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「社員になる!」と勝手に宣言 時給600円のパート主婦がブックオフ社長になるまで 

「社員になる!」と勝手に宣言 時給600円のパート主婦がブックオフ社長になるまで 

「お金の教養スクール」を運営するエフピーウーマンが「Girls Be Conscious 2016~ お金の教養フェスティバル for woman ~」を開催。第一部では、ブックオフコーポーレション取締役相談役・橋本真由美氏が講演を行いました。長い専業主婦期間を経て、ブックオフにパートとして入社した橋本氏が、目の前の仕事に楽しさを見いだし、どんどんのめり込んでいった経緯が語られています。

シリーズ
Girls Be Conscious 2016 > 楽しくなければいい仕事はできない
2016年2月13日のログ
スピーカー
ブックオフコーポレーション 取締役相談役 橋本 真由美 氏
PR Job Board

ブックオフ1号店にパートとして参加

橋本真由美氏(以下、橋本) みなさま、こんにちは。ブックオフコーポレーションの橋本でございます。いつもブックオフをご利用いただき、ありがとうございます。最初に、ブックオフの紹介にちょっとだけ時間をいただきます。 1990年に神奈川県の相模原市に40坪の小さな店をオープンいたしました。それから、現在に至っておりますけど、ブックオフという店舗が全国に920店舗くらいございます。本以外の商品を扱っているリユース店舗もございまして、海外にもございます。アメリカとかフランスとかにもございます。 そのような店舗で、私は1号店のときに、自転車を漕いでパートで働きにいったというのが、そもそものスタートでございます。 今日は、「楽しくなければいい仕事はできない」というタイトルなんですけども、今日はすごいところに来てしまったなと。すごく知識をたくさん持っている方のなかに、私みたいなどんくさいおばさんが来てよかったのかなというのがちょっとあるんですけれども、我慢して聞いてみてください。 1990年、ブックオフ1号店入社のきっかけというのは、先ほどもご紹介いただきましたように、2人の娘の学費の足しにしなければいけなくなったという考えから、私がパートで外に出ました。 義務教育から上の学校に行くのは、授業料の桁が違うんですね。当然、入学金とか、受験料とかもぜんぜん桁が違いますので、それまで18年間3食昼寝付きでどっぷりと家にいたんですけれども、ちょっとこれではやばいぞと気付きました。 実は私は、今日のテーマでもあります、計画を立てて子供の学費を用意しておくとか、住まいのための貯金をするとか、ましてや今の30代、40代のみなさんのように、老後の下流老人にならないためとか、老後破産をしないための準備をするなんて、そんなことはまったくなく、行き当たりばったりの生活を送っていました。 主人は福井の出身で長男で、学生時代はみんなアルバイトをやっていますのに、主人は田舎の長男坊ですから、3食付きの下宿生活を送りまして、過保護で育ったような人です。 私たち夫婦は、まったく金銭感覚がなくて、主人のお給料はあるだけ使ってしまうという、そんな生活を、結婚してから18年間過ごしておりました。さすがにちょっとこれじゃあダメだなと思って、主人に、「ちょっと貯金しなきゃね」って言いましたら、なんて言ったかと言いますと、「貯金してどうすんの? お金貯めてどうすんの?」という答えが返ってきた、そんな人です。 私みたいな生活は本当に危険ですからね。ぜひみなさまもFPウーマン様のセミナーをお受けになっていただいたほうがいいかと思うんですけども。

