1967年、王将1号店以前の創業者の経歴は殆ど不明
引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-4-2_l.jpg
餃子の王将は手軽で美味しい中華料理を食べれる店ですが、創業者の出自が暗い影を落している。
創業者、加藤朝雄の黒い人脈が、歴代社長や一族に災難として降りかかっています。
創業者の謎
王将の創業者、加藤朝雄は1924年九州の福岡県飯塚市の貧困集落出身で、これが全ての問題の原因になりました。
加藤朝雄は出兵して満州で戦時中を過ごしたと言われていて、中華料理はこの時に覚えたらしい。
現在の王将の1号店を1967年に京都で開業したが、前年の1966年にも別な場所で開店したが、半年で潰れたともいわれている。
特に加藤朝雄が京都に来る前、どこで何をしていたのかは全く不明で、出身地すら正確にはどこなのか分からない有り様です。
加藤朝雄の周囲には「普通ではない人たち」が群がっており、闇社会と深い繋がりがあったとされている。
加藤朝雄は集落出身である事から解放運動を支援するスポンサーになっていて、解放運動と関わりがあった。
解放同盟や非合法組織に、トラブルの仲介を依頼していたとも言われるが、そうした事は表に出ないので確認が取れない。
さらに加藤朝雄は戦時中満州あるいは中国に出兵していたとされ、ここから日本の中国人社会との繋がりもできた。
現在でも王将は店内では中国語で注文を通していて、単なる中華料理好きでは無いと想像できる。
加藤朝雄は1944年に20歳なので、18歳で出兵したとしても終戦時には21歳であり、軍では下っ端だったと想像できます。
この創業者に群がった「うさん臭い人達」が王将の歴代経営者に呪いのように降りかかる事になります。
潰しかけた創業者の息子
加藤朝雄が体調を崩して飲料メーカーのアサヒ元副社長の望月氏が臨時社長に就任した。
唐突なようだがアサヒは現在王将の筆頭株主なので、当時から資本関係があったのかも知れません。
王将のような飲食業では、取り引きのある大手飲料メーカーと資本関係を持つのは良くあり、不自然ではない。
だが1993年に加藤朝雄が逝去すると息子の加藤潔が社長に就任し、創業者一族が経営権を握りました。
創業者一族とは加藤朝雄の息子や孫達で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっています。
加藤潔3代目社長は元々素行が良くなかった上に、創業者から「解放同盟」「非合法組織」の人脈を受け継いだとされる。
解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作りましたが、株主である一族に地位を守られていました。
加藤潔は現在も王将の役員ですが、現在の王将役員12人のうち、創業者の血縁は潔氏だけで、他は大東隆行やキリン系のようです。
加藤潔は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされて社長の座を追放されました。
特に1999年に創業者の出身地である福岡のゴルフ場や、解放同盟の関連企業に89億円を貸し付けたのが問題になった。
だがこうしてみると問題になった融資は初代の加藤朝雄が始めた事業や人間関係で、どれも加藤潔が始めた訳ではない。
創業者の呪いとはこの事で、後にとんでもない事件に繋がります。
関東1号店で働く3代目社長大東隆行、1978年
引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-2-1_l.jpg
王将を再建した義弟
加藤朝雄の跡を継いだのが朝雄の妻の弟の大東隆行で、戦時中姉夫婦の手伝いをした後、自分も薪炭・氷業を始めた。
加藤朝雄が帰国後の1967年に京都で「王将」を始めたので、大東隆行も王将で働きました。
王将は大ヒットしてチェーン展開を初め、大東隆行は営業本部長、専務取締役経て、2000年に社長に就任しました。
だが創業者の加藤朝雄が1993年に没してから大東隆行に直接代替わりしたのではなく、間には創業者の息子が入りました。
加藤潔社長は解放同盟や非合法組織に無担保融資をして、店舗は放置し虫が沸いていたと言われています。
