「最強のファーストレディー」はいかにして大統領選に名乗りを挙げたのか?
「何言ってんのよ。私と結婚していたら、あの男が大統領になっていたのよ」
アメリカ大統領選の予備選挙で民主党トップを走るヒラリーが過去に発したあまりにも有名な言葉。
故郷で、昔ボーイフレンドだったガソリンスタンドオーナーにヒラリーが親しげにあいさつ、それを見た夫のビル・クリントンが
「へえーよかったね。僕と結婚していなかったら、君はこの田舎町で、ガソリンスタンドをやってる男の奥さんになっていたんだね」
やや嫉妬交じりの言葉を掛けたビルに対し、ヒラリーの切り返しが上の発言だったのです。
夫はいわずとしれた42代元米大統領のビル・クリントン。
そのファーストレディーとしてあまりに有名な彼女ですが、そこにとどまるどころか、いまや次期米大統領にもっとも近い存在として世界に名をとどろかせている。
ここでは次期アメリカ大統領に最も近い女性ヒラリーとは、どんな人物なのか、その素顔に迫ります。
大統領の浮気事件を収拾させたヒラリーの発言、その真の姿とは
42代米大統領だったビル・クリントンに1998年、モニカ・ルインスキー事件という不倫スキャンダルが発生します。
大統領ははじめモニカとの性的関係を否定していたものの、「不適切な関係を持った」と告白せざるをえない状況に追い込まれる。
その結果、連邦議会は大統領に対し「品格」を問う弾劾裁判を迫ります。
アメリカの頂点にいる人物に突如起こった不名誉な一大スキャンダル。
世界中のメディアがとびつく、格好のゴシップネタでした。
この大統領のスキャンダルを救った人こそ、本来、夫の裏切り行為で傷つき、悲嘆にくれるべき存在であったクリントン夫人のヒラリーでした。
「夫の行為を好ましく思っていないが、それと弾劾は結びつくものではない」
民主党党員集会での冷静なスピーチ。
スキャンダルはプライベートな問題だ、さらには「(政治敵対勢力の)右派の陰謀」とまで言い切り、幕引きを図ったのです。
夫の裏切りに対し、冷静沈着で、毅然とした夫人の態度により、事態は収束していくことになります。
弾劾裁判でクリントン大統領は無罪を勝ち取ることができたのです。
世間からは仮面夫婦などと揶揄されることもありましたが、離婚することもなく、感情を抑え、夫である大統領を救ったその言動により、大統領の「最強のアドバイザー」の呼び名が定着します。
この事件で、敏腕弁護士でもあったヒラリーのリスク(危機)管理能力の高さが実証されることにもなったのです。
ヒラリーの経歴とは?
2016年米大統領選のトップを走るヒラリー・クリントンは1947年10月生まれで現在68歳。
米イリノイ州シカゴで衣料品店を営む両親のもとに生まれます。
政治的には保守主義者(共和党)で繊維業界の大物だった父のもとで育ちます。
そんな彼女の政治思想が変わるのは大学時代。
1965年、マサチューセッツ州の名門女子大ウェルズリー大学に入学、1969年には同大学をトップで卒業、卒業生代表としてのスピーチがメディアにとりあげられるほどでした。
大学時代彼女は、共和党の政策であったベトナム戦争などに疑問を持ち、父親が支持していた共和党から離れ、民主党支持に転向するのです。
アメリカは二大政党制の国。
共和党は保守、民主党はリベラルの立場。
一般的に共和党は大企業優先で規制緩和、小さな政府志向であるのに対し、民主党は中小企業重視、弱者救済に重きを置き、大きな政府志向であるといわれます。
ヒラリーとビル・クリントン運命の出会い
その後、彼女は法律を学ぶべくイェール大学ロースクールに進み、そこで運命の出会いを果たします。
そうビル・クリントンです。
恋に落ちた二人は1975年に結婚。
ビルは政治家を目指し、ヒラリーは弁護士、という二人三脚のはじまりです。
1978年、32歳の若さでビルがアーカンソー州知事に当選。
しかし同州のファーストレディーは弁護士活動をやめませんでした。
家庭におさまり、政治家となった夫を支える妻とはならなかったのです。
彼女の政治家としての第一歩は、この夫の知事時代にスタートします。
クリントン知事二期目に、ヒラリーは教育委員会委員長に抜擢されます。
そして彼女は同州の教育制度改革を成功させます。
詳細はのちほど解説いたします。
1992年、大統領選挙、ここに夫のビル・クリントンが挑戦。
選挙でビルは「最強のアドバイザー」ヒラリーに全幅の信頼を置き、このコンビを「ひとつ分のお値段で、ふたつ分のお買い得」と外部に公言するほどでした。
大統領選を勝ち抜いた、ビル・クリントンは42代米大統領に就任、ヒラリーはアメリカのファーストレディーになりました。
知事時代の実績もあり就任早々、ヒラリーは健康保険制度改革委員会の議長に任命されます。
大統領選でビル・クリントンが医療保険制度改革を公約などに挙げていたことを受けたものでした。
ヒラリーによるこの改革は残念ながら失敗に終わりますが、アメリカはじまって以来のファーストレディーによる政治参画は全米にインパクトを与え、彼女は「最強のファーストレディー」「スーパー・ファーストレディー」などと称えられることになったのです。
ヒラリー自らが政治家の道を歩み始める
アメリカはこのファーストレディーを放っておかず、なんと2000年、大統領夫人のまま担ぎ上げ、連邦上院議員(ニューヨーク州選出)に当選させてしまいます。
大統領夫人の肩書に国会議員が加わったのです。
さらには2008年の大統領選に出馬、残念ながら民主党候補指名争いでバラク・オバマに敗れましたが、オバマ政権の国務長官(日本の外務大臣)に抜擢され、はじめての訪問地として日本を選んでいます。
以上のように、有能な弁護士、米大統領のファーストレディー、上院議員、国務長官と、綺羅星のような肩書を背負い、アメリカ初の女性大統領を目指す、タフで野心的で有能なアメリカ女性なのです。
ヒラリーに政治的実力はあるのか?
