水野直樹『創氏改名――日本の朝鮮支配の中で』、岩波新書、2008
ISBN978-4-00-431118-8
おススメ度:★★★★★
「創氏改名」。数年前まで、私はその正確な呼称すら知らなかった。
漠然と、「日本人は韓国人の名前まで奪った/日本の名前を強制した」という主張と、それに対する謝罪の表明を耳にしたことのある程度だった。それについて、多少なりとも書かれたものを読んだのは、黄文雄の『韓国は日本人がつくった』(ワック出版、2005)であった。それに曰く、
創氏改名運動は、「強制」的に実施された政策ではなく、あくまでも「任意」であった。(207頁)
その後、約2割の朝鮮人が創氏していないこと、当時の日本国籍があこがれの対象だったこと、創氏改名が「特権」的性格をもっていたこと、「文盲」の朝鮮人がマスコミに踊らされたこと、などが台湾との比較の上に語られ、さらに、創氏改名が朝鮮社会に蔓延する悪しき差別や習慣を改変していくための政策だったと展開される。
創氏改名が、「強制」ではなく「任意」であったことも初耳だったが、それ以上に、この政策に、現代から見ても積極的な道理があったことに驚いた。黄氏は、日本人ではなくて植民地支配を受けた台湾の人であるため、非常な説得力をもって心に響いた。その後、ネットやブログの論点を見るに、とりわけ、韓国併合における右派系の言説の多くは、この黄氏の主張に端を発したものであると思う。けれども、心の中で違和感を覚えていたのは、
そこまで能天気に、日本の韓国併合が素晴らしかったと、称えきって良いものだろうか?
というのがあった。
確かに、台湾人である黄氏の論は、日本人として、とても嬉しい。だが、生来の天の邪鬼のせいか、そこまで持ち上げられると、自分で下げたくなる気分が湧いてくる。そういうわけで、敢えて、左派である岩波の書籍を読もうと思ったのであった。
結論から言うと、水野氏のこの著作は、左の人にも右の人にも、すべからく読んでほしい良書である。韓国人やそれに同調する左派、それに舌戦する右派の見解や主張が、いかに単純で感情的なものであるか、つぶさに解ると思う。そして、同時に言っておきたいのは、非常に読みにくい本であるということである。右派の私から見れば、事実の展開と水野氏の主張が、全く噛み合わないからである。それはとりも直さず、「創氏改名」という政策や、それに対する当時の日本人・朝鮮人の反応が、様々なベクトルのごちゃ混ぜになった多様なものであったことであったことと、表裏一体の関係にあると思う。
例えば、全く知らなかったのだが、韓国併合から、日本式の氏を創設できるようになるまで、30年の歳月がかかっていることである。私は、韓国人や左派系の主張を聞くに、「創氏改名は、併合直後から終戦まで、36年間続いたもの」であったと早合点していたのだが、実際に施行されたのが、1940年2月。創氏の届け出期間が8月までで、設定創氏をした人の8割程度がその8月に集中するため、実際に機能していたのは、わずか4年であった。1910年の併合後、次第に戸籍制度は改定されていくが、それでも30年間も「日本式創氏設定」ができなかった理由の一つは、中枢院(韓国人有力者による朝鮮総督府意見機関)の反対があったためで、決して、即座に強行採決に至ったわけではない。それどころか、30年間、朝鮮人の「日本式・日本風氏名の創氏改名は禁止」だったというのである。
右派系の人ならば、そこは、強調するべきポイントである。だが、水野氏は「わずか4年」「中枢院の意見を聞いていた」ということは完全にスルーして、別の局面を強調する。つまり、「30年間、朝鮮人による日本式・日本風氏名の創氏改名が禁止」だったのは、「差別」のためだった、と。確かに、水野氏の主張のように、日本人と朝鮮人には、適応される法律が厳格に違う。それ自体が差別的支配を物語る。さらに、日常レベルで支配者としての日本人が、被支配者である朝鮮人を差別していたことを勘案すれば、「30年間禁止」は、確かに、断罪されるべきことなのかもしれない。
結局、「30年間禁止」をもって朝鮮人差別を指摘し、「日本式氏名の創氏改名」でもって朝鮮民族淘汰を主張する。水野氏にかかれば、どちらをとっても、「日本悪し」が、前提なのである。だが、だとするならば、「30年間禁止」によって朝鮮民族淘汰の否定を、「日本式氏名の創氏改名」によって平等政策を主張することも可能であろう。