時給600円の仕事に、どんどんのめり込んでいった

それで何か仕事をと思って、探しました。家庭との両立は絶対でしたし、主人も仕事に理解を示してくれるような人ではありませんでした。 1990年4月に、「古本屋のオープニングスタッフ募集。お好きなときに、お好きなだけ。誰でもできます。本の販売管理。時給600円」という1枚の折り込みチラシが入りました。私でもこれならできるなと思いまして、一歩踏み出したわけなんです。 いわゆる武器と呼ばれるようなパソコンの技術、当時はワープロでしたが、それもまったくなくて、技術とかそろばんもまったくできなかったんですね。栄養士をしていたときから、18年間ブランクがありますから、社会へ出ることのブランク、ギャップがとても不安でした。「できるかなぁ」と思っていたんですけれども、どんどんのめり込んでいきました。 私なりに、のめり込んでいった理由が3つあるんですね。 お客様が読み終えて、いらなくなった本を買わせていただいて、それを紙やすりで綺麗にして、それを100円で棚に出す。今は108円ですけれど。値付けをして出したときに、お客様が、「あ、この本欲しかったの!」って言ってこられたときに、とてもうれしくなるんですね。レジに持ってきてくださったときのうれしさというか。 新品の商材を扱いますと、それを問屋さんから仕入れて売れたときもうれしいですけれども、中古のものをリペアしてお売りしたときの、販売できるという喜びは中古業の醍醐味でして、とてもうれしくなりました。まず、これがのめり込んでいった理由の1つのでございます。 2つ目には、それまで私は、ずっと「(子供の)誰誰ちゃんのおばちゃん」と言われていましたし、近所では「橋本さんの奥さん」と呼ばれていました。それが、ブックオフにパートとして入りましたら、「給料振込みをするから貯金通帳を持ってきてください」と言われまして。 主人名義の通帳を持って行きましたら、「いや、橋本さん名義の通帳を持ってきてください。」と言われて、社会の一員として認めてもらえたような、橋本真由美個人を認めてもらえたような感覚になりまして、すごくうれしかったです。それが、2番目の理由です。 3番目の理由は、25日に、主人の給料のほかに、私のパートのお金が入る。このお金が入ることがとてもうれしくて。子供について買い物に行ったときに、「この黒とグレーのどっちのTシャツにしようかなぁ」って悩んでいるときに、「両方買えば?」と言う、親としてのうれしさ。お金使っちゃったけど、また明日から頑張ろうと。収入があるということが、とてもうれしかったです。 その3つの理由がありまして、ブックオフの言葉でいうと「ハマった」と言いますが、どんどんハマっていったと思います。今振り返ってみますと。

仕事に夢中になりすぎてケンカすることも

どうしたら売り上げが上がるんだろうとか、夢中になって、だんだんのめり込んでいきまして、除夜の鐘も紅白歌合戦もブックオフの店舗のバックヤードで、12月31日の売り上げを店を閉めたあとで聞くような。そんなふうに夢中になっていきました。 絶対手抜きはしないと約束していたはずなのに、まず最初に手抜きをしたのが掃除です。別に掃除しなくても死にやしないし。その次は、ご飯の支度で、カレーを作って(パートに)出ました。「これ、食べといてね」と。 その次に手抜きをしましたのが、焼肉の肉を買っておきまして、肉を焼いて食べてねと。その次に、肉すらも買わなくなって(笑)。だんだん仕事のほうが夢中になっていきました。 主人は土日(家に)おります。子供の塾の送り迎えをしないといけないので、4時には帰りますと言って仕事に入らせてもらったんですが、その4時は4時でも、夢中になって明け方の4時になってしまうほど。だんだん、だんだん、ハマっていきました。 主人とよくケンカをいたしました。「明日から3日間の出張だからワイシャツを出してくれ」と言われまして、オフのときにアイロンをかけようと思って、かけるのを忘れてたんですね。 「あ、ごめんごめん。今かける!」と言っても、「もう時間がないぞ!」と主人は怒り出しまして、「一体全体……お前は俺とブックオフとどっちが大事なんだ!?」と聞かれて、「ブックオフです」と言ったら怒られて、よくケンカをしました。 (会場笑) 社員になったきっかけは、大変不純なものでして。ある金曜日の夕方、私は朝メン(メンバー)ですから17時に上がらなきゃいけないんですが、本の知識がまったくない私でしたけれども、毎日毎日やっていると、この本は売れるんだとか、この本が入ってくると売り上げが上がるんだということが、わかってくるものなんです。 その頃の売れ筋は、『ドラゴンボール』とか『スランムダンク』などの少年コミックで。これらは今も売れ筋なんですね、ロングセラーで。それが入って来たんです。でも、17時で私たちパートは上がらなきゃいけない時間なんですが、なんとなく、これを出して帰ると明日の土曜日の売り上げが上がるということがわかってきたんですよ。 17時に上がらなきゃいけないんですけど、一生懸命棚を作っていました。もうちょっとこれを出して帰れば、明日の土曜日の売り上げ取れるかなぁってやってましたら、ある学生のアルバイトが、「橋本さん、なにいつまでもやってんの?」って、「そんなこといつまでもやったって、どうせ俺たちバイトだからさ。早く帰ろ帰ろ」って急かされたんです。 よくあるじゃないですか。同じチームのなかで1人だけいい格好をして、上から褒められるためにやっている、みたいな。そんなふうに思われるのが嫌だったので、「帰ろうね」って帰ったんですけど、すごく後ろ髪を引かれるというか。「あぁ、これを出して帰りたいな」と思いながら帰ったんです。

