私が当時、患った人がほぼ人工透析になると言われていたIgA腎症という病気にかかったのは、小学校6年生の時だ。
だから、小学生の後半は入院生活を送っていたけど、幸いにもクラスメイトや先生に恵まれていて、みんなの励ましもあって入院生活をなんとか頑張ることが途中までは出来ていた。でも、それがだんだんと苦痛になり、自分から勝手に病院を出て行った。実際、入院したからといって治る病気じゃない。とにかく安静にしておかないといけない病気。それなら別に家にいてもいいし、学校では大人しくしていればいい。そう思っていた。
でも、小学生というのは多感な時期なので、「運動禁止」と言われて素直に聞くはずがない。私はやがて病院に通わなくなった。
それからというもの、入院中や医者の言うことをちゃんと聞いていた時には我慢していたサッカーやマラソンなど、腎臓に負担のかかる運動を勝手に再回してしまった。
高校に入って
高校に入ってからは、最初の高校で初めての彼女が出来た。まぁ、このくだりはどうでもいいんだけど、その頃にはすっかり病気のことなんて忘れていたんだ。
でも、元々ちょっと変わった性格な私。目立ちたがりの私。進学校に通っていたということもあって、高校ではかなり浮いた存在だったと思う。別に自分が浮いているだとか浮いていないだとかは気にしない。自分は自分っていうタイプの性格だからそういうのをあまり意識したことはなかった。でも、それが災いしてなのか、学校でかなりの優等生な彼女と付き合っていた私は学校側から交際を猛反対され、彼女の親が担任にまで電話をかけてきていた。たぶん、別れさせてくれだとかそういう話をしていたんじゃないだろうか。
そして、私が仲の良かった(私がそう思っていただけかもしれない)不登校の後輩の親も、「自分の子供が不登校なのはあいつのせいだ!!」と職員室まで乗り込んできた始末。
ただ「目立つ」というだけで、いや、確かに学校が嫌いだったから学校しょっちゅう休んでいたり、授業中に寝ていたのも問題だったのかもしれない。私はどんどん悪者にされていった。
最終的には、やってもいない「いじめ」、吸ったことも所持したこともないのに「喫煙」の濡れ衣を着せられ、高校を追い出された。
狭い部屋に独りで軟禁状態。教師や保護者6人がかりで私を責め立てた。当然やっていないものはやっていないから私もキレる。そして、争っているうちに何も暴力など振るっていないのに私は「こういう奴を学校に残しておくわけにはいかない!! 辞めろ!!」と、半ば強制的に追い出された。普通、こういう時はこちらの保護者も呼ぶべきじゃないのかな。
高校を辞めて
私はフルタイムのバイトを始めた。というよりは元々働いていたガソリンスタンドでフルタイムで働かせてもらえるようになった。さすがに高校くらいは卒業しておかないとマズイと思っていたから、通信制の高校に入り直して、働きながら高校の勉強をした。
通信制の高校はあまり通わなくていいから仕事との両立なんて別に楽だろ、と思われがちだけど、これが意外としんどい。私は元々進学校に通っていて授業ペースも早く、ある程度勉強した状態で入ったからよかったものの、周りの友達には高校を卒業できずに辞めていく奴らも多かった。
私は変に生真面目なところがあり、成績は落としたくない。仕事もしっかりとやりたい。そういう責任感から、だんだん睡眠を削ってまで勉強、いや実際には遊びでも睡眠時間を削っていった。「ストレスから」というと言い訳だ。でも、私は弱かった。ただそれだけの話だ。
そうやって、どんどん身体を酷使していった。この頃はもう完全に自分が「病気」だなんてこと忘れていたよ。
ある日
仕事中に頻繁に目眩が起こるようになっていた。そして悪寒が始まった。それでも仕事場は人数が足りていなく、私はバイトリーダーということもあり熱があっても休める状態ではなかった。実際39度ほど熱があったがそのまま1週間ほど働くことになった。
そしてある朝、鏡で顔面を見ると、顔じゅうがむくんで晴れ上がっていた。さすがにマズイと思い、仕事場に連絡を入れて休みをもらい病院に直行した。
そこ時にはすでに「慢性腎不全」。人工透析の導入まで持ってあと1年と親告された。そこで初めて思い出した。
「ああ、そういえば俺、病気持ってたんだった。」
そこからが人生の転落の始まりだった。
仕事が上手くいかず
家が元々あまり裕福でないということもあり、病気だからと言って仕事を休むわけにはいかなかった。しかし、ガソリンスタンドのような身体を酷使する仕事は無理だろうと思い、カフェでウェイターを始めた。
私は今までバイトリーダーをやってきたという自信があり、どこへ行っても自分はどんな仕事でもこなせる。そういう風に自信過剰になっていた。しかし、人生そんなに甘くはないね。