私は、読み始めた当初、「京都大学教授」という著者の立場からすれば、世間の風潮上、「保守・右」の主張をするのには躊躇があって、そのため、事実陳述としては右派系を擁護しながら、無理やり結語だけ左派で結んでいるのではないか?とすら思った。それほど、この本に示される内容というのは、氏の主張とは無関係に、ひたすら読み手の立場に左右された見解を導き出す。けれども、単に、創氏改名という法の施行だけはなくて、その適応過程や運用や、当時の言論を追及していくあたり、やはり、この本は左派擁護の著作であるに間違いはない。
この本を読むと、気づくことが多くある。
(それを水野氏の「主張」から「納得する」のではなくて、氏の提示した「事実」から読者が「気づかねばならない」のは、事実から導き出す主張が、片方に依った恣意的な流れで展開されるからである。)
例えば、よく言われるような、
「日本人は韓国人の名前まで奪った」という言説。
水野氏の事実提示によれば、これは、ウソである(←でも水野氏はそこは問題にしていない)。創氏改名によって、朝鮮人古来の「姓」は、なんら奪われてはいない。日本式の「氏」がプラスされただけである。
ご存じない方のために説明すると、この創氏改名政策でいう、
1)(朝鮮人の)「姓」とは、男系血族のつながりを示す、永久不変のウジナのこと。女性は結婚しても、実父の姓を名乗り続ける。
2)(日本式の)「氏」とは、「家」(苗字)のこと。女性は結婚すると、夫の氏を名乗る。
である。
だが、そもそも、日本人のファミリーネームには、2種類あって、重層構造をなしていた。ひとつは姓氏、もうひとつは苗字(家)である。
姓氏は、天皇からの直接支配を受けた者・一族だけに与えられる公称であって、中国や朝鮮と同様、男系の出自を表し、女性は結婚しても姓は不変である。
これに対して、苗字(家)とは、そうした大きな宗族集団の中で、自らの家族と近しい親戚縁者だけでまとまり、勝手に各々名乗っていった私称であって、女性は結婚すると男性の苗字を名乗る(もしくは、名字の適用外)。
例えば、徳川家康は、苗字(家)は「徳川」であるが、姓は「源」である。織田信長は、苗字(家)は織田、姓は平、となる。通常は、徳川や織田を使用するが、天皇への上奏文などには、源や平などを使用する。つまり、日本人にとって「姓氏」とは、例え持っていたとしてもほとんど全く使用しない、スーパーオフィシャルなファミリーネームである。また、女性の場合、例えば、徳川秀忠の娘で後水尾天皇に嫁いだ和子は、結婚後も、正式名は「源和子」である。
(尤も、厳密に言うならば、日本では古来より「姓氏」と「家(苗字)」という分類であった。ために、公的な「姓氏」のことを(朝鮮式の)「姓」、私的な「家(苗字)」のことを(日本式の)「氏」とした日本の内閣、及び、朝鮮総督府は、知識不足が故の誤認を起こしている。)(以上、岡野友彦『源氏と日本国王』、講談社現代新書、2003より抜粋)
すなわち、日本では、中国・朝鮮式の姓を普段は絶対に使わぬ最も正式なファミリーネームとして持ち、その中で細分化した小さな宗族集団の私称を事実上のファミリーネームとして使用していたのである。水野氏の著作においては、こうした、姓氏と苗字の概念の違いを構造的に解りやすく述べていないため、その方面の知識のない人には、事実誤認を生みやすい展開に陥っている。このブログをお読みの方々には、上記岡野氏の『源氏と日本国王』の併読をお勧めする。
話を進める。
朝鮮人の名前は、本貫・姓・名の三要素で構成されている。
本貫は、日本には無いファミリーネームの構成要素であって、始祖の出身地を表す。
例えば、李 圭徹という男性の始祖が、感興という土地出身であれば、感興李さんであり、
李 圭徹 本貫 感興
というように、戸籍(朝鮮人の場合は民籍)で表していた。
その後、李さんが、創始改名によって甲野という苗字を届け出ると、戸籍は、次のように変更される。
李 圭徹 姓及本貫 感興李(←実際の傍線は朱線。)
甲野
つまり、感興李 圭徹 という人の戸籍からは、姓も本貫も何一つ削除されない。
「甲野」という日本式の苗字がプラスされただけである。
それにもかかわらず、水野氏は次のように言う。
総督府は、姓がなくなるのではないか、改姓を迫られるのではないかなどと朝鮮人が心配するのに対して、新たな氏を設定しても姓はなくならないと説得した。姓が残るという限りでその説明は間違っていないが、本名でなくなることは説明されなかった。(48頁)
これを読んで、どのような感想をお持ちになるだろうか?
