだから。いただいたお見舞いはすべてもちおの個人的なお金が入っている引き出しに入っている。小遣いを使う機会も減ったので、それと合わせて貯まったらパソコンを買う予定らしい。そういう形でもちおが元気になれるならお見舞いを下さった方が喜んでくださればいいなと思う。
実母はいつも年金暮らしの苦労を切々と語り、家計簿は欠かさず、1円もおそろかにしない。その実母が砥石ほどの札束が入った茶封筒を差し出し、「完治したら働いて返して」といった。夢見ていた店を開くために貯めたお金だった。母の店舗探しにつきあい、経営に関する本の話を何度も聞いた。そのお金を母は丸々もちおの治療にあてるように手渡してくれた。
わたしはこれまで母に対してお金に関するいくつかの根深い怨みを持っていた。茶封筒の中のお金はかつて必要だったときに控えられたそれを大きく上回る額だった。そしてそのお金はいまこそ必要だった。これだけはもちおの引き出しではなく厳重に鍵のかかるところへしまった。
看護者あてのお見舞い
一方わたしは例の自分の変な仕事をする時間がほとんどない。なのでブログ経由で細々とAmazonポイントが忘れたころに届くとありがたく思う。*1いまはもちおが第一、自分のことなんか考えてる場合じゃないと自分を叱咤するけれど、最低限の理美容や被服*2、電話や仕事関係の維持経費など出費はそれなりにある。
これまでの貯金で何とかなってるんだけども「お見舞いとしてじゃなく、わたし個人にお小遣いなりで手渡してくれたらなあ」と何度か思った。今後こういう機会があったら看護してる人向けの心遣いもできるようになりたい。出産祝いは赤ちゃん向けだけじゃなくお母さん向けもね、みたいな。
看護者のための食事
「もちおさんは食べられないかもしれないけれど、はてこさんが食べられるなら」と、とても貴重な美味しい物を送って下さった方がいた。これはもちおもいくらか食べることが出来て、本当にありがたかったし、個人的に身も心も慰められた。
食べられない病人を前にすると理不尽な後ろめたさに襲われがちなせいもあり、自分の食事がどんどんおろそかになる。また健康に害を及ぼす食品リストを目にする機会が増え、あれもこれも食べたらいけないような気がしてくる。*3
こういうとき「はてこは何が食べたいの?」と父の奥さんが聞いてくれたこと、わたしの希望に応じて届けてくれたスープストックの冷凍スープは日常的な感覚を取り戻すのに大いに貢献した。食べていいんだ、そうだ、食べないと、と思った。
入院見舞いに通っていた間、実母はたびたび夕飯の支度をして待っていてくれた。食事ももちろんのこと、もちお以外の人と顔を見て食事をすること自体がほとんどなくなっていたので、自分の食事に対するスタンスがどれほど変わったかよくも悪くも思い知らされた。
癌について考え続けていると、質、量ともに普通の食事の感覚を見失いそうになる。一時期よりましだけれど今もその種の混乱はある。健康にいいのか、悪いのか、どこまでなら、どんな調理法ならいいのか、毎日悩む。
母はわたしが選んだ食事方法を可能な限り尊重し、驚くほど工夫して許容範囲で美味しい物を作って出してくれた。ありがたかった。これまでの一切合財返上してありがたいと思った。
病気と直接関係のないプレゼント
あたたかいお手紙を添えて、よく眠れるというクラシック音楽のCDを送って下さった方、バレンタインのカードとともに薄くて量の少ない上質なチョコレートを、生姜入りのほうじ茶とチャイのティーバックといっしょに贈ってくださった方もおられた。どちらも病気見舞い用のものではなく、日常のささやかな楽しみとして味わえるように配慮してくださったことがありがたかった。二人きりの暮らしは癌一色になりがちだから。
実母は「免疫を上げる本」として笑える画像の文庫をもちおにプレゼントしてくれた。現在もちおの暮らしはONE先生の作品を中心とした漫画の力によって支えられているので、漫画や雑誌の差し入れは病人を支えると思う。看護してる側は読むひまがなかなか取れないので、仕事をしながら楽しめるもの、いい香りがするもの、見て楽しめるもの、耳で楽しめるもの、手をかけずに口にできるもの*4がいいと思う。
支持的に話を聞いてくれること
入院時、隣のベッドにいた男性が看護士に電話を掛けさせて妻を呼び出し、かけつけた妻を怒鳴りつけていた。ナースコールの返事がなかったので、ベッド下に落ちていたティッシュの箱をわたしが拾って差し上げたからだ。
「お前がはよこんけん、まわりに迷惑かけるっちゃろうが!隣りに謝っちょけ!なしもっとはよこんか!」*5
「手術したばっかりやけん、あんまりはよきて疲れさせんごとっち先生がいいよったきね…」*6
「よそはみんなはよ来とる!看護婦は俺の面倒みきれんたい!」*7*8
