●緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の中学生が反日極左の歴史教科書の餌食にされる;南京歴史戦ポストカードで対抗しましょう》

2016年03月15日 23:17

●緊急拡散希望《麻布・慶應・灘の中学生が反日極左の歴史教科書の餌食にされる;南京歴史戦ポストカードで対抗しましょう》


■教科書検定に於いて、客観的事実に基づかない歴史には、検定意見がつくようになってから、中学校のすべての教科書から「慰安婦」に関する記述が消え失せたのですが、本年4月から採用される共産党系教科書会社“学び舎”の歴史教科書『ともに学ぶ人間の歴史』で復活し、私学エリート養成校として有名な麻布・慶應・灘校の中学生が使用することになりました。

慰安婦問題は、本年1月18日、参議院予算委員会で中山恭子・日本の心を大切にする党代表の質問に対して、安倍首相は「強制連行の示す事実はなかった。20万人朝鮮人慰安婦の事実もない」と、明確に答弁したことで、河野洋平官房長官談話は、事実に基づかない「センチメンタルな感想文」程度の価値しかなくなったのです。実際、「河野洋平官房長官談話」は、事実に基づかない政治的な決着だったことは、河野洋平官房長官談話発表当時の事務方の責任者である石原信雄氏(当時・官房副長官)は、2014年3月衆議院予算委員会に於いて「河野官房長官談話は史実に基づくものでなく政治的な配慮だった」ことを明らかにした事で、教科書に記載するには不適切な「イデオロギーに基づく政治文書」だった事が明らかにされました。それにも拘わらず、共産党系の『学び舎』の歴史教科書に掲載されたのです。


◆【学び舎の慰安婦の記述】

《1991年の韓国の金学順の証言をきっかけとして、日本政府は、戦時下の女性への暴力と人権侵害についての調査を行った。そして、1993年にお詫びと反省の気持ちをします政府見解を発表した。》


『河野洋平官房長官談話(1993年)』


《調査の結果、長期に広い地域に慰安所が設けられ、数多くの慰安婦が存在したことが認められる。朝鮮半島からの慰安婦の募集、移送などは総じて本人たちの意思に反して行われた。軍の関与の下で、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた。

政府は、苦痛を受け、心身に癒やすことのできない傷を負ったすべての方々に対し、心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

歴史の真実を直視し、歴史研究・歴史教育を通じて、この問題を記憶にとどめ、過ちを繰り返さない決意を表明する。(一部要約)》

1984年の教科書検定に於ける「近隣諸国条項」によって、日本罪悪史観の極めつけとして記載されてきた「南京問題」も、一次資料に基づかない歴史は、記載されなくつつある中で、これまで「南京大虐殺」などと、自虐的な記載が満載だった『教育出版』と『東京書籍』も抑制された表現にしたにも拘わらず、『学び舎』は、今までの上記二社の過去の記述を継承したような内容を掲載しているのです。

下記に本年4月から使用される『教育出版』『東京書籍』『学び舎』の中学生用歴史教科書の「南京の記述」をピックアップしましたので比較検証して見てください。


◆【教育出版「南京」の記述】

《南京では、捕虜や住民を巻き込んで多数の死傷者を出しました①。〈注①〉このできごと(南京事件)は、戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で明らかにされました。犠牲者の数などについては、さまざまな説があります。》


◆【東京書籍の「南京」の記述】


《日本軍は、1937年末に首都の南京を占領し、その過程で、女性や子供もなど一般の人々や捕虜をふくむ多数の中国人を殺害しました。(南京事件①)〈注①〉この事件は「南京大虐殺」とも呼ばれます。被害者の数については、さまざまな調査や研究が行われていますが、いまだに確定していません。》


※上記二社の記述に「犠牲者の数などについては、さまざまな説があります」(教育出版)とか「被害者の数については、さまざまな調査や研究が行われていますが、いまだに確定していません」(東京書籍)と、特定できなければ「ゼロ」もあり得るような表現になったのは、当時、世界中のマスメディアで南京の状況を一番詳細に知り得た朝日新聞が、2007年2月19日に《朝日新聞社として南京大虐殺の犠牲者数は特定しておりません。…中国側は犠牲者の数を『30万人』とし、…日本側には20万人説や数万人説などさまざまな見方がある》と、公式見解を明らかにしたことで、教科書会社は数を特定して「南京」に触れることが出来なくなったのです(自民党歴史議連監修『南京の実相』133頁参照)。それでも東京書籍は意地になって〈この事件は「南京大虐殺」とも呼ばれます〉などと意味の無いことを記載していて笑えます。いままでの反日教科書の変化に危機感を覚えた、現場の反日極左の教員たちが、自分たちのイデオロギーを満たす「新しい歴史教科書の必要性」から、つくられたのが『学び舎』の歴史教科書だったのです。