水野氏は、いったい、何をもって、「本名」を定義しているのだろうか?
戸籍に歴然と記されているものを、「本名でなくなる」と言い切るのは、恣意的と言わざるを得ない。
単に、常用から外れるだけであって、本名としての本貫・姓は完全に残っているのである。その姓氏と苗字の使い分けは、日本における古来のファミリーネームの在り方と全く変わらない上に、日本にはない本貫まで尊重している。さらに言えば、この創氏改名が制定される遥か半世紀以上も前に、本国日本では、「姓氏」の制度が廃止され、例えどれほど血統の良い家柄でも、苗字のみしか使えなくなってしまっていた。
確かに、朝鮮人からしてみれば、日本式苗字によって「本名が奪われた」という気分がどうしても残るのも無理からぬことだが、それでも、ここのポイントを押さえずして、ひたすら「日本悪し」と展開するのはいかがなものか。
また、水野氏は、創始改名の制定理由を、日本的な家族制度に改変するため、とする。なぜならば、(ざっくりいえば、)天皇中心の植民地支配体制を盤石なものにするために、宗族集団の結束を強める姓の制度を解体する必要があったから、とする。(31頁)そして、それ以上は触れない。
しかし、考えてみれば解るのだが、日本の「姓」がすべて天皇から授けられ、天皇による直接支配を物語るファミリーネームであったのだから、天皇によらない朝鮮人の「姓」というのは、専ら自分の宗族集団への帰属性しか強調せず、中央集権制度を妨げる不安定要素である。当時の列強の暗躍を思えば、国を強くすることは最低限の命題であるし、それは中央集権国家に以外にない。とするならば、ここで、旧姓を剥奪し、新たに天皇によって新姓を与える方がベストなのだが、それをせずに、氏を創設するだけでお茶を濁しているのである。
こうした、内外の状況を鑑みず、ひたすら日本悪しと前提し、さらにこの政策を強硬に推し進めた当時の総督南次郎悪しとするのは、いただけない。せめて、もう少し多角的な広い視野で書かれていたのならば、確かに、水野氏の指摘するように、南次郎の更迭問題にまで発展しそうな、反対意見の多い政策であったことは、それとして首肯できるのだが。
水野氏の立脚点は、極めて真摯である。世にいう「自虐史観」というよりももっと内省的で贖罪感に満ちている。とりわけ、当時の朝鮮総督府のキャンペーン活動を検討し、「自発性の強要」があった、と結論付けた後半部分の考察は、(微細な点は別として)、誰もが首肯できる内容であろうと思う。
だが、「自発性の強要」を行っていった朝鮮総督府のキャンペーン活動の凄まじさを考察するのと同じ重さで、「姓と苗字の誤解を解くキャンペーン」がいかに不徹底だったか、何ゆえ、不徹底だったのか、ということをなぜ論じなかったのか。また、強大な国民国家こそが独立と幸福の唯一の選択肢だった時代に、個人と国家をどのように規定すべきか、それと姓氏・苗字の制度はどのような関連性があり、それぞれどのようなメリット・デメリットがあるのか、ということを、なぜ、考えなかったのか。そこが悔やまれる。
非常に精緻な資料分析に基づく、慎重な指摘に満ちており、色々なことに気付かされる著作である。そして、様々な知識が要求される論考である。自分の頭の整理半分、必要な基礎知識を提示しながら、感想文を書いた次第である。