「私、社員になります!」勝手に宣言

どうやったら仕事を最後までやっていいんだろう。もっとやっていいんだろう。そう思い始めまして、「そっか、私、社員になればいいのか」と、勝手に思いました。 主人からも、「お前な、扶養の範囲を超えて働くと、会社で始末書書かされるんだから、みっともねぇマネすんな!」ってプレッシャーをかけられてましたし。 「そっか、社員になれば思いっきり働いてもいいんだ」と思いまして。「社員にしてやる」なんて(誰も)言ってないのにね。 申し遅れましたけれども、私どものブックオフコーポレーションの創業者というのは、今、有名な「俺のフレンチ」とか、「俺の〜シリーズ」を立ち上げられて成功されています、あの方がブックオフの創業者でございます。 私はそこにパートとして入ったわけですから、本当におせっかいおばさんで、ズカズカと行きまして、「私、社員になります!」と。とても喜んだ顔ではなかったです。嫌な顔されてましたけど、仕方ないなと思って、自分で勝手に社員になってしまったという、そういう理由なんですね。 1992年、フランチャイズ展開を始めました。当時の事業環境というのは、バブルが弾けて、それまでは箱(店舗)と従業員がいれば、どんどん売り上げが上がっていった、売れていったという(時代)。紳士服とか電気とかですね。 そういうものが、バブルが弾けた途端にガーンと落ちまして、箱と従業員が残った。1990〜1992年はそういう環境でしたから、ブックオフがフランチャイズ展開を始めまして、本部としてスタートしたときに、出店を加速できました。 北海道、東京、沖縄と、同日3店舗オープンとか。いわゆるバブルが弾けて厳しくなった業態の加盟店さん、ブックオフに加盟してくださる紳士服の業態とか、電気の業態とか、そういう方たちが藁をも掴む思いで、ブックオフという業態を掴んだということになりました。