ティッシュの箱ひとつでめちゃくちゃ怒鳴ってた。この人はその後かけつけた、どうやら姉らしき女性にはデレデレであった。
「我慢したらいけんよ?我慢がいちばんようないんやけんね、辛かったやろ」*9
「こげな大きな病院入っちょうけど、やっぱり看護婦が俺を世話しきらんとよ」*10
「(奥様が)昨日(入院している夫を)置いて帰ったっち言いよったき、『なしね!』っちいうたんよ。意識がないでもそばにおって手を握るだけでも違おうが。本当にもう考えられん」*11
「金はいくらかかってもいいから、はよ個室を用意せえ、っち言いよるとたい」*12
奥様は夫の手術中待機して、術後は5分で退室しろと言われていたはずだ。しかし翌日面会時間開始直後に来なかった、その間患者が落としたティッシュの箱を拾えなかったことで病院経由で呼び出しをくらい、実質公衆の面前で怒鳴りつけられ、小姑にはきつい小言を言われていたのだった。
「癌患者は辛抱強くいい人が多い、だから癌になるのだ」という説がある。わたしは今回病室の方々を見ていて、あれは最大公約数的に違うようだな、と思った。件の男性は医師に対して「私はこれまで何でも我慢しよったけん、こげな病気になったとでしょうねえ」*13といっていた。客観的に見てそうだとすれば、少なくとも癌患者として自分を見るようになってからはそうではないのだと思う。
このエピソードはその後数日わたしの脳裏に何度も蘇ってきた。なぜなら妻の世話を焼くことが生きがいだったもちおが、体調の悪化とともにどんどん妻の必要に気付かなくなっていったからだ。
誰かが必要とするものを心身ともに24時間気遣いながら、自分のことは自分で気遣うしかないという状況はとても疲弊する。空腹や眠気、排泄といった生理的な欲求も後回しにして人のことを気遣いながら、こちらの状態には気付いてもらえない。落ち度を指摘され、嫌味を言われ、慰めの言葉にため息をつかれ、差し出した手を押し付けだと逆切れ同然に糾弾され、黙るしかない。相手は極限状態にある病人で、自分は「健康体」なのだから。
わたしの人生にはこれまでも一方的に人を支えるだけの状況が何度かあった。そんなとき疲れ切ったわたしを支えてくれたのはもちおだった。やさしい言葉と温かい食事とやわらかなスキンシップがあった。でもいまそんなもちおはいない。「いまはもちおが病気なんだから、わたしが支える番だ」と思う。でも自分をケアするリソースが、時間も体力も気力もない。
こういうとき、文字通りただただ話を聞いて「生きろ。とにかく生きろ」といってくれた人がいた。こうしたらいい、ああするべきだ、これはやめろと指図しないでくれたことは大いに助かった。そんなことは自分で自分に出している分でもうたくさんだ。これ以上課題を出したり従ったりすることをこちらに求めないとわかっている人に気持ちを打ち明けられるのは本当に慰められた。
「自分も同じ気持ちだ、よくわかる」といわれるより「自分にはわからないけれど」と言われる方がわたしには安心できた。
看護に疲れている人は解けない問題を前に悩んでいるのではないと思う。ただただ疲れていて、元気だったら平気なことやさっさとリカバリー出来ることが出来なくなっているのだ。歩けなくなっている人に右足と左足を交互に出せばいいといっても助けにならないし、疲れていない人を基準にやらせようとしても上手くはいかない。
仕事
もちおに診断がくだってわたしが最初にしたことは、所属先に無期限で休業届を出すことだった。24時間目が離せなかった。当初は何曜日に何時間だったら一人に出来るとは思えなかったし、医師はこれ以上ないようなお通夜顔だった。
それでも仕事柄個人的な伝手で、またこれまでお世話になっていた取引先やお馴染みのお客様からポツリ、ポツリと仕事の依頼があった。すでにスケジュールが決まっている仕事は引き受けざるを得ず、それ以外ではタイミングが合った方からの依頼はお受けした。
家では24時間、寝息にも耳を澄ませて様子をうかがった。入院中は毎日面接時間枠いっぱいベッドの横にいて、足を揉んだり欲しがるものを買って来たり何くれとなく世話を焼いた。わたしがベッドを離れたのは外せない仕事がある時間だけだった。
当初は1分1秒でも離れることが不安で、美容院で席に着いた直後に立ちあがって帰ろうとしたほどだった。だから「たかだか仕事のためにもちおを一人にするなんて」「二人で生きて顔を見ていられる時間を失うなんて」と思った。早く仕事を全面的に辞めなければと考えていた。
けれどもぬぐえない悩みを抱えたまま仕事場に入り、お客様を前に頭を切り替えて仕事に集中するのは悪くなかった。不安はなくならない。胃がせり上がってくるような恐怖も消えない。それでも、前と同じように世界は続いているのだということがわかった。わたしたち二人の世界は告知された瞬間から何もかもが変わってしまったように思えたけれど、変わっていないこともあるんだと思った。時には少しだけ以前と同じような「なんともない日常」の感じを味わうことが出来た。