2000年に大東社長になった時には売上約390億円に対して、有利子負債が約470億円あり経営危機に陥っていました。
大東隆行は人望が厚く経営手腕もあり、短期間で負債を返済した上に、王将を全国チェーンにして立役者でした。
筆頭株主のアサヒと、アサヒの親会社で融資を受けている三井住友銀行にも信頼され、順風満帆かに思えました。
だが創業者と息子が解放同盟や「その筋」に関わったとき、実際に彼らと応対したのが大東隆行だったと言われています。
4代目の大東社長に至っても、まだ闇社会との関係は続いていて、断ち切れては居なかったのでした。
2005年からは中国の大連に進出したが、この土地は創業者の加藤朝雄が軍隊時代に中華料理を覚えた場所とされています。
中国は資本主義国ではなく、何をするにも共産党の許可と人脈が必要で、このため中国の闇社会と関わります。
散々苦労して金を毟りとられた挙句、結局中国事業は失敗し、2014年に撤退が発表されました。
創業者の呪いは続く
大東隆行は人望があり仕事ができ、闇社会との付き合いを表に出さずに上手く処理したが、誰かから恨まれていたようです。
2013年12月19日にいつものように掃除をするため、朝早く(5時40分)出社したところ、駐車場でおそわれて没した。
背後関係は未だに分からず、捜査に進展は見られないようです。
これとは別に創業者の孫で加藤潔社長の息子の、加藤貴司が息子を連れて2008年から失踪しています。
自分の意思で失踪したのかも分からず、警察によると日本から資産を持ち出している形跡は無いようです。
加藤貴司の妻はウクライナ人で、行方不明になったとき妻は息子を連れてウクライナに帰国していた。
加藤貴司は妻と復縁するため、3人でエジプト旅行に出かけ、旅行中に失踪しました。
妻のカチェリーナは夫の失踪によって資産を相続し、王将の株主になり、年間数千万円を受け取っているとされている。
大東隆行の最後と共に加藤貴司の事件も、疑わしい人物が多すぎて、何も進展がありません。
引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-4-2_l.jpg
餃子の王将は手軽で美味しい中華料理を食べれる店ですが、創業者の出自が暗い影を落している。
創業者、加藤朝雄の黒い人脈が、歴代社長や一族に災難として降りかかっています。
創業者の謎
王将の創業者、加藤朝雄は1924年九州の福岡県飯塚市の貧困集落出身で、これが全ての問題の原因になりました。
加藤朝雄は出兵して満州で戦時中を過ごしたと言われていて、中華料理はこの時に覚えたらしい。
現在の王将の1号店を1967年に京都で開業したが、前年の1966年にも別な場所で開店したが、半年で潰れたともいわれている。
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創業者、加藤朝雄の一族は現在の王将とは対立しているので、王将の関連サイトにも創業時や創業前の事は書かれていない。特に加藤朝雄が京都に来る前、どこで何をしていたのかは全く不明で、出身地すら正確にはどこなのか分からない有り様です。
加藤朝雄の周囲には「普通ではない人たち」が群がっており、闇社会と深い繋がりがあったとされている。
加藤朝雄は集落出身である事から解放運動を支援するスポンサーになっていて、解放運動と関わりがあった。
解放同盟や非合法組織に、トラブルの仲介を依頼していたとも言われるが、そうした事は表に出ないので確認が取れない。
さらに加藤朝雄は戦時中満州あるいは中国に出兵していたとされ、ここから日本の中国人社会との繋がりもできた。
現在でも王将は店内では中国語で注文を通していて、単なる中華料理好きでは無いと想像できる。
加藤朝雄は1944年に20歳なので、18歳で出兵したとしても終戦時には21歳であり、軍では下っ端だったと想像できます。
この創業者に群がった「うさん臭い人達」が王将の歴代経営者に呪いのように降りかかる事になります。
潰しかけた創業者の息子
加藤朝雄が体調を崩して飲料メーカーのアサヒ元副社長の望月氏が臨時社長に就任した。
唐突なようだがアサヒは現在王将の筆頭株主なので、当時から資本関係があったのかも知れません。