◆【学び舎の南京の記述】『戦火は上海から南京へ』


《日本軍は、多数の死傷者を出しながら上海を占領し、さらに国民政府の首都・南京へ向かって進撃しました。日本軍は、食料などの物資を十分には補給されず、現地で調達せよと命令されていました。そのため、日本軍が通過する地域の住民は食料を要求され、略奪・殺傷などの被害を受けました。日本軍は12月、南京を占領しました。このとき、国際法に反して大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子どもを含む多数の市民を暴行・殺害しました(南京事件)。日本では、南京占領を祝う行事が盛大に行われました。》


※最新の研究では、中国側が南京城内で「30万人が虐殺」されたと表明しているが、実際の南京城内の戦没者は「1793人」で、その内訳は女性が「8人」、子供が「26人」だけだった事が、当時の朝日新聞と中国側が東京裁判に提出した検察側資料で証明されました。実際、最新の学術的な研究を把握してない小中高の教員が、歴史教科書を執筆する資格があるのか問われることでしょう。また、約60日間、国際法に反して毎日平均5000人殺害しないと30万人になりませんが、当時国際法に違反しているなどの申し入れは一切ありませんでした。『学び舎』の歴史教科書を採択した学校の理事長や校長にOBが「南京歴史戦ポストカード」を送りつけると、『学び舎』の歴史教科書の使用を中止する可能性があるのです。


◆【学び舎】『南京市に住んでいた夏淑琴(当時8歳)の話』


《昼近くに銃剣を持った日本兵が家に侵入してきました。
逃げようとした父は撃たれ、母と乳飲み児だった妹も殺されました。祖父と祖母はピストルで、15歳と13歳だった姉は暴行されて殺されました。私と4歳の妹は、こわくて泣き叫びました。銃剣で3カ所刺されて、私は気を失いました。気がついたとき、妹は母を呼びながら泣いていました。家族が殺されてしまった家で、何日間も妹と二人で過ごしました。》(一部要約)〈笠原十九司『体験者27人が語る南京事件』より〉


※1994年8月、夏淑琴は来日して講演をしていたのを、筆者は船橋市で開催された講演会を取材しましたが、夏淑琴は南京陥落後も「中華門の近くで家族と平穏に暮らしていた」と証言していたが、二村次郎報知新聞カメラマンによれば、陥落と同時に中華門から入城した時、「中国人は誰もいませんでした」(『「南京事件」日本人48人の証言』阿羅健一著、小学舘文庫)と明確に証言しています。また、夏淑琴は、1994年8月11日、TBS“筑紫哲也のニュース23”に出演して「母親は、赤ちゃんを抱いてテーブルの下に隠れていましたが、見つかってしまいました。…日本兵は、赤ちゃんを奪いとると下にたたきつけて殺したのです。そして母親は服をすべて脱がされ、たくさんの日本兵に輪姦されました。その後で日本兵はおじいさんの杖を姉の体にさし入れ、かきまわして殺したのです。日本兵は三回、私を刺しました。その時の傷がこれです」と、述べていたのです。夏淑琴の『学び舎』の証言と「ニュース23」の証言に一体感がないことで、これだけで教科書に掲載するのは不適切なことは理解していただける事でしょう。

微妙な歴史認識問題は、唯一客観的な一次資料で、各自、事実を検証することが大事なのであり、国内外にお住まいの麻布・慶應・灘校のOBや関係者は、中国(共産党)御用達の学校に陥れられる実態を見過ごしていいのでしょうか。


私学の歴史教科書の採択は、少数の歴史担当者が「恣意的」に採択しているのであり、OBが「今後の寄付金に応じない」とか「いつから社会主義の学校になったのか」などの抗議によって、後輩の健全な教育を護れるのであり、一斉に声を挙げるべきなのです。