思ったより貧血の進行が早く、ウェイターですらこなせない状態になっていった。(貧血、なったことのない人には分からないだろうけど、立っていることすら出来なくなるからね。)でも、ここで病気のことを話して辞めるわけにはいかない。そう自分に言い聞かせて無理をして仕事を続けた。
すると、仕事のミスが目立ってきたためシフトを減らされ、収入確保のためにほかの仕事との掛け持ちを余儀なくされた。ホテルのウェイターとの掛け持ちだ。
ホテルの仕事は、遅い時には深夜4時頃まで続いた。
だが、そんな無理をしていい状態ではなかった。でも、生活のために仕事を辞めることが出来ない。私は追い詰められていた。病気のことを話す相手もいない。仕事以外の友達には話していたけど、20そこらの人間で病気のことを理解出来る子なんてあまりいない。もちろん、私はそういう子達を責めたこともないし、恨みもしていない。友達に関しては、だけどね。
病気になって初めて分かったこと
人間とはなんてもろいんだろう。たかが病気一つで、今まで当たり前のように出来ていたことが出来なくなる。
面白いことに、危機的状況に追い込まれれば追い込まれるほど人間というのは「感性」が強くなるもので、人間の「表裏」が見えるようになってきた。
今まで仲がいいと思っていった連中で離れていった奴も沢山いた。私のことを好きだと言っていた子にもそういう子がいた。
「気持ち悪い」ってさ。
「死ぬなら勝手に死ね」ってさ。
好きな子に言われたときはショックだったなぁ(笑)
でも、そんな私のことを理解しようとしてくれる人もいた。とにかく色々な人が世の中にはいるんだなぁ、と再確認することが出来たんだ。
人間、お金を持っている時や健康なと時、事業が上手くいっているとき、とにかく何かが上手くいっている時は色々な人間がちやほやしれくれるものだ。私は通信制の高校では目立っていて友達も多かったし、音楽をやっていたということもありファンもいた。私のことを好きだと言う子もいた。ガソリンスタンド時代は周りのスタンドから勧誘もあった。勉強だって通信制の高校の中じゃ出来ていたほうだ。何もかもが充実していた。
だが、私は有頂天になりすぎていたのかもしれない。
人間の本質は病気をしたり、やっていることが上手くいかなくなってきてから発揮される。そういう時に「人間性」というのは現れる。私からすぐに離れていった人間はその程度の人間だったのだろう。そういう人間を惹きつけていた私にも原因がある。
しかし
私は病気をして、人間の綺麗な部分も沢山見ることが出来た。
どんなことがあっても私から離れない人達がいた。
私が自殺をしようとすれば真剣に止めてくれた人達がいた。
私はなんということをしていたのだろう。自分ばかりが不幸だと思い込み、そういう「良い人達」の存在が見えなくなっていたんだきっと。私の為に今まで何人の人が動いてくれたか。助けてくれたか。私はちゃんと考えていなかったんだろう。
私は不幸な人生を送っているけど幸せ者だ。人間の汚い部分にばかり目をやっていたばかりに、いや、そういうものしか見えないくらいに視野が狭くなっていたばかりに、大切な人達まで失うところだったのかもしれない。
ただただ、感謝をしている。だから私も、そういう人達の為に力になれることはなろうと今まで生きることが出来た。私から離れていった奴らのことなんてどうでもいいんだ。目の前の「本当の仲間」を大切にすべきなんだ。
終わりに
感情的に書きなぐった為にまとまりのない文章になっているかもしれない。しかし、今の私には文章の綺麗さなどどうでもいいことなのです。
今、社会問題になっている「いじめ」「体罰」「差別」「偏見」色々なことを私は経験してきました。辛いし、そういう時は周りのことなんて見えなくなる。だから逃げる方法は「自殺しかない」と思ってしまう。私だってそうだったんだ。
でも、これは私のワガママだと受け取っていただいてもいい。死なないでおくれ。「生きていればいいことあるさ」なんて軽いことは私には言えない。でも、「生きていればいいことのある可能性は上がる」のは確実なんだ。死んでしまえばそこには「無」しかない。
死のうとしているあなたへ
あなたがニートだろうがパラサイトだろうが、どれだけ周りの人間に迷惑をかけたとしても、それはあなたが「自殺」することにくらべれば全然迷惑なことじゃない。もしかしたら、死のうとしている人の中には友達も家族もいない人もいるかもしれない。だから私がどこまでわかったような口を聞いていいのか分からない。でも、あえて偉そうなことを言わせてもらう。
とにかく諦めないで欲しい。生きることも、未来への希望も。
だいちゃん(∀)