ヒラリーの華麗な経歴、肩書には唖然とさせられますが、では本当に彼女に政治力があるのでしょうか?
2つの事例を紹介します。
1つ目は夫ビル・クリントンがアーカンソー州知事2期目、ヒラリーが州教育委員会の委員長に任命された時です。
ビルは、アーカンソー州の教育水準向上を公約に掲げ再選されたこともあり、この改革は必須命題でした。
ヒラリーは急進的な改革案を提出します。
なんと教師達に適正試験を受けさせ不合格者は解雇するというもの。
ビル、ヒラリーともに所属する民主党の支持層は教職員組合。
この支持者を敵にまわす大改革でした。
しかし彼女は最終的に案を採択させ、改革を貫徹するという離れ業を成し遂げたのです。
ビルの知事時代とはいえ、ヒラリーの大きな政治的成果でした。
この成功もあり、夫婦による二人三脚は「ヒラリー・パートナーシップ」と呼ばれるように。これは大統領選挙、そして大統領期間中も続くことになります。
先に記したスキャンダルに対するヒラリーのリスク管理も「ヒラリー・パートナーシップ」のひとつでしょう。
そしてそれは政治力を裏付けるものでもあるのです。
ヒラリーの米保険制度改革は失敗するが、しかし・・・
もう1つは、ビル・クリントン大統領の誕生直後に、ヒラリーが健康保険制度改革委員会の議長に任命された時です。
ヒラリーが取り組んだのはアメリカの医療と健康保険制度の改革。
国民皆保険を原則とする制度プランでした。
アメリカの健康保険は日本のように国民皆保険ではなく、民間に任されており、そのため国民の15%、3700万人もが無保険という状況でした。
もともと民主党のヒラリーは「大きな政府」論者であり、国民皆保険制度に象徴される弱者救済の福祉制度拡大を持論としていました。
ヒラリーが改革プランの必要性を訴え、議会で演説する姿には、民主党ばかりでなく共和党の議員までが圧倒され、スーパー・ファーストレディーぶりを見せつけたといわれています。
しかしこの急進的な改革案は、中小企業経営者や医師会、そして議会からの猛反発を受け失敗に終わります。
検討途中で、クリントン大統領の首席顧問からその急進的な改革案を修正し、妥協することを促されたことがありました。
ところがそれに対し、ヒラリーは「一部だけ改善するというわけにはいかない。改革は全部やるか、さもなければ、何もやらないか」と主張した、という話が残っています。
2つ目の事例は失敗に終わりますが、彼女の信念の強さがひしひしと伝わってきますね。
こうした事例を見ても手ごわい政治家の姿が浮かび上がってくるのです。
まとめ
以上、ヒラリーその人の素顔とは
・自分に絶対的な自信がある
・夫で大統領の不倫事件に対しても、自らの感情を殺し、敏腕弁護士・「最強のアドバイザー」として大統領を支えることができる
・夫の知事、そして大統領時代に政治的な手腕を見せる
・その後、夫・大統領の政治の枠内にとどまらず、自らの力で上院議員、国務大臣を歴任
そしていまや次期アメリカ大統領に最も近い候補者として君臨するタフなアメリカ女性だということです。
次期大統領になればアメリカ初の女性大統領です。
夫婦ともが大統領経験者というのもアメリカ初。
男勝りを地で行く女性ですが、その政治思想は意外(?)にも弱者救済の福祉制度といった「大きな政府」論にあります。
しかし油断はなりません。
現オバマ政権が弱腰外交と言われたことを受け、こと外交に関しては強気の姿勢を示すのではないか、といわれています。
「弱いアメリカ」を体現している現オバマ大統領に対して、プライドの強いアメリカ国民の批判や不満に対し、新たに誕生する女性大統領は「強いアメリカ」を示す可能性がある、というわけです。
同盟国の日本にはどんな対応をしてくるか?
外交的に強い要求をしてくることも考えられます。
それはどんなものか?
大統領選の行方に目が離せません。
※写真:ウィキペディアから
※希望日本研究所 第6研究室