また、各学校で使用する『学び舎』の歴史教科書は、各数十冊から数百冊なので、余裕のあるOBが他の歴史教科書を全冊寄贈することもあり得るのではないでしょうか。


■理事長や校長、そして「地歴公民科主任殿」宛に「OB」が抗議をすると有効です。

《文例》


※インターネットで知ったのですが、OBとして情けなくなりました。

※将来性ある若者に反日教育をする目的はなんですか。共産党系教科書を採用しているかぎり、OBとして募金に一切応じないようにします。


◆◆私立中学校◆◆


◆【麻布中学校】

〇学校法人麻布学園理事長: 清水 慶三郎殿

〇麻布中学校・麻布高等学校校長: 平 秀明殿


〒106-0046 東京都港区元麻布2-3-29
phone: 03-3446-6541
fax: 03-3444-2337


◆【慶應義塾普通部(中学校)】


〇山崎 一郎 部長殿(校長職に該当)(2012年4月1日 -)

〇藤森 孝俊主事殿(2011年4月1日 -)

〒223-0062
神奈川県横浜市港北区日吉本町一丁目45番1号


◆【灘中学校】
※講道館柔道を創立した柔道の神様嘉納治五郎が、文武両道に長けたエリート養成のため創設した学校ですが、中韓に媚びることがエリート養成になるような学校に変質したようです。嘉納治五郎が泣いていますね…。


〇理事長 嘉納毅人 殿

〇学校長 和田孫博 殿

〒658-0082 兵庫県神戸市東灘区魚崎北町8丁目5番1号
TEL:(078)411-7234 (代) 
FAX:(078)411-7244



◆◆国立中学校◆◆

◆【筑波大付属駒場中】

〇林久喜校長殿

〇地歴公民科主任殿

〒154-0001 世田谷区池尻4-7-1
Tel. 03-3411-8521 
Fax.03-3411-8977


◆【東京学芸大付属世田谷中】

〇金沢育三校長殿

〇地歴公民科主任殿

〒158-0081 東京都世田谷区深沢4-3-1 
TEL: 03-5706-3301 
FAX:03-5706-3340


◆【東大付属中等教育学校】

〇小玉 重夫校長殿(東京大学大学院教育学研究科学校基礎教育学コース教授)

〇地歴公民科主任殿

〒164-8654 東京都中野区南台1丁目15番1号 
TEL 03(5351)9050 
FAX 03(3377)3415


◆[東京学芸大付属国際中等教育学校]


〇佐藤正光校長

〇地歴公民科主任殿

〒178-0063 東京都練馬区東大泉5-22-1 
TEL03-5905-1326
FAX 03-5905-0317

◆[奈良教育大付属中]※国歌斉唱をしなかったことで有名になっており、共産党系教科書採用は必然でした。


〇松川 利広校長殿

〇地歴公民科主任殿


〒630-8113
奈良県奈良市法蓮町2058-2
TEL 0742-26-1410
FAX 0742ー26-1413


◆◆参考:私立中学校◆◆


◆[広島女学院中学高等学校]

〇学校長 星野 晴夫殿

〇地歴公民科主任殿

〒730-0014

広島市中区上幟町11-32 

Tel:082-228-4131 
Fax:082-227-5376


大宮開成中(さいたま市)  獨協中(東京都文京区)
 女子聖学院中(東京都北区)東京純心女子中(東京都八王子市)  法政大中(東京都三鷹市) 明星学園中(東京都三鷹市)神奈川学園中(横浜市) 南山中男子部(名古屋市) 南山中女子部(名古屋市) 南山国際中(豊田市) 立命館宇治中(宇治市) 金蘭会中(大阪市) 大阪桐蔭中(大阪府)


◆「歴史戦ポストカード」を使用して教育委員会等に発送される方は【水間条項】を検索して見てください。
http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/blog-entry-2182.html


※ジャーナリスト水間政憲;インターネットだけ転載フリー〈条件・全文掲載〉http://mizumajyoukou.blog57.fc2.com/





▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△▲△
【下記の事柄も継続拡散希望】


《アマゾン(書籍版)》








《アマゾン(電子書籍版)》






★平成27年4月28日の主権回復の日から1000日を目処に、
覚醒されていらっしゃる皆様方に協力していただき
「日中・日韓」の歴史認識問題を終結させますので、
是非、「やまと新聞動画会員」(月額324円)の登録を、何卒宜しくお願い致します。
また、「水間政憲の国益最前線やまと新聞ライブ放送」を
継続するためにも登録をお願いする次第です。

やまと新聞インターネット放送;
毎週日曜日午前9時から1時間;
番組名【やまと新聞;水間政憲の国益最前線レポート】
http://ch.nicovideo.jp/yamatoshinbun



※全文転載による拡散だけでなく、
ツイッターやフェイスブックによる拡散もお願い致します。
各記事最下部にあるボタンをクリックすることで簡単に拡散可能です。