シェアを取るしかない、と出店を加速

ブックオフは、そのときにどんどん出店しなければ(吸収されていた)。自分で言うのもなんですが、これだけ高粗利で、人が成長できるビジネスモデルはなかったですから。世の中にはお金のある会社が世界にいっぱいありますから、ブックオフという小さな会社を吸収するくらいいくらでもできたんですね。いわゆるM&Aというんでしょうか。 そこで私たちが対抗するには、シェアを取るということで、どんどん出店を加速していきました。同日オープンをいっぱいやりましたし、多店舗展開をして出店し続けなければならなかったんですね。直営店だけでは無理で、加盟店様の力を借りて出店をしてきました。 そんなときに、やはり辞めようと思ったことがあります。どんなときかと言いますと、本部で導入研修をしておりました。 先ほど申し上げましたように、本部の研修に来られる方は、電気とか、飲食店、販売単価としてひとつ売りますと、5万も6万も取れるような紳士服とか、電気の何十万というものを売る、そういう業態から来られていますので。 ブックオフはお客様の単価が800〜1000円で、研修に行ってこいと言われて来たら、本屋は本屋でも古本屋じゃないかと。「俺は販売士2級を持っている人間なんだから、そんな古本屋なんかやってられるか!」という感じで、とても反発があったんですね。 なんとか研修をして、ブックオフは人を大切にして、スタッフさんを大切にしてやっていく企業なんですよと、いくら言っても、胸に辞表を入れて、「やってらんない!」って言って、研修がうまくいかないんですよ。 もう最後の手段として、「じゃあ言わせてもらいますけど、みなさまのオーナー様が今どういう状態なのかご存知ですか!?」と言って迫ったんです。お名前を出してもいいということなので、言わせていただくと、同じような業態でハードオフコーポレーションというのがございます。 そのハードオフから来られた研修生に対して、「あのね……」って、ハードオフは新潟が本部でいらっしゃるんですけど、「オーナー様の山本社長が、『このまま新潟の海に飛び込んでしまいたい』と、いわゆる金融機関の取り立てが厳しくて、新潟の海にこのまま車で飛び込みたいというくらい苦しんでいらっしゃるんですよ」と。 「もう1つのオーナー様は、布団に入るとき、『明日、目が覚めなければいいなぁ。このまま』と思っていらっしゃるんですよ。そういうオーナー様のことがわからないんですか!」と言いましたら、やっと研修生から涙がこぼれまして。「俺、頑張ります。オーナーがそんなに苦しんでいるとは知らなかった」と言って、研修生がやっと腹落ちしてくださったんです。

大変な研修を終え、夜中に家に帰ると……

よかったと思って、研修が終わった頃にはもう夜中の2時頃。ほっとして家に帰りましたら、小さなランサーという車に乗っていたんですが、もう夜中の2時ですから寝静まっているはずの家にこうこうと電気が付いているんです。 「あれ、なにかあったのかな」とちょっと胸騒ぎがして、家に入りましたら、子供が飛んで出てきまして、「お母さん、何やってたの!?」と。次女が交通事故で入院したと。お母さんなかなか帰って来ないし、車1台しかないし。田舎の住宅街の外れですから、タクシーもなかなか来ない。 慌てて病院へ行くことになったんですけど、それまでに主人も子供も、その現場に行ったんですが、「寒くて妹が震えてるから、コートを脱いで掛けてきたんだよ」って言うんです。男親というのは、なんでそこへ行くときにせめて着替えを持って行くとか、毛布を持って行くとか、そういう気が利かないのかと、腹立ったんですけど。自分のことを棚に上げて思ったんです。 私はそのとき、課長として直営店全部を見られました。パートとして時給600円で入った私が、社員になって、社員の給料をもらうようになりました。給料も上がって、やりがいがあって、お金も入ってくるし、こんな楽しい世界はないと思っていたときに、そういう子供の事故がありました。 「私、何考えてんだろう」と。子供が事故で家族が苦しんでいるときに、なにが自分のやりがいだ、なにが自分の収入だと。これは会社を辞めるときだ。仕事を辞めるときだと、自分でも覚悟をしました。いくら自分が楽しくて、収入が入っても、家族が病気だったら、これはやっている場合ではないと思って、辞めるように辞表を書いたんです。 ところが、長女が次女のところへ見舞いに行ったときに、次女が言っていたそうなんですよ。「お母さん、辞めるって言ってない? 私がこんなふうになったから。私も将来、彼女のようになりたいと思っているから、お母さん辞めなきゃいいなぁ」と言ってたというのを聞きまして、幸い命に別状はなかったものですから、私もやっぱり辞めたくなかったんでしょうね。結局、退職することなく今に至っているということなんですけど。 やっぱりみなさんも仕事を持っている方がいらっしゃるけども、辞めようと思うときは、家族の病気ですよね。自分が少々辛くても、熱があっても、頑張っていけるけれども、子供や自分の家族が病気のときに、やっぱり辞めようかなと思ってしまうんじゃないかなと思います。

  

※続きは近日公開

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