顔ってその人の内面が表れるのかしら。
昔、顔を見るというだけの情報のみで、その人がどんな人かを想像していたことがあったのを思い出しまして。
過去の画像を整理していたら、ある画像を見てふと物思いにふけってしまいました。
以前、ストリートスナップを撮影していたときに、考えていたこと。
顔を見てみたら、面白い、と思った
顔を見る、と言いつつ、人と目を合わせて話すのが僕は苦手です。
目をしっかりと見て話す方いらっしゃるじゃないですか。
もうそんな方と話したときなんか、胸がバクバクでギュンギュンします。
すごい力だと思うのです、目を見て話せるって。僕には、それができない。
仕事だったら頑張って目を見て話します。
お客さんのところに行って話すときなんかは「意識して」目を見るようにしております。
でもプライベートになるとやっぱり苦手。友人と話していても、ちゃんと目は見れないのです。
いつからか日々つけているメガネもその対策のためでございます。
目が悪くなる前からダテメガネをつけていました。
ひとつフィルターがあるってだけでだいぶ安心。
実はアイコンも同じようなイメージ。帽子を深くかぶっております。
そんな僕が人の顔をじっくり見れるときがあったのでした。
それは、カメラ越しに見ているとき。
カメラ越しに見た、顔
ファッション関連の媒体のウェブサイトのコンテンツとして撮っていたストリートスナップ。
2人体制で、僕の役割はへたっぴですがカメラマン。
一方がモデルを探し声をかけ、僕が撮影するという段取り。
その撮影中に、モデルとレンズ越しにですが目が合っていることに気付きました。
カメラがなければ目をそらすところですが、レンズ越しであれば大丈夫。
人の顔を僕はそれまでほとんど見ていなかったんだな、と気付きました。
真正面から人の顔を見つめたことがほとんどなかったので、新鮮な感覚だったのを覚えております。
そうやって撮影を続けるうちに、人の顔に興味を持ちまして。
ストリートスナップなので様々な人を撮るわけですが、顔を見ているとその人がどんな人なのか、ちらりと見えるような感覚がありました。
その感覚からひろげて、描いたり、コラージュしたりして、僕が感じるその人のイメージをつくってみたり。
本人に見てもらったら、その本人の認識している「自分」とも重なるところがあって面白かったのが、記憶として残っております。
自分に落とし込んでみると、基本的にいつもムスッとしているような気がしますが、その時々の心象なんかは顔にでている気がします。たまに鏡見てみると、顔が強張っているのに気付いたり、と。
その時々の表情が積み重なって、出来ていく顔。
顔の作りは基本変えられなくとも、その辺変えていくことでもっと人からのアクションの幅も広がるのかな、と思った次第。
自分よりも他人のほうが自分の顔を見ている、と考えると、ですが。
メガネをゆくゆくは外せたらいいな、と思いつつ、プロダクトとして好きになっている自分に気付いたり。
顔に内面が表れるとするのであれば、まずは内面からですな。精進しまする。
次回予告(明日になってみたら違うことが多々あります)
羽田空港の出発ロビー 別れに触れて切なくなるものである
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