王将のような飲食業では、取り引きのある大手飲料メーカーと資本関係を持つのは良くあり、不自然ではない。
だが1993年に加藤朝雄が逝去すると息子の加藤潔が社長に就任し、創業者一族が経営権を握りました。
創業者一族とは加藤朝雄の息子や孫達で、ほぼロクなのが居ないというのが世間の評価になっています。
加藤潔3代目社長は元々素行が良くなかった上に、創業者から「解放同盟」「非合法組織」の人脈を受け継いだとされる。
解放同盟関係者や組織に乱脈融資を行って400億円以上の借金を作りましたが、株主である一族に地位を守られていました。
加藤潔は現在も王将の役員ですが、現在の王将役員12人のうち、創業者の血縁は潔氏だけで、他は大東隆行やキリン系のようです。
加藤潔は乱脈融資と業績悪化で評判が悪く、2000年に社内クーデターを起こされて社長の座を追放されました。
特に1999年に創業者の出身地である福岡のゴルフ場や、解放同盟の関連企業に89億円を貸し付けたのが問題になった。
だがこうしてみると問題になった融資は初代の加藤朝雄が始めた事業や人間関係で、どれも加藤潔が始めた訳ではない。
創業者の呪いとはこの事で、後にとんでもない事件に繋がります。
関東1号店で働く3代目社長大東隆行、1978年
引用:http://j-net21.smrj.go.jp/establish/sougyou/pic/986-2-1_l.jpg
王将を再建した義弟
加藤朝雄の跡を継いだのが朝雄の妻の弟の大東隆行で、戦時中姉夫婦の手伝いをした後、自分も薪炭・氷業を始めた。
加藤朝雄が帰国後の1967年に京都で「王将」を始めたので、大東隆行も王将で働きました。
王将は大ヒットしてチェーン展開を初め、大東隆行は営業本部長、専務取締役経て、2000年に社長に就任しました。
だが創業者の加藤朝雄が1993年に没してから大東隆行に直接代替わりしたのではなく、間には創業者の息子が入りました。
加藤潔社長は解放同盟や非合法組織に無担保融資をして、店舗は放置し虫が沸いていたと言われています。
2000年に大東社長になった時には売上約390億円に対して、有利子負債が約470億円あり経営危機に陥っていました。
大東隆行は人望が厚く経営手腕もあり、短期間で負債を返済した上に、王将を全国チェーンにして立役者でした。
筆頭株主のアサヒと、アサヒの親会社で融資を受けている三井住友銀行にも信頼され、順風満帆かに思えました。
だが創業者と息子が解放同盟や「その筋」に関わったとき、実際に彼らと応対したのが大東隆行だったと言われています。
4代目の大東社長に至っても、まだ闇社会との関係は続いていて、断ち切れては居なかったのでした。
2005年からは中国の大連に進出したが、この土地は創業者の加藤朝雄が軍隊時代に中華料理を覚えた場所とされています。
中国は資本主義国ではなく、何をするにも共産党の許可と人脈が必要で、このため中国の闇社会と関わります。
散々苦労して金を毟りとられた挙句、結局中国事業は失敗し、2014年に撤退が発表されました。
創業者の呪いは続く
大東隆行は人望があり仕事ができ、闇社会との付き合いを表に出さずに上手く処理したが、誰かから恨まれていたようです。
2013年12月19日にいつものように掃除をするため、朝早く(5時40分)出社したところ、駐車場でおそわれて没した。
背後関係は未だに分からず、捜査に進展は見られないようです。
これとは別に創業者の孫で加藤潔社長の息子の、加藤貴司が息子を連れて2008年から失踪しています。
自分の意思で失踪したのかも分からず、警察によると日本から資産を持ち出している形跡は無いようです。
加藤貴司の妻はウクライナ人で、行方不明になったとき妻は息子を連れてウクライナに帰国していた。
加藤貴司は妻と復縁するため、3人でエジプト旅行に出かけ、旅行中に失踪しました。
妻のカチェリーナは夫の失踪によって資産を相続し、王将の株主になり、年間数千万円を受け取っているとされている。
大東隆行の最後と共に加藤貴司の事件も、疑わしい人物が多すぎて、何も進展がありません。
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