もちおがそんな時間を持つことが出来ているのかどうかわからない。そんな時間が一瞬もないとしたら、と思うと、わたしだけがそんな風に緊張をゆるめてることに罪悪感も覚えた。けれどもやっぱり緊張し続ければ焼き切れてしまうし、焼き切れてしまったら看護できる人はほかにいない。
仕事に助けられたもう一つの側面は、自分にもできることがまだあるという感覚を味わえたことだ。
医療に救いはなく、自分にはなすすべもないと感じているときの恐怖と無力感はひどいショックをもたらす。自分の無能さで大切な人が弱るのだと思えてくる。*14そのうち自分には世界の役に立つことは何もできないし、居ても意味がないように思えてくる。自分が役に立てることがあるとしても、もちおの苦痛を取り除いて、もっといえば病気を完治させることができなければ、そんなものは何の役にも立たないのだと思えてくる。
でも仕事に入って、目の前のお客様や仕事をくださった取引先が喜んでくれると、わたしが世の中に貢献できる分野はここにもあったんだ、と思えた。売上があればそこから少し贅沢だけれど夫が楽になるのではと思えるものを買うことも出来る。わたしの仕事は人の役に立っているし、売り上げは家計や夫を助けていると思えた。
いろいろ考えて、仕事は続けて行こうと思った。続けられる間、というより、断続的に続けて行こうと思っている。「お仕事ください」という決心がついた。
もし看護している方が仕事を持っていて、本人に続ける気があるなら、それを続けられるような励ましや後押し、現実的な支援は大いに助けになると思う。生活が看護一色にならないために、また自分を「看護者」以外として評価する機会が出来るし、些少であっても収入面で助けになる。そのうちいくらかでも誰に気兼ねすることなく自分のために使うことができれば、そういうお金がない場合とはぜんぜん違う。
意外にも仕事を続けるようはっきりすすめてくれたのは父の奥さんだった。「二人が別々に過ごす時間も必要よ。そうでないとはてこが倒れてしまう。そうなったら誰が代わりになるの。もっちゃんははてこが倒れないように気遣ってあげないとダメよ」。
この一言でわたしは代打を頼んでいた仕事を自分ですることに決め、二ヵ月ぶりに数日続けてもちおに一人の留守番を頼むことができたのだった。さいわいさまざまな幸運にめぐまれてもちおは小康状態であった。でも継母の後押しがなかったら、わたしはあきらめていたと思う。
本
本はめっちゃ読んだけれど、前述のように物議を醸すに違いないので紹介は控えます。ブクマで否定派、肯定派にいろいろ書かれたりしたらまた気になっちゃうからね。
癌治療に関してバランスがとれていると感じた本を一冊だけ紹介したいと思います。著者は免疫療法を研究するお医者様で、御尊父と奥様を癌で亡くされています。医療従事者として、また癌に罹患した方の家族として、わかりやすく配慮のある一冊でした。
わたしがいうのもなんだけど、みんな元気で癌に縁がない間に読んでおくといいと思うわ。そして何の因果か病を得てしまったときは自棄にならないで日常をだいじにしていこう。お互いに。
*1:いつか欲しいものリスト公開する派に参入するわ。
*2:クリーニング代や靴の補修とか維持管理費もね。
*3:もちおは3か月で20kg痩せた。わたしは4kg痩せた。わたしのBMIは現在14.2、体脂肪率は11だ。
*4:胃腸の負担にならず、賞味期限を気にしなくてよく、かさばらないもの
*5:おまえが早く来ないから、周囲に迷惑をかけているだろう!なぜもっと早く来ない!
*6:手術したばかりだから、あまり早く来て疲れさせないようにって先生がおっしゃっていたから…
*7:「よそはみんな早く来てる!看護婦は俺の面倒を見きれないんだ!」
*8:ナースコールして落ちたモノを拾わせたり、固定電話を使って家族を呼び出したりしようとしたが、思ったようにいかなかった。
*9:我慢したらだめよ?我慢がいちばんいけないんだからね、辛かったでしょう?」
*10:こんな病院に勤めているが、やっぱり看護婦は俺を世話しきれないんだよ」
*11:「(義妹が)昨日(入院している弟であるおまえを)置いて帰ったって言ってたから、『どうしてよ!』っていったのよ。意識がなくてもそばにいて手を握っているだけでも違うでしょう。本当にもう考えられないわ」
*12:「費用はいくらかかってもいいから、早く個室を用意しろって言ってるところだよ」
*13:「私はこれまで何でも我慢していたから、こんな病気になったんでしょうねえ」
*14:「もし俺がヒーローだったら 悲しみを近づけやしないのに」という歌が頭の中でぐるぐるまわった。